第671話 おっかねぇや
「えっと……これとこれと……あと……」
「一品だけにしておけよ。食べきれんだろ」
灰崎兄妹は『スイレンの雑貨店』が対面に見える小さなカフェに入っていた。
帰る予定だったが、やはり『神島』の動向は気になる。状況を見て黒金さんに報告しなければ。
「一品だけかぁ……どうしよっかなぁ……」
それとは別に妹に好きな物を食べさせたかった。
闘病生活では味のしない食事ばかりだった妹はようやく好きなモノ食べれる様になったのだ。食べたかったモノを好きなだけ食べさせている。
「うむむ……ここは季節の『ユニコ君サンド』にするべきか……」
商店街のアイドル、ユニコ君をイメージしたホイップサンドはケーキの様なお菓子をイメージするサンドウィッチだ。
先に頼んだコーヒーを飲みながら灰崎は妹が悩む様を微笑ましく見つつ、横目で『スイレンの雑貨店』をチラ見する。
あの店に『神島』は入って行った。連れの女は仲間と言うには警戒心の欠片もなかった。
「よし、『ユニコ君サンド』にする」
「じゃあ、俺も同じのを頼む」
店員さーん、と手を上げる妹。すると、
「灰崎。振り返るな、反応もするな」
灰崎にだけ聞こえる声でそう言われた。後ろの背中合わせの席に座る男がナポリタンを食べながら一方的に告げてくる。
「『神島』は我々がマークしている。余計な事をして彼を刺激するな。お前たちは、一度『神島』に目をつけられている」
「……」
『処刑人』として訓練を受けた灰崎のセンサーは常人よりも遥かに鋭い。しかし、後ろの男は、話しかけられるまでその手の気配を全く感じなかった。
「……」
風の噂で聞いた事がある。
いずれ居なくなる『国選処刑人』の代わりになる“部隊”を烏間幹事長が『神島』の指導の共に進めていると。しかし、それは固定された部隊ではなく、有事の際にあらゆる組織から招集されて一時的に“部隊”となる様な形態になるとか。故に、こう呼ばれている。
「あんたが“霞部隊”か?」
姿は見えど、触れることは叶わない。その意味合いからそう呼ばれている。
「我々に殺意与奪の権利はないが、死なない範疇での“行使”は容認されている。警告は一度きりだ」
そう言って、男は食事を終えて立ち上がった。
「兄さん、この商店街ってユニコ君ばっかりだよね。確かに可愛いけどさ。何か宗教じみたモノ感じない?」
「そうだな」
「おや、お嬢さんは知らないのですか? ユニコ君の武勇伝を」
注文を取りに来たカフェのマスターがニコやかに告げる。
「え? なんですか? ソレ」
「初代の話です。ヤクザをちぎっては投げ、ちぎっては投げ――」
楽しそうにマスターからユニコ君の話を聞く妹。
裏の事は裏で……か。
灰崎はコーヒーを啜りながら、表の世界で妹と生きる事だけを考える事にした。
なーんで、こんな事になっちまったんだろうなぁ……
アヌビスマスクが外れないアメン・ラー(ナガレ)は、試着室でいそいそと執事服に着替えていた。
本日の服装がボタン式のシャツで良かった。Tシャツタイプだったら脱ぐ事は出来なかっただろう。
「アメンさんは~、よくこのお店に来るんですか~?」
そして、一つの仕切り布を挟んで向こう側ではセナが着替えていた。
「店主のお婆さんとは知り合いでね。ほら、あの年齢でしょ? いつ、遺影が必要になるか分かったモンじゃなくてね」
「素敵な関係ですね~そうやって、家族以外で気にかけてくれる人がいるなんて~お婆さんも嬉しいと思いますよ~」
「…………でも、やっぱりさ。家族が一番嬉しいハズさ」
スイさんは、いつも変わらないが孫の事になると途端に饒舌になるからねぇ。
「アメンさんは~ご結婚なされているんですか~?」
「……結婚はしてない。けど、帰らなきゃいけない場所はあるねぇ」
「浮気~?」
「いやいや、違う違う。今の仕事が長引きそうだから、片付けるまでは離れてるって感じだよぉ」
セナの口振りから、オレだって気づいてないな。それなら、ちょっと近況の探りをいれてみるか。
「鮫島さんは? 貴女、モテるでしょ?」
「ふふ。色んな人に気を使ってもらうって意味なら~モテてると思いますよ~」
色んな人と連携は取れてるみたいだな。
「旦那さんも羨ましいねぇ。こんな美人な嫁さんがいるんだもん」
「夫は居ません~」
「そうなの? 彼氏は?」
「フリーで~す」
「世界はこんな美女をフリーにしてるのかぁ。オレにワンちゃんある?」
「アヌビス顔の人はちょっと~」
「参ったねぇ。オレはアヌビスマスクの方がイケメンなんだけどよぉ」
「ふふ。そうなんですか~でも、私は好きな人がいるので~ワンちゃんありませ~ん」
「やれやれ、最初からフラれる運命か。やっぱり、ワンちゃんあるのは娘さんの父親?」
「――そうですね~。既読スルーしたり、私よりも~娘にしれっと会う不躾な人です~」
なんだ? 急にトゲが入ったなぁ。
「帰ってきたら~今持ってる権力を全部使っていじめてやろうかと~」
「おっかねぇや」
「アメンさんは~好きな人とか居るんですか~?」
「ああ。さっきも言ったけどさぁ。帰る場所に“家族”を待たせてるんだ。オレの両親は既に他界しててね。今じゃ、彼女たちが唯一迎えてくれる家族なんだ」
「……そうですか~。アメンさんを理解してくれてる素敵な家族なんですね~」
「それは断言するよ。アイツと娘を越える女は世界のどこにも居ないってね」
『神島』に触れる以上、繋がりを悟られない様にこちらの動向は全く伝えていない。それでも一番愛した女は待っててくれている。
「だから、今の仕事は中途半端に終わらせる気はないのさ。送り出してくれたアイツに応える為にもね」
「……そうですか~アメンさんは素敵な人ですね~」
「顔はアヌビスだけどね」
「ふふ」
ホントに良い女だよぉ。こんなオレをまだ待っててくれるんだからさ。
おっかねぇ女




