第570話 人の皮を被った鬼神
「ふむ。前の席に座っても良いだろうか?」
「あ、どうぞ」
佐々木は、荷物を持って現れた白髪の美女――ショウコに呆然としていたが、彼女からの言葉に何とか反応した。
ゲスト室はそれなりに広いが、座ちる所は向かい合う革のソファーくらいである。
ショウコは佐々木の正面に座ると荷物の中から保冷弁当箱を取り出して目の前のテーブルに置く。
「昼食がまだなモノでな。少々失礼する」
「全然気にしませんよ」
と、外面は平常心で対応する佐々木だが内心では滅茶苦茶困惑していた。
なんだ……この美女。ハリウッドでも並ぶ女性を上げる方が難しいレベルだぞ? しかも、ただ容姿が高水準なだけではなく、その身に纏う雰囲気は、人を惹き付けるには十分な要素を漂わせている。
容姿、雰囲気、そのどちらかが欠けたら成立しない程に人の視線を集める存在である事は間違いない。
まさに絶世の美女と言う言葉が完全に当てはまる女性だ。なんで、こんな所に居るんだろうか?
佐々木は色々と質問したいが、ショウコが食事を始めたので少し待つ。
「…………」
『フォルテ』の三人はショウコの入室に対して素直に驚いていた。
リーダー。
なんだこれ? 一体何が起こった? いきなりゲストルームに、何か知らん美女が入ってきたぞ? 貰った『文化祭の栞』にも彼女が出るようなイベントは確認できない。学校の関係者……と言うワケではな無さそうだし……うーむ。
と、対応に困る。
ベース。
文化祭でライブしようと待機してたら、今までに見たことがない美女が入って来たの巻。これってどういう状況? 順当に考えるなら……この美女もイベント関係のゲストだよなぁ。でも……美女が関係してるイベントなんて何も無かったよな……
と、答えの出ない疑問で頭の中がぐるぐるする。
ドラム。
馬鹿な……なんだと……馬鹿な……もう語彙力が低下して“馬鹿な”しか言えねぇ。メッチャ美人。超スタイル良い。こう言うのが彼女だと周囲から羨ましがられると思うけど……逆にこっちがレベルを合わせるのが死ぬほど苦労しそう。佐々木君か俺らのファン……って感じじゃないし……一体何者だ? 後、胸デケー。
突如して現れたショウコに対して疑問が止まない。
そんな四人の視線に気づいたショウコは弁当箱を開ける前に視線を向ける。
「ん? ああ、すまない。少し見苦しかったかな?」
「い、いえ! 全然」
「そうか。でも、見られると少々食べづらいんだが」
「あ! すみません……」
佐々木は席を立ち、背を向けて『フォルテ』の面子は再度楽器をチューニングするフリをした。
「すみません。質問を良いですか?」
「ん?」
野菜オンリーの弁当を食べ終わり、荷物の中に直すショウコに佐々木が声をかけた。
謎多き彼女にどう話しかければ良いかわからなかったフォルテのメンバーは佐々木の社交性に任せる事にする。
「流雲さんは、今回はイベントで?」
「そうだが?」
「って事は……『厄祓いの儀』?」
「それ以外に無いと思うが?」
それが一番当てはまらないんだよ、と脳内でツッコミがシンクロする四人。
そんな四人の様子をショウコは察した様子で語り出す。
「まぁ、良くあるんだ。『厄祓い』って聞くと大概の人間が胡散臭いと考える。来る者はおっさんとか、神父が呪文を唱えるだけとか思ってな」
「うっ……」
ショウコの言葉の半分は口に出していた事に言葉が詰まった。しかし、そんな反応にも彼女は不快感などは一切無く淡々と続ける。
「それが普通だ。一般にも知名度が広がってるワケじゃないし、実際に“厄”を祓ってる実績があるワケじゃないしな」
「そ、そうなんですね」
「だが、誇りはある」
迷い無くそう口にするショウコの様は場の面子にも引けをとらないプロ意識を感じさせる一言だった。
「私はコレと共に育ったからな」
それは目から鱗な言葉だった。
佐々木や『フォルテ』の面々が、演劇とバンドを始めたのは、他よりもデキが良くてそのまま良い感じに成り上がれたからだ。
その二つは昇れば昇るほど、世間に注目されて、陽の目を浴びる華やかなステージ。故に常に道徳と優れたプロ意識が求められる。
しかし、良い時もあれば悪い時もある。その時にふと考えるのだ。
演劇――
音楽――
って、こんなに辛かったっけ? と。
「私は一族では本家の血は流れていない。それでも更に理解を深めたいと思ってる。『厄祓い』は私の人生を半分以上作った様なモノだからな」
「――流雲さん」
「メッチャ感動したっす!」
佐々木の言葉を押し退ける程、共感したのはドラムメンバーである。
「む? 別に感情を揺さぶる様な事を言ったつもりは無かったが?」
「そんな事はないっすよ」
ベースもドラムの言葉に便乗した。
「確かに最近は何となくこのまま上に行こうって考えで、数字ばかり見てたなぁ。流雲さんの言葉に喝を入れられたって言うか……リーダー、こう言う感覚ってなんて言うんだっけ?」
「初心に帰っただな」
リーダーもショウコの言葉に感銘を受ける。俺たちが楽器を手に取った時は今よりももっと純粋で良い音が出てた気がする。あの時の音を技量も上がった今に再現出来れば――
「行こうぜ。『グランドミュージック』に!」
「ああ!」
「おう!」
「何か良くわからないが、良い傾向の様だな」
いつの間にか『フォルテ』を更になる高みへ押し上げるピースを与えた事はショウコ本人は無自覚だった。
「流雲さんって独特の価値観と言いますか……世界観を持ってますね」
佐々木はショウコの非凡性は見た目以上にその内側の考え方にあると感じた。
「育った環境が特殊だったからかな?」
「それでも、本人の資質が関わって来ますよ。親や親戚に導かれても、そちらに素質がなければ挫折してしまいますし」
「まぁ、『厄祓い』は他人には理解されづらいのは承知だ。だからこそ、私だけは理解せねばと思っている」
「それも含めて“素質”なのでしょうね」
佐々木は今回のイベントに呼ばれて本当によかったと感じる。
「流雲さんはハリウッドでも確実に活躍するほどの素質がありますよ」
「演劇に興味はないよ。それにハリウッドは伯父が事を起こして流雲家は出禁になってるからな」
「え?」
衝撃的なショウコの言葉に佐々木は、流雲と言う名字に関して改めて、どこかで聞いた事が……と記憶がもやもやする。
「タイトルは忘れたが、何かの映画の撮影で虎が逃げ出す事態が起こったんだ。その時、伯父が素手で始末した事が問題になってな。その虎はお忍びで撮影風景を見に来たどっかの国の王族のペットだったらしい。伯父と流雲家を出禁にした事で何とか国際問題にはならなかったらしいが」
そう淡々と喋るショウコの雰囲気から嘘や冗談を言っている様には感じられない。
「流雲……流雲……まさか……『虎殺しのファン』の身内ですか?」
「伯父さんを知ってるのか?」
「直接の面識は無いですが……当時の彼を見ていた人物は誰もが口にしますよ。あれは人じゃない、人の皮を被った鬼神だと」
当時、撮影器具もあった現場ではその様子が全て撮されていたため、佐々木はソレを見せて貰った。
仮面を着けたファンは襲いかかる虎を正面から殴りつけてボコボコにすると、逃げ出す虎を追走。尻尾を掴まえて振り回し、前蹴りでその顔面を踏み潰して始末した映像が残っている。
「何だか流雲が評価されたようで少し嬉しいな」
「ちなみに……流雲さんとファンさんとの関係は良いんですか?」
「バッチリだぞ。昔は良く肩車してくれたし、母に隠れてお菓子なんかもくれた。流雲の体裁もあったから表面上は無視されていたが、裏では色々と構ってくれた。最近は早く実家に帰ってこいと催促されるくらいだ」
そう言いつつ淡々とVピースを決めるショウコ。
その言葉だけで溺愛されているのだとわかる。もし彼女を妻にする者は鬼神と対面しないと行けないのか……と佐々木は思った。
ファンおじさんは鬼神