自分の完璧に応えられない妻を売った伯爵の末路
伯爵である彼――ボルグ・ヒルス・ユーバンクは常に、自分にとっての完璧を求めていた。
食事の味も、部屋の整理も、日々のスケジュールも。
全てが自分の思い通りでなければ、気が済まなかった。
そして、全て彼の思い通りになっていた。
たった一つ。
――彼の妻のこと以外は。
*
「旦那様、今日の料理の味はいかがでしょうか?」
「美味かった。特に、この肉料理のソースが最高だった」
給仕係が料理の出来を尋ねると、ボルグは満足そうに答えた。
本当に美味しかった。彼の好みとマッチしていたのだ。
ボルグと給仕係のやり取りの傍で、口元を緩ませている女性の姿があった。彼女が笑っているのを見た彼は、不機嫌そうに眉根を寄せた。
「何を笑っている、アメリア」
「あっ……ご不快でしたか? も、申し訳ございません……」
妻であるアメリア・ファース・ユーバンクが、ハッと口元を隠すと、慌てて頭を下げた。それを見て、ボルグはふんっと鼻を鳴らすと、矢継ぎ早に責め立てる。
「お前には、これと同じ味が出せるほどの料理の腕があるのか? そうやって、私たちの会話を笑っていられるような料理の腕前なのか?」
「い……いいえ……」
アメリアは俯くと、手に持っていった銀食器を皿に置いた。そんな弱々しい妻の態度を見ると、ボルグの中で、さらなる苛立ちが湧き上がる。
「それなら、何故笑った⁉ 俺の望む完璧に応えられないのは、この家でお前くらいだ! この出来損ないがっ‼」
「旦那様、申し訳ございません……」
妻は小さく震えながら、先ほど以上に頭を下げた。
ボルグは大きな音を立てて席を立つと、頭を下げたままのアメリアに言い放つ。
「今から出かける。今日は戻ってこない」
「い、今から……でしょうか? もう夜――」
「黙れ、アメリア。お前と話して、夕食がまずくなった。口直しをしてくる」
そう言ってボルグは、屋敷を出て行った。
彼が囲っている完璧な愛人――セーラの元へ。
*
セーラと出会ったのは、アメリアと結婚した後だった。どう頑張ってもボルグの要望に応えられないアメリアに辟易していたとき、彼女と出会ったのだ。
彼女は娼婦だが、身体の相性も、疲れた自分を気遣い癒やす心遣いも完璧だった。アメリアには作れないはずの、彼好みの料理も作ることができた。
頭も良く、要領もいい。
自分が気付かない部分もフォローしてくれる、ボルグが求める完璧な理想の妻。
ボルグは大金を払ってセーラを身請けすると、自身が住まう屋敷近くの街に住まわせた。
もちろん、生活費は全て自分がもってやっている。
始めはセーラの存在をアメリアに隠していたのだが、バレた今では、堂々と彼女の家に通っている。アメリアは悲しそうにするだけで、ボルグの不貞を責めはしなかった。
「ああ……今日も疲れたよ、セーラ」
「本当にお疲れ様です、ボルグ様」
手作り料理を食べながら、労って貰うと、一日の疲れが吹き飛んだ。
そして夕食後は、ベッドの上で愛し合う。さすが元娼婦ということもあってか、彼が求めるもの、求めることに、彼女は完璧に応えてくれる。
セーラに満足すればするほど、益々本妻であるアメリアの存在が鬱陶しくなってくる。
そう言えば昨日も、新しいハンカチに入れさせた家紋の刺繍が、曲がっていた。それを侍女に指摘すると、横からアメリアが口を出してきたのだ。
「それは、私が刺繍したものです。申し訳ございません……すぐにやり直しますから……」
いつものように弱々しく謝罪しながら、頭を下げるアメリア。
ろくに刺繍もできないのか、と責め立てた気がするが、どうでもいいので詳しくは覚えていない。
ちなみにセーラに布小物の刺繍をお願いしたら、次会った時には、見事な刺繍が施されていた。
(セーラと出会うのが、もっと早ければ……)
そうすれば、彼女を本妻に迎えたのに。
元々、ボルグは男爵だった。
アメリアと出会ったのもその時で、美しい彼女に惹かれて結婚を申し込んだのが、お互い十八歳の時だ。その後、四年ほどは夫婦仲も悪くはなかったのだが、いつまでも子どもが出来ないことが原因で、ボルグの心は次第に妻から離れていった。
どうせアメリアが原因だろう。
そう思うと、妻に指一本触れる気は起きなくなり、気がつけば、彼が最後にアメリアを求めてから四年が経っていた。
その間に、伯爵だった兄が亡くなり、ボルグが爵位を継いだころには、何をしても不器用な彼女に腹が立って仕方がなかった。
確かセーラに出会ったのは、この頃だった記憶がある。
妻と愛人を比べれば比べるほど、歯痒くて堪らない。
しかし、家の存続を揺るがす程の特別な理由がなければ、離縁は難しい。
どうにかセーラを妻に出来ないものかと悶々とする日々が続く中、そのチャンスは、意外なところからやってきたのだった。
*
ボルグの投資が失敗し、多額の借金を背負ってしまった。
借金の相手は、こう言った。
「なら、お前の妻を娼婦として働かせればいい。なに、二年ほど働かせれば、借金をチャラにしてやろう」
破格だと思った。
邪魔な妻を差し出せば、今の暮らしは保たれる。アメリアがいない間、セーラを屋敷に迎えることだって出来る。
ボルグは屋敷に戻ると、アメリアに言った。
「この家のために、娼館で働いて欲しい」
「……え? ど、どういうことでしょうか?」
「相手は、今回の借金をお前の働きでチャラにしてやると言っているのだ。なに、二年だけだ。家を守ることは、妻として大切な役目だろう? それにお前は子を生せぬ身体だ。妊娠も心配ないしな」
「…………」
彼女はしばらく俯いていたが、やがて弱々しく頷いた。
それを見て、全ての問題が解決したと思い、ボルグはホッとした。
互いの寝室に戻る際、アメリアが躊躇いがちに口を開いた。
「あ、あの、旦那様……せめて娼館で働く前に、貴方に……抱いて頂きたい……貴方に愛された記憶が欲しいのです……」
今にも泣きそうな表情で、こちらを見上げる妻。しかし、貞淑であるべき女が、自ら抱いて欲しいと要望を口にするのが気持ち悪く、ボルグは嫌悪感を露わにしながら答えた。
「娼館には、お前が最後に男を受け入れた時期を伝えている。男に抱かれていないその期間が長ければ長いほど、お前の商品価値は上がるそうだ。今私が抱けば、お前の価値が下がる。だから無理だ」
「そう……ですか……」
ガックリと項垂れるアメリアを残し、ボルグは部屋の扉を閉めた。
*
数日後。
ボルグの借金を肩代わりする男が現れた。
男の名は、ウィル・ローレン・ネヴィル。
同く伯爵の爵位を賜っているが、ボルグにとっては夜会などで顔を会わす程度の相手で、特別な接点はない。
顔が厳つく、戦場で戦う姿は鬼気迫るものがあり、敵には容赦ない冷酷な男だと称されている。彼が、人前で仏頂面を崩したところも、見たことがなかった。
だからなのか、他の女たちも彼には近づかないため、浮いた話は一つも聞かない。
「アメリア殿を、使用人として買い取りたい。金は一括で払おう」
提示してきた金額は、ボルグの借金と同じ額だった。
理由は聞かなかった。
借金がなくなるのであれば、妻の差し出し先が娼館でもウィルでも、どちらでも良かったからだ。
いや、むしろ娼婦に堕ちた妻をまたこの家に迎え入れるよりも、いっそのこと、目の前の男に売った方がいい。
家の存続がかかっている事態なのだ。離縁の理由としても十分だった。
これで、セーラを妻として迎えることができる。
ボルグは快諾した。
自分の要望に何一つ応えられない妻だ。それでよければ、好きにしろと笑いながら。
ウィルは、笑わなかった。
ただ黙って頭を下げると、借金を肩代わりする旨を記載した書類と離縁届を、黙ってボルグに差し出した。
こうしてアメリアは、冷酷とされるウィルの元に、使用人として買い取られることになった。
彼女が発つ時でさえ、ボルグはセーラの元にいて、見送ることすらしなかった。
*
不器用な妻がいなくなり、借金もなくなった。
愛人であるセーラを妻として屋敷に迎え、ボルグの生活は完璧になるはずだった。
しかし、
「なんだ、この料理の味は!」
出てきた料理の味が、満足なものではなく、ボルグは料理人を怒鳴りつけた。彼は恐縮しながら、こう言った。
「申し訳ございません……今まで料理の味は、アメリア様が決めていらっしゃったので……」
「……え?」
寝耳に水だった。
話を聞くと、
「旦那様は、味に敏感な方ですから……」
と、アメリアが全ての料理の最終的な味付けをしていたのだという。なので、アメリアがいない今、ボルグの好きな味付けを再現できる者がいなくなったのだ。
味付けだけではない。
ボルグの好みの食感や、肉の硬さなど、全てにおいてアメリアの指示が入っていたのだ。
「以前、料理を褒めてくださった旦那様は、その会話を聞いて笑っていらっしゃったアメリア様に、何を笑っているのかと、お怒りになられましたね? あれは恐らく……アメリア様の味付けを旦那様が喜んでくださったのだと、嬉しかったからではないかと、今になって思うのです」
言葉を失っているボルグに、料理人は被っていた調理帽を取り、胸に手を当てた。
そしてこう言った。
「恐らく……私には、今の旦那様を満足させる味付けは出来ないでしょう。ですので、お暇を頂きたく存じます」
*
変わったのは、料理の味付けだけではなかった。
部屋の整理、バラ園の花、出かける際の荷物の準備など、細かいことをあげればキリが無いくらい、全てが大雑把になった。
注意をした使用人たちは、口を揃えていった。
「アメリア様がチェックをしてくださっていたもので……」
「バラの花は、毎日アメリア様が手入れをなさってました」
「必要な物は、アメリア様がご指示してくださいました」
もちろん使用人たちも、ボルグの要望に応えようと努力はしているが、どうしても以前のようにはいかなかった。小さな抜けがあったり、気に食わない部分があったり、イライラが募ったボルグに怒鳴られ、次々と使用人たちは辞めていった。
残ったのは、どれだけ怒鳴りつけてもヘラヘラと受け流し、反省も改善も見られない、空気の読めない使用人ばかり。
ボルグはとうとう、妻であるセーラに、身の回りの世話を願い出た。今まで愛人として通っていたとき、彼女はボルグの理想的な妻として、完璧だったからだ。
しかし、
「身の回りの世話? 何故、伯爵夫人である私がそんなことをしなければならないの? ちなみに今だから言うけれど、料理も刺繍も、全て他の人間にさせていたの。まあ夜の生活だけは、私の実力だけれどね?」
爪を塗りながら、セーラは薄く笑った。
頭の中が、だまされた怒りで真っ白になった。
しかし、彼女の膨らんだお腹を見て、怒りを収める。
セーラのお腹には、ボルグの子どもがいた。今更、良妻の仮面を被っていたからと告白されても、追い出すわけにはいかなかった。
アメリアとの間に子どもができなかった以上、セーラのお腹の子が、後継ぎとなるのだから。
*
ボルグは、この屋敷を離れて暮らす母に、愛人との間に子どもが出来たことを手紙で告げた。アメリアと離縁し、ウィルに売ったことは伏せておいた。
すると数十日後、母から返事が返ってきた。
そこに書かれていたのは――
『セーラという女性が身ごもったのは、恐らく貴方の子どもではないでしょう。何故なら、貴方は物心つかない程幼い頃に事故に遭い、男性としての機能を失っているのですから』
後頭部を殴られたような衝撃が、頭の中で走った。
手紙はこう続いていた。
『アメリアは、このことを知っていて、あなたとの結婚を承諾しました。貴方と結婚を決めたのは、心の底から、一生を添い遂げたい相手だからと。子どもは、貴方の弟妹の子を養子に貰えばいいと。自分の子を持てなくて、辛いのは彼女のはずだったのに、笑ってそう言ってくれたのです。どれだけ、私の心が救われたか分かりません。この事実を今になって、手紙で告げるしかできない母を許してください。どうか、アメリアを大切に』
手紙が手から滑り落ちると同時に、ボルグは膝から崩れ落ちた。
瞳から、止めどなく涙がこぼれ落ちる。アメリアと過ごした日々が、走馬灯のように駆け巡った。
今になって、ようやくアメリアがどれだけ自分に尽くしてくれたのか、愛してくれていたのか、気付いたのだ。
欠けていたのは、自分の方だったのだ。
それを知りつつも、彼女は自分と一生添い遂げようとしていてくれたのに。
それなのに、いつからだろうか。
アメリアの至らない点ばかり目に付き、責め、疎ましく思うようになったのは。
彼女は、ずっとボルグのことを気遣い、決して自分の功績を自慢することなく、陰ながら支えてくれていたというのに。
ああっ、と声を漏らすと、ボルグは両手で顔を覆って泣き崩れた。
気持ちが落ち着くと、ボルグはセーラの元に向かい、お腹の子の父親を問い詰めた。最後までしらばっくれる彼女に、自身が子を成せぬ身体だということを明かすと、離縁届を書かせ、身一つで屋敷から放り出した。
そしてその身体で、アメリアを売った先――ネヴィル家へと向かったのだった。
*
事前の約束もなくやってきたボルグに、ウィルは丁寧に対応してくれた。
伯爵家とはいいつつも、屋敷は非常にこぢんまりとしている。ウィルの素性を知らなければ、伯爵とは思えない、慎ましい暮らしだ。
「独り身である私には、これくらいの屋敷の広さで十分だ。雇っている使用人の数も、少ないしな」
顔を緩ませながら、ウィルが笑った。
冷酷と言われる男が笑う顔を、ボルグは初めて見た。雰囲気も、以前会った時よりも、心なしか穏やかになっているような気がする。
でも今はそんなこと、どうでも良かった。
「妻を……アメリアを、返して頂きたい」
「……申し訳ない。それは無理な相談だ」
「支払って頂いた金は、すぐには無理だが、必ず返す! だ、だから……頼む!」
深く頭を下げるボルグに、ウィルは言いにくそうに口を開いた。
「貴方の妻であったアメリアは……死んだのだ」
「……え? しん、だ?」
言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
呆然として何も考えられない頭の中で、ウィルの言葉だけが木霊している。
しんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしんだしん――
アメリア ハ シンダ
何度も単語を頭の中で反芻し、ようやく意味を理解した。
「……何故、私に伝えてくださらなかったのですか?」
頭の中は空っぽなのに、勝手に口が動いた。ボルグの言葉に、ウィルは眉をひそめると、低い声で言い返した。
「……もうアメリアとは関係ない貴方に、何故伝える必要がある?」
心に、鋭い言葉の刃が突き刺さった。
ウィルの言葉はもっともだ。自分は彼女を、目の前の男に売ったのだ。
自業自得。
だから、何も言えなかった。死んだ理由さえ、聞けなかった。
ボルグはただ黙って頭を下げると、ふらつく足取りで、屋敷を出て行った。
*
アメリアが死んだと告げられたボルグは、その日から食事が喉を通らなくなった。無理に食べても吐いてしまい、身体は日に日に衰弱していった。
色々な医者に診せたが、彼の容態が回復することはなかった。
恐らく、アメリアが死んだという事実が、心身の不調に現れるほどショックだったのだろうと、皆が口を揃えて言った。
時間が経てば、きっと忘れられるだろうと。
しかし、実際は逆だった。
日が経てば経つほど、後悔が募る。自分が行った不貞を思い出すと、激しい怒りに苛まれた。自分勝手な行いをアメリアがどう思って見ていたのだと思うと、心が引き裂かれそうだった。
彼女の愛と支えに気付かずに生きてきた自分を、恥じた。
もう二度と彼女に、愛も感謝も告げられないのだと思うと、何故アメリアが自分を求めてくれたとき、応えなかったのかと激しい後悔が襲った。
自分を責め続けて数ヶ月後には、身体が痩せ細り、ベッドから出られなくなるほど衰弱した。
そんな身体に、流行病が忍び寄る。
本来は、さほど怖くない病気だが、ボルグの身体が衰弱していたため、すぐに症状は悪化した。
意識が朦朧とする中、自分の命が長くないのだと悟る。
身体が熱い。
息も苦しい。
目の前の景色が、揺らいで見える。
(死ねば、アメリアに会えるだろうか?)
それなら、死ぬのも悪くないかもしれない。
もし彼女と死後の世界で出会えたなら、謝ろう。今までの心無い仕打ちを。
そして告げるのだ。
愛していると――
そのとき、
『……さま、旦那様……』
聞こえてきた声に、ボルグはハッと目を見開いた。声をした方に、必死で視線を向ける。
そこには、
「あ、あめ……りあ?」
自分を見下ろす、元妻の姿があった。
(来てくれたのか? 死ぬ間際の私を、迎えに……)
ボルグの瞳に、涙が溢れる。
視界が揺らぐ中、アメリアが口を開いた。
『旦那様……貴方様は私を……愛してくださっていましたか?』
それを聞き、ボルグは微笑んだ。
「ああ……愛して……いる……。今、まで……ほんとうに、すま、ない……」
言えた。
もし死んだ彼女に会えたらなら、伝えたいことが言えて、ボルグは嬉しくて堪らなかった。アメリアに向かって、木の枝のように細くなった腕を伸ばす。
「こんど、は……死後のせかいで、一緒に……なろう」
その手を、アメリアが取った。死者の手とは思えない温もりが、ボルグの手を包み込む。
あまりにも生々しい感覚に、ボルグの心臓が跳ね上がった。てっきり、死ぬ間際に見えている幻だと思っていたからだ。
表情を強張らせているボルグに、アメリアは言った。
「その言葉が聞きたかったのです。ありがとうございます、旦那様。しかし――」
与えられていた温もりが、不意に途切れた。
ボルグの腕が、ベッドの上にポスッと音を立てて落ちる。
「その死後の世界とやらには……貴方お一人で行ってください」
その言葉に、ボルグは目を見開いた。
視界に映るのは、長く見ることのなかった、アメリアの満面の笑み。
それを最後に、彼の意識は二度と浮き上がることのない闇の中へと消えていった。
*
「……終わったのか?」
「……はい」
ボルグのベッドの横に立っていたアメリアは、隣にやってきたウィルの言葉に頷いた。手を伸ばし、目を見開いたままのボルグの瞼を閉じる。
アメリアは、死んでなどいなかった。
ボルグがウィルから聞いた話は、嘘だったのだ。いや、彼の妻であったアメリアが死んだ、という意味では正しい。
何故なら、ボルグに愛を抱いていたアメリアは、
娼館に売られると決まったあの日、
最後に抱いて欲しいと願い、拒絶されたあの日に、
死んだのだから――
絶望したアメリアは、夜中、川に身を投げて死のうとしていた。それを救ったのが、たまたま通りかかったウィルだった。
冷酷だと言われているウィルだが、実は困っている人間を放っておけない優しい性格をしていた。そんな彼が、死のうとしている女性を、見殺しになど出来るわけが無かった。
ましてや、旦那の借金の肩代わりのため、娼館に売られるなどという話を聞いてしまっては……
今、屋敷には使用人がほとんどおらず、困っていた。何故なら、彼の機嫌を損なえば切り捨てられる、という勝手な噂が流れており、中々人が来なかったからだ。
だから彼女に、同じ売られるなら、自分の屋敷で使用人として働かないかと声をかけたのだ。
ボルグの借金を、自分が肩代わりしようと。アメリアが望むのなら、気持ちが落ち付いた頃、またボルグの元に戻ってもいいと。
大金ではあったが、倹約家のウィルには、一括で支払えるほどのたくわえがあった。どうせまた金は溜まる。それなら、長く屋敷で働いてくれる使用人が、一人でも増えてくれる方がありがたかった。
こうしてアメリアは、ウィルに買われ、彼の屋敷で働くことになった。
彼女は、非常に良く働いた。
真面目で仕事も丁寧。ボルグが言っていたような、無能な女性だとは思えなかった。数少ない使用人たちも、彼女の仕事ぶりを褒めていた。
だが、その瞳はいつもどこか空虚だった。
(きっと彼女の心は、あの時死んだのだ)
死んだように生きるアメリアが不憫だった。
そんな彼女を自分が幸せに出来たら――そう思った。
始めは、ただの親切心から手を差し伸べたが、深く傷ついた彼女を癒やし、今度は妻として、自分の支えとなって欲しいと願うようになっていた。
しかし、想いは伝えられずにいた。
そんなある日、ボルグが突然屋敷にやってきた。
だがアメリアは、会おうとはしなかった。ウィルに、自分は死んだことにして欲しいと言われ、言われた通りに伝えた。
「貴方の妻であったアメリアは……死んだのだ」
彼女の、光のない瞳を思い出しながら。
ボルグは肩を落として帰って行った後、ウィルはアメリアに想いを伝えた。
過去を忘れ、自分と一緒に新たな人生を生きて欲しいと――
しかしアメリアは首を横に振った。
「ありがとうございます、ご主人様。しかし私にはまだ……あの人への想いが燻っているのです。これが愛なのか、憎しみなのか……もう私には分かりません。ですが、もしあの人から『愛している』と言って貰えたなら……きっと何かが見える気がするのです」
「それが分かれば、前に進めるのか?」
「ええ、きっと……」
そして今、彼女が望んだ結末が訪れた。
死ぬ間際にボルグから、愛を告げられた彼女は、かつて愛した男の手を離し、別れを告げた。
満面の笑みを浮かべた瞳に、光が満ちる。
屋敷の者たちに後のことは任せ、ウィルとアメリアはボルグの屋敷を後にした。馬車でウィルの屋敷の戻る際、彼はアメリアに尋ねた。
「アメリア、これで前に進めそうか?」
「……はい。ありがとうございます、ご主人様」
そう言ってアメリアは微笑んだ。
ウィルが初めて見た、心から安堵した笑顔だった。それを見て彼女の言葉に偽りが無いことを知る。
アメリアの手をそっと握ると、彼女の肩が僅かに震えた。前を向いていた瞳が、こちらに向けられる。ウィルはその目を真っ直ぐ見つめて言った。
「アメリア、私の妻になってくれないか?」
この言葉に、アメリアの瞳が大きく見開かれた。しかしすぐさま潤んだ瞳を細めると、少し俯き、自虐的に唇をゆがめる。
「……私は、至らぬ点の多い女です。貴方様が望む妻にはなれないかもしれません。それでも……よろしいのでしょうか?」
それを聞き、ウィルは微笑んだ。
厳めしく相手に緊張感を与えてしまう顔が、優しく緩む。
そして、彼女の肩を優しく抱きしめ、柔らかな声色で囁いた。
「……ありのままのお前が……私の望む妻の姿だよ」
<了>
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なろうで投稿を始めて初だったので、驚いてます!!
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