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ツクシノシマ、そしてアスカ

むかしの日本には後に縄文人と呼ばれる人々が住んでいた。

そこに紀元前450年ころ弥生人と呼ばれる人々が移り住む。


その最初の弥生人、つまりオノコロ人のひとりであるウラについてものがたる。


【オノコロ島】


大陸の、南の島々にオノコロと自分たちを呼ぶ人々がいた。

オノコロ、わたしたち、といった意味である。

元々はベトナムかタイあたりに住んでいたらしい。

住んでいる島をオノコロ島と呼び、漁猟を営んでいたが、大陸の越の国や南方の諸民族に追われ、追われるごとに島を変えて住み、住んだ島をオノコロ島と呼んでいた。そしてやがて今の上海に移り住んだ。

当時は上海といった都会はなく、大陸と地続きでもない。田舎の何もないひなびた三角州である。


今の上海最高峰の山、現在の標高が99メートルの余山を中心に周りを長江に囲まれた三角州でできた島、それがオノコロ人にとって最後のオノコロ島である。


オノコロ人は稲作を行い、また、漁猟、おもに潜水して深いところにある貝やナマコといったものを獲る生活をしていた。


オノコロ人はこのオノコロ島のほかに沖合いにある島々にも住んでいた。潜水漁は主にこれらの島で行っていた。


ウラが生まれたのはこの沖合いの島である。

生まれた年は紀元前450年ころである。


ウラには姉が二人と妹がひとりと弟が二人いた。


幼いころからウラは妹が好きだった。いつも妹と遊んでいた。

ウラは四つんばいになり妹を背中に乗せて歩き回ったり、抱っこして海岸を歩いたり、波打ち際で騒ぐのが好きだった。

ウラが十歳になるころに妹は亡くなった。


熱で苦しむ妹をみて、できるなら替わってあげたいと本気で思った。妹が苦しむのと同じくらいウラも苦しかった。


ウラは妹が死んだ日、海に出た。いつもより晴れて水も透明に思えた。


思いっきりもぐり、妹の大好きだったエビを探した。おおきなイセエビを捕まえて水面に顔を上げて浜辺を見た。

浜辺にいるはずの妹はもういない。


イセエビを持ったまま、また深くもぐった。ウラはイセエビを逃がした。そうすることが供養になるように思えた。


ウラがはじめてオサガメを見たのはこのときだった。

オサガメは体長二メートル近くにまで成長する甲羅に五本の白い線の入ったカメである。


悠々と泳ぐオサガメはウラよりも大きかった。オサガメはゆっくりと深くへもぐっていく。

ウラは途中まで一緒に泳いだが息が続かずに水面に出た。

水面に出て、照りつける太陽を仰ぎ見て、オレはオサガメになろう、と思った。そう思ったが自分でもその意味はわからない。

ただ、オサガメになろうと思っただけである。


家に帰ったウラは近くのじいさまのところへ行き、背中にオサガメのいれずみを彫ってくれるように頼んだ。


当時、オノコロ人やその周辺の人々にはイレズミの習慣がある。

顔のどこかにはオノコロ人であることのあかしとして三角の文様を入れている。オノコロ山を表しているという。

大きさは人によってまちまちだがおよそ二センチ程度であり、額に彫る人が多かったが、女性は頬に彫る人もまた多かった。

オノコロ人のしるしは三角だが周辺には丸や二重丸やさまざまな文様で部族を表すイレズミがあった。


水難事故などで亡くなった場合、そのしるしを見ることでどの部族民かわかる実用性があった。


またどの部族もほとんどの人が全身にサメよけや海の魔物から身を守るためのいろいろなイレズミをいれていた。


ともかく、ウラはオサガメのイレズミを背中いっぱいに彫った。

オサガメの両手が肩から腕にかけて広げられている。

オサガメの象徴である五本の線もくっきりはいっている。

ウラは皆から立派なイレズミだとほめられたが、もちろん自分で見ることはできなかった。



【旅を夢見るウラ】



長江河口のオノコロ島にも異部族がくる。

それは商人であったり、北のの役人であったり、南のえつの役人であったりした。

まれに長江上流の戦争から逃れた人もやってきた。


こういった人々は、オノコロ島の指導者であるオーオの一族の客人用小屋にしばらく滞在する。

当時の中国のほかの土地と同様に、オーオ家は彼らをもてなし彼らの話を聞く。

客人から各地の情報を仕入れるのである。


ウラは海にもぐって貝やエビをとる。

それが日常であったが客人が来ているとうわさを聞くとオノコロ島へ行って彼らと会うのが楽しみであった。

会うといっても、ウラが会うのは主客ではなく連れの人々である。

主客はオーオ家が面倒をみていたし、ウラのような十歳程度の子供をあまり相手にしてくれない。

連れの荷物担ぎや雑用係は滞在中はやることもないのでウラ程度でもあってくれた。

言葉がほとんど通じないので客のいうことはあまり分からないがそれでも飽きずに話をした。

ウラはおどけたり笑ったりして身振り手振りで楽しんだ。ウラの周りには小さな子たちが集まって遊んでいる。

ときおり皆からは若オーオと呼ばれているオーオ家の若者が客人との間で通訳をしてくれた。



若オーオは時々旅に出る。旅といっても楚や越の要求で数人のオノコロ人を引き連れて労務に出かける苦役のたびである。

ウラは旅から帰った若オーオのところに行って旅先の色々な話を聞くのが好きだった。


オーオ家の隣にはやしろがあって巫女が住んでいる。巫女の中にウラより少し若いカナという少女がいた。

カナはウラの亡くなった妹に似ていた。

オーオ家に行く楽しみの一つにはカナにあえることがあったかもしれない。


ウラの住む島から程近いところにゲンローという四十歳くらいの人が住んでいる。

ゲンローは息子と甥をつれて遠くの島へ行く。

その遠くのツクシノシマ(日本の九州)でアワビやナマコを取ってそれを加工し、遠くの大陸北部で売りさばいていた。

ゲンローが島に帰ったことを知るとウラはゲンローの家に遊びに行って異国の話を聞く。

ゲンローは若いころは雇われて沖縄でタカラガイをとっていたがやがてツクシノシマで自分で漁をするようになった。

ウラはゲンローに鉄のクサビを見せてもらったことがある。

「これは何?」と問うウラに「アワビ返しで、鉄というものでできている。石よりも硬く、もろくない。」

と答えた。

岩にへばりつくアワビのほんのわずかな隙間にアワビ返しを差込み石でたたいてから引くと簡単にアワビが取れるといった。

アワビを取るのは難しい。が、これだと簡単に取れる。

だが、アワビ以外の貝はそんな道具を使わなくても取れるのでオノコロの漁師はアワビはあまり取らなかった。

ウラは「たくさんのアワビを取ってどうする?」と聞いた。

ゲンローは「たくさんのアワビを取ったら新しいアワビ返しを買って、もっとたくさんのアワビを取るんだ」

「そしてもっともっとたくさんのアワビ返しを集めて、もっともっとたくさんのアワビを取る」と笑って答えた。

そんな話をした。嵐の日はゲンローの家に泊まって飽きずに話をした。


ウラはどこへ行っても歓迎された。特に子供たちから人気があった。幼い子たちはウラの背中のオサガメにきそって乗って遊んだ。



【ツクシノシマ(九州)へ】


もともとオノコロはもっと南に住んでいたがえつや他の民族に追われて今の上海あたりまで逃げた。オーオ家はオノコロ人を導いてオノコロ島に来た。


そしてこの時期にもまたさらに逃げることをオーオ家は考えていた。

オノコロ島の北の強国であると、南の強国であるえつの戦いが頻繁に起こり、ちょうど国境にあるオノコロは戦場になる恐れがあった。


オーオ家の若オーオと呼ばれる二十五歳の副主導者はうわさで聞くツクシノシマをオノコロの逃亡先として考えていた。

争いがないらしい。広い未開の土地があるらしい。

ともかく、行って調べることにした。


ゲンローとその仲間に相談し案内を頼んだ。

ゲンローたちは、自分たちの海路の知識を他人に渡すことはおおいに渋った。海路はもっとも秘密にしておくべきことである。

しかし、若オーオの熱意に負け、いくらかの見返りをもらうことで承諾した。

ゲンローたちはツクシノシマをほんの少し知っているだけで詳しくは知らないことを正直に話した。

そしてゲンローとゲンローの息子であるゲントとゲンローの甥であるフターオの三人で案内することを約束した。



若オーオはツクシノシマに着いたら自分で島を調べなければならないと思った。。その同行者としてウラとモモを選んだ。

ウラは好奇心に富み、誰とでも仲良くできる。異国の言葉を覚えるのも早そうである。なんといってもウラの明るさは重苦しい雰囲気を消してくれるだろう。


モモはウラと同じくらいの年でこのとしに十五歳となる。ウラは自分の歳を知らなかったが、モモは幼児のときにオノコロ島に漂着したので歳は分かる。モモの漂着については社の巫女が記録している。

西域の人で、体がオノコロ人より一回り大きかった。

モモをつれて漂着した母親はオノコロ人にとっては知識人であった。

文字を書けるし算木もできた。このころは巫女の家で巫女たちに文字を教えたり、巫女と一緒に気象観測をしていた。

若オーオは、モモのまじめさと力強さをかった。がそれ以上にモモにはオノコロに身寄りがないので何かのときに親族から非難されるおそれが無いことが同行者の採用基準としてあった。


何事につけても慎重な若オーオはすでに二十人乗りの川舟を用意していた。

オノコロの三千人を脱出させるには丸木船では無理である。長江の上流で戦いがあると難破船がオノコロ島に漂着する。

大きい船は二百人乗りで、荷物を積んでも百人は乗ることができる。

いずれはこういう大型船で脱出することになるだろう。そのための予行として二十人乗りの川舟でツクシノシマを目指す。

ゲンローは、川舟では海は渡れないと思ったが、行くだけなら何とかなるだろうといって川舟での渡海を了承した。


川舟の両舷に「やつひとふね」と呼ばれる八人乗りの丸木舟が二艘乗せられた。ひとつはゲンローがいつも航海に使う船であり、いまひとつは若オーオたちの船である。八人乗りといっても荷物を積むと三人程度が限界であった。


夜が白みはじめるころに引き潮であること、波が無いこと、できれば柔らかな西風があることなどの条件が満たされたある春の日、彼らは静かにオノコロ島をはなれた。

波待ちで一月以上も船近くの小屋に滞在していたので見送る人はわずかであった。

見送る人の中に巫女のカナもいた。巫女たちは朝早くから月や太陽や波を観測することが日課であったので見送る人の中にカナがいてもおかしくはない。

カナもいたし、モモの母親もいたし、他の若い巫女もいた。


ウラは亡くなった妹によく似たカナを見た。この旅から帰ったらカナはモモと一緒になる。それもウラは知っていた。

モモがうらやましかったが、ウラは妹がモモと一緒になるのだと思うようにしていた。が、ちょっとせつなかった。


川船は帆を揚げて東へ向かう。

ウラは帆を見てちょっと感動していた。船は漕ぐのがあたりまえで、帆を揚げて風の力で進む船というのは何度も見たが乗るのは初めてであった。

オノコロの若手の中でもの扱いが一番うまいと自負しているウラにとっては活躍の場がなくてちょっと残念でもあった。

モモは体力に任せたこぎ方であった。若オーオはあまり海に出ないのでそれなりのこぎ方であった。


ウラはゲンロー達と一緒に船をあやつったことが何度かあったが、ゲンローたちのこぎ方は独特で、船を前に進めようとしない。

波を見て潮の流れを読んでその流れに乗るように船を操るのである。オノコロ島や周辺の島に行くときもそうであった。

ゲンローは

「島に向かう潮の隣には島から離れていく潮がある。それを見極めたら楽なもんさ」

といって沖合いで船を流れに任せることがたびたびあった。

ウラは

「潮見はよくわからん。つっきって行く。」と強引にこぐ。それをみてゲンローたちは「ウラは若くて元気だ」と笑う。

ウラは潮見の技術と潜水の長さについてはゲンローたちを尊敬していた。ゲンローたちの潜水時間はとにかく長いのである。


さて、川船は帆を揚げて東へ向かう。やがて島影が見えなくなる。四面とも海である。

少し波があると帆を少したたんで船足を遅くする。川舟は波に弱い。いたわりながら東に進む。

ゲンローは若オーオたちに波の見方を教える。表面のさざなみは風によっておきる。より波長の長いうねりがどちらからくるか気をつけること、うねりは島にぶつかってできるのでうねりの先には島がある。といったことを言う。

また、海鳥にも注意するようにいった。種類にもよるが海鳥がいるということは近くに陸地があるしるしである。


若オーオはゲンローに尋ねた。

「夜はどうするかおしえてくれ。月が出ていればまだ良いが、月も出ていないときはどうする」

ゲンローは

「夜は波まかせさ。変に動くよりもじっとしているほうがいい。もっとも、おれたちは夜に海にいることはあまりない。」

と答えた。

若オーオが

「今日の夜はツクシノシマとの間の島にとまるのか。」と聞いたときゲンローは

「いや、ツクシノシマには明るいうちにつくよ。」といった。

若オーオは愕然とした。

楚の国から近すぎる。一日かからずツクシノシマに行けるという事は楚はいつでもツクシノシマに移住したオノコロを滅ぼすことができるということだ。オノコロの将来をツクシノシマに託そうとしたのは誤りではないかと思った。

ツクシノシマのさらに奥にはよりよい場所があるかもしれない、そう思い直そうとしたもののやはり不安であった。


やがて海の色が変わった。黒っぽいのである。

ゲンローは「この黒い潮にのっていけばすぐにツクシノシマだ。」といいながら帆をたたんだ。

波に任せて進むうち、左側遠くに島影が見えた。「ふたごのしま」とゲンローは言った。男女群島である。

うねりをみてフタゴノシマが左に見えるように船を誘導しなければならない。右に見えたら急いで東へこぐしかない。

悪くても、フタゴノシマの北にあるチカノシマ(五島列島)にたどり着くように。チカノシマからツクシノシマは近いので波を見て風をみて東に行くように、とゲンローは念を押した。

それでもだめだったら、もっと北に行って西に行って南に行ってオノコロに戻るだけよ、一月ほどかかるけどね、と笑った。


やがて船はまた帆を揚げて東へ進む。大きな島影が正面に見えてきた。

いよいよ陸地が近づくとゲンローは皆にを使うようにいい帆を下げて艪で湾の奥へ入った。

やや沖合いで丸木舟を二艘ともおろし、この二艘で平舟を引っ張った。

丸木舟を陸揚げしたあとは平舟の中の荷物を陸揚げした。

平舟は明日にでも解体、陸揚げすることとした。陸地に囲まれた静かな湾で、それに天気は良く明日に嵐が来ることもなさそうであった。


陸にはゲンローたちがこの地に寄ったときに使う粗末な小屋があった。食事の準備をした。日も暮れてきたころである。


やがて、ゲンローたちには顔見知りであるツクシ人が数人集まってきてなにやらわいわい騒いぐ。

ゲンローが「あした、あしたの朝またおいで」とツクシ語で伝えたようでツクシ人は去っていった。


ともかく、ウラ達は今の長崎港のソネにたどり着いた。


【長崎での滞在】


ウラたちは翌朝、薄暗いうちに起きた。

ゲンローの粗末な家は、海に近いちょっとした高台にあった。

木々に囲まれている。家のそばには小さな丸太舟が三艘裏返しに置かれていた。


ゲンローの家の近くに別の家があった。ゲンローの家と同じく高床式であるが、床が低い。

アヅミ族の家だとゲンローは言った。アヅミ族の家のそばにも丸木舟が三艘置かれている。


アヅミ族は海の商売人である。沖縄からタカラガイを仕入れ、それを遠く中国北部まで運ぶ。

また、さらに南洋の産物を中国南部で取引しそれらも同じく中国北部まで運ぶ。

アヅミ族は自分達でもぐって獲物を獲ったり、南洋の島々に行って香木を集めたりすることはまれである。

あくまでも商人であった。


あちこちの港に家を持っていて、倉庫や臨時の宿泊所として利用していた。


オノコロの六人は食事前に平船を解体することにして、ゲンローたちは小さな丸木舟で、ウラと若オーオとモモは自分たちの八人乗りで漕ぎ出した。平船を引き上げるためである。

平舟を岸に寄せ、いくらか解体して陸揚げした。


そのころにはツクシ人が集まってきてその様子を見ていた。

ツクシ人の住居はこの付近に五つほどあり、ほとんど全員、といっても二十人ほどがオノコロ人の作業を見ていた。

そのうちの半分が子供である。また人の数と同じくらいの犬がいた。


陸揚げが終わったとき、若オーオはゲンローの忠告に従って舟の帆をツクシ人たちに渡した。

代表とおぼしき老人が笑顔で受け取った。


ゲンローとゲントとフターオはツクシ人とは顔なじみである。ツクシ人とお互いにあいさつを交わした。


「イノシシ罠を仕掛けている。イノシシが捕れたら食事をしよう。」とツクシ人がゲンローに言った。

ゲンローがウラたちに通訳する。

ともかく罠までツクシ人の集団についていった。

ウラは上半身はだかであったので、背中のオサガメは皆の注目を集めていた。特に子供たちはなにやらワイワイと騒がしい。


「毎日食べ残しを罠において置く。そして満月の日には、イノシシが入ったら扉ががたんと閉まるようにしている。」

「イノシシは賢いから罠に仲間がとらえられると、しばらくはエサを食べにこなくなる。」

「でもイノシシは賢くないからそのうちにまた食べにきてつかまるのさ。」

ゲンローはツクシ人のおしゃべりをウラたちに通訳した。


ツクシ人の集落から少し山側に行ったところに罠があった。

二メートル四方の空間を頑丈な柱で区切っていて、屋根にも丸太を葺いてあった。

イノシシが逃げようとしても逃げられないように工夫されていた。


ツクシ人は罠の隙間から中をのぞいて、何かを回りに言った。

それを聞いて女性たちは子供たちと犬をつれて集落に戻っていった。

ウラたちも中をのぞいた。そこにはイノシシと五匹の子供のイノシシがいた。

ツクシ人がゲンローに、オノコロ人は木に登るように伝えた。

そしてツクシ人たちは罠の屋根に上って、ややあって罠の扉を開けた。

イノシシの親子は逃げた。


逃げるのを確認したツクシ人たちは罠からおりて、笑顔でゲンローに言った。

「子連れは逃がすしかないよ。またそのうちにイノシシを食べれるときもあるよ。」


そうして皆集落に戻った。


ウラたちも戻って、戻るついでにイヅミ族の小屋に寄った。

小屋の表と裏は開け放たれていた。

ツクシ人がイヅミ族にたのまれて晴れた日は表と裏を開け放つ。ゲンローの家も同じように留守の間は換気してくれるのだという。

物を取られることはない。ツクシ人は律儀であった。


アヅミ族の小屋の床に竹で三角に組んだしるしがあった。しるしの下に包みがあった。包みは獣の皮のようである。

その包みをゲンローがあけると、油にまみれたアワビ返しが三つあった。

ゲンローとゲンローの連れ二人のアワビ返しである。

乾燥アワビや乾燥ナマコをこの小屋においておく。そしてイヅミ族が立ち寄った際にそれらの代金としてアワビ返しを置く。

そのような商取引であった。

ゲンローは自分たちで中国北部まで行って取引をすることもある。が、どちらかというとアヅミ族に託することが多かった。

また、アワビ返しの包みの横には黒い石が置いてあった。黒曜石である。このガラス質の石を加工すると鋭利な矢じりや刃物ができる。

ひとりで何とか持ち上げられるほどのこの石はツクシ人の持ち物で、イヅミ族に布と交換するように置いてあるとのことであった。


ウラたちは簡単な食事をした。

ゲンローはツクシ人の集落へ行くという。ゲンローの息子ゲントとゲンローの甥のフターオの二人はさっそくアワビ返しを使いたくて海にもぐるという。

若オーオとモモは舟の解体を続ける。

ウラはゲントとフターオとともに海に潜ることにした。


海ではツクシ族の子供たちが遊んでいる。貝やカニを取っているようである。大人がそれを見守っている。


ウラたち三人は小さな丸木舟でちょっとだけ沖に行き潜った。

ウラはこの海の透明度に感動した。かなり深い底まで見えるのである。

オノコロ島の海はいつもにごっているし、沖の島々の海もこれほど透き通っていない。

ウラは突き棒を持ってこなかったことをちょっと後悔した。大きな魚がたくさん泳いでいるのだ。

魚は取れないがサザエとかいくらでもいたのでウラは潜ってはサザエなどをとった。


しばらくしてウラたちは舟を岸に戻した。

ツクシ人が集まる。ツクシ人の子供たちや犬も集まる。


ツクシ人たちは丸木舟を引き上げるのを手伝った。

上半身裸のウラの背中をみて子供たちがあいも変わらず騒ぐ。カメは人気の生き物である。

ウラは四つんばいになった。「のれ」と子供たちに言う。ゲンローの子のゲントはいくらかツクシの言葉がわかるので、それを通訳した。

恐る恐る大きな子供がひとりまたがった。

ウラは頭を上に上げて、うおーと軽く叫び、それから頭を左右に振って、おもむろにのっしと歩き出した。

乗ってる子は上機嫌であった。それを見て他の子もウラの背中に乗り始めた。のれるのは三人が限界で、子供たちは面白がって交代してこの珍しい乗り物に乗った。

オノコロの子供たちと同じだ、とウラは思った。ウラは疲れるまで子供たちと遊んだ。


ウラはこうして子供たちと遊び、その親と仲良くなり、そして言葉を覚えて、その土地のしきたりや産物や物語を知っていく。

この先ウラは同じようにして西日本各地をはじめ朝鮮半島や中国各地の旅をし、その情報を若オーオたちに伝えることとなる。


ともかく、丸太舟を引き上げたあと、ゲントとフターオは収穫した貝類をツクシ人にお土産として渡した。

ウラも自分たちの分を残してサザエを子供たちに渡した。そしてゲンローの小屋に戻った。


小屋の周りに解体した平舟の板が積まれていた。解体はまだ終わっていなかったが若オーオとモモは手を休めて子犬二匹と遊んでいた。

ゲントがいった。

「その子犬はどうした?」

若オーオが答えた。

「ツクシの人が子犬を連れてきた。とりあえずのえさもある。まだ子犬だがこれをさばいて食べなさいといっていたようだ。」

「イノシシが獲れなかったのでその代わりなのかな。それにしてもちょっとかわいそうな感じもするね」とウラは言った。

フターオは

「いやー。ツクシ人は犬を食べないけど。

オノコロ人なら食べてもいいとおもってるのかな。」とちょっと不思議がった。

子犬のさばき方もわからないので、ゲンローが帰ってから相談することにして、とりあえず皆で平板の倉庫を作る。。

高床式で、湿気が来ないように工夫している。

平舟は全部解体し平板や柱となった材はすべて倉庫に入れた。


ややあってゲンローがツクシ人の家から帰ってきた。

犬の話を聞いたゲンローは、笑いながら

「若オーオよ。犬を食ったらツクシから追い出されるよ。ツクシ人にとって犬は友達でもあり家族でもある。子供たちを守ってくれる神様でもある。

若オーオは苦役先で犬を食べたことがあるそうだが、ツクシ人にはその話は決してしないように。」

そしてゲンローは続けた。


「ハクという若者がいる。の流れをくむ人だ。」


若オーオは呉と聞いてちょっと驚いた。呉はかつてオノコロ島の南あった強国である。

若オーオの爺様のそのまた爺様の時代にはオノコロ族の本拠地は若オーオの知らない南の島であったが、呉の迫害を受けて北に逃亡した言い伝えがある。


さらにゲンローは続けた。


「はじめに行かなければならいのは」

といって、ゲンローは息子のゲントの頬に指をあてた。

指の当たったところには、細長い刺青があった。

「タカアマというところだ。タカアマは高い場所にあるお母さんといった意味で、すべての生き物はタカアマから産まれる。」

「人もケモノも母親から生まれる。生れ出るところは細長い穴だ。

「タカアマにはそれに似た川というか、流れというか、そんなのがあってツクシ人はそこに詣でて刺青をする。

「この細長い刺青があるとツクシ人となり、ないとツクシ人ではないことになる。

「さっき、ツクシ人の長老と話をしたのだが、オノコロ人がツクシノシマに住みたいのならばツクシの刺青を入れたほうがよいだろうとのことだった。」

「ツクシ、ツクシはオノコロ人の言うシダで、春にたくさん生えてくるだろ。ツクシ人はこれをツクシンボともいう。

「タカアマの形がツクシに似ているので、ツクシ人は自分たちをツクシ人とよび、住んでいる島をツクシと呼んでいるのさ。」


「呉のハクが若オーオ達をつれてツクシノシマを回ってくれるそうだ。」


若オーオはゲンローとゲントとフターオの顔を見た。それぞれの顔にはたくさんの刺青があるが、その中に確かにツクシンボの格好をした細長い刺青があった。


【たかあまのはら】


タカアマは高天原たかあまのはらである。場所については諸説あって確定していないがこの物語では九州のほぼ中心にある高千穂付近と考えた。

高千穂峡からすべてが産まれる。男性を思わせるのが火山であるならば、火山地帯の真ん中にある高千穂峡はいかにも女性であるように思われる。


若オーオは数年後に何度かに分けてオノコロ人をツクシノシマに移住させたが、移住のたびにオノコロ人にタカアマ巡礼をさせてツクシの刺青を彫らせた。

タカアマ巡礼は、やめようと思えば止めることもできた。しかし、オノコロ人もタカアマを崇めていることをツクシ人に知らせることによって無用な争いを避けることが重要だと考えていた。


ツクシ人は海や川際のちょっとした高台に住む。魚介類を獲りケモノもとる。森にはいってドングリなどをとる。ツクシ人は魚介類を海から得るが、潜らない。自分たちの食う分であれば別に潜る必要もないからである。

ツクシ人は砂地を掘って貝をとる。エサをいれた籠を海に沈めておいてそれを引き上げてエビやカニや魚をとる。

オノコロ人は海に潜って貝や魚をとる。のちに若オーオは先住民であるツクシ人の漁場にはオノコロ人は立ち入らないように指示したが元々さほど生活圏が重なっているのではないので大きな問題は生じなかった。

陸地での生活圏の違いはもっと明確で、ツクシ人に必要なのは森であったがオノコロ人の欲したのはツクシ人の不要とした湿地帯であった。里山での衝突があったりしたが、ツクシ人は争いを避けてより山奥に分け入って食料などを調達した。


こういった棲み分けがあったが、若オーオはツクシ人の子供とオノコロ人の子供の縁組も積極的に行って、融和を図ると同時にオノコロ人の勢力を拡大していった。


【アヅミ族】


オノコロ人を案内してくれるというハクはの流れをくむ。

呉はかつて長江下流の南側に大国として存在したが越に滅ぼされた。呉が滅ぼされたのは若オーオがツクシノシマに来た数十年前のことである。

ハクの祖先は呉の海辺に住んで、主に海上貿易を生業なりわいとしていた。彼らの交易範囲は南はタイ・インドネシア、北は黄海北部までおよぶ広大なものであった。


この海の商人たちはアヅミ族と呼ばれる。アヅミ族は様々な種族で構成されており、なにも呉の人のみであったわけではない。

だが、アモイより北側の交易ルートの西側中央に位置する呉、その呉にゆかりのある人々がアヅミ族の中心であった。

航海術に優れ、造船にも深い造詣があった。交易を生活の場とする関係上、各地の最先端技術を取得するのも早かった。

北方で鉄器が開発されるといち早く鉄の道具を用いて大木を切り板を作って大型舟を作った。


アヅミ族は各地に港を持ち、また、あちらこちらの港と緩やかに提携していた。


黄海から東シナ海、南シナ海の海運の勢力者であるアヅミは中国大陸の国々からは倭人と呼ばれていた。小さな人という意味である。

「倭」の文字に「人」が使用されていることを考えると他の蛮族よりは扱いがましだったと思える。

海運の受益者でもある大陸の人々はアヅミ族をそれとなく人と認めているようである。


【ツクシ人による歓迎】


陽はまだ高かったが、若オーオ達オノコロ人はゲンローに連れられてツクシ人の集落に行った。二匹の子犬も一緒である。

ゲンローの家からほど近い海辺に六軒の粗末な小屋が立っていた。

ゲンローは説明した。これらの家は夏の家で、冬近くになると山を越えた南にある冬の家に引っ越す。

またあちこちに家があり、食糧庫があり、ツクシ人は気ままに移動しているとのことであった。


六軒の小屋の海寄りに平たい岩がある。たたみ一畳ほどの岩である。ツクシ人数人が岩の上いっぱいに火を起していた。

長老とおぼしき年老いたツクシ人がオノコロ人を見てこちらに来いといったふうに手招きした。

若オーオ達が乗ってきた平舟の帆を渡した老人である。

長老はあいさつとして両手を上にあげ

「もうじきみんな集まるだろう。何もないが一緒に食べよう。」と言った。

若オーオはゲンローに促されて、コメ、醤油、薬、布、それに今朝とったばかりの魚介類などを長老に渡した。

長老はにこりとして受け取った。

ゲンローはその品々の説明をツクシ語で行い、渡したうちのコメを引き取りゲントにあずけて調理するように指示した。

ゲントはツクシ人から土器を借りてコメの調理に取り掛かった。


ウラの周りには子供たちが集まってきてウラの背中に乗ったり、追いかけっこをしたりして遊んでいる。

ゲンローとフターオは長老や他のツクシ人と話に夢中である。

ゲントはご飯を炊いている。


若オーオとモモはそれらをぼんやりと眺めているだけであった。


ツクシ人が海から籠を引き上げていた。籠にはカニやエビや魚が入っていた。

籠が三つ、火を焚いている岩のそばに置かれた。


やがて、貝や木の実でできた首飾りや、鳥の羽をあつらった帽子で着飾った女性たちも集まり始めた。皆、水色の服を着ていた。

服といっても幅六十センチ長さ一メートル程度の布を四枚縫い合わせて首のところと両脇を縫っていないような簡単な着物である。


女性のうちの誰からともなく歌を歌い始め、同じように誰からともなく踊り始めた。

すこし輪の中に入っては踊り、また少し輪から外れて休憩する、そんなのんきな踊りである。

それがツクシ人の、オノコロ人に対する歓迎のしるしであった。


火を焚いている岩の火がやがて燃え尽きようとしたとき、ツクシ人は岩の上の火をすべて取り去った。

それを合図とするように多くのツクシ人が岩のまわりに集まる。

そして焼けた岩の上に、海老や貝や魚をカニを載せた。岩は十分な熱を持っている。やがて焦げ始めた食べ物をめいめいが箸で土製の皿に盛って食事を始めた。(箸は縄文時代にはすでにある。)


オノコロ人も促されて食事をする。


モモはアジを初めて食べた。オノコロの近くにもアジは群れをなして泳いでいる。が、アジは動きも早く、岩にへばりつくこともないので潜って獲ろうとしても獲れない。そんなことをしなくても大きな魚は海底の岩の隙間に居るのでオノコロ人はアジに見向きもしなかったのである。オノコロでも老人が暇つぶしの釣りでアジをとることはあったがモモは食べたことはなかった。


モモはアジを初めて食べてみたが、さほどおいしいとは思わなかった。

近くにいるツクシ人が、塩の入った貝殻をモモに渡して、塩をかけて食えという仕草をした。

塩をふるとアジはおいしい。

べつのツクシ人がヒシオ(魚醤:魚を塩漬にして発酵させた醤油)を勧めたのでヒシオを付けて食べてみた。

また、モモは持参している醤油をかけて食べてみた。

どの食べ方でもおいしいがモモは醤油をかけて食べるのがいたく気に入った。


アジはたくさんあったのでモモはアジばかり取って食べた。

それを見たツクシ人が、何やら笑ってモモに聞いた。

モモの隣にいたフターオがモモの代わりに答える。

フターオは、「オノコロにもアジはいるがツクシノシマのアジが一番おいしいとモモは言っている」と大げさに答えた。

あるツクシ人が、それでは明日にでも釣りに行こうとモモを誘った。

ツクシ人が釣りの説明をする。別のツクシ人がわざわざ家に戻って釣り針や竿を持ってくる。

また別のツクシ人も道具一式を持ってきて自慢する。

これは竹でできた釣り針、これは鹿の角で作った針、これは最高のやままゆの糸などと自慢するツクシ人の輪ができた。

モモは明日の釣りを断れなくなった。


ツクシ人がこれを飲めとオノコロ人に勧める。ハチミツでできた酒であった。

ツクシ人も飲んでいた。ツクシ人の子供たちにはハチミツのかけらを渡していた。


そうした宴会が続いていたが陽はまだ高かった。


ウラは宴会に加わらずに海辺で子供たちと遊んでいる。子供たちの母親や父親が近くでそれを眺めつつ貝などを掘っていた。



【アヅミ族のハク】


アヅミ族のハクが現れたのは延々と続く宴会の中ころであった。

赤ん坊を抱いた女性と一緒にきて、ツクシ人の長老にあいさつし、他のツクシ人にも挨拶をして、ゲンローにも挨拶をした。

ゲンローはハクに若オーオの隣に座るように促した。


ハクは二十三歳で、筋肉質の体をしていた。

またハクの胸には「呉太伯之後」と刺青されていた。のタイハクの子孫という意である。

ハクは「これは自分で作ったコメの酒である」と言いながら若オーオに酒を勧めた。

若オーオは呉の言葉で

「私はオーオと言います。あなたはハクであるそうですが呉太伯の子孫なのですか」といった。

ハクは、若オーオが呉の言葉をしゃべったのでちょっと驚いて、

「ああ、久しぶりに呉の言葉を聞いた。

私の胸には呉太伯の子孫と刺青されているらしいですね。自分では見えない。

言い伝えではそうらしいけど、こけおどしです。この刺青がきっかけで大陸の商人と話ができるのはありがたい。

あとでゆっくりいろいろなことを話しましょう。」


と言い、こんどはツクシ人の言葉でつづけた。

「これは私の嫁です。これは私の子供です。」

さらに呉の言葉で

「変なんですよ。この赤ん坊が身ごもった時期にはわたしは旅に出ていた。でも嫁は

この子はあなたの子供、なので私はあなたと一緒に暮らします、とか言う。

ツクシ人の流儀で、子供の父親が誰かを決めるのは母親ってことは知ってたけど、ちょっと、ね」

と、いって笑った。

ハクは、今日は若オーオのところに泊めてもらうと呉の言葉で言い、以後、宴会では終わるまでツクシ人の言葉を使った。


【ハクとの会談】


ツクシ人の歓迎会は日が暮れるとともにお開きになり、ハクとオノコロ人はゲンローの家に向かった。

ハクの奥さんと子供はツクシ人の家に泊まる。付近のツクシ人はすべて親戚である。


ハクと若オーオは呉の言葉で会話した。ゲンローとモモは呉の言葉をいくらか理解できたが他のゲントやフターオやウラは全く分からない。時々若オーオがオノコロ語で皆に通訳をした。


ハクは自分は呉の末裔であるといった。そして、アヅミ族について語った。

呉はオノコロ人をはじめとした他民族を圧迫したが、ハクの属するアヅミ族とは一定の距離をおいて迫害することはなかった。

アヅミ族は海の商人であり多彩な人種から構成されている。ハクはアヅミ族の主流をなす呉の人である。

ハクの一族は代々海運業を営んでいるが、その行動範囲はおおむね今の上海や会稽、沖縄から北に限られていた。

扱う商品は南方の香料や象牙、沖縄のタカラガイ、各地で獲れる海産物である。

南から来た船荷は積み替えるかあるいは水路を案内して北方のチンタオ付近まで運ぶ。

見知らぬ船は臨検してアヅミ族の許可がないと分かれば没収する。ときに、アヅミ族の掟に従わない港を襲う。


ゲンローは、アヅミ族の掟から言えば許し難い行為をおこなっているが、昔に難破したアヅミ族を助けたことがあるので許されている。

ただし、ゲンローが自分自身で中原(大陸の中心地)に海産物等を持っていくのは禁じられており、チンタオにあるアヅミ族の港での小さな商売だけが許されていた。

ゲンローはアヅミ族の書付があるので航海の安全は保障されており、アヅミ族の港にも寄港できる。

もっとも、ゲンロー自身はこの書付を読めなかった。


ハクの当面の仕事は、ツクシをはじめとした島々の港整備である。


ハクは言った。

「ツクシ人は港を作る手伝いとかしないし、ツクシの産物も大してないんだ。

ツクシ人は、律儀で約束は守る。盗みもしない。だけど、働かないんだ。

食べ物は海に行けばいくらでもある。森にも木の実やけものがいる。だからだろうね、働かないんだ。

栗や、豆を植えたりするけど手入れはほとんどしない。必要ないから。」


欲しいものがないから、そして必要なものは簡単に手に入るから、ハクが港整備を頼もうにも誰も働かないという。


大陸は、港の役人に賄賂をおくればなんでもしてくれる。

港にやぐらを立てたかったら、港の実力者に賄賂を贈ればすぐに立つ。船乗りにとって、目立つやぐらは後世の灯台のようなものである。

港に避難所や倉庫を建てるのも大陸では簡単である。ただし、倉庫の荷が次に来た時にある保証はない。大陸では盗まれる危険が大きい。


ツクシノシマはそういった建物を建てるのは容易ではない。ただし、荷をツクシ人が盗ることはない。


ツクシの産物といえば、とハクは続けた。

黒曜石や鹿の角や漆しかないという。

黒曜石は砕いて加工すればナイフ矢じりのようになる。

だけども最近はツクシノシマの北の海を渡ったところ、大陸と地続きの場所で鉄が造られるようになったので黒曜石の人気も落ち目だという。

ツクシノシマのさらに東に行けばヒスイという石や金も獲れるらしいとも言った。


若オーオは「それならばヒスイや金を運べばいいのではないか」と当たり前のことを聞いた。


イヅモ族がいる、とハクは言った。


ツクシノシマの北のさらに東はイヅモ族が海運をしているので、ヒスイなどを扱うのは危険すぎるという。

シナ海はアヅミ族、日本海はイヅモ族とすみわけているのだ。


ハクはツクシノシマをぐるりと回ったことがある。回ることによって島であることを確認した。

またイヅモ族にとってはツクシノシマはあまり魅力がないことも再確認した。各地に稲作に適した広大な土地があるのも見てきた。


ハクは言った。

「オノコロの人がツクシノシマでコメを作ったり、素潜りをしてくれるのはイヅモにとってはありがたいことなのだ」

ツクシノシマでコメが獲れるとそれが商売のタネになる。大陸の商品もオノコロ人は買ってくれるだろう。

そして、港の整備も手伝ってくれるに違いない。そういった。


若オーオはハクに尋ねた。

「呉が越に滅ぼされたときに、なぜ呉の人はツクシノシマに逃げなかったのだ。

奴隷にされるか、殺されるか。それが越の、もちろん越だけではなくて楚もそうだし、呉もそうだし、降伏するってことはそういうことではないのか」


ハクは答えた。

「呉の農民は、農民であって海に潜ったりはしない。海岸の呉の民は魚を獲ったりするけど、魚を獲る人は農業をしない。

オノコロ人は農業もするし、魚を獲ったりもするけどね。

呉の農民は農民らしく越の農奴となるし、呉の漁民は南に逃げたり北に逃げたりで、ツクシノシマに行こうというのはいないよ。

それに海の道を知っているのはわれらアヅミだけだ。

潮の流れをよみ、風をよみ、そうしてたどり着けるのがツクシノシマ。何も知らずに舟をだすと陸地にたどり着けないで死んでしまうよ。

まあ、ほとんどの呉の人は海の向こうにツクシノシマがあるってことも知らない。


ただし、ツクシノシマの北の方で呉の言葉を使う人々がコメを作っているところがある。

たいして大きな村ではではないけども、そうしたのが点々とある。

大陸の戦乱を逃れてきた人と思う。千人ほどいるだろうか。」



若オーオはハクを信頼した。オノコロ人の移住計画を打ち明けてもハクは邪魔しないだろうし、打ち明けておかないと後々問題が起こるかもしれない。


若オーオはかいつまんで説明た。

オノコロ人はかつてはもっと南の島に住んでいて漁労と稲作を行っていた。そして追われ追われていまのオノコロ島(上海付近)に住んでいる。

オノコロ人は三千人しかいない。

そして今、南の越と北の楚に挟まれて両方から苦役に駆り出されていて、このままでは早晩オノコロは滅びるだろう。

私(若オーオ)は楚に従軍したときに一万人を超える街が略奪され殺され滅ぼされるのを何度か見てきた。

ああいった風にはなりたくない。

これまではオノコロは北へ北へと逃れたが、もう逃げる場所がない。

異民族の商人やオノコロのゲンローに聞いたこのツクシノシマにオノコロ人を連れて逃げ込もうと考えている。

それでオノコロ人が住めるような場所なのかした調べに来た。


さらに若オーオは続けた。

まだツクシノシマがどのような場所かは分からないが、長江下流を朝に出発して日が暮れる前にはもうツクシノシマにつく。

楚の軍隊も簡単に来れるということだ。


それに対してハクは言った。

来るのは簡単でも、ツクシノシマから楚に帰るのはたいへんだよ。ひと月では帰れない。

ツクシノシマから北に向かって進んでそれから海流に乗って中国の北部に着き、あとは南下して楚に戻る。

中国北部から楚までは楚の敵だらけ。まづツクシノシマを攻めようとは思わないだろう。

ただし、

楚の将軍の一人が一族を連れてツクシノシマに移り住もうとしたら、できるだろう。帰ることをあきらめれば。


若オーオは、楚の人々が移り住むことを想像して動揺したがどうしようもない。


ハクは、若オーオにツクシノシマ周辺のことを教えた。

ツクシノシマは確かに島である。ハク自身が島を一周して確かめた。

ツクシノシマの南には沖縄につながる島々があることはアヅミ族はみな知っている。がそれらの島に寄ることはまれである。

沖縄を出たアヅミの船は海流に乗ってまっすぐに五島列島を目指すのである。

ツクシノシマの西はアヅミ族にとって重要な通路であり、男女群島、甑島、五島列島、平戸島、呼子などにアヅミ族の拠点がある。

もっとも男女群島は避難場所というだけであって人の住むところではない。


ツクシノシマの北には壱岐島、対馬島があり、その北に大陸と地続きの半島がある。


壱岐と対馬の間が難関であり、対馬の南西のツツにたどり着けなけば東に流されてイヅモ族の海域に入る。

流されてイヅモの領域に入っても争いにはならないが何かと面倒である。


ツクシノシマの東はまた海である。が、潮の流れが複雑すぎて非常に危ない。海の向こうには陸地が見えるがとても渡れそうにない。

ハクは渡ったことがない。


「聞いた話では」とハクは言った。


ツクシノシマの東のこの危険な海の奥の奥には広大な湿地が広がっているらしい。大きな湖が三つ連なりその周辺が大きな湿地であり、

その湿地は山々に囲まれているらしい。


「若オーオよ。興味があるならそこまで行って見たらどうか。

まあ、それはともかくツクシノシマの真ん中にあるタカアマにまづ行こう。」


さらにハクは続けた。

「ツクシノシマやその周りの海について私は若オーオに教えた。

若オーオがオノコロ人を従えてツクシノシマに来る、そしてコメを作る。他にもいろいろ作るだろう。

そうしたら私はコメやオノコロ人の作った布や乾燥したアワビやナマコを中原に売ることができる。

そんな思いと、出会ったばかりだが若オーオのまじめさに惚れた。


私はツクシノシマやその周りの海について私は若オーオに教えた。

ツクシノシマが島であることも他の人に言ってはならない。周りの海や島のことも言ってはならない。


若オーオ。私は若オーオと出会ってまだ一日もたっていない。

それでいてこんなお願いをするのも何なのだが、できれば兄弟となっていただきたい。」


若オーオはハクの提案にちょっと驚いた。


義兄弟の重みは実の兄弟よりも重たい。

裏切りや策略が当たり前の大陸においては兄弟も信用できない。

そのような雰囲気の中で産まれたのが義兄弟の契りである。

義兄弟を裏切ることはできないのである。


若オーオは言った。

「私はウーハン近くの若い指導者、劉燕りゅうえんとすでに義兄弟の契りを結んでいる。

楚の兵役でウーハンに行ったときにお互いに思うことがあって契りを結んだ。

もし、ハクとまた義兄弟になるならば兄である劉燕に相談して許しをもらわなければならない。

それでも良ければハクと契りを結ぼう。」


ハクは笑って

「ちょっと時間がかかりすぎるな。

良い。それならばカメの刺青のあるウラならどうであるか」

と義兄弟の相手をウラに変えた。


「なんとも簡単に言ってくれるが、ウラはハクの言葉を半分も理解できないし、まだ子供だよ。」と若オーオは答えた。


ハクは言う。

「はは。

私はアヅミの秘密を伝えた。ツクシノシマが島であることやその周辺の島のことを伝えた。

アヅミの掟ではそれは死をもって償うにも値することなのだ。」


若オーオは、要は人質を差し出せということなのだと理解した。

オノコロ人がアヅミ族を裏切った場合、義兄弟であるウラは死ぬことになるだろう。

処刑されるのではない。自らの判断で死を選ぶことになる。


突然にウラが言った。

「では私が義兄弟になりましょう。話のあらかたは分かったつもり。私は構いません。」

そして

「死んだら妹と会えるかな」と小さな声で続けた。


そのやり取りを聞いていたモモは、自分はやはりオノコロ人ではないのだ、と思った。

が、何も言うこともなく静かに成り行きを見守っていた。


ともかく、ウラはハクの弟となることとなった。

弟となるのはハクの仲間であるアヅミ族の立ち合いも必要であるのでしばらく後になることをハクは伝えた。


ハクはタカアマへの旅の概略を説明した。

タカアマに行くのはハクと、若オーオとモモとウラの四人である。

ゲンローたちはすでにタカアマ詣出もうでは済ませているので行かない。


ハクたちは今いる長崎のソネから西に船を出し長崎半島をぐるりと回ってハクの住居のあるノモに行く。

ノモで旅の途中でツクシ人との交易に必要となる塩をまとめる。水や食料を積み込む。

そしておよそ七日後にツクシノシマの北部に位置するヨブコに向かう。

ヨブコへは舟で一日かからない。

ヨブコはアヅミ族の拠点の一つである。

ヨブコで船をおりてそこからは歩いてタカアマに行く。その途中で稲作に適した土地をみつけ、できればツクシ人の了解を取り付ける。


そういう段取りとなった。

若オーオに依存があるはずもない。


そういった話をしていたがやがてオノコロ人とハクは遅い眠りについた。


【ノモ】


翌朝早くにツクシ人が五人ほどゲンローの家にやってきた。

モモを釣りに誘いに来たのである。

オノコロ人はまだ寝ていて、起されたオノコロ人たちは早朝のこの客たちをぼんやり眺めていたがやがて子供たちや犬もゲンローの家に入ってきた。


子供たちは寝ているウラの背中に乗って遊び始めるし、犬たちは犬たち同士で狭い家のなかでじゃれ始める。


ちょっとにぎやかになった中でハクがツクシ人に何かをいった。

ゲンローも「それがいい」とオノコロ語で言う。


ゲンローはハクの言ったことをオノコロ人に説明した。


「ハクは、ツクシ人にこういったのだ。


モモとウラはきょう一日ここにとどまる。

若オーオとハクはノモにあるハクの家に行く。


ツクシ人にお願いがある。モモとウラとハクの奥さんと子供を明日ノモまで連れて行ってくれ、と」


それからハクたちは家の表に出た。


ハクはゲンローの家の横に置いてある八人乗りの丸木舟に目をやった。

二艘ある。

一つはゲンローの持ち物であり、いま一つは若オーオがオノコロ島から持ってきたものである。


ハクは双方の船をコンコンとたたいたり、船べりをなぞったりしていたが

「この舟を使おう」と選んだのは若オーオの舟であった。

「もう一艘の舟には見覚えがある。これはゲンローの舟で荒波にも耐えれる。

今回使うのはゲンローの舟に比べて弱い。でもヨブコへ行く程度なら大丈夫だ。」


そういって、皆で舟を砂浜まで運んだ。


八人乗りと呼ばれるこの丸木舟は人だけであれば八人程度は乗れる。

人と同じだけの荷を積んだときに乗れる人数は四人程度しかない。

しかしそれでもかなり大きな舟である。


若オーオは

「モモとウラを残したなら、ノモまでのこぎ手はハクと私の二人になる。大丈夫だろうか」と疑問に思ったことをハクに言った。


ハクは笑ってそれは無理だといい、ゲンローとゲントとフターオに同行を頼んだ。


モモとウラを取り囲んでいるツクシ人や子供たちは早く遊びに行こうと待ち構えている。


ハクはモモとウラに

「荷物運びは私たちがやるので早く遊びに行っておいで。

そして明日の朝、私の嫁と子と一緒にノモに歩いてきなさい。」といった。


若オーオ達がオノコロ島から持ってきた荷物を八人乗りに積み込む必要があったが、ハクはモモとウラは遊びに行けという。

若オーオも、ツクシ人と仲良くしておく必要を十分理解していたので依存はなかった。

また、自分より若いハクが勝手にそのように段どったことにも依存はなかった。

ここはオノコロ島ではないので、勝手を知っているハクに従うのが良いと了解しているのである。


ゲンローの家にある荷物はツクシ人も手伝ってくれたので思いのほか早く舟に積み込めた。


ハクと、若オーオとゲンロー、ゲント、フターオ、それにツクシ人からもらった子犬二匹はノモに向かって出航した。


【アジ釣り】


ソネの小さな砂浜はまだ潮が満ち上がってはいない。

砂浜の潮だまりにはカレイやクルマエビが取り残されていて、それを子供連れの母親が拾って回っていた。


ウラとモモは子供達に取り囲まれてその砂浜で遊ぶ。

ウラは昨日と同じように四つん這いになってカメになり、その背中に子供たちが群がって遊ぶ。


モモはそういった遊びが苦手であったが子供たちは遠慮なくモモも四つん這いにさせてその背中に乗ったり立ち上がったモモの腕にぶら下がったして遊んでいた。

モモは誰よりも体が大きかった。


モモは西域の人である。まだ乳飲み子の時に母親とともに長江を流れてきてオノコロ島で保護された。

母親は西域商人の嫁であり、西域の人であった。

文字が書け算木による算数もできた。

モモはこの母親の影響で、同じように文字が書け算木もできた。


モモは物心ついたときは自分はオノコロ人とは違うという引け目を持っていた。

オノコロ人の船大工がモモの保護者となりモモの父親代わりとなっていた。

モモの父親はモモを不憫に思ったのか、モモの額の真ん中にオノコロ人を表す三角の刺青を大きく彫らせた。

モモにとってはうれしいことであったが、自分でその刺青を見れないのがちょっと悲しかった。


今回、ツクシノシマへ行くことになったときも、オノコロ人への恩返しできるという思いとともに、オノコロ人では無いので死んでも悲しむ人が少ないだろうという後ろ向きの考えも浮かんでいた。


モモは子供たちと遊んでいる時もそんな別のことを考えていた。


海岸からほど近い、およそ五十メートルほどの沖にイカダがいくつか浮かんでいる。

動かないのを見ると石か何かをいかりとして使って固定しているのだろう。


岸辺の岩にはオノコロ人の大人が座っている。子供たちを見守っている風である。

「親」という漢字は「木」と「立」と「見」で構成されている。

木の上に立って見守る、という意である。

モモはもしツクシ人が漢字をつくるならば親という漢字は「岩に座って見守る」という風になるのかな、などと思った。


一人のツクシ人がモモに声をかけた。固定されていないイカダが横にある。

ツクシ人は「このイカダに乗って沖のイカダまで行こう。そして釣りだ」と言っているようだ。モモはツクシ人の仕草でそう理解した。

モモは分かったといった感じで沖のイカダまで泳いだ。

ツクシ人は「ゲンローにしてもゲントにしてもよく泳ぎよく潜る。モモもやはり泳げるのか」と感心し、自身はイカダで沖のイカダに向かった。ツクシノシマの周りにたくさんあるより小さな島のツクシ人は泳げるが、大きな島のツクシ人はあまり泳げないのである。


モモのたどり着いたイカダにやがて五人ほどのツクシ人が集まり、釣りを始めた。

ある者は骨製の大きな針をつかい、あるものは竹製の小さな針を使う。

モモはアジを釣りたいと思っていたのでそれを手振りなどで示し、小さな針を借りた。

アジは回遊しているので連れ始めるとたくさん釣れるが連れないときは全くつれない。

しかも海は底までみえるほど澄んでいる。

モモも、ツクシ人も「釣れなくたってかまわないのさ」とのんびり釣りを楽しんだ。


ウラは浜辺から岩場に移動して子供たちと貝をとったり、浅い川にいって相変わらずカメになって遊んだ。


ツクシ人はエサの入った大きなカゴをイカダから海に沈めたり、あるいは前日に沈めたカゴを引き上げたりしていた。


そんな感じでこの日は一日が終わった。



【ハクの家】


翌日の朝早くにウラとモモと、乳飲み子を抱いたハクの奥さん、それに五人のツクシ人はソネを出てハクの家のあるノモに向かった。


ソネから西に向けて長崎半島がある。ソネから南に、長崎半島を横切るとそこがノモである。

大した距離ではないがソネとノモに間は山である。

ツクシ人は親戚の家に寄りつつノモに向かう。干し魚や塩を親戚の家々に配り、その家々で談笑する。

かれらはソネの親戚の家に泊まるつもりであるので急ぎもしない。

何軒ものツクシ人の家に寄るので、ウラたちがハクの家に着いたのはもう夕暮れ時であった。


ハクの家は高床式である。呉の形式を踏んでいるが要は湿気を嫌って床下を作って風が通るようにしている。

およそ二十人ほどは泊まれるであろう大きな家である。

屋根は低く、部屋は吹き抜けである。大風の時は板戸を立てて風雨を防ぐ。

板葺きの屋根には大きな石が何個も置かれ、屋根が飛ばされないようにしている。

オノコロ島の集会所と同じようなつくりである。


ハクの大きな家はアヅミ族の避難小屋である。

食料や船の修理道具などが置かれている。縄や大きな布もある。

普段は無人で、嵐が来そうだったりあるいは嵐にあったりしたアヅミはここに避難する。


北上してくるアヅミの舟が嵐にあったときに寄りやすいように半島の一番西の南面にノモの避難地は設置されている。


こういったアヅミの避難所は五島列島や対馬にもあるとハクは言った。


例えば対馬の南西には豆酘ツツの港があり、ここには日本最古級の赤コメの田が今もある。

五島列島や平戸島などにも避難所がありそれらの管理をハクは行っていた。


ノモのハクの家ほど近くに六軒ほどの見慣れない家がある。

一軒には五人ほどが寝泊まりできる。地面から急傾斜の屋根がありカヤが分厚く葺かれている。

入り口と反対側の屋根はカヤが取り除かれていて風通しが良い。

ウラとモモは興味深くその家を覗いたが誰もいない。まんなかに囲炉裏があって、干し魚があちこちに干してあって、また土の床のあちこちにツボがある。


ハクは「これはツクシ人の冬の家である」と説明した。

冬のツクシ島は寒いとハクは言ったがウラは特に何も思わなかった。

オノコロ島も寒い時がある。特に嵐がオノコロ島の東を通るときは三日ほど寒かった。

がその寒さ対策のために家の壁を厚くしたりする意味がウラには分からなかった。


(ウラが寒いとう感覚を本当に理解するのはこの冬に北陸で遭難しかけたときである。)


ツクシ人の冬の家の横には簡単に作られた家があった。木を組み合わせた骨組みだけの家で小さい。

屋根には申し訳程度のカヤが葺いていた。風通しが良い。冬以外はこの家を使うとハクが説明した。


モモは厠(かわや:トイレ)を探した。

ハクは「ない」という。そこいらで用を足せといって笑った。ソネのゲンローの家にもトイレはなかった。


オノコロ島の本島はコメ作をはじめとした農業を行う。

大小便は貴重な肥料であり、よその家で大小便をするだけでも親から怒られる。

自分の家の庭に掘られた穴で用を足す。

それが穴いっぱいになると蓋をして一年ほどねかせる。そしてそれを掬って自分の農地にまくのである。


ウラは農作を手伝うことはあるけれども家は潜水業である。大小便の場所にこだわりはない。

海に潜って用を足すのがいつものやり方であったし、それが草むらであっても気にしなかった。


ゲンローとゲントそれにフターオは若オーオの旅たちの準備をしている。

塩をハマグリの貝に詰める。詰めたらヒモで巻きさらに大きな葉でくるみそれをまたヒモで巻く。

これを沢山作る。

旅の途中、この塩をツクシ人の食料と交換する。

タカアマは山の中である。海から離れると塩はそれなりに人気がある。


ウラはゲンローと一緒に塩をまとめていたが、どこから聞きつけたのか子供たちが遠慮なくまとわりつく。ソネにゲンローが来たこともノモにすぐに伝わったが、同じように、カメのお兄さんと大きな体のお兄さんがこの日ノモに来ることも皆知っていた。

ゲンローは、ウラとモモに暗くなるまで外で子供たちと遊ぶように言った。


若オーオはハクの田んぼに行って手入れをしていた。

ハクは農家ではないが小さな田を作っていた。食べるよりも酒を造る材料のようである。

若オーオはオノコロ島から持ってきたモミをまいた。

若オーオも稲作は詳しくはない。


やがて暗くなると子供たちは帰った。

若オーオはアヅミ族の避難小屋に戻っていた。

ハクは嫁の家に行く。

若オーオ達はアヅミ族の避難小屋に泊まった。若オーオの二匹の子犬はツクシ人の家に行ったようであり、いなくなっていた。


翌朝、子供たちや犬、それに子供たちの親がハクの避難小屋に遊びに来た。

入れ違うように、ゲンローとゲントとフターオはソネに帰った。


ツクシ人との親睦という重大な任務をまかされたウラは子供たちと遊ぶ。


若オーオとモモは魚や貝を獲りに行く。とった獲物を煮たり干したりして保存食を作るのである。

保存食は旅には間に合わないので、作りかけの分をハクの避難小屋の保存食と交換してそれを持っていく。

作りかけのものはハクの嫁が時間をかけて完成させる。


オノコロ島から持ってきた干飯(ほしいい:炊いたコメを乾燥させたもの)や醤油、魚醤、薬、交換用にあらかじめ準備しておいた布なども持っていく。

ゲンローの干しアワビやナマコ、ツクシ人の黒曜石も積み荷である。


ノモでのあわただしいような、のんびりしたような一週間が過ぎて、ハクと若オーオ、ウラ、モモはある早朝に舟をこぎだしてヨブコへと旅立った。


【ヨブコ】


八人乗りの丸木舟に人と荷物が順に配置されている。一番前は若オーオ、そして荷物、モモ、荷物、ウラ、荷物、一番後ろにハクが乗って、かいをこぐ。今でもあるペーロン船のように前を向いてこぐ。

普段はを使っているオノコロ人もやがて櫂の使い方に慣れたが普段と違う動きであるので大変に疲れた。


彼らが向かっているヨブコは九州の北端のやや西よりにある。古代からヨブコが大陸渡航の起点である。


ハクの指示に従って長い時間をこいでいくとやがて右手の山の上にヤグラが見え始めた。右に折れる。左にも山が迫っておりこの山にもヤグラがある。ヨブコの入り口である。湾の奥に進むとやがて平地にも大きなヤグラがあり、大小の舟も見えてきた。


ハクはホラ貝を取り出して吹いた。ボーッと大きな音が鳴る。さらに湾奥に進んでまたホラ貝を吹いた。

こんどはどこからともなくホラ貝でボーッと返答があった。


ハクは港に入るときはホラ貝を吹く、もし、舟に何かの緊急事態があったときは短く三回吹くともいった。


大小の舟が三十艘ほど浮かんでおり、同じくらいの数の舟が陸揚げされている。帆柱のある舟もある。

港は所々が石垣で補強されている。

港には大きな家が並んでいて、東岸には土で仕上げられた大きな家が数件ある。


ハクは「土壁の家はイヅモ族のものである」といった。


イヅモ族は日本海側で物資を集めるが大陸に渡るときは一旦このヨブコに寄って壱岐から対馬に渡り朝鮮半島東側を目指す。

アヅミ族もまたヨブコから壱岐対馬に行く。アヅミ族はそのあとは朝鮮半島を西伝いに中国北岸に行く。

アヅミはまれに五島列島から直接に朝鮮半島を目指すこともあるが、いづれにしても、ヨブコは海の要衝である。


細身の五人乗りの丸木舟が三艘、若オーオ達の舟を目指して全速力で近づいてくるのが見えた。

瞬く間に若オーオ達はこの三艘に取り囲まれた。守備隊である。

隊長らしき人がハクを見て、「おお、ショウハク様ですか。お帰りなさい。」といい、二言三言会話して、若オーオの舟を岸に誘導した。


岸につくと守備隊員たちがてきぱきと若オーオの舟を陸揚げし、荷物を小屋に運んだ。

ウラは守備隊員が腰に着けている刀が珍しく、一人の隊員に呉の言葉で「これは何か」と尋ねた。

隊員は荷物運びの手を休めて、ニコリとして「刀だ」といい、腰から外してウラに渡した。

青銅のきらびやかな刀である。重い。

隊員は、守備隊の舟の中を見せた。そこには弓と多くの弓矢があった。弓矢の矢じりは黒曜石である。

外敵が来襲したときは戦うようであった。


やがてオノコロ人は近くの大きな家に案内された。ハクはここで待つように言ってどこかへ出かけた。


家の入口には警備兵が数人たむろしていた。

警備兵は皆、刀を腰におび、手には大きなヤリのようなものを持っている。

物おじしないウラは警備兵に「このヤリはなにか」と笑顔で聞いた。

警備兵は「ほこという。」と言って、見えない敵を想定して何度か振り回し、ウラに手渡した。

これもまた刀と同じようにきらびやかな青銅製の刃先を持っていた。振り回してみたが体をもっていかれる。

ウラはモモを呼び、モモに銅矛どうほこを持たせた。


モモはアヅミ族やオノコロ族よりも二回りほど体が大きかったし小さいころから船大工の義父の下で力仕事をしていた。

最初は矛の重さに戸惑ったがやがて見事に振り回し始めた。


守備隊員は面白がって今度は銅剣をモモに持たせたが、モモは難なくそれを使いこなした。


守備隊員たちはモモとウラを隣の空き地に連れて行き、今度は弓を渡した。

守備隊員たちは弓を打つ。遠くの的にほとんど当たる。

やってみろと言われたモモは弓を引いてはなったが、足元にポトリと落ちる。

何度も繰り返したがとんでもないところに飛んでいく。

ウラもやってみたが、矢は前に飛ばなかった。

それらを見て守備隊員たちは楽しく笑った。


若オーオ達オノコロ人はヨブコに五日間滞在した。

滞在中にイヅモ族にあいさつに行ったり、ハクとウラの義兄弟の儀式があったりした。

ウラの右胸には漢字で「小伯是呉太伯之後 我是小伯之義弟」と彫られた。

太伯は呉を建国した人の一人である。ハクは呉人からはショウハクと呼ばれていた。

「ショウハクは呉の太伯の後裔である。私はショウハクの義理の弟である」という意味の彫り物である。


ハクはイヅモ族の重要人物のようであり、この小さなヨブコの町で多くの実力者との会合で忙しかった。


モモとウラはほど近くにツクシ人の集落を見つけてそこで子供達と遊び、釣りをし、海に潜って貝などを獲った。

獲った獲物は気前よく、ツクシ人やアヅミの守備隊に与えた。


若オーオは小さいとはいえオノコロ人にとっては大きなこのヨブコの港を歩き回った。

どの蔵にも番人がいて矛と刀を携えている。

イヅモ族の地区は立ち入ろうとすると番人に威嚇される。


若オーオは、もしオノコロ族をツクシ島に移住させた場合にはやはり軍備が必要なのではないかと心配した。

同族内での争いは時間がたてば怨みも薄らぐ。が、他民族との戦いとなればその恨みつらみは何百年も続く。それを若オーオは大陸で見てきた。

ツクシノシマは楚の国から一日の距離である。戦いになれた楚に踏み込まれたらツクシのオノコロ族はひとたまりもない。

降伏してもよくて奴隷であり、慣例としては殺される。


軍隊を作れるであろうか。若オーオは心配性であった。


【タカアマへ出発】


タカアマへの旅立ちの前に、ハクとアヅミの警備隊長の間でひと悶着あった。

警備隊長はハクを守る武人を同行させるという。

ハクは断ったが警備隊長も引かなかった。


結局、途中まで警備が供をすることになった。武具をまとった五人がハクに同行する。

呉とゆかりのある農民達の村が今の福岡空港近くにありそこまでは同行する。

隊長は不満であったがハクに逆らうことはできなかった。


めいめい食料を担ぎ東へ歩く。警備隊は刀を腰に差し矛を持っている。弓も携行している。

若オーオ達は武器といえば杖かわりの背丈ほどの長さの簡単な槍をもっているだけである。


山をいくつか越えるとそこは唐津である。魏志倭人伝では松羅国と呼ばれる地である。

湿原が広がっている。

ハクは若オーオに言った。

「ここは昔は海であった。いつの間にか湿原になっている。

どうであろう。この広さがあれば三千人は暮らせるのではないか。」

ハクはヨブコ近くに農民の集団が欲しかった。ヨブコの食料問題や労働者不足を補えるからである。

若オーオは笑って聞いたが返答は保留した。

「他も見たいし今はまだ、何も見ていないのと同じだよ」とだけ言った。


よく見ると水田跡と思われる地形がいくつもあったので若オーオは水田があったのかハクに聞いた。


ハクは答えた。

「かつてここには呉から流れてきた農民が住んでいた。

ヨブコのとりまとめ役がダメな人で農民をこき使って港を整備したり、コメを奪ったりしたので皆逃げた。」

と打ち明けた。

若いハクにヨブコを任されているのもそういった事情があるらしい。

「農民はここから東にあるイト(糸島)やド(福岡)に逃げた。

今は仲良くやっているけれどもマツラ(唐津)に戻ってくる農民はいない。」


そういう話をしながら東へ歩く。

やがてイトの集落に着いた一行はここで一泊することにした。

イトの集落は五十軒ほどの高床の家と、それを取り囲む田でできていた。


長老と思われる老人が来て「泊まるのは構わないが何もできない」と呉の言葉で言った。

野宿をしろと言ってるのである。

明らかに警戒されている。


ハクたちは小高い場所に仮の小屋を作りそこで一夜を明かすことにした。


若オーオは一人で長老の家に出向いた。

塩や干し魚を渡して、長老から話を聞いた。家には入れてもらえない。

そばの苗代での立ち話である。


数世代前に越と呉の戦闘に巻き込まれた彼らは海岸へ逃げ、そこでアヅミに救われてツクシノシマに渡った。五十人もいなかったらしい。

最初は助けてもらった恩もありアヅミ族の労役や食料提供をしていたが過酷であったので東に移動した。

ツクシノシマはコメ作りには適しているが毎年嵐が襲ってくる。冬は寒い。米は年に一度しか採れない。

そんなことを長老は言った。


若オーオがオノコロ人の移住について尋ねると、自分たちの土地を奪ったりしなければそれもしょうがない、という。

歓迎はされてない。


この呉の農民たちは指導者もなく逃げてきたようであり、苗代はあるが他の農業技術はかなり劣っているように若オーオには感じられた。

若オーオは今度来るときは様々な種類のモミや野菜のタネを持ってくることを約束した。


翌日はド(福岡)に至り、若オーオはこの土地の長老と話をしたが状況はイトと同じようなものであった。

ここで警備員は引き上げた。

ハクとオノコロ人三人の旅となった。


【旅の続き】


ハクの一行は東に向けて歩いた。ハクは北東に海に出てそこから東に海岸線沿いに歩くことも考えたが若オーオが任せるといったので若干の近道としてそのまま東を目指した。


東に山を越えると今の飯塚である。海はないが広い湿地が広がっている。

さらに東に山を越え田川に出て、また更に東に山を越えて今の行橋市豊津に出る。

今の豊津は海から遠いがこの当時は海岸線にある。

何日かぶりに見る海があるが遠浅である。潜って獲物を捕ることはできそうもない。

そこから海岸伝いに南に歩き宇佐にでた。


さらに南下する。


別府から西に山道を通る。

険しい道である。

振り返ると海が見える。


黙々と歩く。ときおりツクシ人の小集団とすれ違う。

彼らもまた槍を手にしているが杖代わりらしい。槍の先にはたくさんの板切れがぶら下がっていて、杖のように地面をたたくときにシャカンシャカンと音がする。

すれ違うとき、彼らは笑顔でどこらか来たのかどこへ行くのかと話しかけてくる。おれたちはあの山に登るのだという。そんなことを長々と話す。なのですれ違いにもそれなりの時間がかかる。


ツクシ人の小集団はどこかしらの山をめざす。

山に登るだけである。特に目的があるわけではない。

若オーオにはその行動の意味が分からないが、ウラはなんとなく分かる気がする。

山があるから登る。海があるから泳ぐ。それだけのことである。


やがてツクシ人が十人ほどたむろする小川にでた。ツクシ人は小川に入ってのんびりしている。

山間の温泉である。

ウラたちも裸で水に入った。ウラは暖かい小川の水ははじめてであった。

少しぬめりもあるし独特の匂いもほのかにある水がウラは珍しかった。

ウラはすぐにツクシ人に囲まれた。

老婆が遠慮もなくウラの背中をさすった。それをツクシ人がはやす。

別のツクシ人もウラの背中を触る。屈託もないが、ウラはツクシ人がわいわい騒ぎながら自分の体を触ってくるので戸惑っていた。


ハクがツクシ人と話をして、ウラに言った。

「背中のカメが縁起良いのでさわっているんだそうだ。」


大きな体のモモも囲まれて、体をさわられていた。


若オーオはツクシ人の警戒心のなさに驚いた。

いったい、どこの誰とも分からない初見の人の体をペタペタと触る行為は何なのであろうか。


そしていつものようにウラの背中は小さな子たちの遊び場となる。


老人が若オーオに寄ってきた。

老人は「わたしの胸の刺青を見ろ」といった。

ツクシンボの刺青がおそらく二十個以上彫られている。

タカアマに行く度に彫っているのだと言った。

そして遠くの山を指してあそこには十回以上は登った、また別の山をさしてあの山は三十回以上だと自慢する。すると別の男たちが自分はあの山には十回は登っている、こっちの山はもっと登っていると返す。


山に登るよりも畑を作るほうが良いのではないかと若オーオは思ったが、つまりはツクシ人は暇なのだ、とも思った。


この日は老婆の粗末な家に泊まり粗末な食事をした。お礼にハマグリの貝の塩を渡す。


そんな旅を続けた。


【阿蘇】


草原地帯を抜けるといきなり眼下に大平原が現れた。

平原の真ん中には大きな山があり、その山は煙を上げていた。阿蘇山である。


ハクはこの大平原の向こうにタカアマがあると指さした。

地面に大まかなツクシノシマ(九州)の地図を描く。槍の柄をあて、ここがソネ(長崎)、ここがヨブコ、ここがド(福岡)と説明する。

ツクシノシマのほぼ中央に柄をあてて「ここがタカアマである」と言った。


オノコロの三人はそういうハクの説明をほとんど聞かずに目の前に広がる草原に見とれていた。

特にウラとモモはこのように雄大な草原を見るのは初めてであった。


森が広がっている。その中を川が流れている。遠くに阿蘇山がある。


何をするでもなくぼんやりと眺めている。横の小道、急な下り坂をときおり人々が平原へと降りて行く。

通り過ぎていく人達はハクたち一向に声をかけ、どこへ行くのかを問い、それでは気を付けてといった感じでほほ笑む。


胸に首飾りのような刺青をした三人組も同じようにハクたちに声をかけた。

一人は壮年で体も大きく頑丈そうである。赤銅色の胸に首飾りのような刺青が二十本ほどある。


一人はハクと同じくらいの歳に見える。彼もまた胸に首飾りのような刺青をしていた。が本数は少ない。十本ほどであろうか。

もう一人はウラと同じくらいかもっと幼いようで胸には刺青がない。

大きな犬を連れていたがこの幼い少年にくっつくようにおとなしくしていた。


三人とも太くて大きな槍を持っている。穂先にはこれまで見た中でも最も大きい矢じりを付けている。シャカンシャカンと音のする鳴子なるこもついている。


自分たちはクマ族であり、海の近くまで行って手に入れた黒曜石をもって帰るところであるといった。

眼下の森を指して、私たちはあそこに住んでいる、良いところだと笑った。


彼らの言葉はヨブコあたりのツクシ人と違っていたが、クマ族の壮年はできるだけわかるようにツクシ語で語りかける。

ハクはツクシ語を呉の言葉に訳して若オーオに告げる。それを若オーオはオノコロ語にしてウラとモモに伝える。


ウラは首飾りの刺青は何を表しているのか聞いた。それを若オーオがハクに伝えツクシ語で壮年に問う。


右肩から始まって胸を囲むように下がっていき左肩まで上がるこの刺青はツキノワグマの輪を表している。クマ猟に出たら一本彫る。

そうして本数を増やすが、書けなくなるくらいになるともう彫らない。ということのようである。


ウラはおもむろに背中のカメの刺青を見せた。


クマ族の三人は「オウ」とちょっと反応し「みなれない四人組がいてタカアマに行くらしい、その中の少年はカメの刺青をしょっている。その話は伝え聞いている。そうか。あなたたちか。ところであなたはこの大きなカメを捕まえたのか」と聞いてきた。


ウラは「妹が亡くなった日に悲しくて海に潜った。そこで大きなカメにであった。出会っただけだけど、それで、カメを彫った」と言った。

それ以上は話さなかった。


クマ族の壮年はハクに「あなたは何年か前に私たちの村に泊まったことがないか」と話を変えた。

ハクは「三年ほど前にクマ族の家に泊まったことはあるよ。タカアマに行くときに。」と自分の額のツクシンボの刺青あたりを指しながら答えた。


壮年は「今日は私の家に泊まるといい。私はルダという。ふもとに降りたらルダの家はどこか聞けば連れて行ってくれるだろう。ツクシノシマの北の話もゆっくり聞きたい」と言った。

ウラはクマ族の少年と言葉は通じないが話をして大きな犬の頭をなでたりしていた。

クマ族の壮年はクマ族の少年に「帰るぞ」といったようでクマ族の三人は若オーオ達にそれではと言った感じでほほ笑んで坂を下りて行った。


若オーオ達はこの景色の良い場所で食事をした後にクマ族の集落に行くことにした。

枝などを斜面を少し降りて集める。火をおこし石を焼く。

入れ子になった食器を出す。これは直径二十センチ高さも二十センチほどの孟宗竹の中にそれに収まる大きさの竹が入っており、さらにその中に直径十センチほどの竹が入っている。他に箸があってそれが彼らの食器の全てであった。


一番小さな竹は水筒で、その水を孟宗竹の器に入れる。枝を敷く。枝を敷くのは最後に入れる焼けた石が直接に孟宗竹の器に当たらないようにする工夫である。乾飯を入れる。そこに焼けた石を入れてしばらく待つ。

乾飯はその程度では固い芯が残ったままであるがコメはコメである。稲作民であるオノコロ人にとっては慣れた食事である。


オノコロ人は米も持っているがとりあえずは乾飯を使う。

ハクのみがコメを炊く。ハクは乾飯があまり好きではない。

彼らはまた干し魚を火で炙る。それに醤油をかけて食べる。好みで魚醤をかける。そんな食事であった。


ツクシ人がふるまってくれるドングリやトチノミ、小型の動物の肉は食べないことはないけども好みではなかった。



【ルダの家】


ハク達がふもとに降りると、そこにいたクマ族の人々がルダの家まで連れて行ってくれた。すでにクマ族の人々にハクたちが来ることが伝えられていたようである。


ルダの家、と言うよりはクマ族のルダの属する集団の共用の建物である。二十人は入れるであろう家が三軒並んでいてそのうちの一軒に案内された。ツクシ人の家は土間であったがクマ族の家は地面から少し浮かせたところに床板が敷かれていた。

三軒の家に囲まれるように一つの調理場があってその調理場には屋根もあった。調理場の横には薪が積まれており、この倉庫にもまた屋根があった。


若オーオはツクシ人の家も様々であると思った。


ソネやヨブコのツクシ人は家は簡素であるがクマ族の家は大きくまた色々な色で模様が描かれていた。


荷物を下ろしたオノコロ人とハクはまだ陽は高かったのでルダの家の周りを廻ってみた。各々腰に食器をぶら下げていたが、これはどこか水場があれば食器を洗って水を補充するためである。

クマ族の若者数人が案内するような警戒するような感じでぞろぞろと着いてきたが言葉もあまり通じないので、ハク達四人は勝手に歩き回る。


三軒の家の周りは広場になっており木は少ない。が広場を取り囲むように森が広がっておりその木々は大きい。


小川を見つけたハクたちは、ここで水を汲んでいいかと問うと、クマ族の若者達は、いやいやここよりあっちが良いといった感じで彼らをちょっと離れた所へ連れて行った。

そこには竹の先から水がながれてくる水場があって、一人の若者がその水を掬って飲んで見せた。

ウラは真似して水を飲んだ。そして若オーオ達に「ここの水もおいしい」と言った。

モモも飲んでみたが確かにおいしい。ハクと若オーオは直接には飲まない。特に若オーオは大陸を苦役で何度か旅したことがあるので沸かしていない水は飲まない。

客先で進められたら飲むが基本的に生水を嫌っていた。ハクも大陸に何度も渡っているので生水は飲まない。

ウラは潜水漁者らしくあまり頓着しない。ツクシノシマに来てからは生水ばかり飲んでいる。オノコロ島の水と比べるとともかくおいしいのである。


オノコロ人達はその水辺で食器を洗い、竹の水筒に水を汲んだ。

近くに川があったのでそこで体を洗い、ウラとモモは泳いだ。

そこでもウラは年寄りに囲まれて背中のカメを触られて、また小さな子たちのおもちゃとなった。


森を歩きその巨木林に見とれて、また、クマ族の住居を遠くから眺めてたりした。


日暮れのだいぶ前にルダの家に戻った。

戻るとそこには五人の人がいた。犬も二匹一緒であった。

五人は、若い夫婦と七歳くらいの男の子が二人と、夫婦の義理の兄であった。

この家族は車座になって楽し気に会話を楽しんでいたがハク達が入ってくるとこっちへおいでと手招きしてハク達に語り掛けた。


「私たちはここからだと北に行ってそれから東に行った山に住んでいる者です。タカアマに行きます。」

そんなことを勝手にしゃべり始めた。


彼らによると、このルダの家は旅行者の宿泊施設らしい。北部九州からタカアマに行こうとするとおおむねクマ族の地域を通る。

クマ族はタカアマ詣での人たちのためにこの家を開放している。他にもあちこちにこうした宿泊施設があるらしい。


旅人のために作っている家もあるが、このルダの家は元々はクマ族の若者宿である。


クマ族のおよそ十歳くらいになった男は若者宿で共同生活をする。

強制はされていないので自宅で生活してもかまわない。また、壮年になると自然に若者宿から離れていく。が、多くは若者宿で生活を共にする。

そして共同生活の中で、狩猟の方法や部族の規律を学ぶ。


「多い時は十家族くらいがここをタカアマ詣でのために泊まりますが、今日は少ないですね。あなた方と私たちだけ。」


奥さんらしき人がそう言って、さらに

「もしかして、あなた方はカメの人ですか」と尋ねた。


どうもウラのうわさはあちこちに飛び交っているようである。ウラは今は通訳者であるハクに促されて上っ張りを脱いで背中を見せた。


そしてまるで約束事であるかのようにこの家族にも背中をぺたぺた触られた。


若オーオは「自分たちはツクシのしるしである刺青を入れるためにタカアマに向かっている。」と言った。

若夫婦の夫らしき人が

「わざわざタカアマに行って彫るのか」と聞いた。


彼らによると、ツクシンボの彫り物は誰が彫ってもかまわないし咎められることもない。彫ってなくてもよいがまあ普通のツクシ人はツクシンボを彫っている。


「タカアマ詣でに行く人は多いけど、行かない人は行かない。」


ハクが返す。

「そうなんですか。私はツクシ人ではありませんが、縁があってツクシにも住んでいます。

ツクシの長老は、タカアマに行ってそこでツクシの印を顔に彫りなさい、そうすればあなたも私たちの仲間です、と私に言った。

三年前のことです。まあ、そのころの私はツクシの言葉を覚えたてだったので聞き間違えたのかもしれない。」


そう言って笑った。


彼らは北部九州で稲作をしている異国からの流れ者の話もした。呉の人々のことである。

この家族も、この異国人に対しては居てもいいけどあまり歓迎していないようであった。ツクシ人にとってこうした異国人は、当たり前であるが、警戒すべき人々であった。


若オーオは、オノコロ人がツクシで平和に暮らすためにタカアマ詣でをできるだけやらせようと思った。


ウラは彼らの犬と遊びながら犬の話を聞いた。もちろんハクが通訳をする。


ツクシ人の犬は今の柴犬くらいの大きさで小さい。性格も気ままで人の言うことを聞くこともあれば、知らんふりを決め込むこともある。

クマ族の飼っている犬は大きい。クマ犬という。ツクシ犬より数回り大きい。秋田犬を想像してもらいたい。

性格はおとなしく人の言うことをよく聞く。賢い。

そしておとなしい性格に似ずクマに向かっていく。クマ族がクマ狩りに使用する犬である。


大きい犬であるのでエサが大変で、そのために普通のツクシ人はクマ犬をめったに飼うことはないとのことであった。


家族の子供がクマ族のひとは怖いと話を変えた。彼らはクマ狩りをする。そのための訓練もする。規律が厳しい。

父親がそんなことはない、クマ族もツクシ人であり優しい人々だといった。


クマ族の集落はタカアマ詣での拠点でもあるので多くのツクシ人が通過する。クマ族は他部族になれている。

父親は、クマ族はそんなに怖くないがソウのひとはおっかないと言った。

ソウとはクマ族のさらに南の今の鹿児島に住む人々である。彼らもまたクマ狩りをする。


「頭に鳥の羽の飾りを付けていてね。オウーオウーと大声を出してクマを追うのだ」と言った。


若オーオが父親にソウ族にあったことがあるのか聞くと「いや、一度もない。」と言ったので皆笑った。


ハクは九州を舟でぐるりと回ったことがある。その時に南九州にも寄っている。それで

「ソウの人も優しかった。」とソウ族を弁護した。


この家族とはクマの話もした。

ハクと若オーオはクマを見たことがあるが、ウラとモモは見たことがない。

イノシシよりもはるかに大きい。色は黒いが首の周りは白い。力が強くて、山で出会ったら静かに立ち去るしかない。


ツクシの旅人の持つ槍には鳴子がついている。槍先にたくさんの板切れをぶら下げて槍を振ると音が鳴る。

しゃれた人は鳴子の板の代わりにソテツの実で作った鈴をぶら下げている。

この槍を杖代わりにして歩く。杖として地面をたたくと音が鳴る。


家族は言った。クマは人と争うことを嫌うので鳴子の音を聞いたクマは静かに離れてくれる。

「あなたたちの槍には鳴子がついてないね。」

そういいながら自分たちの槍からかなりの板切れを取ってハクたちの槍に付けてくれた。


ハクはまだまだツクシのことを知らないと思いつつ槍を杖のようにして床をついた。シャカンと音が鳴る。

そしてそんなことでツクシの家族もハク達も皆笑った。


家族は色々なことを教えてくれた。

ルダの家の前にある調理場は誰が使ってもいいこと。食器も勝手に使ってよいがきれいにして返すこと。

ルダの家を利用するときは何かのお礼をすること。何か持ってきてもよいし、持ってくるものがなかったら木切れを集めるとか水を汲んで来るとかでもよい。

家族は今回はうるしを持ってきたといいながら部屋の隅にあるひょうたんのツボを指さした。

ひょうたんといってもこの当時のはくびれがない。


そんなくつろいだ時にルダがやってきた。

クマ族の壮年で体格の良いルダは供を連れている。

ハク達が道で出会った人達とその時も一緒だったクマ犬、小柄だが目つきの鋭い老人、それに着飾った少女が一人ついていた。


ルダは連れを紹介した。

長老はこの辺りのいくつかの集落のまとめ役である。ハクや若オーオに北部ツクシノシマのことなどを聞きたいと言う。

道であった若オーオと同じくらいの年の若者はタダという。上には何も着ていないので首飾りの刺青が十本ほど誇らしげに見える。

最も若い少年はバサと名乗った。彼は首飾りの刺青がなかった。つまりはクマ狩りをしたことがない。


バサの後ろに隠れている少女ははにかみながらハクや若オーオを眺めている。

ルダが言った。

着飾った少女はこの若いバサの婚約者という。近々あるクマ狩りにバサは参加する。そしたら胸にツキノワグマの月の輪の刺青を胸に彫りこの少女と一緒に暮らす。

少女は照れ隠しなのかクマ犬の頭をなでたり、クマ犬の体をさすったりしている。


ルダは言った。

「クマ狩りをしなくても一緒になることはできる。が、バサは月の輪が胸に彫られたときに一緒に住むとこだわっている」


ルダはそこらあたりの若者に食卓を準備するように命じた。ルダの家の両隣の若者宿にたむろしていた人々がどこからか大きな食卓を運んできて炊事場の前に据え、また椅子として使う切り株をその周りに据えた。

あるものは火を起こした。またある者は器に水をいれて食卓の上に並べた。


中央に老人が座り、その隣に背の高いルダ、反対の隣にがっちりした体格のタダが座った。

若いバサはタダの隣に座るように促されたが遠慮して食卓から少し離れた場所に立っている。


老人の向かいにハクと若オーオが座る。モモとウラはクマ族のバサと同じように遠慮してバサの近くに立つ。


老人は「私はルヘという。」と水を飲みながらツクシ語でしゃべった。ハクと若オーオも礼儀として水を飲んだがそれがクマ族の礼儀にあっているかどうかは分からない。


ツクシ語とクマ語は似ているが若干違いある。お互いにゆっくりとした簡単な言葉でなら通じるが通常の速度でしゃべると通じない。


老人は続けた。「いろいろな話を聞きたい。わたしは昔にヨブコまで行ったことがある。その時にクマの毛皮とこの矢じりを取り替えた。」

そういって懐から青銅製の矢じりを出した。出すときに服がはだけて、おびただしい数の月の輪の刺青が見えた。


矢じりは大振りである。槍に使うものであり長さが十センチほどある。弓に使う矢じりは二センチ程度である。

手入れされいる矢じりは黄金色に輝いている。青銅は錆びると青緑色になるが元々は新しい十円玉のような輝きを持っている。


毛皮三枚と大きい矢じり三個と、弓矢用の小さな矢じり十個を取り替えたらしい。割に合う交換かどうかはハクには分からなかった。

若オーオは青銅器自体に疎いので、話はもっぱらルヘ老人とハクとの間で行われた。


ルヘ老人はこれがもっと欲しいという。やがてはクマ族をまとめていくであろうルダは黒曜石の矢じりのほうが良いという。

ハクと同じくらいの歳のタダが「小さな矢じりは役に立たなかったではないか」と横から笑いながら口を出した。

小さな矢じりは弓矢に使って、それでイノシシなどを討ったが、矢が刺さったままイノシシは逃げた。と笑った。

ルヘ老人も笑った。「小さなのはだめだ。全部なくなった。」「他の大きいのは近くの長老二人に渡した。もうこれしかない。」


ルダは結構おしゃべりである。「大きなのも使うことがない。もったいなくて長老はこれでクマを刺したことがない」

「長老はクマ狩りに持っていくけどただの飾り。キラキラ光るので、あ、あそこにルヘ爺さんがいるとわかるけど、それだけだ。」


ハクはそういったクマ族同士の話が半分ほどは理解できた。若オーオは全く分からない。

ハクもクマ族同士の会話をその都度通訳するのに飽きて途中から若オーオに説明しない。


ハクは言った。

「ヨブコで毛皮と取り替えた相手はおそらくイヅモ族だと思う。私はアヅミ族で舟に乗ってあちらこちらに行く」

ハクは燃えている木切れを持ってきて火を消し、木切れの炭で食卓の上に地図を描いてあらかたの説明をした。


青銅製の器具を扱うのはイヅモである。アヅミはイヅモと取引をして青銅器を手に入れる。イヅモは遠いところから青銅器を運んでくるが私はその場所や作り方は知らないと正直に言った。


アヅミは毛皮も要らない、とそっけなく言った。東シナ海から北の黄海にかけて海運を行うアヅミは暖流を移動する。北に行くと寒いが分厚い毛皮が大量に必要となるようなことはない。


ハクは続けた。

「ただ、ここにある巨木は欲しい。特にスギと呼ばれる木はいくらでも欲しい。」


そこからハクとクマ族の話題は「木」に関することとなった。

ハクは海運業者である。舟はとりわけ重要である。それにはスギが最も良いが大陸ではスギを見たことがない。

クマ族は、ヒノキはどうか、この食卓はヒノキである、カシもよい、槍はカシかカキが強くて良い、とか説明する。

クスノキ、カヤ、コナラ、マツ、など木の性質と使い方をクマ族は説明する。

ハクはそれまでの知識を総動員してクスノキはあの木のことであろう、とかその会話を楽しんでいる。


ハクはときおり若オーオに呉の言葉で説明してくれるが、説明されても木などに興味のない若オーオにとっては退屈な時間である。

若オーオは、木にもたくさんの種類があってそれぞれの使い方があるのだ、程度のことは分かった。

またハクは木に大変興味があることも分かったが、まあ、若オーオにはどうでもよかった。


ルヘ長老は「それでは木を持っていくがよい。私らは矢じりが欲しい。」

といったが、ハクは「木を運ぶ人がいない。」といって若オーオを見た。


ハクは老人に「この若オーオがツクシ島に移り住んでオノコロ人が増えてからだ。それまでは木をヨブコに運ぶ人がいない。」

と説明した。さらに、クマや鹿の毛皮はイヅモが欲しがると思うのでヨブコのイヅモ族に頼んだらよい、と付け加えた。


ハクと若オーオがクマ族と話をしている間、ウラはバサの若い恋人に背中のカメを見せていつものようにぺたぺたと触られていた。

この若い娘はモモの太い腕にもぶら下がったして遊ぶ。ウラたちはこんな感じで、犬とふざけっこをしたりて時間をつぶした。


やがてルヘ老人が「ハク達がタカアマ詣でを済ませて帰るとき、もう一度ここに立ち寄ると良い。ちょうどクマ狩りをする時なのでクマ狩りも観ていくとよい。」といって皆を連れて帰っていった。


【タカアマ】


翌朝早くにハク達はルダの家を出た。昨日おしゃべりを楽しんだ家族はすでにいなかった。

山道を歩いていくつかの旅人たちと出会い、会話をして、タカアマの地に着いたのは翌日の昼前であった。


高千穂峡は川の一部である。両側が切り立った岩となっている。ツクシ人はこの細長い流れを女性に見立てて、この流れからすべての生き物が産まれたという。

この渓谷と形が似ているというのでツクシンボの刺青を顔に彫る。そして自分たちをツクシ人と呼ぶ。

タカアマとはこの一帯を指し、高千穂峡自体はツクシと呼ばれている。


ツクシ人の聖地である。


渓谷の上の台地にはいくつかの小屋があり集まってきた人々が物々交換を行う。彫り師もいてツクシンボの刺青や鹿やイノシシの刺青を彫る。


若オーオが来たときも各地から来たツクシ人でにぎわっていたが百人いるだろうか。大陸の大きないちを見てきた若オーオやハクは特に感動しなかった。


しかし、若オーオにとってここはオノコロ人とツクシ人を結びつける場所であり、このツクシの聖地を敬うことがオノコロ人の将来の安寧につながると思うといくらか厳粛な気分となった。

渓谷をのぞき込むと下には清涼な水が流れている。意外と小さいと若オーオは思った。

数人のツクシ人がこの流れで体を清めている。


ハク達も荷物を台地においた。ツクシでは荷物がなくなる心配はない。

斜面を下って水で服を脱ぎ体を洗った。

ウラは渓谷の奥まで泳ぎたかったが若オーオに止められた。

ここでもウラはツクシ人に背中を触られた。

頭に鳥の羽飾りをかぶっている人々もやってきた。。彼らの男の胸にはクマ族と同じように月の輪の刺青がある。さらにイノシシやウサギとおぼしき刺青がにぎやかに体中に踊っている。

そしてこのソウ族であろう人々もウラの背中にふれて子供のようにはしゃいだ。


ハク達は斜面を台地へと戻り、荷物を持って近くの彫り師のもとに赴いた。


簡単に作られた店が十数軒あってそのうちの三軒ほどが彫り師のように見受けられたので一番近い店へ行く。

顔中に刺青をした婆が店番をしていて、ハク達に声をかけたがハクには理解できない言葉であった。

ハクは「分からない」と北部ツクシ語でいった。

婆は、以後、北部ツクシ語で会話した。


婆はハクに言った。

「あなたは三年前にもきているね。胸の文字に覚えがある。隣の婆さんがあなたにツクシンボの彫り物をした。」

そして隣の婆さんを大声で呼んだ。


さらに続けた。

「カメの刺青の四人組とはあなた達かい。カメを見せておくれ。おう、素晴らしい。胸に新しい彫り物があるね。あのお兄さんも胸に文字を入れてある。あなたの文字の彫り物は輪郭だけだね。これから文字の中も黒く彫っていくのだろうね。」


一方的に喋りまくる婆の周りには人の集まりができた。

婆は十二三歳の若い娘に向かって

「見てごらん。この文字の彫り物。おそらく三本針で彫っている。見事なもんだ。

カメさん、背中を見せて。

ほら、背中のカメは形が良い。彫りはかなり太い一本針を使っている。力強い彫り方だ。」

「クマ族やソウ族の月の輪はもっと太い。ちょっと見ると乱暴だけど、クマ族にふさわしい。」


こんな大きなカメはいないと誰かがいうと、ソウ族の一人がそれを打ち消した。

「いや、もっともっと大きいカメがいる。甲羅に五本のスジがある。ちょうどこの彫り物のようにスジがある。

ただし、食えない。」と笑った。


ハク達四人は上半身裸にされて見世物のようである。


婆がおしゃべりしている間も、ウラのカメは皆から触られていた。そしてなぜかモモも、刺青も何もない背中を触られた。


「カメさんの左腕にある彫り物はなんだい」と婆は聞いた。


ウラの左上腕には点々と刺青がある。


「あまりいい彫り物ではないね。」婆の言葉をハクは呉の言葉で若オーオに伝え、若オーオはそれをオノコロ語にしてウラに伝える。


ウラは答えた。


「これは自分で彫った。オノコロを出てツクシノシマにきて、そして今タカアマにいる。

この一番上の点が、オノコロを出たとき。次の点はツクシノシマに来た時。その次の点はヨブコ。その次の横に並んだ点は月が満ちたしるし。」


要は日記である。毎日点を打つわけではない。しるしを付けて、満月には横に点を打つ。

寝ながらその点をさわってその時々のことを思い出す。打てる場所には限りがあるので重要な日に刺青を入れるのである。


ちなみに若オーオは仮の刺青、数日たつと消えてしまうのを左腕に描いて、それが消えてしまわないうちに竹の板に文字として記録する。

ハクは毎日記録をとっている。彼もまた竹簡に文字を書く。


モモは若オーオをまねて仮炭で手に記録し、数日おきに竹簡に文字で記録する。


ウラは文字を書けないので直接に腕に記録しておく。


ウラは「この刺青は自分で彫ったものだ。へただと思う」と婆に笑いながら返した。


オノコロの三人はツクシの刺青を額に彫ってもらい、お礼にハマグリの塩を十個ほど渡してクマ族の家を目指した。


【クマ狩り】


翌々日、ルダの家に泊まったハク達は、エイ、ヤアという威勢のいい掛け声で目を覚ました。

昨日の夜には沢山の若者たちが泊まっていた二軒の若者宿は誰もいない。ハク達は声を頼りに近くの森に行ってみた。


若者が何十人も集まっている。


大きな木の人の背丈ほどのところにクズやススキが巻かれており、若者はそれをまとにして槍に見立てた棒を打っている。

的から二メートルほど離れたところから「ヤア」と一挙に近寄って棒を刺し、刺すと同時にまた二メートルほど遠ざかる。


それを繰り返す。年長が若者に刺し方を指導している。

あちらこちらでそれを行っている。


背の高いルダ、がっしりしたタダ、まだ十五歳くらいのバサを見かけたハク達はその集団の訓練を眺めた。


ルダは槍を持って周辺全体を見ている。

タダはバサに棒の打ち方を指導しているようである。

タダはときおり皆に打ち方を見せて、バサや他の若者に伝える。

ルダ以外は汗びっしょりである。


離れては棒を刺し、飛びのき、刺さったままの棒を抜き、そしてまた離れては棒を刺す。


人懐っこいクマ族もこの訓練中は笑顔がない。真剣である。


若者の指導をしているタダはやがてハク達に気づいたが無視していた。


若オーオはこうした訓練を楚で見た。苦役で楚に従軍したときである。数千人で構成される楚の軍隊のうちの一部がこのような軍事訓練をしていた。百人ほどもいたであろうか。

楚の軍隊のほとんどは駆り出された農民である。彼らはこうした訓練はしない。

役務として荷物運びなどを行い、戦いにおいては槍を持たされる。弓を射ることもあるが農民部隊は槍一本を持って戦場に赴く。


若オーオは何度か従軍したが部隊が敵と真正面から戦ったことはない。

これらの部隊の城攻めの手法は色々であった。


以下、若オーオが聞いた話である。


敵の城、つまりは土塀で囲われた街にまづ使いを送り、無条件降伏を促す。

罪状を読み上げる。この城は楚にも貢いでいるが同時に越にも貢いでいる。許しがたい。と。

両勢力に挟まれた地域はほとんどが両国に貢ぐ。オノコロも同じように楚と越に貢いでいる。


降伏した場合は軍隊はこの街に入り物を奪う。女を犯す。

まったく奪わない場合もあるがおおむね占拠したしたばあいは好き放題にする。

そして降伏した城に対して次の目標である城を落とすように指示する。


悲惨なのは敵軍の応援をまって逆らったときである。城と言っても地方の小さな城である。千人もいないのがほとんどである。

城を攻められて降伏する。

捕虜は穴を掘らされ、年寄りや子供はそこに埋められる。

若い捕虜の半分ほどは埋めれる。残ったものは奴隷のような扱いで苦役を受ける。


そしてこれらの土地は武勲のあったものに、後に与えられる。あるいは城の住民で城を裏切って開門した者に与えられる。

土地をもらった者は小さいながらも王様のようなものである。しもべは多くても千人程度であるがその中では好き勝手にできた。

もちろん以後、上部の人間に多大な付け届けを行わないといけない。怠るとつぶされる。

欲深い人々にとって戦乱は王様になる機会でもあった。


若オーオが聞いた話はここまでである。


若オーオはそうした話とともに楚に従軍した当時をおもいだしていた。


若オーオはそんな悲惨なことがあったという土地を西へ西へと従軍した。


目指すのはそのころ台頭してきたしんの出城である。

長江中流域にある湖にあるウーハンという楚の城が秦に獲られた。楚にとって、この城は西域との交流の重要拠点である。

楚に追われた難民もこの城に逃げ込んでおり、普段は五千人程度の城が五万人くらいまで膨らんでいた。

楚はウーハン城を取り囲み兵糧攻めにした。すでに五か月がたつ。それでも降伏しない。


城の裏手にある葦のうっそうと生い茂った湿地が抜け道になっているのではないかとにらんだ楚はオノコロを呼んだ。


潜水の得意なオノコロに目を付けて十人程度の潜水の達者なものを差し出すようにオーオ家に命じた。


若オーオは湿地を綿密に調べ上げた。そして夜陰に紛れて城から脱出する人々、逆に城に食料や薪を運ぶ舟の隊列を発見し報告した。


楚は報告を受けると湿地帯を大きく取り囲むように軍を移動し食料の城への流入を絶った。

それから三か月ほどでウーハン城は降伏した。降伏後も二月ほど兵糧攻めを続けた。


楚が入城したときは約四万人が餓死していたという。


この兵糧攻めの時に若オーオは劉燕りゅうえんという楚の流れをくむ平和主義の若者と出会い義兄弟の契り(ちぎり)を結んだ。

また、この戦争を通じてオノコロ族の大陸からの脱出を本気で考えるようになった。


さて、クマ族の訓練である。

若オーオは棒を槍に見立てて木に刺すのはクマとの戦いを想定してのことであろうと理解した。

もし、オノコロ族とクマ族にいさかいがあって戦いがあった場合、オノコロ族はとても勝てないであろうと思った。


オノコロは農民であり、漁猟の民である。クマ族のような機敏な動きはできないし、まづ気構えが全く違う。

クマ族十人に対して百人のオノコロ族が戦ってもオノコロは負けるだろう、そう思った。


若い指導者ルダが「オー」と声を張り上げた。

休憩の合図である。

訓練していた若者たちはその場に座り込んだり、水を求めて散ったりした。


がっしりしたタダがハク達のもとに来た。

「明日、クマ狩りだ。今日はそのためのおさらい」と言いつつ

「やってみるか」と棒をモモに渡した。


棒の持ち手にはクマの毛皮から作られたとおぼしきヒモが巻かれている。滑り止めのようである。

モモは持ってみたが重い。モモが普段持っている槍は太さが一センチくらいだがこれは五センチほどの太さがある。


近くの木の巻き藁に向けて、クマ族をまねてモモはエイっとばかりに突き刺したが、棒は跳ね返されてモモの手にはしびれが残った。

つまり、失敗した。


それを見ていた十歳くらいの少年が、笑顔でモモに近づいてきて「これを使って御覧」という感じで棒を取り替えた。

少年の棒は少し細くて軽い。


少年は木からちょっと離れて、棒を持たずにヤアと声を上げて突き刺す仕草をした。そしてすぐに退いた。

出足が鋭い。引き足も速い。


モモは少年の棒でまねたが巻き藁には刺さらない。


まわりの若者たちはそれを見て笑ったが、からかうような笑いではない。初めてならそんなもんだろうという、親しみを込めた笑顔である。


ウラにもやってみないかと声がかかったがウラは断った。体のおおきなモモにもできないのに自分にできるとは思えなかった。


ハクはタダに「あの小さな子もクマの刺青をしている。なぜそれより大きいバサには刺青がないのか」と聞いた。


タダは「バサは私の弟だ。」といった。

兄弟は何人もいたが皆体が弱くてもう死んでしまった。

ただ一人の弟だ。バサも体が弱かった。それでクマ狩りには連れて行けなかった。

今度も見送りたかったが、バサは嫁を貰うので男としてクマの彫り物が胸に欲しいとせがんだので今回は連れていく。

と説明した。


続けて、「バサは弓が誰よりもうまい。たぶんここにいる誰よりもうまい。」と言ってバサに弓を披露するように告げた。

バサは弓と矢を持ってきて遠くの木を指さして、「あれに当てる」といい、ヒョウと放った。

続けざまに三本射たが三本とも同じところに当たった。


タダはさらに「この棒の先に矢じりを付ける。がクマはこの槍が十本刺さっても死なない。」と説明した。

斜面を指さして、あの斜面にクマがいる。と言った。ワラビとりの時に村人が見ているし、この間はクマの糞が見つかっている。

という。


斜面全体を皆で囲んでなり物を鳴らし、クマ犬も吠えさせてクマを斜面下の穴に追い込む。斜面から穴までは杭を沢山打ち込んでおり斜面を下ったクマは穴に落ちるしかない。落ちたクマはたくさんの槍を浴びて絶命する。と、クマ狩りのあらかたを説明した。


「あなたたちはあのやぐらの上から見てほしい。やぐらにはクマ返しがあるのでクマは上まで登れない。」とクマ狩りを行う斜面の下にある櫓を指さした。「よい、と言われるまでは下に降りないようにおねがいします」と付け加えた。


若オーオはクマ狩りとはかなり危険な猟であることがなんとなくわかった。


ほどなく、訓練が再開された。


離れたところで赤い服を着飾った少女がそれをクマ犬とともに眺めている。バサのいいなずけのようである。

ウラはそれをみて、妹を思い出していた。



翌朝早くから若者宿はあわただしかった。若者たちと犬たちは静かに山に向かった。

全員が山に行くのではないようである。クマが万一集落方面に逃げた場合を想定して若者の半分ほどは集落各所に散った。


ハク達は指定された櫓に水や食料をもって上った。

櫓にはルヘ長老と三人の若者が陣取っている。櫓からはクマを最後に仕留める穴もよく見えた。穴の両脇には八の字様に太い杭が斜面まで続いている。

そして穴近くにルダと数人の壮年が佇んでいた。


ハクは櫓からぐるりを見渡した。巨木の森をじっと眺めて、やはり木が欲しいと思った。

若オーオは斜面を登るクマ族を眺めていた。静かに登っていく。ときおり上るその姿が見えた。犬も見えた。

静かに斜面全体を取り囲む姿は楚の軍隊よりも統制が盗れているように思えた。


しばらくすると斜面の頂上でキラリと何かが光った。青銅製の穂先が陽にあたって光っているのである。頂上に着いた者が槍を大きく振り回しているのだ。


ハクは青銅器の使い方も色々あるものだと感心した。


穂先がキラキラ光るのをみたルヘ長老は櫓にぶら下がっている板を木づちで三回たたいた。

コーン、コーン、コーンと大きな音が響いた。

それがクマ追いの開始の合図であった。


斜面から一斉に「オー」という叫び声が上がり、また犬も吠えていた。


クマ追いの列が徐々に斜面の下側に狭まってくるのが木立の隙間を移動する人々の姿でいくらかわかる。


追われたクマも見える。立ち止まったり、斜面を上に登ろうとしたり、斜めに走ったりしていたがやがて八の字に開いた杭に阻まれて狭い処へ追い込まれ、最期にはストンと穴に落ちた。


クマが追われているときにルヘ長老はハクに、一度に三頭のクマを仕留めたこともあるとか、イノシシも一緒に入った事もあるとかそんな話をした。


どうも今回は一頭だけらしい。


クマが穴に落ちたのを見たルヘ長老は終わりの合図として板木を三回たたいた。

櫓の上から見ていると集落に分散した人々が集まってくるのが良く見える。


その時に若者三人が櫓に走り寄り大声でルヘ長老に何かを告げた。若者のうちの一人が急いでやぐらを登って、息を切らしながらルヘ長老に早口で何かを告げた。


長老はそれを聞くと板木を五回たたき、間をおいてまた五回叩いた。

穴に集まろうとしていた集落人は立ち止まっている。


ルヘ長老はじめ皆、下に降りた。ハク達はしばらく上から眺めていたが彼らも下に降りた。


クマ狩りに出ていた人々は穴の周りに集まって、その外にクマ狩りに参加していない集落の人々が集まって来た。


輪の中心に初めてクマ狩りに参加したバサと、彼の兄であるタダがいて、バサが泣きそうな顔でルダとルヘ長老に何か話している。

話の内容は聞こえない。時々バサが首を振る。


バサは正座の形で座った。そして背中にしょっている弓と矢を前に置いた。バサの愛犬がバサにまとわりついていたが若者が犬を引き離した。

バサは矢を三本選んで放心したように矢じりを胸に当てた。

タダがその太い右腕をバサの首に巻き付けた。


タダが何か言うとバサはこっくりと首を縦に振っておもむろに体重を矢にかけた。同時にタダはバサの首を絞めた。


おびただしい血がバサの胸から溢れる。タダは首を絞めたまま泣いている。他のクマ族の人も涙を流していた。


ハク達はしばらくそれを眺めていたがやがてルダの家に戻った。ルダの家にも若者宿にも誰もいなかった。


何があったのだろう、とウラは若オーオに問うたが若オーオに分かるはずもない。

集落の誰かに聞くのもはばかれる。長い昼である。まだ太陽は真南にも達していない。

重苦しい雰囲気であるが世話になったタダやルヘ長老に挨拶もなく旅立つこともできなかった。

ハク達はこれまでの旅の話や、大陸の話をして気を紛らわせた。


食事をして、夕刻になっても誰も来ない。クマ狩りと、バサの葬式でクマ族は忙しいのであろう。ハク達は取り残されていた。

長い日であった。


翌朝早くにルダが一人で来た。そして説明した。

バサは親子連れの母クマが突然飛び出してきたので槍を刺した。深くは刺さっていなかったようで槍を払いのけた母クマはバサに向かおうとした。が、子熊が別の方向に走り去ったのを見た母クマは子熊を追って森に消えた。

バサは放心状態であったらしい。


子を連れたクマを傷つけることは、クマ族やソウ族では禁じられている。

それでバサは自ら命を絶った。


すぐに自害する掟はない。ひと月後でもよい。あるいは自害せずに静かに集落を離れてもよい。

バサの兄であるタダはバサの自害直前にそれを聞いたらしい。バサは「あいたくない」とだけ言って自害した。

おそらく許嫁いいなずけに会いたくない、会えば未練が残るという意味だろうとルダは言った。


ルダは、クマ狩りの成功とバサの葬式で昨日はあなたたちに何もできなかった。と謝罪した。

クマ狩りでは時々犠牲者が出る、とも付け加えた。


「ルヘ爺さんがあなた達ともう一度ゆっくり話をしたいと言っていたが、しばらくは無理だろう」とも言った。


ハクは何年か後に木を引き取りに来る。その時は金属の大きな矢じりを持ってくる。そうルヘ長老に伝えてください。とルダに頼んだ。

そして、依存はないよねと言いたげに若オーオを見た。


若オーオは驚いた。クマ族は剽悍ひょうかんな面もあるが根はツクシ人である。木を運ぶような退屈な仕事はできないだろう。ハクはオノコロ人が木を運ぶと決めているようである。だがオノコロがツクシノシマに移住することはまだ決定していない。クマ族との約束を違えると強い反発を生むであろうことは想像できる。

簡単に約束できるようなことではない。


だが、それ以外にオノコロが生き残れる道があるのだろうか。ツクシノシマでは年に一度しかコメができない。

農閑期に木を運べばよいのだよ、とハクは言っているようであった。


ウラとの義兄弟の件や、アヅミ族の重要人物でありそうなハクがオノコロ人をタカアマまで単身で案内していることとか、ハクには一体何が見えているのであろうか、決断力に乏しい、逆に言えば何事にも慎重な若オーオはハクが良く理解できない。

だが、全てハクの言う通りだと思った。


若オーオはハクに「分かった。約束しよう」と告げた。


ハク達はルダにお礼を言い、塩の入ったハマグリを二十個ほど置いてルダの家を後にした。まだ太陽は顔も出していない早朝であった。


集落の外れの丘にバサの許嫁とクマ犬が見えた。許嫁はぼんやり座っている。おそらくはバサの犬であろうがそれが寄り添っていた。

そこがバサの墓なのであろうか。


ウラは許嫁と自分の妹を重ねて、悲しかった。許嫁はここで夜を過ごしたに違いない。ウラはそう思った。

そして自分自身もアヅミを裏切るような行為をしたときはダダのように雄々しく自害するしかないのだと覚悟した。


【再びヨブコ】


ハク達は川を渡り川に沿って西に歩く。

翌日海の香りのする場所まで来たが、そこからは北に向けて歩く。

左に干満の差の大きい海を眺めながら特に何事もなく進む。


さらに翌日、広大な湿地帯に出た。

ハクは、ここは私の知っている中ではツクシノシマでもっとも広い湿原である、と言い、北の遠くに見える山々を指して、あの山のむこうがヨブコであると説明した。


湿地には鹿がいる。あちらこちらに川や池があり、草が生い茂っている。

ツクシ人は鹿を追って湿原に出ることもあるが基本は山の住人である。この湿原でツクシ人を見ることはなかった。


この湿原だけでもオノコロの数倍以上が生活できそうだと若オーオは思った。

ただし、潜水漁はできない。海に行っても遠浅の浜があるだけである。


翌日、ハク一行はヨブコに着いた。


戻ってきた日からハクは忙しかった。若オーオ達オノコロ人を宿舎に残してあちらこちらに出かける。翌日は義弟であるウラを共にして出かけた。


残された若オーオはツクシノシマの北半分の旅を振りかえっている。モモはすることもないので海に潜ったり、釣りをしたりである。

ヨブコの港には巨船が集まっているが、守備隊員に聞くとあれらはイヅモ族の舟であると答えた。

アヅミの巨船は見当たらない。

守備隊員は呉の言葉をしゃべるが元々各地出身の者たちであるのですべての守備隊員が呉の言葉を自由に話すわけではない。

若オーオは呉の言葉がある程度できたが、モモはしゃべれない。

やることもない。



そんな数日が過ぎたとき、ハクが宿舎にやってきた。


「私は旅に出なければならない」と告げた。

オノコロ島は長江の中州である。北はの国であり、南はえつの国である。

この南の越の国に大量の青銅製武器を運ぶという。運ぶのはイヅモであるが、シナ海を支配しているのはアヅミである。

イヅモがアヅミに案内を頼んできたという。


若オーオには何が起きたのか、あるいは起ころうととしているのか分からなかった。

越はハクの祖国であるを滅ぼした。その越に武器を届ける。

ハクもまた自分たち祖国よりもハク自身の財産が大切なのであろうか。あるいは、越が見返りに呉の再興を認めるという取引があったのであろうか。

若オーオはそのあたりの話をたずねなかった。ただ、オノコロ島が今にも攻め込まれそうでうろたえた。


ハクは説明した。


いまヨブコに停泊しているイヅモの船団を引き連れて北へ行く。あの舟たちの半分は空船である。半分には黒曜石や動物の毛皮が積まれている。それを連れて行く。

朝鮮半島の西岸で空船に青銅器を積み、大陸の東岸を南下する。

東岸には越の対立国である楚がある。

楚の港にいる役人たちは利で転ぶ。それで楚の港に寄港できるかもしれないが、あまりあてにはできない。

寄港しながらの旅にはならないかもしれない。目論見としては楚の沖合を一挙に南下して越まで下る。


また、季節もよくない。中国北部から南部への航路は北風の吹く秋から冬が良いが、イヅモは危険を冒してでも初秋には越に入ることを望んでいる。


ノモにいる嫁と子供にも会いたいので出航はおよそ十日後となる。


「一緒に来るか。オノコロの近くでおろす。」


とハクは言ったが、しばらく考えて、いや、もうしばらくツクシノシマの周りを調べたい。と若オーオは答えた。


オノコロの三千人を移住させるに十分な確証を得たかったのである。


ハクは、「良い」といい、その場で木簡に書付を書いた。当時、紙は無かった。木簡に書いた。

「このオノコロ人は呉のハクが保証するので、アヅミの港の人はおろそかにしないように」といった内容の書付である。

それを若オーオに見せて竹筒にいれて封をした。


これを見せればアヅミは悪いことをしない、と言い切って、

「それで、若オーオ、これからどうするのだ」と尋ねた。


「東へ行って見る」と若オーオは答えた。

ツクシノシマの西は海であり、楚がその気になれば一日でツクシノシマに来ることができる。ツクシノシマの南はクマ族、さらにその南にはソウ族がいるが彼らがツクシノシマに移り住んだオノコロ人を襲うことはなさそうである。

北は荒い海であるが、ハクの話を聞く限りは楚のような強国はなさそうだ。


問題は東である。分からないことが多すぎる。


楚がツクシノシマを襲ったとき東に逃げていいものかも分からない。


とりあえず東を見てみたい。とハクに言った。


ハクは、今はようやく春が終わるころであるが、秋風が吹くころまでには北に渡らないともう今年はオノコロに帰れない、できれば夏の間にヨブコの戻ってきて北に渡るようにと助言した。


さらに警備兵を呼んで、青銅製の刀を一振りモモに、短い剣を一本ずつ若オーオとウラに渡した。


ハクはウラを力強く抱きしめて

「弟よ。しばらく会えなくなる。若オーオとモモを頼む。」といって出て行った。


【瀬戸内】


翌日、若オーオとモモとウラは荷物をすべて舟に積んで港を出た。


一番後ろでをこぐのはウラである。若オーオとモモはかいをこいで東に向かった。

瀬戸内までの航路はハクから聞いている。ヨブコからツクシノシマに沿って東に行くとやがて狭い海峡に着く。

ここは川の流れのように海が流れており月の動きによって西流れや東流れに変わる。

これを抜けるとツクシノシマの東に出る。かなり広い海で、ここもまた潮の流れが刻々とかわる。

かつてハクはここから今でいう国東くにさき半島を大きく回って南に行った。


若オーオ達はヨブコを出て二日目に本州と九州の間にある関門海峡の手前にたどり着き、海峡手前で一泊した。

狭い海峡を挟んで陸地がごく近くにある。海峡の水をなめてみたが、海水であった。

西流れでも東流れでも塩水であった。


翌朝東流れにのって海峡を抜け、どことなく見覚えのある地形を見たのであまり舟を進めずにツクシノシマに寄った。

上陸し、そこがタカアマへ行くときに通った場所であることを確認した。


ツクシノシマ沿いに南下して、ツクシノシマを右に見ながら国東半島を東航する。順調な旅である。

この日は小さな島に寄った。

小さいが十家族程度が住んでいる。また、旅人とおぼしき者もいる。


ウラとモモは地元民らしき人に、貧弱なツクシ語と身振りで海にもぐって貝などを獲ってよいか尋ねて、海に潜った。

ツクシノシマの人と違ってこの島の人は泳ぐ。そして潜ってサザエなどを獲ることもできる。

ウラとモモが潜ると彼らも潜って貝や岩にひそむ魚を獲った。

そしてここでもウラは子供たちのおもちゃとなった。ウラのカメの彫り物はこの島にまで伝わっていた。


若オーオは旅人らしき人々にツクシ語で語りかけてみたらいくらか通じた。


黒曜石を採っているとのことであった。なぜかここの黒曜石は白っぽい。


「東へ行くと何があるか」と尋ねた。「海と島がある」と答える。ずっと奥まで行くと沼地があり、その奥には大きな池が三個あるらしいという。

旅人はさらに付け加えた。

「行くのはたいへんむつかしい。この近くの島に行くのでさえ島に住んでいる人でないとむつかしい。」


若オーオは遠くの島を指さして「あそこに行くのもむつかしいのか」と聞いた。

旅人は「むつかしい」と笑った。


海はなぎである。波もない。若オーオは旅人の「むつかしい」というのを無視した。自分の貧弱なツクシ語では良く通じないのだと思った。


この島には川がないが水が地面から湧き出ている。

翌朝、若オーオ達はこの水を汲んで遠くに見える島を目指して舟を漕ぎだした。

思いのほかグングンと島が近づいてくる。これなら昼前に着くだろうと思っていたが潮が変わって若オーオ達は西に流された。

さらに北に流され、南に流される。

天気が良いので周りの陸地もよく見える。東以外は陸に囲まれたさほど大きくもない海域で若オーオ達は潮の流れにもてあそばれた。


遂にはツクシノシマ近くまで流された。


若オーオ達はしかたなくツクシノシマの海岸線に沿って舟を漕ぎ、昨日泊まった姫島に再上陸した。夕刻であった。


昨日あった旅人はまだこの姫島にいた。


「出かけたのではなかったのか」と旅人は問うた。


「いや、この辺りがどうなっているのかグルリと回ってみた。」と若オーオは軽い嘘をついた。

そして

「あそこへ渡るとしたらどうしたらいいのだろう」と北東を指さしてそれとなく訪ねた。


「あれはイワイシマという島である。アキツとは陸続きではない。」と答えた。

アキツは大きな陸地であり、あなた方がセキ(関門海峡)で向こう岸に見た陸地であり、それがずっと東まで広がっていると説明した。


この旅人は、私はあのあたりのイヨに住んでいるとかすかに見える四国を指した。

イヨに戻るにはイワイシマを目指して、島の間を抜けてオオシマに行く。そこで泊まって翌日に南のイヨに渡る、といった。

オオシマがあのあたりの中心であり、人も多い。いろいろな物も手に入るとも言った。


そして、もしオオシマに行くのであれば明日ならば朝早く、空が白みかけたときに目指すとよい。遅れると渡れなくなる。と教えてくれた。


若オーオ達は旅人の黒曜石採りを手伝ったり、海に潜って魚を獲ったりしてこの日はつぶし、翌朝早くにオオシマへ出航した。

出かけるときはもう旅人は起きており、今日も戻ってくるのかと若オーオ達に聞いたが、若オーオは「気が向けば戻ってくる」と笑った。


潮が変わるのを恐れて、若オーオ達はオオシマを目指して全力で漕いだ。


モモは櫂を漕ぎながら、若オーオが旅人に嘘を言ったことを思い出していた。

若オーオはオノコロ島の指導者の一人である。モモにはとても遠い存在であったがその若オーオが体裁を保つために嘘をついた。

若オーオも人なのだと少し親しみができた。


昼前にはオオシマに着いた。人が多い。多いが半端なツクシ語がなかなか通じない。それでも中にはツクシノシマの言葉が分かる人も居て、そうした人にさらに東に行くにはどうしたらよいのか聞いた。

今日は無理だ、明日潮の流れが変わるのを待ったほうがいいという。


そんな感じの航海がひと月ほど続く。目の前に見えている島にも渡れないときもある。雨の日もあるし、海があれている時もある。

波が穏やかな時も一日中舟を漕ぐこともない。半日にも満たない間だけ漕ぐ。潮を教えてもらいながら島を渡っていく。

東へ行くほどに覚えたてのツクシ語は通じなくなる。


言葉は通じないがみな親切で人懐こかった。ツクシノシマの人と同じく警戒心もない。

どの島も小さな子が多く、犬も同じくらいいた。

ただ十五歳くらいの子は少なく、そこまで大きくなる前に病気などで死んでいくようであった。


潮を待つ間にウラとモモは潜ってエビや魚を獲る。瀬戸内の人々は泳ぐがあまり潜ってまでして獲物を獲らない。

そんなことをしなくても貝や魚はとれる。山に行けば山菜もある。

ウラとモモは獲った獲物を現地の人に渡す。本当は迷惑なのかもしれないが他にお礼の仕様もないため渡すのである。

皆、ありがとうと受け取ってくれた。


どこへ行っても泊まっていけと誘われる。とくに、老人でツクシ語を話せる人はツクシノシマの話を聞きたがった。

そんなのんきな旅であった。


瀬戸内の島々には田にふさわしい土地はない。が、アキツと呼ばれる本州側にはいくらでもそういった土地があった。

若オーオの見立てではこの瀬戸内地方は異民族に追われた形跡がなかった。


だいたい、この瀬戸内という複雑怪奇な潮の流れに守られた場所をどうやって攻め落とすのか。

ある島を攻める。島民は隣の島に逃げる。異民族がその隣の島を攻めようにも潮流があって、その潮流を知らなければ隣の島には渡れない。


また、何を求めてこの島々を攻めるのか。

そんなことを考えながら若オーオは東に航海した。


【アスカ】


若オーオ達は左に陸地を見ながら進んでいる。やがて南に広大な湿地帯をみた。現在の大阪であるが当時は湿地帯である。

果てしもなく湿地が広がっている。鳥が多い。

湿地帯の中に台地がある。上町台地である。この台地と北の陸地はやや狭くなっているがそれでも十分にひろい海である。


この水路を抜けてさらに東に進む。

若オーオ達はここの水は塩水と淡水の混ざった汽水であることに気が付いた。

やがて潮が引き始め、舟を前に進めるのが難しくなり遂には舟底が湿地に接した。南に幅広い川筋が見えるがそこにたどり着くすべがない。降りて舟を引こうにも周りはズブズブと沈む湿地である。降りることもできない。

どうしようもないのでそのまま潮が満ち上がるまで待つ。待っている間に暗くなっていた。

陸地に上がることもできないのでそのままその日は窮屈ながら舟で夜を明かした。


朝になってようやく潮が満ち始めたので舟を南の川に向けて進めた。

そして大きな湖にたどり着いた。

この湖の水はわずかに塩分を含んでいた。上町台地の東側に広がる湖である。今では平野となっている。


翌日、湖畔を左に見ながら舟を進める。やがて穏やかな川があった。それを上流に漕いだ。


山の間を抜けていくとそこにも大きな湖があった。完全に淡水の湖である。

おびただしい数の水鳥が群れている湖でもあった。奈良盆地の南半分ほどを占める古奈良湖である。


この湖の南端付近の丘に舟を引き上げた。南には湿り気を含んだ荒れ地が遠くまで広がっている。古奈良湖が干上がってできた平野である。今の地名でいうとアスカである。


荷物になるのでアヅミから渡された青銅の刀は舟に置いて杖代わりの槍をそれぞれ持った。


ここに住む人々がツクシノシマや瀬戸内海で出会った人々と同じように穏やかであるとは限らない。

だが、若オーオは信じた。まだ出会ってはいないがこの湖畔に住む人々も優しいであろう。


湖のほとりに広がる湿地を取り囲むように南と東には山脈があった。


若オーオは

「三日ほどあたりを歩いてみよう。」

とモモとウラに告げた。

食料や、交易に使う塩などをそれぞれ担いで、当てもないが小川に沿って南の山裾を目指した。


人がいない。


しかし、小川には魚を獲るためであろう、石で小川を一部せき止めているヤナもあったし罠も見受けられた。

緩やかな流れには幅が二十センチ程度、長さが五メートル程度の木の皮がいくつか置かれていた。

木の皮を水にさらして繊維をとり布を作るのである。


天気は良かった。


その川のほとりで若オーオ達は食事をとった。


食事をしている時に犬の吠える声がして、その声がだんだん近づいてきた。

やがて若オーオ達は六匹の犬に囲まれた。ツクシノシマでよく見かけた小さな犬に似ている。

そして犬に連れられたアスカひともやってきた。

男二人とその家族であろうか、女性が二人と子供が二人。それぞれが籠をもっており、そのかごには山菜と思われるものが見えた。


一人の男が犬の頭をなでながら若オーオに何か言った。

が、若オーオには理解できない。言葉が通じない。

アスカ人はアスカ人同士でなにかしゃべっているがまったくわからない。


若オーオは傍らに置いてある荷袋の中身をすべて地面に並べ始めた。

ウラとモモもそれに倣った。


犬たちがそれを咥えようしたがアスカ人に怒られておとなしく座った。


若オーオは荷を並べながら自分たちはオノコロ人でありツクシノシマから海を渡ってここに来た、とかいろいろしゃべったがもちろん通じない。


米や醤油、塩、布切れ、姫島で手に入れた黒曜石、干した魚などすべてが並べられた。

杖代わりの槍も置いて、ついでに上着もとった。


ウラの背のカメにアスカ人はちょっと興味があるようであったがいきなり触ったりはしなかった。


若オーオは塩の容器を一つとった。塩はハマグリにいれてそれを葉でくるみヒモで巻いている。

ひもを解いて外装である葉を外しハマグリ貝を取り出して貝を開けた。

その中にある塩を指に付けてなめてみせて、アスカ人に差し出す。

アスカ人も若オーオと同じように指に付けてなめてみた。


アスカ人はアスカの言葉で「これは塩だ」と言い他のアスカ人に回した。


若オーオはアスカ人ひとりひとりに塩の容器を一つづつ渡す。

その間も若オーオは自分たちがここに来るまでのことを色々としゃべった。


若オーオ達は急いで食事を済ませた。その間、アスカ人はのんびりその様子を眺めている。


荷物をまとめると若オーオはアスカ人に私たちは三日ほどこの辺りを回ってみるつもりだといったが当然通じない。


若オーオは右手で太陽を指さして、その指さした手を西に動かして太陽が沈む様子を表し、左手の指を一本立てた。

そしてそれを繰り返し指が三本になるとここから帰るという仕草をしたがうまく伝わらない。


若オーオは舟に戻って説明することにした。

アスカ人達についてくるように仕草し、舟までのおよそ一時間の道を戻った。


アスカ人に舟を見せ、舟を漕ぐ格好をし、太陽を指さしてその太陽が昇って沈むのを手で示し、一日を指一本で表すことを再び繰り返し、指を何回も立てたり折ったりして見せた。


そしてまた太陽を指さして昇って沈むのを手で示し、指をたてて、指が三本になったときに舟にのって漕ぎだす格好をした。


通じたのか、通じてないのか全く分からない。

アスカ人は若オーオ達についてくるようにといった仕草をして歩き出した。


しばらくついていくと集落が見えた。

茅葺の割と大きな家が十軒ほどある。

ただしカヤはどの家も裏側が外されていた。風通しを良くしているのであろう。


集落付近にたむろしている人々に、若オーオ達を連れてきたアスカ人は何かを大声で叫んだ。

皆が集まってくる。


アスカ人は集落の一軒に荷物を下ろして若オーオ達を別の家に案内した。


家にはがっしりとした体格の若者二人と、老人がいた。集落の人々は若オーオ達を珍し気に囲んでいる。

老人を見た若オーオは彼が村の長であろうと判断し、先ほどと同じように荷を解いて地面にすべて並べた。

そして三日分の食料などを除いた品々を長老に差し出した。


塩の入った沢山の貝、黒曜石、オノコロから持ってきた布などを渡した。

若オーオはもうこの先を調査する気がなかったのでほとんどの荷をアスカ人に渡した。


そのあいだにも若オーオは覚えたてのツクシ語や呉の言葉やオノコロ語でずっと語り掛けたが通じることはなかった。


ただ長老は「ツクシノシマ」という単語に反応し、また若オーオ達のツクシンボの刺青をそっとなぜて周りのアスカ人になにやら伝えた。


言葉は通じない。が、若オーオはここに三日ほど滞在してそのあとはツクシノシマに帰るということは理解してもらえたと思った。


長老は彼らを商人だと考えた。長老はかつて上町台地までは行ったことがある。

そこから見える淡路島の向こうにも海が広がってたくさんの島があることは知っていた。

そして時折その海を渡って商人が来ることも知っていた。その商人たちは上町台地辺りにはめぼしいものがないのが分かると静かに去っていった。

アスカまで来る商人は初めてであるが何かを求めてきたのだろうと思った。


どうやら三日ばかりこの辺りを見てみたいと言っているようである。

塩や布や黒曜石ももらったし危険な人々ではないようであるので、長老は若者五人に命じてかれらオノコロ人が行きたい場所に案内するように伝えた。


そんな感じで、若オーオは南の高台に登って古奈良湖を眺めたり、その湖のほとりを歩いたりした。


そして三日後の朝にアスカ人に別れを告げて舟にのった。しとしとと雨が降っていた。

船出の時は別れを惜しむかのように多くのアスカ人達が舟までやってきた。


(長老は彼らはもう来ないだろうと周りに言ったが、およそ三か月後にウラが一人でやってきてアスカ人を驚かせた。

さらに数年後には若オーオが数百人を連れてアスカの湿地帯に住み着きはじめた。

これらは先の話である。)


【再びヨブコ】


アスカの地を離れた若オーオ達は雨の中を来た航路を西に向かい、ひと月以上かかってツクシノシマに戻った。


アスカの東には何があるのだろう、と若オーオは思った。

ただアスカ人の感触からアスカの土地を脅かすような国は東には無いような気がした。


オノコロ人は大国に追われて今の上海にいる。そして今、オノコロは南の越と北の楚に挟まれてほっておけば滅ぼされる運命にある。

とりあえずはツクシノシマに移住し、頃合いを見てアスカに移住しようと心配性の若オーオは考えた。


ヨブコに到着したが、ハクは旅に出ているという。

越に青銅の武器を運んでいるに違いない。


ヨブコのアヅミの守備隊長は、若オーオ達がオノコロに帰るならば今年は今が最後の便になるだろうという。

これからは台風が来るし、冬は危険すぎて半島には渡れないという。


若オーオは一旦オノコロに帰ることにした。

ウラはツクシノシマに残ってあちこちを旅すると言った。帰るよりもそのほうがおもしろそうだと思った。


モモもウラと残って一緒に旅をするといったが、若オーオに止められた。

「モモ、カナが待っているよ。」


カナはオノコロの巫女である。


オノコロ山の中腹に巫女の住居がある。住居に隣接して記録所がある。記録書には何十年にもわたる記録が保管されてる。

日々の天気、稲の取れ高、その日のトピックがほそい板一枚に一日分の記録を漢字で記してある。

しかし巫女たちの知っている漢字は細かなことを記載しうるレベルではないので、ある意味、記号のようなものであり、台風の記録などといった重要な事項は、折りつけて大巫女から巫女へ口伝で伝えられていた。

つまり巫女は漢字の読み書きができた。


また、オノコロ島の稲の取れ高や人口なども記録し、不作の時は共有の田のコメや保管しているコメを平等に分けたりするための算数も知っていた。計算には算木を使う。


巫女の住居の東側に鳥居がある。

鳥居から少し離れた朝日観測台から鳥居を眺める。この場所からであれば朝日は冬至であれば右側の柱すれすれから登り、夏至であれば東側の柱すれすれから登る。

鳥居の柱は太陽歴での季節を観測する基準となり、それを毎日記録する。


朝日観測台から少し上ったところにある波見台からは波を観測する。

ここからは鳥居の上の桟と下の桟の間に見える波を観測する。主には台風の予測のためである。


台風発生していると長い波長のうねりが見える。上下の桟の間に見えるうねりを数える。うねりの数が少なければ台風は遠い。

台風が近づくにしたがってうねりの数は多くなりまたうねりの大きさも大きくなる。


少し細かに言えば、台風が琉球列島より東にあれば、うねりは島々によって回析されるのでうねりはいくつものうねりの合成となり複雑な模様を描くが、琉球列島を超えてオノコロ島に近づくとうねりは単純な模様となり大きさも大きくなる。


カナは幼いころは体が弱かった。それでやしろにあずけられた。


カナは何をおもったか、昨年突然にモモと一緒になると若オーオにいった。

いつも明るいカナが、いつものように明るくそういった。


モモの母親にはすでに告げていると言う。


若オーオは巫女たちとのもめ事を嫌った。


モモをツクシノシマに残すと幼さの残るカナが駄々をこねるであろう。


若オーオとモモはオノコロに戻ることにして、ウラだけがツクシノシマに残った。


(続く)

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