【特別編】一日遅れのバレンタイン
特別企画の、バレンタインものです。タイトル通り、一日遅れで。
もう皆さん覚えてないかもですが、杏には彼氏がいました。今回はその、彼氏との馴れ初めのお話……
「はぁ……ふぅ」
ドキドキと、自分の胸が……いや心臓が脈打っているのを感じる。これは、まるで長距離走を走った直後のよう。
でも、そのドキドキとは意味合いがまるで違う。疲労からのドキドキじゃなくて、緊張からのドキドキだ。緊張でこんなにドキドキするなんて、高校受験以来かもしれない。あれ、そんなに遠くないか。とにかく、深呼吸。
今日は、2月15日……高校初の、バレンタイン。その翌日だ。本来ならば、昨日渡そうと思っていたチョコが、私の手の中に今ある。
「あー、吐きそう」
昨日渡そうと思っていたチョコがここにある理由。それは考えるまでもなく、昨日渡そうと思っていた相手に渡せなかったから。渡せなかった理由は、彼の周りに常に人がいてタイミングが図れなかった……いや、ただ私に勇気がなかっただけだ。
他にもたくさんの子が渡していたし、私も勇気があればなぁ。
放課後、空き教室……今私がいるここに、彼を呼んでいる。まだ彼は来てないけれど。昨日は忙しそうで呼べなかったし、どうせ渡せなかったのだから、翌日渡してもいいんじゃないか、と無理やり納得させた。その方が、印象に残るかもしれないし。
一日遅れのバレンタイン。もちろんそれをしているのが私だけとは思わないけど、昨日ほど彼の周りに人はいなかった。だから、なんとか放課後の呼び出しをすることができた。
「んー、やっぱりまだ早かったかな。髪とか大丈夫だよね」
彼とは同じクラスだけど、用事があるとかで遅れると言われた。まさかすっぽかされたりはしないだろうけど……
スポーツ万能成績優秀と、絵に描いたような彼に惹かれたのは、入学してからわりとすぐのことだった。きっかけはなんだったっけ……気がついたら、彼を目で追っていた。
顔がいいとか、性格が優しいとか、挙げればキリがないんだろうけど……これが初恋ってやつなのかと、気がついたときにはもう遅かった。彼に話しかけられると、視線が会うだけでもドキドキしてしまう。
だから今年のバレンタインで、告白しようと決めた。一日遅れちゃったけど。彼に恋人がいるとは聞いたことないし、私にもチャンスはある……と思う。まあ美人な子はいっぱいいるし、誰々がフラれたって話も。
私には無理かなとは思っても、どうしても諦めきれない。告白せずにただじっとして後悔してしまうくらいなら、告白してフラれた方がさっぱりする。……フラれたいわけじゃ、ないけど。
「はぁー、ぅー、んー……」
「……どうかした?」
「わひゃ!?」
緊張のあまり唸る……そこへ、声をかけられた。変な声を出してしまった。恥ずかしい。
声のした方向……教室の出入り口だ。そこを見ると……
「か、神城くん……」
「遅くなってごめんね」
そこにいたのは、私が呼んだ張本人。神城 奏多くんだ。いつも誰かしら側にいるが、今は一人……呼び出しを受けて、誰かと来るようなことは神城くんはしないだろう。
けど、うわぁ……嬉しいはずなのに、めっちゃ緊張してきた。
「あ、いや、別に、今来たところだし……」
うわわ、なに言ってるんだ私。デートの待ち合わせか!
うぅ、緊張する。逃げ出したい。でも、せっかく呼び出したんだし、チョコ持ってきたんだし、ここで勇気を出さずしてどうするんだ!
「それで、用事っていうのは……」
「うひゃ!?」
「?」
こ、こっちから切り出す前に、向こうから話しかけてくれた……せ、せっかく心の準備を整えていたのに。いや、待ち時間中準備してはいたんだけど。また変な声出しちゃった。
ええい、覚悟を決めろ熊谷 杏! 女は度胸! 当たって砕けろ!
「あ、あの神城くん! ここ、これよかったら、どど、どうぞ!」
目をぎゅっと瞑り、後ろ手に隠していたチョコを差し出す。めっちゃ噛んだ……
あぁ変に思われてるだろうなぁ。帰りたい……
「これ……もしかして、チョコ?」
「えっ、あぁ、うん……」
今日はバレンタインではないけれど、前日だったし、差し出した箱の大きさから予測したようだ。
恐る恐る目を開ける。神城くんは不思議そうに、首をかしげていて。
「えっと、もしかしなくてもバレンタインの? でも、今日は……」
「う、うん、ホントは昨日渡そうと思ったんだけどね、タイミングがねわからなくてね、だけどあの、一日遅れちゃったけどわた、渡せたらなって!」
自分でも驚くくらい、口早に告げる。うぅ、これじゃ言いたいこともうまく伝わらないよぅ。
そのまま、返事を待つ。もしかしたらこのまま呆れられて帰られちゃうかも……そう、思っていた。
「そっか……嬉しいよ」
「……へ?」
あれ、今……嬉しい、って? 私の、チョコを?
「いや、昨日貰えなかったからさ。てっきりそういうことなのかなって思ってたから、嬉しくて」
「へ……え?」
な、なになに、なにが起きてるの? 昨日貰えなかったって……私に? え、私に貰えなかったことを、気にしてたの?
それで貰えて、嬉しいって……そ、それって……
「ねー、もしかして手作りだったり?」
「え、あ、うん。一応……お母さんに、手伝ってもらって、だけど……」
「うわぁ、そうなんだ! すげえ嬉しい!」
か、神城くんが私のチョコを貰って、嬉しいって、喜んでいる。す、すごい、胸があったかくなってくる。
こ、これは……もしかして良い雰囲気なんじゃ? いや、早まるな私……期待した分、その反動は大きいぞ。良い方にも、悪い方にも。
あくまで……自分の想いを伝えることだけに、神経を集中させるんだ。その先のことは考えない。ただ、想いを……
「あ、あの……神城くん! 私……!」
……好きだと、その言葉を伝えるだけのことで、どれだけの時間を過ごしただろう。しかも、それを伝えたところで必ずしも報われるとは限らない。
相手にすでに恋人がいる可能性や、他に好きな子がいる可能性、自分は眼中に見られていない可能性、いろいろある。いろいろあって、だけどそれでも、抑えられない気持ちというのもあって。
今回私は、運良く相手に恋人も、他に好きな人もいなかったし、私のことを…………でも、もしそうでなくても、告白はしていたのかもしれない。していなかったのかもしれない。それは、わからない。
勇気を出した想いを、チョコと一緒に。報われても報われなくても、悔いが残らないように。
「あなたが、好きです!」
…………想いが通じるのは、運が良かった……それだけのことかもしれない。もし通じなかったとしても、それでも後悔はしなかっただろう。だってそれは、私が選んだ道だから。
だから、大切な日となったこの日を、来年も彼と迎えたいなと、本心からそう思えて……この日は、生涯忘れることはないと、この時は、思っていた。
さて、これにて特別編終了です。結末まで書かないのは、まあこういう切り方もありかなと。
最後に不穏な文章で占めましたが、ご存知の通りこの一年後にはもうこの世界には杏はいません。この日の思い出も、杏の中に残っていたのか……わからない、ですね。




