氷の獣の心の中
……目の前の女は、アンによく似たにおいがしていた。
アン本人から、彼女が妹であると聞いた。彼女は生き別れた妹であり、事実としてアンがこっちの世界に召喚されている間に死んでしまったらしい。
それが、この世界で再会した。その話が嘘だとは思わなかったし、なにより二人のにおいが似ていた。それこそ、二人が実の姉妹であるなによりの証拠だ。
正直、うらやましいと思った。死んでしまった妹と、また会うことができたというのだから。アンは自分の正体を明かしては、いないようだけど。それでも、もう会えないと思っていた相手と会えるというのは、なんて幸せなことだろう。
ボクには、家族がいた。母がいた。父がいた。妹がいた。自分で言うのもなんだけど、平凡で幸せな日常を過ごしていたと思う。それが、あの日突然崩された。
村は焼かれ、仲間も家族も、目の前で死んで……殺されていった。抵抗したけどそれも構わず、ボクを残してみんな殺された。ボクだけが生き残った。生き残ってしまった。
なんでボクだったのか、そこに深い意味はないんだろう。元々氷狼を一匹だけ捕まえに来たようだったし、誰でもよかったんだ。誰でもよかったんなら、ボクも殺してほしかった。一人だけ生き残っても、意味なんてない。
その後奴隷として売られそうになったところを、アン・クーマと名乗っていた女に助けられる形で解放された。それが『英雄』と呼ばれていたアンズ・クマガイだと理解したのはもう少しあとのことだけど、初対面の名残から今も彼女のことはアンと呼んでいる。
正直、奴隷として売られようが解放されようが、もうボクに生きる意味はないし関係ないと思っていた。でも、忘れられない……頭の中に残っている、故郷を滅ぼした、みんなを殺した人間たちへの憎しみ。
『イヤァアアア!』
『痛い、痛いよぉ!』
頭の中から、離れない。消えてくれない、みんなの断末魔。それが聞こえる度、自暴自棄になっていたはずのボクの中で別の感情が、渦巻いていく。
だから……アンの、復讐の旅に付き合うことにした。アンの瞳に、ボクの感じているものと同じものが見えたから。それに、怒りや憎しみといった負の感情独特のにおい……それを、強く感じた。
出会った当初、なんでこの人間はこんな目とにおいをしているのだろうと思った。だからだろうか、興味が沸いた。着いていけば、きっとボクの望みも叶えられると……そう、直感があった。
その直感は、正しかった。あの日、故郷を滅ぼした奴ら……マルゴニア王国の人間を、一人残らず殺すことができた。あの瞬間、久しく忘れていた気持ちを思い出せた……そう、喜びの気持ち。
みんなの仇を討てて、あの日以来忘れていた喜びの感情が沸き上がってくるのを感じた。ついにやった、やってやったと。
「……」
目的は果たしたけれど、憎しみの炎は消えてはくれない。それに、ボクに復讐の機会を与えてくれたアンにこのまま着いていくのも、悪くないと思った。
口には出さないけど、実は結構感謝している。感謝していたんだ……道中、いろいろなことがあったけど。馴れ合うつもりはなくても、それなりにうまくやってきたと思っていた。それなのに……
『いいんじゃ、ないかな……この国は、後回しで……』
その一言が、耐え難く許せなかった。なんでそんなことを言うのか、瞬間的に理解できなかった。けれど、この国に来てから……いや、アンと似たにおいを漂わせるあの女に会ってから、予感はあった。
理由はそう、会えないと思っていた妹がいたからだ。だからアンは、ここに来て、これまでいろんな人を殺しておいて、躊躇した。
死んだ妹と会えた……その気持ちは、ボクにはよくわかるし、絶対に理解できないものだ。そんな奇跡、あり得ない。それが、ボクの身に訪れることなんて。
だから、あの時感じたアンのにおい……今まで怒りと憎しみに支配されていた中に生まれた、幸せのにおい。幸福を感じさせるそれが、ひどく腹立たしかった。妹に会うことができたアンの幸せが、ボクには耐え難いほどに恨めしかった。
なんで、ボクは全部奪われたのに、アンにはまだ残っている。アンも全部奪われたんじゃないのか。なのに、なんでそんな顔をする。なんでそんなにおいをさせる。なんでボクに、あの時のどうしようもない気持ちを味わわせるんだ。
なんで……なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!
……あの時ボクは、アンに、嫉妬したんだ。だから……
ズブッ……!
「っ……ぁ……!」
その幸せを、ボクがぶち壊す。アンが会えた妹を、ボクが殺すことで。そして、もう一緒の道を歩くことができないアンも、ボクの手で……
すべてを終わらせる。この場で、アンの妹も、あの変な男も、そしてアン自身も……みんな、みんな終わらせてやる……!




