【一つの決断】
熊谷 あこは、一つの決断をした。二度目の人生を、異世界で生きると。自分が生まれた世界、一緒にいた家族、出会った友達……なに一つ、知らない世界。そこで、生きていく。
死を受け入れるか、受け入れないか。受け入れなければ、本当の死が待っているだけだ。そう考えれば、選択肢は一つしかない。それでも、あこは迷った。
迷った末の、決断がこれだ。もう知り合いには、会えない。自分の生まれた世界ですらない。それでも……あのまま死にたくないと、願ってしまったから。同時に、そう願ってしまったことに罪悪感はある。
共に死んだ父や、残してきた母。どこかに行ってしまった姉に対して。自分だけが、まったく違う世界で二度目の人生を歩んでも、いいのだろうかと。
『いいんですよ』
そこへ、まるで自分の心の中を読んだかのように……いいのだと、自身を肯定する声が聞こえて。
『貴女の選択を責める者は、誰もいません。以前の世界でのことを忘れることはありません。忘れる必要もありません。ですが、これはチャンスなのです。あのまま逝かれては、貴女の魂は傷ついたまま死後の世界へと行ってしまいます。そんなこと、私は望んでいません』
あこの決断は間違っていないと、女神は言う。あこの選択を咎める者は誰もいない……罪悪感があろうと、なにもしなければ死んでしまうくらいなら、人生のチャンスを掴むべきだ。
それに、あこ自身の選択とは別に……あこの魂の問題も、あった。姉がいなくなり、母が壊れていく様を見続け、父と共に死ぬ……それでは、あまりに救われない。あこの人生が、良きものであるようにと、あこにはチャンスが与えられた。
『では、熊谷 あこさん。貴女はこれから、異世界に転生し、二度目の人生をスタートさせることになります』
『はい。……あ、こういうのって、たとえば赤ちゃんから始めるっての聞くんだけど……』
『その点でしたら、心配はございません。あこさんはあこさんのまま、今の姿で転生させていただきます。もちろん、赤子から一からスタートしたいという要望があればお聞きしますが』
どうやら、転生して赤ん坊からスタート……という展開ではないらしい。望めばそれも可能だが、それはあこの望むところではない。
『いえ、この姿のままで』
『わかりました。先ほども言ったように、記憶は維持したまま、異世界へと行けます。転生する先は、結構若者に人気の、魔法が存在する世界です』
まるで旅行先の案内をするガイドのようだ。
『魔法……もしかして、魔物を倒して勇者になろう、みたいな?』
『あらあらあこさん、結構そういうの読み込んでるタイプですか? で転生先の世界は確かに、魔王やら魔物の存在する世界でしたが……先日、勇者によって倒されましたので、平和な世界ですよ。もちろん、あこさんが危険をお望みというのであれば、そちらを選ぶことも……』
「いやいや、安全なの! 安全なのがいい!」
せっかく二度目の人生を始めようというのに、危険な世界に放り込まれてはたまったものではない。
それにしても、今から転生する世界は、勇者と呼ばれる人物によってすでに平和な世の中になっているらしい。それはあらはがたいと言うべきなのか、わからないが。
『では、平和になった世界の中でも、より平和な場所へとお送りしますね。これから転生する先の世界の名前は、『ライヴ』と言います』
「『ライヴ』……」
『さて、転生するにあたって……特典のようなものがあるんですよ』
「特典!? なにそれネットショッピング!?」
特典……それは言うなれば、身体能力の上昇や、魔法が使えるようになるというもの。しかも、一般人のそれをはるかに凌ぐ力を貰えるのだ。
異世界転生者特典……というらしい。よく、転生者に与えられる特権のようなもの……まさしく特典だ。世の中が平和になっていても、そのような特典はつくらしい。ラッキーだ。
だが、真の特典はそれではない。
『こちらの能力から、お好きなものを一つ選ぶことができます』
と、提示されたのは……魔法とも違う、現実には決してありえない能力だ。たとえば……
「へぇ。『無から有を作り出す』能力……『絶対に魔力がなくならない』能力……」
数あるそれらは、しかし一つしか選べない。この中のどれか一つだけでも、現実的に使えるとなればかなり夢が広がるものばかりだ。
そんな中、一つ、不思議と目に留まったものがあった。
「『時間を巻き戻す』能力……」
『はい。他のものと同様、もちろん制限はありますが……それは、『対象の時間を三分巻き戻す』という内容のものです』
「わ、すごい。時間の巻き戻しなんて……でも、制限って?」
『まず、三分巻き戻すという能力である以上、三分を越えてしまったものには効果がないというもの。たとえば腕が千切れてしまった場合……千切れてしまったのが三分以内ならば腕が千切れる前に時間を巻き戻すことができます。が、千切れて三分以上経ってしまえば、元通りにはなりません』
「こ、怖い例え話しないでよ」
『ですが、有用性は確かです。欠損部分なんて小さい問題、この能力であれば、死者をも生き返らせることができるのです』
「え、死者!?」
時間を巻き戻す……それは、思った以上にとんでもない力であるようだ。魔法という力もありえないが、それをさらに凌ぐありえなさ。
『正確には、死んでしまったという事実を巻き戻す……ということです。つまり……』
「生き返るんじゃなくて、死んでなかったことになる。でも、三分以内ならって条件付きで……」
『その通り』
なんという力だろう……三分以内であれば、たとえ死んだとしてもその事実を巻き戻すことができる。もしまた、手の届く距離で誰かが死ぬようなことがあっても、三分以内なら……
「他の、制限ってのは?」
『なにせ時間に干渉……操る、といっても過言ではない力ですからね。使えるのは一日に一度……それに、対象の時間を巻き戻す力ですから、使える相手は一人だけ。となります』
一日に一度、それも一人相手にしか使えない……まあ、彼女の言うように時間に干渉する力だ。そういった制限はむしろあるべきなのだろう。
使いやすいような、使いにくいような……ただ、死の事実をも巻き戻す。この言葉が、あこの興味を引く。
『そして、もっとも大切なことですが……この力は、自分には効果がありません。使えるのは、あくまで他者……ご自身には使えないのです』
つまり、先ほどの例え話のように……自分の腕が千切れたとして、自分に巻き戻しの力は使えないということだ。
まさに、人のための力……私利私欲でなく、人のために。まさしく、あこの欲しい力だ。
「うん、決めた……これに、します。この、時間を巻き戻す能力をください」




