異世界の文字とその意図
禁術について、重要な情報が書かれているはずだった。いや、実際には禁術のことについて、書かれてはいたのだ。それは決して使ってはいけないもの、使ってしまえば必ず報いがあること。
しかし、ケンヤとガニムが知りたかったのは、そんなわかりきったことではない。禁術を行うためになにが必要か、どんな方法か、それだけだ。
だというのに、肝心なところは……黒く塗りつぶされてしまっている。油性のマジックだろうか、そんなものはこの際知らないが、透かして文字が見える、なんてことはできなさそうだ。
その行いは、ようやく目当ての項目を見つけたケンヤたちに対する、ある種の妨害だ。この本を読んだ何者かが、なんの理由があってか、よりによって禁術の方法部分だけを塗りつぶした。
もしその人物がわかれば、今すぐひっぱたいてやりたい気分だ。それに……聞きたいことだって、増えた。
「なんで、俺の世界の、文字が……?」
そこに並んでいたのは、この世界の文字ではなく……紛れもなく、ケンヤの元いた世界の文字であった。いくらこの世界に来てからそれなりの日数が経ち、長らく故郷の言葉を目にしていないとはいえ……
間違える、わけがない。これは、ケンヤの知っている文字。実際に、読んだり書いたりしていた、あの文字だ。
困惑と、そしてどうしてか懐かしい気持ちが、溢れてくる。
「俺の世界の、って、ケンヤ様の……異世界の……?」
感慨にふけるケンヤの隣で、いまいち話についていけないガニムが困惑に満ちた声で話す。
ケンヤの世界、すなわちこの世界『ライヴ』にとって異世界となる世界。そこの、文字だという。証拠に、ガニムにはなんて書いてあるのかさっぱり読めない。おそらく、この世界に来たばかりのケンヤも、この世界の文字を見て同じ事を思っただろう。
なぜ、異世界の文字がこの本に、それもこの項目の部分だけで書いてあるのか。
「あぁ、俺の世界の文字だ。間違いない。なんで……」
たとえば、ケンヤの元の世界でも、一つの本には一つの言語しか使ってはならないというルールはない。違う国の言葉が混ざっていたり、するものだ。
だが、それは同じ世界だから可能な話。異なる世界の言葉が、同じ本に書いてある。なんとも、摩訶不思議な話だ。
「……この文字を、消した奴。この言葉の意味がわかってた、ってことですよね」
「え? ……あ」
ガニムに言われて、思い至る。そうだ、こんな簡単なことになぜすぐ気づけない。元の世界の文字を発見したことで、意識がそっちに奪われていた。
ここに書いてある文字は、一部黒く塗りつぶされている。つまり、消されている。消されているということはつまり、文字の内容を理解し、その上で削除を計った、ということ。
文字の意味がわからなければ、文字を消す必要もない。なんせ、なんと書いてあるかわからないのだから。
「それを、しかも一部分だけ……」
この世界にとっての異世界の文字を、すべてではなく一部分だけ消した。それこそ、まさに文字を理解していた。証拠。
この世界の住人で、異世界の……ケンヤの元いた世界の文字を、理解していた者がいたということか。それも、この城の中に。
……そういえば、ガルヴェーブが言っていた。以前、この世界に勇者と、ケンヤと同じように召喚された人間がいたと。
「待てよ待てよ……じゃあこれは、ひょっとしてそいつが書いた、もの?」
本というものは、前提として書き手がいなければ作られることはない。それを考えたとき、一つの仮説が浮かんだ。
この本の中身を書いたのは、ケンヤの前にこの世界に召喚された、魔王として扱われた人間。その人物が、この世界の文字を使い、一冊の本を作った。
一部だけを異世界の文字で書いたのはおそらく、この世界の住人に見られてもその内容が理解できないようにするため。だが、それだけでは不安になり、念には念を入れて、肝心な部分を黒く塗りつぶした。
そう考えれば、一応辻褄は通る。消すくらいなら、なぜわざわざ書いたのか……あまりに抱えきれない問題を、誰にも話せない問題を、衝動を、どこかに書いて発散したかったのかもしれない。
それが、意味のわからぬ異世界の文字で書くという表れとなった。この世界の魔族、人間には決して読めない内容。なのに念を入れるとは、書いた人物はどれほど心配性だったのか。
それとも、念を入れてしまうほどに、一度書いてしまった禁術の方法は、恐ろしいものなのか。
「いや、今はそんなこと、どうでもいいか……」
異世界の人間がこの本を書いたのは、もはや疑いようのない事実。異世界の文字を教え、この世界の魔族などがこの本を書いた可能性もあるが……わざわざそんなことをする理由は、ないだろう。
この本を書いたのは、ケンヤと同じ世界の人間。なにをもってこの本を書こうと思ったのか、一部分を消したのかは、本人ではないしその意図は結局のところわからない。
それに今、考えることではない。そこにどういう意図があろうと、結局のところ手がかりは潰えてしまったということなのだから。
試しに、ページをさらにめくってその先の項目も確認してみるが……禁術について、載ってはいなかった。
まだ、調べていない本はたくさんある。本来それらを一つ一つ調べるつもりだったが……今の本のように、たとえ禁術についての記述があったとしても、同じように消されていたとしたら。
そう思わせるだけの威力が、あった。黒く塗りつぶしていたこの部分には、この本だけではない、他の本にも手を出すことを躊躇わせるような、威力が。
たったこれだけのことで、道は狭くなっていく……そんな感覚に、陥ってしまった。
「っくそ……狙ってやったんだとしたら、マジで性格悪いな」
遥か昔に召喚されたという、ケンヤと同じ世界の人間。彼もしくは彼女が、どこまでの考えを巡らせていたのかは知らないが……これまでの時間を、これからの手段を、一気に押し潰すような行為を狙ってやったのだとしたら……
その性悪さに、頭を抱えてしまうほどだ。




