落ち着いた空間
……拠点を手に入れ、少しはゆとりのできたケンヤは、今猛烈に眠くなっていた。いわゆる、緊張の糸が切れた、というやつだろうか。
考えてみれば、城を出て……ガルヴェーブと共に逃げてからの日々、落ち着いて眠ることができた日が、果たしてどれだけあっただろうか。
場所が変化したから眠れない……なんて理由ではない。城で魔族の狂気を見て、今まで仲良くしていた者たちの変貌した姿を見て……安心、できなくなった。
無論、一緒にいたガルヴェーブは別だが……彼女がマド一族だということがバレただけで、まさかあんな光景になってしまうとは思わなかった。それに、ケンヤは人間だ……魔族が人間に対して、どのような感情を持っているのかわからない。
それでも、負の感情が強かったとき……人間だとバレたケンヤも、どんな目に遭うかわからない。幸い、城での訓練のおかげで濃い魔力を纏うことができたケンヤは、見た目さえごまかしてしまえばまず人間だとは思われない。
いつ、誰になにがバレてしまわないか……ガルヴェーブが一緒にいても、その気持ちがあって夜、深い眠りにつけたことはなかった。ガルヴェーブがいなくなってからは、それは余計にだ。
ただ、一人の心細さはあったが、物言わぬ死体となった魔族を背負って歩くケンヤに、好き好んで話しかけようとする者はいなかった。話しかけてくる者も、近寄ってくる者も……いなかったが、やはりケンヤは落ち着いて眠りにはつけなかった。
常に気を張り、寝るときにだって細心の注意を払い……小さな物音でも、目が覚めてしまう。宿を取れたり、建物の中で眠ることができたときはまだよかった……野宿をしたとき。外では魔物の脅威もあった。
城を出てから、今日に至るまで……ケンヤは、満足に寝ることができなかった。それどころか、気の休まる瞬間もなかった。だから……
「ん……」
こうして安全な拠点を手に入れたこと、なにより気を許せる相手が側にいてくれること……それが、ケンヤから緊張感を奪っていった。
それが急激な眠気に、変わる。立っているのに、こうも眠くなるとは……初めての経験だ。
「! ……眠いん、ですか?」
「ん、あぁ……」
いや、大丈夫だ、眠くなんてない……そう答えることもできないほど、思考力が低下していた。あぁ、早く休みたい。深く眠ってしまいたい。
きっとガニムも、疲れているんだろう……この先のことでいろいろ考えることはあるが、今はまず、休もう。
「悪いけど……その辺の、部屋で寝させてくれ。ガニムも、休んどいて……」
「は、はい」
言って、ケンヤは手近な部屋へと入っていく。さすがに、疲労が溜まっているはずだ……部屋には立ち入らないようにしよう。
それに、ケンヤも言っていた……休めと。ガニムも、やはり疲労は溜まっている。別の部屋に入り、休ませてもらうことにする。
「……」
部屋に入ったケンヤは、ベッド……のようなものに横になる。構造はベッドと同じなのだが、ベッドに比べたら全然気持ちよくない。寝心地がよくなかった。
この世界に来たばかりの頃は、そう思っていたものだ。元の世界で、部屋のベッドに比べると……全然心地よくならない。ぐっすり眠れなかった。それも、毎日同じもので寝ていれば、慣れもするが。
そう思っていた、このベッド……不思議なことに、まるで体が雲に沈んでいくようなふかふか感を感じ、羽毛に包まれているような気持ちよさがあった。久しぶりだからだろうか、なんと寝心地のよいものだろうか。
このまま、目をつぶるだけで、すぐ眠って……
「……すぅ」
そうやって考えているうちに、いつの間にかケンヤは眠ってしまっていた。ベッドにうつぶせに寝転がり、それはもうぐっすりと。無防備に体を投げ出し、安心した表情だ。
この落ち着いた状況のおかげで、安心して眠ることができていた。それは、別室で眠りについたガニムも同じように。
広い城内は、安らぎの空間へと成っていた……城にいた頃ケンヤは、こんな静かな空間であるとは思えなかった。なにせ、あんなにたくさんの魔族がいたのだ、静かな空間などなかった。
ただ、賑やかなのは……それはそれで、よかったが。それもそれで、心地よかった。同じ空間で、こうも様子が違うのは不思議なものだ。
……実は一つ、疑念があった。城で、魔族が半数以上『病』を発症したという話……この現象は、城にいたから起こったのはないかとも思った。病自体は魔族全員に発症する危険があるが、あれほどの数が発症したのは、城にいたからではないかと。
つまり病が発症する原因が城にあり、そのせいでここに住む魔族は病を発症してしまったのではないか、と。しかし、病の発症は至るところで起こっていた……それは、考えすぎであった。
現状、病の発症を食い止める方法はない。そもそも病は、魔族の奇病とも言うべきものだ……食い止める方法や、治す方法があるのかわからない。病というくらいだから、方法はあるのだろうか……いや、そう呼び始めただけで、正式な名前ではない。
禁術の方法を探す、そして病について……これも、知らなければならないような、気がしていた。




