最後に残せたもの
……ケンヤの中に、どす黒い感情が生まれていく。それに、この感情には覚えがある。これは、そう……怒りだ。怒りの感情が、湧いてくる。
感じたことのある怒りだ。そもそもケンヤは、元々あまり怒るタイプではない。冗談で怒ることはあるかもしれないが、本気で怒ることなんてそれこそ数えるほどだ。
そんなケンヤが、最近似た怒りを覚えた。……ガルヴェーブのことで。城で、ガルヴェーブを袋叩きにしていた連中に対して、激しい怒りを覚えた。あのときと、同じだ。
「な、なんだ……?」
激しい感情は、その身から魔力を溢れ出させる。感情がコントロールできないし、する必要もない。気のせいか、空気が揺れる。
ケンヤを囲む者たちは、当然ながら困惑する……なぜ、人間から魔力が出ているのだ? しかも、かなり高質量の。
こんな魔力、初めて感じる……それほど、ケンヤの魔力は強大なものとなっていた。純粋な魔族を、凌駕するほどの。
「な、なんなんだその、魔力は……? なんで、人間なんかが……」
「どけ」
その一言を、最後に……ケンヤの意識は、消えた。別に、その場に倒れたり、気絶したわけではない……よくこう表現されることがある。怒りで我を忘れた、と。
結果的に言えば……まさに、ケンヤは我を忘れ、その場で本能のままに暴れた。およそ人が出すとは思えない声で叫び、視線で相手をにらみ殺す勢いで……周囲の魔族を、手にかけた。
決して広くはない家の中で、起こる虐殺。耳に悲鳴が届き……手には血がべったりと付着して……不快なはずなのに。その一切を、感じることはない。
なにかを殴った感触も。なにかを怒鳴ったその声も……なにも覚えていない。あるのはただ、そこに倒れる彼女のところへ、一刻も早く駆け寄ること。
「はぁー……はぁー……」
長いようで、実際にはすぐに終わった……虐殺は。途中、何人かケンヤの手を逃れた者が、家の外へと逃げていった。助けを呼びに行ったのだろうか……ケンヤには、どうでもいいことだ。
意識を取り戻したケンヤの目に映ったのは、ひどい光景だった。先ほどまで、ケンヤやガルヴェーブを憎しみを持った表情で睨み付けていた魔族たちが、そこらに倒れている。その体から、血を流して。
魔族の血というのは、人と同じで赤い血なんだな……と、ぼんやり思った。それはガルヴェーブを見れば、わかることであったが……
「! ルヴ……!」
今は、周りの惨劇を気にしているときではない。壁にもたれるように倒れているガルヴェーブを、救うことが最優先。
倒れている魔族を跨ぎ、蹴り飛ばし……ガルヴェーブの側へと、しゃがみこんだ。
そして、顔を覗きこみ……絶望が、ケンヤを襲う。
「……え」
ガルヴェーブの顔は、白かった……驚くほどに。
「ルヴ……?」
その顔から、驚くほどに生気は、感じられない。口元を確認しても、呼吸をしていない。脈を測っても、動いていない。軽く揺すってみても、なにも反応がない。
……ガルヴェーブは、死んでいた。
「そんな……うそだろ、なんで……どうして!」
夢かと思った。夢なら覚めてくれ……と。だが、周囲に漂う鉄の臭いと異臭が、嫌でもこれは現実だと直接訴えかけてくる。今になって気づく……己の手に、なにかの血が付着しているのを。
それがなにか……いや誰のものであるか、考えるまでもない。ここに倒れる、魔族のもの。そして、血が付着した手に……ガルヴェーブから流れ出る血が、重ねられていく。
妙な生温かさが……ひどくリアルで。夢だ嘘だと思っても、そうは思わせてくれない。
「こんな、の……」
今日もいつも通りの日常が、繰り返されると思っていた。帰ったらガルヴェーブが迎えてくれて、今後の話をしながら二人で笑いあったりして。少し不便でも、平和な日常。
ここにいる人たちとも、うまくやれていた。そうでなくとも、あと二、三日したらこの街を出る予定だった……なのに、なんなのだこれは。自分たちはただ、細々とでも平和に暮らしたいだけなのに。
そんなに、過去の罪がいけないのか。そんなに、人間であることがいけないのか。平和な日常を過ごすことさえ、許されないのか。
「……」
ガルヴェーブの表情は、困惑に染まっている。本来、ガルヴェーブならばこの街の住人程度、力で抵抗できたはずだ。
そうできなかったのは……油断。ケンヤも背後をとられたように、ガルヴェーブも先ほどまで親しくしていた住人が、自分に殺意を向けてくるなんて、思いもしなかったのだろう。
なぜこんなことを……そう思ったに違いない。そして、悟ったのだろう……血の呪いから、逃れることはできないと。
そうなったとき……甘んじて受け入れるつもりは、あったのかもしれない。いくら不意をつかれても、住人相手に完全になんの抵抗もせずやられるとは考えにくい。そう、悪意にさらされたとき、それを受け入れる。覚悟はあったのだ。
それでも……心残りは、きっとあったはずだ。半開きになった口から、なにを紡ごうとしたのか……それは、きっとケンヤも同じことを考えている。
「……最後に、なにも……」
最後にいったい、どんな会話をしただろうか。いってきます、いってらっしゃい……ありふれた、やり取りだっただろうか。それが、最後の会話だというのか。
それが最後だなんて、考えもしなかった。なにも、彼女に伝えられていない……感謝も、なにも。最後になにも、残すことができなかった。
「うぅ……ぁ、っうぁああああ!」
やりきれない思いは……先ほどの怒りの比ではない。暴発する魔力はまるで突風のように、家を破壊していく。ケンヤの叫びがまるで、激情を表しているかのようで。




