雨が降る
「この水は、諦めるとしよう」
「いや、だからきれいだって……」
「あ?」
ギロリ、と水の化け物を睨み付けると、しゅんとして黙りこむ。人ではなく水の化け物の落ち込む姿は、なかなかにシュールだ。
ちなみに、すでに何発か殴っておいた。水であるから見た目には殴られたなんてわからないが、多分を涙を流してしくしく、泣いていた。
水の化け物なのに、実体があるのが驚きだ。
「この水も返す」
「あぁっ、もったいない!」
先ほど容器に汲んだ水を、湖に返していく。容器から、ドボドボ、と落ちる水……その流れる姿は、とてもきれいで思わずうっとりと見惚れてしまうほど。
だけど……この湖全体、このおっさんの水だと言うなら、これを飲もうとは思わない。というか、知ってたら毒味さえしなかった。
加えて、先ほどのおなららしき現象……この湖が自分のものだからって、なにをしてるのかわかったもんじゃない。
「得たいの知れない生き物の湖の水なんて、進んで飲もうとは思わないよ」
そりゃ、水不足で命の危険を感じるほどならば、飲んだかもわからないが……水は不足しているってほどじゃないし。
この分だと、水浴びもやめとこうかな。気持ち悪いし。
「……じゃ」
「ちょ、ちょっと待ってぇ!」
もうここで、やることはない……そう思い去ろうとしたのだが、おっさん声に引き留められてしまう。なんだいったい。
飲み水を確保するという目的が果たせなかった以上、待たせているコアの下に帰りたいんだけど。こんなおっさん声の水の化け物とのんきにしゃべってる暇はないんだけど。
「なに」
「いやぁ、言ったじゃないか、久しぶりの客人だって。だからその、もう少し話したいなんて……待ってよ!」
なにを言い出すかと思えば、なんて乙女みたいなことを言い出すんだ気持ち悪い。
久しぶりの客人だかなんだか知らないが、それはそっちの都合だろう。てか客人じゃないし。誰が客だよ。
「なぁー、頼むよー。ちょっと最近悩み事があって……聞いておくれよー」
「友達か! あと甘ったれた声を出すな!」
おっさん声で猫なで声を出すな背筋が凍る!
「……悩み事?」
「そうそう! 聞いておくれよ!」
「聞いて私になにかメリットある?」
「……わしがうれし……あー、帰らないで!」
ダメだこれは。こんな水の化け物の相手をしてやる義理はないし、とっとと帰ってしまおう。
ここでこの生き物に会ったことは、忘れよう……
「ぐ、ぬぬ……待ってと、言うとるのにー!」
……ボツ、ボツ
……なんだ? 急に、雲行きが……怪しくない?
でも、今確かに頭に、水滴が……雨が、落ちてきたような感覚があったんだけど……
ザァアアア……!
ボツボツと水滴のような雨は……直後、大きな音を立ててのどしゃ降りの雨へと変わる。
空は、晴天……雲一つないほどに、晴れているのにだ。いったい、どうなってるんだ?
「さっきからわしのことをバカに、ないがしろにしおって……」
「……まさか、これ……」
「そう! 水の精霊、ウンディーネであるわしの力よ!」
また、妄言を……と思うが、それでさらっと流せる状況ではない。
快晴なのに、大雨……それに、湖の水を操ることといい、少なくとも水に関してこいつはとんでもない力を持っているようだ。
「精霊に会うのは初めてか、アンズ クマガイ」
「! 私の名前……」
なんで知ってる……という疑問は、最後まで出てくることはなかった。『英雄』として名前と顔を全方面に知られた身だ、私の顔を見て名前が出てきても、おかしくはないが……
なんだろう……こいつ、さっきと雰囲気が、まるで違う。
「あくまで自分のこと精霊だって言うんだね」
「あくまでもなにも、事実なのだから仕方あるまい」
……まあこの際、このおっさんが精霊がどうかなんて、どうでもいい。問題は、こんな雨を降らせてまで私を足止めする理由だ。
こんな雨、体が濡れることを除けば足止めされるほどのものでもないんだけど……雨以外に他の手段も使ってきそうだ。このまま、帰らせてくれそうにはない。
「それで、だ。『英雄』としてこの世界を救ってくれたお主に、我らはとても感謝していた」
我ら……? 水の、と言っていたから、火や風の精霊もいるってことかな。あくまで水の精霊という設定を貫き通すつもりか。
それより……感謝していた、か。
「感謝ねぇ……ならなに、ご褒美でもくれるの?」
ザァアアア……!!
気のせいか……雨の勢いが、強くなっていく。
「褒美……褒美だと? 貴様……今自分がしていることを思って、よくそんなことが言えたものだな。貴様の行い……それを、許すと思うか!」
ザァアアアアア……!!
それはまるで、誰かの怒りが体現しているように……雨の勢いは、ますます強くなっていく。
この口振り……こいつ、私がこの世界でなにをしているのか、なにをしに戻ってきたのか知っているのか?
「この世界を脅威にさらす貴様を、排除する!」
次の瞬間、湖から沸き上がる幾つもの水の柱が、私に襲いかかってくる。くそ、さっきまであんな弱々しいおっさんだったのに、急に……情緒不安定か!
とにかく、避ける。さっきと同じシチュエーションだ、やることはたいして変わりはしない……
「……あれっ」
鞭のようにしなやかなそれを、かわすが……なんだか体が、重い。これは……この激しい雨のせいで、服が水を吸って重くなってるのか。
この雨は、私を足止めするためだけじゃなくて……
「おわ、っと!」
重くなった体では、スムーズに動けない。こうなったら、さっきのように電撃を叩き込んでやる。
今は雨だ……ならば、多少の電撃でもかなりの威力になるに違いない。濡れている私も痺れるが、構うもんか。
「撃ってみるがいい、魔法を」
しかし、おっさんは私の心を読んだかのような発言……表情はないが、多分笑ってやがるな。
魔法を撃ってみろだと? なら、お望み通り……
「……出ない?」
しかし、魔法が出ない。集中して魔力を起こしても、魔法が出てくる気配がない。
「この雨は、貴様から魔力を奪う。貴様にはもう魔法は使えん!」
この雨の、三つ目の効力ってところか……魔力を奪うって、どんな雨だ。
魔法が使えない。くそ、またこのパターンか!




