流れる涙は誰のもの
全身ではなく、半身が凍っていくガルバラの体は、地面に接している部分としっかり膠着しているため、どれだけ力を入れても動けやしない。
そもそも、すでに動けるほどの体力は残ってないだろうけど。
「……なんで全部凍らせない?」
「なんか話してたんじゃないの?」
他の村人同様、全身を凍らせないのは……どうやら、ユーデリアなりに気を遣っていたらしい。まだ会話の途中だろうと、思わぬ気遣いだ。
確かに、ガルバラの前でエルドリエを死の淵まで追いやって、その反応を見てはいたけど……聞きたいことも聞けたし、もはや、話すことはなにもない。
「や、もういいよ。そのまま凍らせちゃっても」
別に私は、殺し方にはこだわらない。私自身の手で殺そうが、ユーデリアが氷付けにしてしまおうが、どうだっていいのだ。そこのところ、もしかして誤解してないだろうかこの子は。
殺しの方法にこだわるほど、私は変人じゃない。
「きさ、まら……かなら……うらんで……や……」
ピキパキ……!
私たちに対する恨みをぶつけながら、ガルバラは今度こそ全身を凍らせていく。まるで、キンキンの氷に水を注いだときのように……パキパキと音を立て、身を凍らせる。
絶望、悲しみ、困惑……村人たちが浮かべるそのどれの表情とも違い、ガルバラは、怒りの表情を浮かべていた。
最期本人が言っていたように、本当に恨みを遺していったかのような、般若みたいな表情を。
「……ぶっ!」
ガルバラが完全に凍り終えた直後……ひときわ大きな声が上がる。それは命のカウントダウンが迫るエルドリエのもので、瞬間に口からまるで噴水のように、血が吹き出す。
ふっ、と息を吹くようなわずかな時間……吹き上がった血が重力に従い地面に落ちると、血の雨はエルドリエの顔を濡らしていく。
……エルドリエの目からは、光は失われていた。胸に風穴が開き、それでも微かに生きてはいたエルドリエ……終わりゆく命の鼓動を感じながら、その中でもがけない無力さにうちひしがれ、ついに彼女は命を落とした。
「……終わった、か」
ズキンッ……と、少しだけ左目が疼いた。疼いて、なんだか目の前の景色が歪んできて、頬を温かいものが伝っていく。これはなんだろうと、そこを触れると……指先は、濡れていた。
「なんで、泣いてんだ?」
「さあ、なんでだろ……」
これがなにか、言われないでもわかっている。頬を濡らすこれは……左目から流れた、涙だ。
私の意思とは関係なく、涙は流れてくる。この涙は誰のもの? ……きっと、これがエリシアのものであるのと関係しているのだろう……証拠に、涙が流れるのは、左目からだけだ。
私自身、悲しくもなんともない。だけど、不思議と涙は出る……しかも片目だけ。不思議な感覚だ。
「問題ないよ。きっと、じきに収まる」
魔力の抵抗があったり、突然涙が出てきたり……まるでエリシアの意志が残っていると思われる左目。実際にそんなファンタジーなことはないとは思いたいが、そもそもこの世界がファンタジーだし……
……とはいえ、私がいた世界だって、そういう不思議な話は聞いたことがある。臓器移植をしたらその前と後で食べ物の好みが変わったとか、性格が変わったとか、経験していないことを経験していると思うようになったとか……
そういった、不思議なことは実際にもあるらしい。だから、ファンタジーな世界に関わらず、左目にエリシアの意志が残っているのはあり得る話なのだ。
まあ、目玉を食べてその影響で、その目玉が自分のものになる、なんてのはファンタジーだと思うけど。
「……エリシアの故郷、か」
ユーデリアの時とは違い、今回は意図せずエリシアの故郷に来てしまった。そこで得たものは決して多いわけではないが、重要なものでもある。
この先出てくるかわからないけど、かなり珍しいものに間違いない魔導具……それに、この腕の正体が呪術だと知れたのは、大きな進歩だ。嬉しくない進歩ではあるけど。
まったく、この腕といい『呪剣』といい……私は、呪術ってやつに縁があるよな、まったく嬉しくないことに。しかも呪術は、ユーデリアの故郷である氷狼の村を滅ぼした一端でもある。
『呪剣』にしろこの腕にしろ、私はユーデリアに、私が呪術に関連していることを話してはいない。話してどうなるものでもないし……そもそもユーデリア自身、過去に故郷で起こった出来事に関係しているのが"呪術"だと認識しているのか謎だ。
……もしユーデリアが呪術を認識していて、恨んでいて、私も呪術に関するものを使っていることを知ったとして……それでユーデリアに敵意を向けられて、殺されることになったとしても、私は……
「どうかした?」
「ん、なんでもないよ」
まあ、そのときはそのときだ。私自身、自分がどうやって死ぬかなんて考えてないけど……もし殺されるってなったら、ユーデリアがいいかな。
なんて、柄にもないことを考えながら私は……もう私とユーデリア以外生者のいなくなった村を、見回す。マルゴニア王国ほどではないにしろ、村全体が氷付けになっており、ユーデリアと戦っていたであろう村人の氷像がそこらにある。
それら以外も、子供や年寄り……戦いには参加せず、ただ巻き込まれただけの人たちも氷付けに。よほど、ユーデリアの冷気が強力だったのだろう。
このまま永遠と氷付けのまま、終わりが来るまでの時を過ごして……
「……そういえば、いつか溶けたりしないの? せっかく氷付けにしたのに、割らずにそのまま放置してきちゃったけど……」
いくらユーデリアの冷気が強力とはいえ、永久的に氷付けになるとは考えにくい。そうなると、氷はいつか解け、人が復活してしまうのではないか。
マルゴニア王国のように、国を覆うほどの雪が降り積もるなら、話は変わるだろうけど……
「あぁ、それなら問題ないよ。少しの衝撃だけで……」
答えるユーデリアの台詞を遮るように、その場にビュッ、と強い風が吹く。すると、近くからパキンッと音が聞こえて……
……氷像となったガルバラは、粉々に砕けていた。
「……こういうこと。今の風みたいな、ちょっとした衝撃で割れるから」
「なるほど」
今吹いた風程度で割れてしまうほどに、脆い。ならば心配はいらないな。例えば地震なんが来たら、一発で全部割れてしまうだろう。
この世界に地震があるのかは、知らないけど。
「……」
いずれ、ここに残るのは氷付けになっていない、冷たくなったエルドリエの死体だけ。だけど、みんなと一緒に逝ったんだ……寂しくは、ないよね。
最後にエルドリエの体を見つめ……ようやく涙の止まった左目をぎゅっと瞑り、背を向ける。涙は止まっても少しだけ疼く左目を、隠すように眼帯を巻いて……もうなにも見せないために、覆い隠した。




