07「デイリークエスト:普段通りの学校生活」
そして翌日。9月7日。月曜日。
僕はおっかなびっくり扉を開けて、教室に入った。
何人かがちら、とこちらを見るが、特に気にした様子はない。まだクソ暑いのに学ラン着てくるとか馬鹿じゃねーの、という風に見つめるだけだ。すぐに視線を逸らし友達との談笑や授業の準備などに戻る。
ふぅ、と息を吐いて着席し、即座に机に突っ伏す。
……思った以上に、《精神誘導》を使うのは疲れる。数分程度ならいいが、それ以上になると頭が痛くなってくる。
頭痛のする理由は恐らく、MPの減少だ。
一般的なファンタジーRPGと違い、ゲーム「イマジナリークロノス」においてMPのMは「魔法」ではなく「精神」の略だ。「イマジナリークロノス」で戦闘を行うキャラクターは基本的に全員超能力者、もしくは霊能者などの異能の使い手であり、自身の精神力を用いて超常現象を起こす。
その設定に準じているのだろう。視界に映るMPゲージが目減りするに従い、僕の精神的な疲労も徐々に増加していくのだ。一応【MP回復ドリンク】を水筒に入れてきてはいるが、エナジードリンクっぽい味なのであまり多用したくない。
そもそも、頭痛がしなくたって常日頃から朝は眠くて死にそうなのである。昨日は明け方まで校舎内を調べていて睡眠時間は二時間いくかいかないかだが、それぐらいの夜更かしはいつものことだ。
そしてその分の睡眠を取り戻すために学校で寝るのもいつものことだ。そういうわけで僕は顔を伏せ、一時的にスキルを切った。
……よし、バレてないな。このまましばらく休憩しよう。
瞼を閉じようとした瞬間、うなじのあたりを軽く叩かれた。
「ひゃうっ?!」
変な声が出た。慌てて《精神誘導》を発動し直し、顔を上げる。
幼馴染みの司が、驚いた顔でこちらを見下ろしていた。周囲を見渡せば、クラスメートの大半が僕に目を向けている。
「お、おい……変な声出すなよ、秋。一瞬知らないやつ叩いたかと思っただろ」
「つ、つか――司が、急に叩くのが悪いんだろ! というか相手が僕だからって叩くなよ!」
ビビった、本当にビビった。今のは明らかに女の子っぽい声だった。咄嗟に《精神誘導》を発動させたおかげでたまたまだと思ってくれたようだが、そうでなかったら一日目にして終わるところだった……。
司は「悪い悪い」と言いつつ、まるで悪いと思ってなさそうな顔で前の席に座る。もっと反省しろ。
「そういやさ、三日前に家に警察が来たんだよな」
再度顔を伏せるが、司は特に気負い無く話かけてきた。ええい、せっかく休憩しようとしてるのにこれじゃ休めないだろ、全く。
「何か悪いことしたのか?」
「いや、俺が学校で犬と女が暴れてるって通報したとか言われたんだよ。知りませんって言ったら帰ってったけど」
「…………」
悪いことをしたのは僕だった。
しかし、ラーメンを奢ろうにも昨日色々と買ったせいで金が全くない。まあ、なかったことにされたみたいだし別にいいだろう。
司の言うことを適当に聞き流しているうちにチャイムが鳴り、クラス担当の先生が入ってくる。流石に顔を伏せ続けるのはまずいので、頬杖をついて胡乱に黒板を眺めた。
効果時間が切れる度に不可視のキーを押し直すのは地味に大変だ。なかなか気が抜けない。
授業が始まる。まずは一限目。MPが徐々に徐々に削られていくが、MP回復ドリンクもあるし、昼休みまでギリギリもつはず……
※
あ、ダメだこれ。
ズキズキと頭が痛む。脳に血が足りない感じだ。血液を供給するためか手足の先が段々と冷え、頭に血が上っていく。顔色は赤か青のどちらかだろう。
MPゲージはとっくに一割を切り、残り数パーセントというところまできている。ゲームではMPが0になっても死んだりダメージを受けたりという設定は無かったはずだが、これはしんど過ぎる。
五限目が終わるまで後十分。一応、MPが0になるまで残り十五分はある。だが、もう、限界だ。
「はぁっ……はぁっ……」
心拍数が増加していくのを感じる。息が苦しい。胸をサラシで抑えつけているのでなおのことだ。
「んぐ……ふうぅっ……」
司が困惑した顔でチラチラとこちらを見てくる。いや、司だけじゃなくて周りの男子も見ている気がする。ああもう、授業に集中してろ。
眠気も酷い。月曜日は厳しい教師ばかりの時間割なせいで、ろくに居眠りも出来やしないのだ。
いつもなら頬杖をついてペンを持ちながら半目で寝るという高等惰眠術を用いるのだが、誰かに顔を見られる限り《精神誘導》を使わなければならないのでそれも無理だ。
水筒に入れたMP回復ドリンクは既に飲み干している。インベントリには残り三百九十五本のMP回復ドリンクがあるが、教室内で取り出すわけにもいかない。
途中の休み時間で適当に隠れて飲めばよかった、と思うがもはや後悔先に立たず。苦しい。
ふらふらと手を上げる。
「すいません……ちょっと、気分悪いので保健室行ってきます」
僕はサボりの常習犯なので信用されない可能性もあったが、やはり顔色が悪かったのだろう。無愛想な数学教師は手で退出を促した。
雑に会釈をし、早足で教師たちの授業する声だけが響く廊下を歩いていく。
せっかくだし、このまま部室に行こう。メニュー画面からマップを開き、誰も見ていないことを確かめ窓から跳んだ。
放物線を描いて飛び上がり、一息に旧校舎の外壁へと着地する。前までは近道をするにしてももう少し穏当なルートを通っていたが、今の身体能力ならこんなことも出来るのだ。昨夜の校舎探索中、暇潰しに行ったスパイダーマンごっこの成果である。
情報部部室の窓を開け、直接中に入る。
「ふぃー……」
《精神誘導》を切り、虚空から取り出したMP回復ドリンクを一口だけ飲む。疲れはすっと抜けたが、なんともはや体に悪そうな飲み物だ。カフェインをこれでもかとぶち込んだ感じの味である。
徹夜とエナドリに慣れたゲーマーとして断言する。これ、常飲すれば体を壊す。
「……逆に、こんな謎の飲み物飲まなくてもコーヒーとかで代用出来る可能性が?」
それはそれで体に悪そうだが……まあ、後で確かめてみよう。ゲームでは「ドジっ子の焦げたクッキー」なんて名前の回復アイテムも(雀の涙のようなHPしか回復しなかったが)あったし、飲食物で代用できるならそれに越したことはない。
余りを水筒に入れ、空き缶をインベントリ内に片付ける。アイテム欄だって無限じゃないので普通にゴミ箱に捨てた方がいいのだろうが、こんな怪しい缶をその辺に放置するのはためらわれた。
メニュー画面を閉じて部室のボロい椅子に座り込むと同時にチャイムが鳴った。四十五分間の昼休みだ。昼食時間でもある。
「……あー、しまった。パン買う金無いじゃん」
月曜日は購買でパンを買うのが習慣なので、弁当は作ってもらっていない。
母さんも毎日弁当を作るのは億劫ということで昼食用のお小遣いが渡されているのだが、それも昨日の買い物で使い、財布には軽い小銭が残るのみだ。
空腹を訴え始める腹を抑える。……どうする、HP回復ドリンクでも飲むか? いや、あれもエナジードリンクっぽい味だ。使わない方がいい。
もう仕方がないので寝てしまおう。そうすれば多少は空腹を忘れられる。それにここなら誰もこないし、気を抜いていてもバレやしない。
数十分だけでも気持ち良く眠るため、暑苦しい学ランを脱ぎ、シャツの胸元を掴んでパタパタと扇ぐ。……ダメだ、サラシのせいで全然涼しくならない。
なんといえばいいのか、胸の内側に熱が篭っている感じがする。苦しいし痛いし、昼休みの間だけでも緩めておこう。
人目がないので着替えも楽だ。シャツの裾を持ち上げ、腕を上げる。
ちょうどバンザイの状態になった時、部室の扉ががちゃりと開いた。
「あ」
「……あれ?」
大和撫子といった風情の優しげな眦、女性にしてはやや高めな背、二年生の校章をつけた女子生徒。やってきたのは、昨日の三日月先輩だった。
きょとん、とした顔で小首を傾げる先輩。僕が慌てて《精神誘導》を発動させるより早く、先輩は「ああ!」と言いながら僕を指さした。
「昨日の、異能者ちゃん!」
なんだその呼び方――などとツッコミをする間もなく、先輩がずいっと顔を近づける。やはり鼻先が触れ合いそうな距離だ。この先輩にはパーソナルスペースという概念がないのだろうか。
ショートカットキーを押し込むが、手応えがない。まるで効いた様子もなく、僕の顔をじろじろと眺めてくる。
「男装!? それ男装でしょ!? 男子の制服だし、サラシ巻いてるし! もしかしてえーっと、情報部の……そう、朝田君って実は女の子だったの!? はー……なるほどなるほど……! 男子なのに背低いなーぐらいにしか思ってなかったけど、そういうね、なるほどね! トーチ的なね!」
「シャ○の読みすぎ――ってその、先輩、そうじゃなくてですね……」
「あー、『先輩』! 良い! ヒロインの頼れる先輩ポジ! 美味しい! ちょっと死亡率高めな役割だけど、まあそこは妥協します!」
「いやそれ妥協しちゃダメですよ……じゃなくて、僕は本当は男で」
「ボクっ娘! ボクっ娘だ! うんうんわかってるわかってる、そういう設定ね! おっけーおっけー!」
「…………」
どうしよう、何もわかってくれてない……説明できる自信もない……
なんとか逃げ出したいが、名前が知られてしまった。今逃げ出しても後で追われる予感、否、確信を得てしまう。
「そうだ、名前なんて呼べばいい? 本名教えて、本名! 真名!」
「あ、朝田 秋――」
「それは世を忍ぶ仮の名前でしょ!?」
なんなのこの人……見た目の印象に対して押しが強過ぎる……
「違います」「本当に本名でっ」と返答する度にずずいと顔が近寄ってくる。こんなに近くでも、いや近づけば近づくほど、その顏が花のように綺麗だと思わされる。そしてその美しさはそっくりそのまま「圧力」とか「迫力」とかいったものに置き換えられていた。
「よ、宵神! 宵神朱忌です!」
窮した僕は、咄嗟にゲーム内のキャラクターネームを叫んだ。
我ながら厨二病丸出しのキャラ名だと思うが、僕があのゲームを始めたのは正しく中学二年生の時だったのだ。キャラ名を変えるためには五百円の課金が必要で、そのワンコインが勿体なくて変える気が起きないまま、ゲーム終了まで過ごしてしまった。
「よいがみ? どう書くの?」
「宵の明星の宵に、神話の神、名前は朱を忌むと書いて、アキ、です……」
顔が赤くなる。なんで今更中二の頃のネーミングを事細かに解説しなきゃならないのだろうか。恥ずかしすぎる。黒歴史ノートを自分で読み上げさせられるようなものではあるまいか。
三日月先輩の方はそのネーミングセンスを甚く(痛く、と言い換えてもいいだろう)気に入ったらしく、ヒマワリのように笑顔を輝かせていた。
「か、かぁっこ良い……! わかった、朱忌ちゃんって呼びます! あ、これなら人前で読んでも秋のあだ名ってことに出来るじゃん、すごい!」
「お願いだから人前で呼ばないでください……」
どうしよう、泣きたくなってきた。今すぐ帰りたい。
回復ドリンク
エナジードリンクっぽい味の缶飲料。塗装は無地で、メーカーや原材料、消費期限は記されていない。HP(赤)・MP(青)の二種があり、それぞれに下級、中級、上級、最上級の四種のランク分けがある。ゲーム内で安価に手に入るため、シュウは各99本づつ購入していた。