06「Tips:武器や防具は装備しないと意味がない」
学校につくが、警察官は一人もいなかった。
「あれ……?」
まさか、イタズラ電話だと思われていたのだろうか? いや、仮にそうだとしても土日に部活動をする生徒はいる。いくら人が来ない旧校舎棟といえど、あれだけ派手に荒らされ、窓が割れて地面にガラスが飛び散っていたのだから誰かしら気づくはずだ。
そもそもいくら日曜日だとはいえ、人気が無さすぎる。マップ画面を見るが、人間を示す青の光点は一つも――
「って、待て待て待て!」
一つだけ、青い光点が校舎内を移動している。そして先程見た赤い光点が、青に向けて徐々に近づいていく。
これが意味することは一つ。ゲームの敵に、人間が追われているのだ。
僕はマップに映る青の点の位置へ全力で走る。
誰が襲われているのかはわからない。だが、ゲームをプレイしていた人間でないなら、僕のように食われてもゲームキャラとして復活できない可能性がある。
その辺の花壇にあったコンクリートブロックを掴み、はめ殺しの窓を割って校舎内に飛び込んだ。
目の前にはどこかで見た覚えのある女子生徒。背の高い、お淑やかな雰囲気の人だ。だが、今はその優しげな顔に焦りと恐怖が滲んでいる。
「大丈夫ですか!?」
「う、後ろ!」
女子生徒は僕の背後を指さす。
慌てて振り返る。視線の先には右腕が歪に膨れ上がった褐色の鬼。
レベル30の雑魚エネミー、「アームオンリー」だ。一撃が大きい敵だが、体力は低い。
僕は一瞬安堵する。二日前のメリーズグリムより遥かに弱い。
一撃が大きいとは言ったが、それは同レベル帯であった時の話だ。レベル100プレイヤー用の防具を持つ僕なら、直撃したとしても最大HPの1%にも満たないダメージしか受けない。
ほっと息をついた次の瞬間、僕はアームオンリーに廊下の端へ吹き飛ばされ、視界に映る自身のHPゲージを三割ほど削られた。
「かふ……っ!?」
ぶん殴られた腹を抑える。内臓が傷ついたのか、口から暗い色の血が零れた。
……ああ、そうか。ゲームじゃクエスト開始時の読み込み時に勝手に装備変更されたけれど、現実にクエストなんてものは無い。
「ひっ……!」
「し……しまった……防具、装備、し忘れ……!」
女子生徒の押し殺したような悲鳴が漏れる。激痛に悶えながら、僕は装備変更画面を開いた。
「戦闘用」と名付けたセットを選択し、装備を一括全変更。一瞬で身につけた服が黒いセーラー服へと切り替わり、手元に長刀、腰にライフルが現れた。
痛みを堪えながら長刀を構える。だが、アームオンリーは既にその右腕を女子生徒へと振りかぶっていた。
刀では間に合わない。僕は長刀を投げ捨て、腰のベルトにささったライフル銃を抜いた。
「《レイ・シュート》!」
叩いたショートカットキーと同時、全身が自動的に駆動し、トリガーを引いた。銃口から緋色の光が爆ぜ、エネルギーの弾丸が飛翔する。
長銃を片手で、それも素人の銃撃なんてまず当たるわけがない。
しかし、スキルを発動させた際、僕の体はその動きをなぞるということは先日既に確認した。
動作のアシストを受けた銃撃は的中はしないまでも敵の腕を掠め、その体勢を揺らがせた。
僕は低姿勢で駆けながら長刀を拾い、スキル名を叫ぶ。
「《アクセル、ブレイド》!」
身体が加速する。振り抜いた長刀が、敵を真っ二つに切り裂いた。
アームオンリーの身体はずるりと分かたれ、白い炎を上げながら消滅していった。
「ふぅー……けほっ、ゲホッ」
喉に詰まる血塊を吐き出し、インベントリからHP回復ドリンクを取り出す。
飲み干すと同時に痛みは完全に消えた。臍の見えそうな、というか丸見えな丈の短いセーラー服を捲りあげるが、傷跡も残っていない。
……しかし全く、言い訳のしようもない油断だ。ゲームなら「やっべミスったあははー」で済むが、現実でのミスは痛みを、いやあるいは最悪の場合、死ぬ可能性だって……
ともあれ、反省は後回しだ。
今は、この女子生徒にどう言い訳するか――そう思って振り返った瞬間、彼女は飛びつくようにして僕の両肩を掴んだ。
「ねえっ!」
「は、はい!?」
顔が近い。ぱっちりとした二重まぶたの大きな目がこちらを爛々と見つめている。女子生徒の方が身長が高いこともあってか、妙な威圧感があった。
何を言われるのかと身構える。僕がごくりと唾を飲み込んだ瞬間、彼女はもう耐えきれないといわんばかりに叫んだ。
「――すごい!」
「はい?」
予想していなかった言葉に、一瞬思考が停止する。
「今の何!? 異能!? それとも魔法!? お腹も治ってるし、超身体能力とかそんな感じ!? 夜の校舎で超人バトルとか、もう学園退魔モノのテンプレって感じですごい興奮するんだけど!」
「あ、あの」
「しかもしかも、黒髪ロングでセーラー服の美少女に日本刀とか、ちょっと定番抑えすぎ! もう完全に一昔前のラノベ……! ああもう、私、今人生で一番感動してる! あ、定番ではあるけど、刀と一緒に銃使ってるっていうのは結構新しいかも!」
「は、離して……」
女子生徒は両手で僕の顔を挟み、もはや額が触れ合いそうな位置まで顔を近づけてくる。
というか、とんでもない早口である。これはもう絶対にオタクだ、この人。見た目は清楚な優等生という感じなのに違和感がすごい。僕が言えたことでもないが。
「私、この学校の生徒会副会長やってる二年生の三日月碧里っていうんだけど――いや違うわ、まずはお礼ね、助けてくれて本当にありがとう! それでね、代わりっていうのもなんだけど、ちょっとウチに泊まっていって……ううん、むしろ住んで! アレでしょ、どうせまだ人間界に来たばかりで住むところがないとかそういう感じでしょ!?」
勝手に変な設定が足されていく。女子の先輩と同棲、というワードに一瞬心動かされそうにはなったが、慌ててクラスを精神感応者に変更し、スキルを使用した。
「《精神誘導》……っ!」
「あれ……?」
女子生徒――三日月先輩がパッと手を離す。
「あの、僕は一般人なので……!」
「うん……? そっか、突然現れた怪物を銃と刀で薙ぎ払って助けてくれた謎の美少女ぐらい、どこにでもいる普通の一般人――って、そんなわけないでしょ!?」
む、無効化された……! いや、というよりは流石に無理のある誘導だったと見るべきか。あくまで推測だが、見た目を誤魔化すだけならまだしも先ほどの戦いが記憶に残っているのに一般人と認識させるのは難しかったのだ。
上位スキルの《記憶操作》や《洗脳支配》なら何とかなったのかもしれないが精神感応者がレベル1である僕はどちらも習得していない。
「あれでしょ、一般人に裏の世界のことを隠すための記憶処理的な! 忘却術とか世界の歪みとか、そういうやつ! なるほど、つまりは異能無効化が私の異能……!」
……よし、もう逃げよう。
僕は入ってきた窓から飛び出す。
三日月先輩は慌てて追いかけてこようとしたが、その前に《修復》のスキルで割った窓を直す。別の場所から校舎外に出ようとする先輩だが、もう間に合わない。超人的なスピードで移動できる僕は一瞬で校舎の裏に回り、装備を元に戻す。その後、大きく迂回して家のそばへとたどり着いた。
「ふぅ……」
ここまで来れば大丈夫だろう。
マップを見る限りもう学校や街中にエネミーはいないようだし、三日月先輩を示す青点も観念したように学校の敷地外へと出ていった。
僕はひとっ飛びで家の屋根に飛び乗る。二階の窓から自室に戻り、荷物を置いてベッドへ横になった。
変更適用のボタンをタップし、元の格好へと戻った。《精神誘導》の効果はわかったが、別に女の子の格好でいたいわけでもない。
「ショトカ設定して、攻撃スキルが暴発しないようにパレット変えて……よし」
ひとまず、今日はこれで安心だ。母さんに顔を見せても問題ない……だろう。多分。
「問題は、明日からだよなぁ……」
僕の予想では、警察によってしばらく学校が立ち入り禁止か、そうでなくても警戒状態になるはずだったのだ。
なのに、バリケードテープの一本も張られていない。パトカーの一台も見かけない。
「……確かめるか」
母さんが寝たら、もう一度学校に行こう。
※
深夜零時。マップを見るが、校舎内に人間の反応はない。警官だけでなく、宿直の教師や用務員もいないようだ。
こつん、こつん、と静まり返った夜の校舎にローファーの音だけが響く。夕方の反省を生かし、僕は既に装備を黒セーラー含む戦闘用の一式に変更しておいた。
「ぬぐ……」
こうして特に切羽詰まっていない状態でこんなのを着るのは恥ずかしいが、戦闘に使える装備の中で一番まともなのがこれなのだから仕方がない。他は水着のようなSF風バトルスーツや、魔法少女のようなフリフリ衣装ばかりである。人がいないのはわかっているが、もし見られたらと思うと死ぬ。
階段を上り切り、旧校舎棟四階へとたどり着く。そして、僕はそこにあったものを――いや、そこになかったものを見て足を止める。
廊下には、傷跡一つ無かった。
黒犬の咆撃でクレーターのようになった壁も、割れた窓も、吹き飛ばされた扉も、僕が叩き切った消火器も、まるで何事もなかったかのように元通りになっている。
「……そりゃ、僕以外にプレイヤーがいてもおかしくないよな」
僕は頬をかきながら廊下に立ち尽くす。
この破壊痕の修復は、恐らく僕が今日窓を直すために使った《修復》によるものだろう。
そして、それが行使された理由は明白である。
「……隠そうとしてる」
何を隠したいのかはわからない。異常の存在か、僕の存在か、エネミーの存在か、それともそれらによって露見する自身の存在か。
警察が来ないのも、学校に人がいないのも、《精神誘導》などの催眠術系スキルによるものだと思えば納得できる。
精神感応者がレベル1の僕では警察への通報をなかったことにするのは無理そうだが、《洗脳支配》や《記憶操作》のスキルが使えるプレイヤーなら恐らく可能だろう。
「うーん……」
僕の身体に起こった異変、ゲームキャラの現実化、未知の他プレイヤー……情報が全く足りない。自分の手元以外に何も見えないような、そんな不安を感じてしまう。
このまま家に帰って大丈夫なのだろうか、学校に通うのは不利益があるのかも、誰かに知らせた方がいいのか、一人で抱え込んでいればいいのか……
「…………」
窓から覗く月を仰ぐ。
薄い雲を纏う金色の光を見ながら考えを巡らせるが、結論は出ない。
マップを見ながら校舎内を当てもなくぶらぶらと探索し、やがて空が白んできたのを見て家へと帰宅した。
《記憶操作》
使用条件:精神感応者Lv50以上
効果:自身に向けられたヘイトをゼロにする。チーム戦において強力だが、入力から発動までが長く緊急離脱等には向いていない。
《洗脳支配》
使用条件:催眠干渉者Lv1以上
効果:対象にした敵一体を味方にする。同時に味方にできるのは十体までで、自身よりレベルの低い雑魚エネミーにのみ有効。時間制限はなくずっとついてくるが、フィールド外に連れ出すことはできない。