10「このゲームは全年齢対象です。」
それから数十分後。一撃で殺さないように注意しつつ、RDウルフを倒した。
RDウルフはHPこそ高いものの、特殊な能力もスキルもなく、動きさえもゲーム時のモーションとほとんど同じ。前二回と違い気持ちの準備が出来ていたのもあって、特に苦戦することはなかった。
赤い狼は白い炎に包まれ、ゆっくりと透過していく。レベルアップのジングルが聞こえ、精神感応者のレベルが1から3へと上がった。
レベルアップで得たステータスを上げるためのポイントは全てMP増加へつぎ込む。これで、僅かながらMPの余裕ができた。
「まあ、収穫はあったかな」
手がかりこそ得られなかったが、代わりにゲームキャラクターとしての能力やスキルの使い勝手、現実化の「仕様」などもある程度把握できた。
RDウルフと戦って、分かったことはいくつかある。
一例を上げるなら……そう、「肌が剥き出しになった部位を攻撃されると、防具を装備していない時と同じダメージを受ける」。
そりゃそうだろうと思われるかもしれないが、ゲームでは素肌に攻撃を喰らっても装備の防御力分ダメージが減衰されていた。開発会社だって素肌と装備部分を分けて当たり判定を作る暇はないし、作ったところで頻繁に一発死が発生するクソゲーになるだけである。
つまり、現実はクソゲーだ。例え相手が雑魚だったとしても、剥き出しになっている頭や太ももを攻撃されれば大ダメージ。全身覆うタイプのバトルスーツ装備とか確保しておけばよかった。
だがしかし、これは相手も同様である。ゲームでは特別に弱点が設定されていない限りどこを攻撃しても同じダメージしか出なかったが、今は頭や心臓などの生物的な急所を攻撃すればダメージ量が大幅に増加するし、他にも目を潰したり、脚を切り落としたりと戦術の幅が広がっている。
それ以外にも毒や精神攻撃などの状態異常の挙動や、ドロップアイテムの剥ぎ取り実験、また落とした石をぶつける・火で炙る・窒息させるなどのゲームに関係ない手段によるダメージ量なんかも検証した。
人間相手に試すわけにもいかなかったので、今回で気になっていたことを確認出来たのは大きい。RDウルフはなかなか優秀な実験体だった。HPドリンク十本を使って回復させながら検証した甲斐はある。
まあ「素肌には防御力がない」なんて、検証するまでもないと言えなくはないが、足元から一歩ずつ確認していかないと思わぬ落とし穴がありそうで怖い。
HPが三割減るだけだからと言って四階から飛び降りてみたら、首の骨を折って即死、なんて事態もあるかもしれないのだ。実際昨日似たような油断をしているし。
その後もいくつかのスキルを試したり、アイテムや装備品について確認していたが、エネミーの出てくる気配はない。今日はもうRDウルフだけで打ち止めのようだ。……もしかして、一日一体しか出ないのだろうか。
僕は装備を元に戻し、鞄を担いで家路を辿った。
※
帰った後も時折マップを開いて赤い光点が無いか確認していた僕だったが、結局校舎、加えて町にエネミーが現れることはなかった。マップの表示を誤魔化す手段があるのかもしれないが、そうなるともうどうにもならない。
そして翌日。
「ふぁ……」
あくびを漏らす。学校はともかく、家の中で過ごすのには少し慣れてきた。
母さんとは普段から顔を合わせる仲じゃないし、男子高校生的な溢れる性欲さえ我慢すれば、トイレと風呂、着替え以外は特に変わったこともない。絆創膏つけてないと乳首が擦れるとか、うつ伏せになりにくいとか、ズボンの尻のあたりがキツいとか……やっぱり細かいことを言い出すとキリがないのでこの辺でやめておく。
体格の変化はそこまで大きくなかったので、動きに誤差があるのにはいつの間にか順応していた。アバターの身長をずっと低くしていたり、極端に体型が変わっていたならそれなりに困ることもあったのだろうが、幸い僕の好みはスレンダーな女の子である。自分の性癖に感謝する日がくるとは思わなかった。
参考のために、男が女に変わる話……なんだっけ、TSモノっていうんだったか。なども読もうと思っていたのだが、この分なら必要ないだろう。お金も無いし。
「行ってきます」
昨日と同じようにコンタクトを付け、サラシを巻き、家を出た。今日こそは何事もなく一日を――
「おはよ!」
玄関の先には、三日月先輩が立っていた。なんで僕の家知ってるんだこの人。
「……おはようございます」
「テンション低いね、アキちゃん?」
「知り合ったばかりの人に教えてもない住所を知られているという出来事がありまして」
「ふーん、大変だね」
皮肉も通用しない。僕は諦めて学校へと歩きだす。
住所を調べられているのには驚いたが、司あたりに聞けば分かることだ。なんで僕に直接聞かないのか疑問だが。いや、聞かれても教えなかっただろうけど。
しかし、美人な女子の先輩と二人で登校という男子高校生垂涎のシチュエーションなのに、あんまり嬉しくないのは何故だろう。この人が変な人だからだな、うん。
そんな僕の失礼な心情を知ってか知らずか、先輩は十歩も歩かない内に与太話を開始する。
「私さ、アキちゃんはてっきり日暮君と家が隣で、『起きてよ司! 早くしないと学校遅れちゃうよ! 朝ごはん作っといたから、さっさと支度してね!』って毎朝部屋まで来て布団を揺さぶりながら言ってるものだと」
ねーよ。何のギャルゲだ。
先輩の妄想を話半分に聞きつつ、通学路を歩いていく。MP消費量的に今から《精神誘導》を発動させていると昼休みまで保たないので、通学中は発動させていない。前髪で顔を隠しているし、遠目ならわからないだろう。
しかし、学校に近づくにつれ、周囲に生徒が増えてくる。三日月先輩の知り合いらしき女子生徒がこちらに向けて挨拶した。
「おはようございます、三日月さん」
「うん、おはよう」
「三日月ちゃん、おはよう」
「おはようございます、先輩」
司の言っていた通り三日月先輩は人気者で、男女、学年問わず何人もの生徒が通りがかりに話しかけてくる。誰も彼もキラキラとした青春の輝きを纏っていて、日陰者の僕には居心地が悪い。話しかけられないようにそっと距離を置く。
「君は三日月君の……妹さんかい? どうして男子の制服を?」
おいやめろそこのイケメンリア充。誰だか知らないが僕みたいな陰キャラに陽の気を当ててくるな。大体そんなに先輩と似てないだろ。
「妹じゃないです。ただの一般生徒なんで気にしないでください。えっと……先輩、僕先に行ってます」
「えぇ? 校門まで一緒に行ってくれてもいいのに……それに昨日新聞部に調べてもらったのもまだ――」
「後でLINEで送ってください!」
僕は追ってこようとする先輩を振り切り、《精神誘導》を発動させながら早足で教室へと向かった。
※
授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
朝にMPを節約した甲斐あって、特に問題なく昼休みまで過ごすことに成功。昨日は色々と手間取ったが、慣れればなんてことはない。僕は仮にもゲーマー、リソース管理ぐらいお手の物である。
そう、教室も戦場だと思えばいい。先生が生徒からのヘイトを稼いだ時にMPを貯め、こちらに注目が集まりそうな時は事前に予測して《精神誘導》をオン。ネトゲの経験が活きたと言えよう、授業より頭使うけど。
ともあれ、一人になれる場所に移動するために顔を伏せながらマップを開く。部室までのルートに人は……うん、結構いるな。これだと部室に向かうまでの間に《精神誘導》を使ってMPをロスしてしまう。
移動教室の帰りみたいだし、十分ほど待てばいなくなるだろう。僕は机に突っ伏し、目を閉じる。相も変わらず眠い眠い。
しかし、寝ようと思った矢先にぴこんとスマホが鳴った。三日月先輩からだ。
メッセージにはずらずらと何人もの生徒の名前が並んでいる。想像していた以上に人数が多い。
〈最近様子が変わった生徒の一覧。と言っても、夏休み明けだから結構イメチェンしてる人多いんだよね〉
なるほど、言われてみればそうだ。
見れば、一覧の中に同級生の山田くんの名前があった。彼は夏休み前まで僕と同様ヒョロい感じの男子だったのだが、今は夏休み中プールに通い続けた成果としてムッキムキになっている。……というか、そんなことまで知っている新聞部の暗躍隊とは一体何者なのだろうか。
〈この中じゃ不良の先黒先輩とか、ロリ巨乳の暗藤さんとかがメインキャラにオススメだよ。鈴木君とかもいいんだけど、ちょっと日暮君の出番を喰いそうなんだよね〉
何の話だ。別に僕の好みで選ぶわけじゃないし、仲間にするわけでもないのだが。
あくまでプレイヤーが他にいないかの調査なのに、やはり先輩はどこかズレている。
スマホ画面をスワイプし、名簿を眺めていく。学年などが隣に追記されているあたり仕事が細かい。
中村充希、鈴藤星二、鈴木光弥、先黒隆成、暗藤黎香……当然だが、知らない名前ばかりだ。
これ全部当たらなきゃならないのか、面倒くさいな――と思っていると、名簿の中にどこかで聞いた名前を見つける。
一年四組、兼ヶ井 静鳴。
……誰だっけか。
確か、金曜日に司と話した……そう、夏休み明けのテストで全教科満点をとった女子だ。夏休みデビューしたとか言われていて、新学期始まって三日で十人フッたとか何とか。あの日は夜の校舎での戦いとその後の風呂が印象に残り過ぎてろくに覚えていない。
僕は記憶を掘り起こす。うん、そういえば少し話した気がする。ちょっとわざとらしい感じのアニメ声で――
「司くんっ、一緒に昼ごはん食べよ?」
そうそう、こんな感じの声――って、ちょっと待て。
僕は《精神誘導》を発動させながら身を起こす。
眼の前には少し上目遣いで司に話しかける、現実ではあり得ない――まるでゲームキャラクターのような青い瞳と鮮やか過ぎる金色のツインテールを持った、絶世の美少女がいた。
金髪の美少女――兼ヶ井は司の方を向いて、こちらには気づいていない。僕は意識を集中し、じっと彼女の姿を見つめた。
――グロリア・ヴァニティ/Gloria Vanity
HP:8041/8041 MP:11046/11972
MainClass:催眠施術師Lv91――
間違いなく、プレイヤーだった。
気づけば、うるさいほどに心臓が鼓動を鳴らしていた。心拍数が跳ね上がっている。
なんで気づかなかった? 髪を染めるのもカラコンも禁止されているこの高校で、金髪に青い目を見ても自然なこととして受け入れて……いや、気づかないように操作されていたのか。僕の《精神誘導》と同じように。
それに、催眠施術師は精神感応者の上位クラスだ。《洗脳支配》を始めとして《意伝子汚染》や《精神掌握》など、現実で使えば他人を思うままに出来るスキルが揃っている。
精神攻撃に耐性がある今の僕ならともかく、普通の人間だった四日前の僕ではそれに対抗できなかったのだろう。
司は可愛らしく上目遣いで言ってくる兼ヶ井に対し、「あー、今日は生徒会室で仕事しながら食うから」と断り、席を立とうとする。こんな現実離れした美少女相手に言われても先約を重視するあたり人間が出来ているというか欲が無いというか。何とも司らしい。
僕が少し呆れたような感心したような気持ちになっていると、兼ヶ井の瞳が紫色に輝いた。
「《霊視覚・魅了》」
その声が聞こえたのは僕だけだっただろう。
聞いたことのないスキルを兼ヶ井が呟いた瞬間、司の目から光が消えた。
「ああ……いいぜ、兼ヶ井。よく考えたら生徒会なんてどうでもいいや」
「――!」
普段の司からは考えられない言葉に、僕は思わず立ち上がる。こいつは僕と違って真面目で、誠実な男だ。自分のやるべきことを投げ出したりはしない。
しかし、立ち上がった勢いでうっかり椅子を倒してしまう。司や周囲のクラスメイトが驚いたようにこちらを見た。
「どうした、秋?」
「い、いや……」
……ここで騒ぎを起こすのはまずい。
僕は兼ヶ井の目を避けるようにして教室を出た。
《意伝子汚染》
敵単体にダメージと、命中率低下状態を与える光線を撃つ。被弾した敵は紫色の光を放ち、周囲に微ダメージを与える。光は二回まで連鎖するので、密集した敵を攻撃する際に有効。
《精神掌握》
敵単体を行動不能状態にする。ただしダメージを与えられると一時的に強化された状態で反撃しだす。