00「タイトルメニュー:ゲーム開始」
昨日買ってきたタオルを胸元にきつく巻く。
予想はしていたが、予想の十倍ぐらい苦しい。ぐぇ、という潰れたカエルのような声が漏れた。だが、その声は三日前の僕より幾分か高い。以前がトノサマガエルだとしたら現在はアマガエルの子供ほど音階に違いがある。
カエルの子供はオタマジャクシだろ陰キャ野郎、と鏡に映る自身にツッコミを入れつつ着替えを続ける。九月の残暑は厳しいが我慢して学ランに袖を通し、一番上まできっちりとボタンを留めた。
それにしても、鏡面に映る姿はまるで僕と似つかない。濡羽色の長く滑らかな黒髪に、整った目鼻立ち。きめ細やかな白い肌。誰だよコイツと思わなくもないが、しかしこの鏡は幻を映す魔法の鏡ではなく、ホームセンターで買った安物の卓上鏡である。つまりはそこに映っているその少女こそ僕なのであろう。
ついでに特徴を言うならば、あり得ないほどに瞳が赤い。
目が、ではなく瞳。アルビノを連想させるが別段紫外線に弱いということはなく、ただ謎に赤いだけである。カラーコンタクトレンズなどもつけていない。というか、昨日この赤い瞳を隠すためにわざわざ黒のカラコンを買ってきたのだ。
今はタオル――サラシで隠しているが、スタイルもまあ、良い。スレンダーではあるが、多分バストもBは普通にあるのではなかろうか。睡眠不足でできた目の下のクマや、性根の悪そうな表情さえなければおよそ完璧な美少女であろう。……故にこそ、問題なのだが。
「はぁ」
ため息をつきつつ、小指を動かす。カタ、と僕にだけ聞こえるキーボード音が鳴り、虚空に半透明の立体画面が現れた。
人差し指を使い、まるでゲームのメニュー画面のようなそれを操作していく。この画面も僕にしか見えないために、傍から見たら空中に指でなんか書いてる変な人である。
「変更適用」と書かれたボタンをタップ。わずかに頭が軽くなった。
一瞬で短くなった髪を適当に崩し、前髪で目元を隠す。
カラコンをつけ終わった僕は、鞄を持ち部屋を出る。廊下に立っていた母さんを見ながら、見えないキーボードを押し込んだ。
「《精神誘導》」
口の中で小さく呟く。母さんがこちらを振り返るが、特に驚く様子はない。
「おはよう、秋」
「……おはよう。じゃあ、行ってきます」
朝食を食べないのはいつものことだ。
僕は少し緊張しながら、微妙にサイズが合わない気がする靴を履き、家を出た。
「女になってるって、バレなきゃいいなぁ……」
庭先で立ち止まり、ポツリと零す。
まあ、多分大丈夫だろう。元々細めだったし、背もそこまで変わってないし、ついでに言うと友達も一人しかいないし……うん、いけるいける。
周囲を過剰な程に伺いつつ、僕は学校に向かって歩き始めた。