第95話 沈む三日月
ユガンを見失った『ファング・ドラゴン』は、新たな獲物を求めて『火山のダンジョン』を彷徨っていた。
所詮、彼は『巨大な火竜』によって屍から造られた人形。
あと数日で朽ち果てる運命だった。
ならばせめて最後に、誰か冒険者を殺したい。
そうしてダンジョン内を彷徨っていると、おあつらえ向きの者達を見つける。
『ファング・ドラゴン』は踵を返して、彼らの下に急行した。
モニカは『三日月の騎士』同盟と『白狼』の戦いを『鷹の目』で見守っていた。
(よかった。ユガンさんはどうにか街に帰れそう)
ロランに言われて、なるべく同盟と盗賊の戦いに巻き込まれないよう距離を取っていたが、内心ではユガンがやられはしないかと気が気でなかった。
よそのギルドとはいえ一度は一緒に戦った仲だ。
なんだかんだ、無事でいて欲しかった。
(それにしても盗賊の人達、予想以上に強い。ユガンさんをあそこまで追い詰めるなんて。決して突出したクラスの冒険者がいるわけじゃないけれど、対人戦に慣れてるんだ。これはロランさんに報告しておいた方がいいかも)
モニカが『鷹の目』の視点を切り替えようとすると猛スピードでこちらに近付いてくる一つの影が見えた。
(えっ? 何これ?)
モニカは慌てて影を補足しようとしたが、あまりに早くて正体を掴めなかった。
(とんでもなく俊敏の高いモンスター! こっちに来る)
モニカはレオン達の方を振り返った。
彼らは鍛錬を終えて、一息ついているところだった。
ステータスはすっかり消耗している。
今、戦いになればひとたまりもなかった。
「皆さん、急いで荷物をまとめて。強敵が来ます!」
モニカと『暁の盾』、『天馬の矢』一行は、急いで山を降りていた。
「ちくしょー。いきなりなんだってんだよ」
「『三日月の騎士』と『白狼』の戦いは山の裏で起こってるんじゃなかったの?」
「ええ、そのはずなんですが……、正体不明のモンスターが近づいてきています。こんなの『火山のダンジョン』のモンスターリストにはなかった」
「敵はそれほど強いのかい?」
「はい。おそらくAクラス相当のモンスターかと思われます」
モニカは『鷹の目』で敵の位置をチェックしながら言った。
(ダメ。振り切れない。このままじゃ追いつかれる)
「モニカ。戦うことは出来ないのかい?」
ハンスが言った。
「えっ?」
「君の戦闘力は折り紙つきだし。僕達もここ数日の鍛錬で力を付けたはずだ。強敵とはいえ、やってやれないことはないんじゃないか?」
モニカはメンバーを振り仰いだ。
(確かにみんなロランさんのメニューをこなして強くなった。Bクラス相当の実力はある。だけど……、指揮官がいない!Aクラスは私一人。みんな消耗しているこの状態で、戦えるか?)
モニカはしばし逡巡した。
しかし、他に選択肢はない。
「分かりました。戦いましょう」
(どのみち遭遇は避けられない。早いとこ覚悟を決めないと手遅れになる)
モニカ達は戦いやすい場所を選んで、迎撃態勢を敷いた。
彼らは右側が斜面、左側が切り立った崖になった細い道上に布陣した。
道なりにやって来た敵を射撃する作戦である。
「いいですか。敵は非常に俊敏の高いモンスター。接近戦になれば厄介です。幸い、こちらには弓使いが5人います。出会い頭に弓射撃でダメージを与えて戦いを優位に進めますよ」
モニカは自分で言いながら、自分のアイディアに疑問を持った。
(もし、初撃をかわされたら? その後はどうする? Aクラス相手にこんな戦い方で本当にいいの?)
しかし、今さら考えている時間はなかった。
「道の向こうからもうすぐ敵が姿を表します。皆さん、矢を番えて。白兵戦装備の方々は後ろを固めて下さい」
すぐに舞い上がる土煙と共に『ファング・ドラゴン』が姿を現した。
「何だこいつは? 見たことがないぞ」
「狼? いや、竜?」
『遠視』を使っていち早く敵の姿を捕捉したジェフとクレアは『ファング・ドラゴン』の姿に戸惑いを隠せなかった。
「射程に入りました。皆さん、射って!」
5本の矢が一斉に放たれる。
しかし、『ファング・ドラゴン』はさらにスピードを上げて矢を全てかわし、崖を駆け下っていく。
(速い!)
そのまま『ファング・ドラゴン』は崖下の茂みを盾にして、モニカ達の背後に回り込む。
「後ろから来ます!準備して!」
全員、ポカンとした。
敵は先ほど崖を駆け下っていったばかりではないか。
モニカは何を言っているのだろう?
「どいて!」
モニカはエリオを押しのけて最後尾に移動する。
すぐに『ファング・ドラゴン』が崖を駆け上がって、一行の背後から飛び込んできた。
(矢を番え……、間に合わない!)
『ファング・ドラゴン』が大口を開けて噛み付こうとしてくる。
モニカは咄嗟に弓を手放して、腕を顔の前で交差させ受け身を取る。
『ファング・ドラゴン』の牙がモニカの腕に食い込んでくる。
「うぐっ」
『ファング・ドラゴン』はそのままモニカを押し倒して、取っ組み合いながら、斜面を転がり落ちる。
「っく、このっ」
モニカは『ファング・ドラゴン』の腹を蹴り上げだ
『ファング・ドラゴン』はモニカの体を離れて宙を舞う。
(……軽い?)
『ファング・ドラゴン』は地面に着地すると、すぐにまた加速して走り出す。
モニカもすぐに起き上がった。
腕からダラダラと血が流れてくる。
「はぁ、はぁ」
(腕力は……そこまで高くない。速さに特化してる。まるで俊敏の高い冒険者を捕まえるために生まれてきたような、そんなモンスター……)
腕がズキリと痛んで、顔をしかめた。
(咄嗟に防御したけど、ステータス……削られちゃったな)
モニカは『鷹の目』で周囲を見回した。
辺りには平地が広がっている。
(広い場所に引き摺り込まれてしまったか。俊敏の高い方が有利かな)
「モニカ! 大丈夫か?」
崖の上からハンスが声をかける。
「そのままそこにいて!」
モニカは降りて来ようとするハンス達を制止した。
「弓を寄越して! 早く!」
ハンスはモニカに向かって弓を投げる。
(やっぱり私に指揮はムリ。一人で戦う方法考えよう)
モニカは『ファング・ドラゴン』の位置を確認した。
少し離れたが、またこちらに向かってくる。
(スピードに乗った状態の敵に命中させるのは難しい。ただ、敵もあのスピードでは方向転換するのは難しそう。肉を切らせて骨を断つ。ダメージ覚悟で、近付いてきたところに矢を射ち込めば、いける……か?)
『ファング・ドラゴン』が高速で近付いてきた。
モニカは進路に立ち塞がろうとする。
しかし、その時、空をつんざくけたたましい鳴き声が聞こえてきた。
(まさか!)
『火竜』の群れが空に現れた。
そのうちの一匹が『火の息』を放とうとしてくる。
「チィッ」
モニカは向きを変えて、『火竜』を撃ち落とした。
しかし、その隙に『ファング・ドラゴン』がモニカの肩を爪で斬りつけて走り去って行く。
「あうっ」
モニカはよろめきながらも、なんとか踏みとどまって反撃しようとする。
しかし、その時には残りの『火竜』は山影に、『ファング・ドラゴン』は雑木林の影に逃げこんでしまっていた。
「モニカ。大丈夫か?」
「平気。気にしないで」
そう言いつつも、モニカの顔色は優れなかった。
肩を庇いながらおぼつかない足取りで、立っているのがやっとという感じだった。
ジェフは歯噛みした。
(くっ。なんとかならねーのかよ。でも、下手に加勢したら足を引っ張りそうだし。くそっ)
モニカは先ほどの敵の攻撃を分析する。
(示し合わせたように空と地上から攻撃してきた。コミュニケーションをとって連携してる。やっぱりあの新種は竜族なんだ。でも、どうする? 『火の息』を食らうわけにはいかないし。このままじゃジワジワと削られていくだけ。考えろ。ロランさんならどうする?)
モニカはレオン達の方をチラリと見る。
(せめてロランさんがいれば、彼らと連携を取れるよう指揮してくれるのに。ロランさんっ)
再び、『ファング・ドラゴン』と『火竜』が連動して、こちらに向かってくる。モニカは『火竜』の方に向かって走り出した。
(先に『火竜』を倒す!)
『火竜』もモニカを迎え撃つべく照準を合わせてくる。
撃ち合いになろうというところでモニカは青ざめる。
(ウソ。腕が上がらない)
『火の息』が放たれる。
モニカは目を瞑った。
その時、爆風がモニカの上空に巻き起こって、『火の息』をかき消した。
「えっ?」
モニカは目をパチクリさせる。
「わー、凄いですお兄様」
「うん。この杖、凄い威力だね」
崖の上、レオン達のいる場所に新たな人物が二人加わっていた。
二人とも魔導師の格好をしている。
ウィルとラナだった。
(あの人達は……魔導師? 『精霊の工廠』の武器を持ってる。援軍?)
ウィルは杖に刻まれた『精霊の工廠』の紋章を指でなぞった。
「対『火竜』用に作られた、対空攻撃魔法用の杖。銀製でもないのにこれほどの威力を出せるとね」
(『精霊の工廠』、錬金術の腕は本物だな)
「あの、あなた達は一体?」
クレアがおずおずと尋ねた。
「僕はウィル。こっちは妹のラナ。ロランに言われて来たんだ。君達の訓練に加わるようにって」
「まさかこんな修羅場になっているとは思いませんでしたけどねー」
攻撃を邪魔されて怒った『火竜』達は、ウィルの方に向かってくる。
「お兄様。『火竜』が来てます。『爆風魔法』でやっつけましょう」
「うーん。それもいいけど、この位置で撃ち落とすとあの弓使いの娘を巻き込んでしまうかもしれない。ここはニコラ、君がなんとかしてよ」
「はいはい。ちょっと失礼しますよ」
後ろの方から、竪琴を抱えた吟遊詩人のニコラが現れた。
すぐに不思議な『竜音』の音色が奏でられる。
すると『火竜』はおもむろに敵意を鎮めて山の頂上へと帰っていった。
「竜が立ち去っていく……」
一同、狐につままれたような気分で見守った。
(ロランの奴、またこんな凄い装備を作ったのか。まったく驚かせてくれるよ)
ハンスは呆れたように苦笑した。
危機を脱して全員力が抜けそうになるが、息つく暇もなく、土煙と共に『ファング・ドラゴン』がモニカに接近する。
「なんだあいつ? 『竜音』が効かない?」
ウィルが訝しげに目を細めた。
「Aクラスの竜族かもしれません。この竪琴で操ることができるのは、Bクラスの竜までです」
「ラナ。君の支援魔法でどうにかならないか?」
「はい。やってみます」
ラナは『地殻魔法』を唱えた。
モニカと『ファング・ドラゴン』の間の地面がせり上がる。
しかし、『ファング・ドラゴン』はせり上がった地面のブロックをほぼ垂直に駆け登っていった。
「あいつ、なんて脚力だ!『地殻魔法』がまるで意味をなしていない」
ウィルはその場にいる者達を見回した。
(チィ。遠距離攻撃用の装備は全員対空特化。白兵戦をするにも今から下に降りていては間に合わない)
(でも、私の『鷹の目』なら向こう側にいる敵の動きも掴める!)
モニカは『ファング・ドラゴン』が駆け上って来る地点を割り出し、最後の力を振り絞って弓矢を構える。
『地殻魔法』でせり上がった地面の頂上に達し、モニカの方へ不用意に飛び込んできた『ファング・ドラゴン』は、一瞬空中をゆっくりと漂う。
モニカはその一瞬を逃すことなく、『一撃必殺』で『ファング・ドラゴン』を仕留めた。
肉片と骨がパラパラと降りしきる中、モニカはその場にペタンと座り込んでしまった。
激闘が終わって、力が抜けると無性に寂しくなって、誰かに抱きしめてもらいたくなってきた。
崖の上にいる者達が降りてきて、モニカに励ましと称賛の声をかけるが、あまり慰めにならなかった。
モニカは力なく微笑む。
(やっぱり私はロランさんでなきゃダメなんだ。ロランさん、抱きしめてくれるかな)
山を降りた『白狼』の一行はユガン達より一足先に街へと帰還していた。
「ちっ。ダブルSのユガン、仕留め損なっちまったな」
「なぁに。『竜の熾火』からの依頼は果たしたさ」
彼らは『竜の熾火』から、『三日月の騎士』の装備をなるべく損耗させるように依頼されていた。
実際、彼らは『三日月の騎士』を存分に消耗させたと言えるだろう。
『三日月の騎士』は再び『竜の熾火』に頼らざるをえないというわけだった。
『竜の熾火』でラウルはメデスに食ってかかっていた。
「おい、どういうことだよ。なんで俺が降格で、エドガーが『三日月の騎士』の担当者になるんだよ」
「ラウル、先程も言ったが、これは降格ではない。担当者変更だ。今回の任務はエドガーの方が適役。そう判断したまでだ」
「ユガンの魔剣を修理できるのは俺だけだぞ」
「わかっておる。担当と言っても交渉の窓口を担当するだけだ。お前は今まで通り、魔剣の整備をしておればよい」
「いや、でもよ……」
「ラウル。これは決定事項だ。これ以上、つべこべと口を挟むことは許さん。お前は錬金術に専念しておればいいのだ」
メデスはそう言ってラウルを退けた。
「くそっ」
ラウルは腹立ち紛れに廊下の壁を殴るしかなかった。
ユガンは損耗した装備を整備するべく、『竜の熾火』を訪れていた。
エドガーが対応する。
「いやー。すみません。ユガンさん、今、あいにく手元の鉱石が切れていましてね」
エドガーはニヤニヤ笑いながら言った。
「申し訳ありませんが、依頼を受けることができないんですよ」
「またかよ。どうにかなんねーのか?」
「いやー。ホント申し訳ないんですけどね」
エドガーはあくまで人を食ったような態度で話し続ける。
(情報によると、『三日月の騎士』は3回ダンジョン探索する予定だ。つまりあと一度ウチに頼る必要がある。が、こうなったら搾れるだけ搾り取ってやるぜ。3回でも、4回でも、5回でも、6回でも……何回でもダンジョン探索に挑戦してもらうぜ、ユガンちゃんよぉ)
「ラウルはどうした? あいつと話がしたいんだが……」
「ラウルは交渉担当から降ろされましてね。今後は私が担当させていただきますよ。で、どうします? 前回みたいに『三日月の騎士』の方で鉱石を用意していただければ、すぐにでも取り掛かれるのですが?」
「……少し、考えさせてくれ」
ユガンは『竜の熾火』の廊下を歩きながら考えた。
副官からの報告によると、鉱石の調達率は70パーセント。
『竜の熾火』に提供すれば、また一からのやり直しとなるだろう。
ラスト一回のダンジョン探索で鉱石を採取しつつ、『巨大な火竜』を倒すなんてことができるだろうか?
(無茶だ。『巨大な火竜』にはまだ見ぬ隠し球があるんだぞ。『白狼』の連中も次はさらなる対策を施してくるに違いない)
「くそっ」
状況はどんどん悪くなるばかりだった。
(何か。何か手はねーのか)
「もし。そこのお方」
「あん?」
考えあぐねているユガンに見知らぬ男が声をかけた。
斧槍を抱えた戦士風の男である。
「なんだお前は?」
「あ、私北方の冒険者ギルド『霰の騎士』に所属しているギルバートと申します。失礼ですが『三日月の騎士』のユガンさんですよね? ひょっとして鉱石にお困りでは? だとしたらいい話がありますよ」
「なに? どんな話だ?」
「『暁の盾』と『天馬の矢』というギルドを狙うのです」
「『暁の盾』と『天馬の矢』?」
「ええ。彼らは街の倉庫に鉱石をたんまり保有しているので、ダンジョン内で撃破し、人質に取れば鉱石を沢山手に入れることができますよ」
ユガンは訝しげな顔をした。
(『暁の盾』と『天馬の矢』? 聞いたことねーな)
「おい。お前、知ってるか? 『暁の盾』と『天馬の矢』」
ユガンは傍に付き従っていた地元ギルドの者に話しかけた。
「はあ。知っているには知っていますが。まあ、取るに足りない零細ギルドですよ。そんな大量の鉱石を保有しているとはとても……」
「ただの零細ギルドかよ。おい。どういうことだ、ギルバート。お前の話と食い違ってんじゃねーか」
ユガンはキレ気味に言った。
「いや、しかしですね。彼らは必ずや『三日月の騎士』の脅威になりますよ。なにせスリと裏切り、賄賂でのし上がってきた極悪人ですから」
ユガンは顔をしかめる。
(なんだコイツ? いきなり論点すり替えやがって。胡散くせーな)
「ユガン殿は知らないかもしれないですけどね。この島でヤクザをやると、これが結構儲かるんですよ。鉱石をたんまり保有することも可能なくらいに」
「お、おう」
ユガンはギルバートにそこはかとないヤバさを感じたので、それ以上彼に近づかないようにした。
副官にも斧槍の男の言うことには耳を貸さないよう言いつけておく。
その後、ユガンは街で鉱石を調達しようとしたが、芳しい成果はあげられなかった。
(しょうがねえ。こうなったら……)
ユガンはとある決断をすることにした。
夜遅く、みんなが寝静まった頃、『三日月の騎士』隊員達はこっそりと港に向かって調達した鉱石を船に積み込む。
そして、そのまま朝イチの船便で島を出て行った。
(『巨大な火竜』の討伐はムリだ。これ以上『竜の熾火』と『白狼』の奴らに翻弄されるぐらいなら帰った方がマシだろ。ギルドのノルマは達成できていないが、それでもすっからかんで帰るよりはいくらかマシだ)
人々は『三日月の騎士』の電撃的な退散にしばし呆然とするも、その日のうちに三日月の旗は宿から撤去される。
島の人々はまたもや外から来た冒険者ギルドに失望するのであった。