第94話 アジリティ封じ
『巨大な火竜』は火山の火口にその身を横たえて寛ぎながら、ユガンが近づいてきているのを感じていた。
恐ろしく俊敏の高い剣士。
斥候に出た『飛竜』からの報告によるとそれが近づいて来る敵の特徴だった。
『巨大な火竜』は自分の周りで眠っている眷属達を見回した。
100体はいるであろう『火竜』達は、『巨大な火竜』が一声上げれば立ち所に目を覚まして、加勢してくれるだろう。
とはいえ、神速の俊敏を持つ敵に対して、それだけで十分な備えと言えるだろうか。
『火竜』達が肉の壁となり地面を埋め尽くせば、ユガンの俊敏は防げそうだが、それでも打撃を被るのは避けられまい。
『巨大な火竜』はしばらく思案した後、『竜核』と呼ばれる鈍色に輝く宝珠と狼の骨肉、竜の鱗に自らの血を塗り付けて、マグマの中に浸した。
しばらくするとマグマの中から竜の鱗と狼の牙、しなやかな四肢を備えたモンスターが這い上がってくる。
俊敏に特化した新種の竜族の誕生である。
不毛地帯を駆け抜けて、『巨大な火竜』のお膝元、灰色の地面の広がる場所まで辿り着いたユガンは、自分の第六感が警告を鳴らしているのを感じた。
(やばいっ)
それは幾多もの修羅場を潜り抜けてきた者だけに働く勘であった。
その勘が言っている。
この先に待ち受けている敵は『巨大な火竜』だけではない。
新たな脅威が待ち受けている。
(今、行けば確実に殺られる!)
その上、敵は『巨大な火竜』とその僕達ばかりではない。
彼らから上手く逃げおおせたとしても、その後ユガンは一人で『不毛地帯』を駆け抜けなければならないほか、『メタル・ライン』以降は盗賊達との戦いも待っている。
それだけのタフな戦闘、『巨大な火竜』と戦闘後のステータスで乗り切れるとはとても思えない。
そこまで考えると、ユガンは身を翻して脱兎のごとく来た道を引き返していった。
『巨大な火竜』は、近づいていた脅威が立ち去っていくのを感じた。
どうやらすんでのところでこちらの動き感づいたようだ。
『巨大な火竜』はなぜバレたのかと首を傾げながらも、先程創り出した新種の竜族を解き放ち、ユガンを追撃させることにした。
狼の脚力と竜の鱗を備えたそのモンスターは、その尋常ではない脚力によって、崖のようにそそり立つ火口を瞬く間に登りきり、ユガンの後を追いかけた。
鉱石の採掘場では、『三日月の騎士』の副官が地元の冒険者達に説明を求められていた。
ユガンがこの場にいないことが、彼らにバレたのだ。
「なあ、どういうことだよ。説明しろよ」
「なんでユガンが姿を見せないんだ?」
「落ち着いてください。ユガンはすぐに帰ってきます。決してそう遠くには行っておりません」
「じゃあ、教えろよ。ユガンはどこに行ったんだ?」
「それは……お話しかねますが……」
「なんで話せないんだよ。おかしいだろ」
「まさか、一人だけこの場から逃げたんじゃないだろうな?」
「冗談じゃないぞ。ユガンがいなければ、この同盟は烏合の衆じゃないか。帰りはどうするんだよ」
「落ち着いてください。皆さんの安全は我々が保証しますから」
副官はうんざりしながら地元の冒険者達を宥めた。
(まったく。役に立たないくせに要求することだけは一人前だな。ユガンもユガンだ。こんな状況で一人で先に行くなんて)
副官の心配は地元ギルドの動揺ばかりではなかった。
『三日月の騎士』の若い連中にとっても、地元冒険者の態度は腹に据えかねており、先程から募る苛立ちを隠しきれず、露骨に悪態を吐く者が後をたたなかった。
このままいけば、衝突は時間の問題だった。
副官は山頂の方にチラリと目配せする。
ユガンが山頂に向かってからすでに5日が過ぎていた。
順当にいけば『巨大な火竜』に遭遇してもおかしくない頃だが、SクラスモンスターとSクラス冒険者の激突する気配は一向に感じられない。
(一体どうしたんだユガン。まさかやられたなんてわけじゃないだろうな?)
副官がそんな風に心配していると、逆巻く砂塵を伴った黒い影がこちらに猛スピードで上方から近づいてきた。
ユガンだった。
「ユガン! よかった。無事だったんですね」
副官が喜ぶのもつかの間、すぐにその顔を強張らせた。
ユガンは顔中汗だくで息を切らしてる。
その様は全力で死地を逃れてきた者のそれだった。
「悪い。待たせちまったな」
「いえ、それよりも大丈夫ですか? その……あまり顔色が優れないようですが」
「大丈夫だ。だが、すぐにここを発つぞ」
「えっ?」
「『巨大な火竜』の僕が後を追ってきてる」
(『巨大な火竜』の僕? 『巨大な火竜』と配下の『火竜』以外に、まだ倒さなければならない強敵がいるっていうのか?)
「おそらくAクラス相当のモンスター。盗賊達と戦いながら、相手するのはちょっと骨の折れる相手だ」
(甘かったぜ。一人で『巨大な火竜』を倒そうなんざ。とても単独で倒せるような相手じゃねぇ)
「出発の準備はいつでもできています」
「そうか。なら、急ぐぞ」
ユガンの合流した同盟は、慌ただしく荷物をまとめて山を降り始めた。
すぐ様、盗賊達が仕掛けてくる。
戦いは前回と似たような展開を辿った。
まず『火竜』が襲ってきて、それに『三日月の騎士』が対応する。
逆側からは盗賊の弓隊が矢を放ってきて、地元ギルドが防御に当たる。
地元冒険者の一人は降ってくる矢を盾で受け止める。
(へへ。いくら矢を射かけられたってこの距離でこっちにダメージを与えることなんざできまい。盾を構えときゃあ、あとはユガンが始末してくれる。簡単なお仕事だぜ。ん?)
彼が盾の隙間から敵の方を伺っていると、弓隊の間からキラリと魔法の光が煌めくのが見えた。
すぐに彼に向かって炎の弾丸が飛んでくる。
盾を貫き、鎧を砕く。
「ぐっ、うぎゃああああああ」
その戦士は大ダメージを受けてその場にのたうち回った。
彼の保有していた鉱石はその場に散らばる。
「なんだ。今のは!?」
「まさか! 『竜頭の籠手』!?」
「おし。当たったぜ」
『竜頭の籠手』を腕に嵌めた攻撃魔導師ザインは、自らの放った火弾が敵の戦士に直撃したのを見てほくそ笑んだ。
「使い勝手はどうだ?」
ジャミルが尋ねる。
「いい感じだ。ラウルのやつ、いい仕事してくれたぜ」
「威力も申し分ないようだな」
ジャミルがのたうち回っている同盟の戦士を見ながら言った。
ザインの『竜頭の籠手』は、セインの『竜頭の籠手』のように『火竜』を一撃で撃ち落とすほどの威力はないにしても、同盟に多数在籍しているようなCクラスの戦士の盾と鎧を撃ち抜いてダメージを与えるには十分だった。
「よし。一人ずつ削っていけ」
「了解!」
再び『竜頭の籠手』が火を噴いた。
今度は別の戦士の盾を吹き飛ばす。
同盟側は騒然となった。
「ひっ」
「冗談じゃない」
「『竜頭の籠手』なんて。聞いてないぞ」
彼らは目に見えて浮き足立つ。
「どけ! 俺がいく」
地元冒険者達の列を抜けて、ユガンが飛び出した。
(あの『竜頭の籠手』使い手を仕留める!)
盗賊側もすかさず反応する。
「ユガンがきたぞ」
「集中的に攻撃しろ」
ユガンに向かって弓矢が雨あられと降り注がれる。
ユガンは矢を剣で弾きながら突き進んだ。
ジャミルはユガンの様子にかすかな違和感を感じる。
(僅かだが。俊敏を消耗している?)
「ザイン。ユガンを撃ってみろ」
「ん? 俺の役目は盾持ちを潰すことじゃなかったの?」
「少し試してみたいことがある」
「ふーん。ま、いっか。そらよっと」
矢の雨に混じって炎の弾丸がユガンに向かって放たれた。
「ハアアアアアッ」
ユガンは魔剣グラニールをもって、炎弾を一刀両断した。
「げっ。あいつ、爆炎魔法を斬りやがったぜ」
「魔剣の威力は健在か。仕方ない。一旦ずらかるぞ」
ジャミルとザインは戦域に背を向けて逃げ出した。
「逃すかよ」
ユガンは全力でザインとジャミルを追いかけるが、その前に武装解除した盗賊達が立ちはだかる。
「ユガンさん。我々は投降します」
「捕虜にしてください」
「どけコラァ!」
ユガンはしがみついてくる投降者達を蹴り飛ばしたが、『竜頭の籠手』を装備した攻撃魔導師はすでに戦場から姿を消していた。
(俊敏も高い攻撃魔導師か。チッ。厄介だな)
ユガンは立ち止まったところで足が重くなっているのを感じた。
(くそっ。全速力で山を登り降りしたせいでさすがに負担が蓄積してんな)
「どうやら撒けたようだな」
ザインは背後を確認しながらジャミルに話しかけた。
「ああ、『捕虜役』の奴らがきちんと働いてくれたようだ」
「しかし、ユガンの奴、前回より遅くなってね?」
「僅かだが、俊敏を消耗したようだな」
(5日も動きを止めて何をしているのかと思ったが、やはり何かトラブルがあったようだな。しかし、そうなれば……、ククッ。もしかしたらダブルSのユガンをこの手で仕留めることができるかもな)
山を降っていく同盟に再び『火竜』が襲い来る。
今度は左側からだった。
(左から『火竜』! ……ってことは盗賊は右か!)
ユガンは敵が矢を撃つ前に隊列を飛び越えて右側に走り込む。
射撃に適した高所を特定すると、案の定そこから敵が姿を現わすのが見えた。
(バカの一つ覚えみたいに同じ攻撃繰り返しやがって。そう何度も食らってたまるかよ!)
しかし、飛んで来たのは矢の雨ではなく、無数の鉄のトゲであった。
(? なんだこれ?)
それは木ノ実くらいの大きさで、三角錐を型作るようにトゲが四つの方向に伸びていた。
ユガンが試しに剣を振ってみると、鉄のトゲはアッサリと剣圧に吹き飛ばされて地面にポトポトと落ちていく。
「ハッ。こんなもんで俺にダメージを負わせられると思ってんのかよ」
ユガンは気にせず進み続けたが、盗賊達は盗賊達で意に介さず辺り一面に鉄のトゲを撒き散らして行く。
(何だこいつら? こんなもん投げても俺にダメージを与えられないことくらいわかるはずだろ?そればかりかてんで見当はずれの方向に投げて。一体何を……。うっ)
ユガンは足の裏に鋭い痛みを感じて足を止めた。
見ると、鉄のトゲが刺さって、血が流れている。
(まさかこれは……撒菱!?)
気付いた時には既に周囲一帯に撒菱がまかれていた。
「んのやろっ」
ユガンは剣圧で地面に撒かれた撒菱を吹き飛ばそうとしたが、大した効果はなかった。
(チィ。これでこっちの俊敏を封じようってわけか。いや、しかし……、それだと敵もこちらに攻めてこれないんじゃ?)
そんなユガンの予測に反して、盗賊達は撒菱の上を悠々と歩いてこちらに近づいてくる。
(バカな。なぜこの針山の上を平気な顔で歩ける? まさか!!)
盗賊達は黒光りする底の厚い靴を履いていた。
撒菱のダメージを無効化して進むことのできる装備『鉄足』だった。
弓矢を構えた盗賊達が谷を降りて、至近距離に構える。
ジャミルが高い場所からユガンを見下ろしながら、ほくそ笑む。
「ククッ。これで奴は袋のネズミも同然だ。四方八方から矢と爆炎魔法を撃ちまくれ!」
ユガンの方に今度は至近距離から矢が打ち込まれる。
「チィ」
ユガンは移動してかわそうとしたが、新たな撒菱が足の裏に刺さった。
「あぐっ」
足の痛みが増して、脚力が削られていく。
(くっそ。ドンドン俊敏が削られて……)
仕方なくユガンは飛んでくる矢と爆炎を剣で捌いた。
盗賊達の間に動揺が走る。
「なっ。こいつまだ防いでるぞ」
「落ち着け。もっと近くから撃つんだ。どうせ奴の剣はこちらに届きやしない」
盗賊達はもっと至近距離から矢を撃ち込もうと近付いてくる。
が、そこはすでにユガンの間合いだった。
ユガンが剣を振ると、盗賊達の弓は剣の切っ先に触れていないにもかかわらず、破壊されてしまう。
魔剣グラニールは、剣の届かない数メートル先の敵にも斬撃を浴びせることができた。
盗賊達は慌てて距離を取る。
「離れろ。こいつに近づくな」
「チィ。あの野郎これだけ俊敏を封じてもまだ仕留められないのかよ」
ジャミルは舌打ちした。
「おい、ヤバイぜ。このままじゃ……」
「分かってる」
ユガンに手こずっている間に、反対側では『三日月の騎士』達が『火竜』との戦闘を終えつつあった。
これ以上時間をかければ、彼らの加勢を招くことになるだろう。
「仕方ない。ユガンは諦めて、後ろで怯えている奴らを狙うぞ。戦士も投入しろ」
『白狼』の鎧と長槍、そして『鉄足』を装備した戦士がユガンと弓隊をパスして、地元冒険者達の方に向かっていく。
ユガンは敵の戦士達が自分のすぐ脇を通り過ぎていくのを歯噛みして見送るしかなかった。
俊敏を奪われたこの状況で、敵の弓隊に背を向けて味方の元に駆けつけるのはいくらSクラスの剣士といえども危険過ぎた。
(これ以上防御に徹している場合じゃねえか)
ユガンは脚を削られること覚悟で撒菱を踏みながら敵の弓使い部隊に突っ込んでいった。
やがて両軍入り乱れ、互いに多大な被害を及ぼす激戦となる。
血飛沫と壊れた装備の破片が飛び交い、悲鳴と怒号が鳴りひびく凄惨な光景が広がった。
同盟と『白狼』は数時間戦い続け、両者とも相手に相当なダメージを与えるが、最後の最後で互いに全滅しないよう力をセーブしたため決着は付かなかった。
その後は双方とも負傷者をかばいながらの行軍となったため、相手にちょっかいをかける余裕はなく、互いに相手の動きを伺いながら山を降りていった。
やがて街へと帰還する。