第76話 地獄の業火
「うおっ」
セインは崩れゆく『巨大な火竜』の体から逃れるべく、後ろに飛び退いた。
間一髪で崩落から免れる。
(危ねぇ。危ねぇ。だが、今の攻撃は手応えがあったぜ)
冒険者達の間でざわめきが起こった。
「『巨大な火竜』の体が崩れてるぞ」
「やったか?」
『巨大な火竜』の立っていた場所は砂埃に覆われてよく見えなかった。
冒険者達は視界が晴れるのを固唾を飲んで見守る。
やがて風が砂塵を連れ去るとそこには岩の鎧が剥がれ、鱗と生身の皮膚、要するにすっかり通常の竜のような姿をした『巨大な火竜』の姿が現れた(ただし、大きさは依然として普通の『火竜』とは比べ物にならないサイズである)。
岩の重しをすっかり取り払った『巨大な火竜』は犬のように体を身震いさせて、体に纏わり付いた砂塵や石くれを振り払うと、脱皮したばかりの蛇のようにキラキラと美しい鱗を現した。
爬虫類を思わせる独特の眼球運動でぎょろめかせながら、首を振ってキョロキョロと辺りを見回す。
先ほどまでの愚鈍さが嘘のようである。
「射撃隊下がって!」
アルルは急いで射撃していた者達を下がらせた。
(『巨大な火竜』に生気が戻った。やはり、今までは半分眠った状態で戦っていたのか)
「ふ。ついに本領発揮ってわけか。血湧き肉躍る……」
『巨大な火竜』はセインの方をジッと見たかと思うと、突然、雄叫びを上げ始めた。
(っ。なんだ!?)
セインは耳をつんざく竜の鳴き声に耳を塞いだ。
『巨大な火竜』が鳴き止むと、火山の火口からモゾモゾと何かが這い出てくる。
「あれは!?」
現れたのは『火竜』だった。
そのうち大きく開けた火口からドンドン『火竜』が出て来て、洞窟のコウモリのように折り重なって、火口付近に不気味な黒い影を作る。
大同盟の者達は絶句した。
(なんて数だ。あんなのがいっぺんに来たら……)
「落ち着いて。いくら『火竜』といえども、あの巨体で大群が一気に襲いかかれるとは思えない。火槍で一体ずつ仕留めていけばいい」
アルルはそう言って、部隊の動揺を鎮めた。
(『火竜がどれだけたくさん現れようと大した問題じゃない。それよりも問題は……)
アルルはいまだ対峙したままのセインと『巨大な火竜』の方に目を向けた。
(問題は『巨大な火竜』の方だ。『火竜』と『巨大な火竜』の両方に襲われたら、ひとたまりもない。撤退のタイミングを間違えれば、取り返しのつかないことになる。無理するなよ、セイちゃん)
「ふ。なにをするのかと思えば、自分一人では勝てそうにないから仲間を呼んだというわけか」
セインはジリジリと『巨大な火竜』との間合いをはかる。
「だが、たかが『火竜ごとき、俺の相手では……」
突然、『巨大な火竜』は首を翻して後詰の部隊の方に走り出した。
冒険者達はその機敏さにギョッとする。
「チッ」
セインは『竜頭の籠手』を構えたが、時既に遅しだった。
『巨大な火竜』は火の息を吐きかける。
「防御回復全開で!急げ!」
アルルが叫んだ。
『火弾の盾』は『巨大な火竜』の火の息を吸収したが、それでもその息の圧力には抗いようもなく、盾を構えて固まった冒険者達に直撃し、大ダメージを与えると共に隊列を吹き飛ばした。
「うあっ」
「ぐあああっ」
そうして、部隊が崩れると一斉に火口付近の『火竜』の群れが飛び立った。
空を黒い影が覆い、散り散りになった冒険者達に向かって急降下していく。
『巨大な火竜』は再び大きく息を吸い込んで、大同盟に火の息を浴びせようとする。
「このっ」
セインは『竜頭の籠手』を放つが『巨大な火竜』は頭を伏せ、グニャリと胴体を弓なりに湾曲させてかわす。
(くっ、こいつ、デカブツのくせになんつー軟体だよ)
「それなら、さっきみたいに懐に入って……」
セインは先ほどのように円を描きながら『巨大な火竜』の側面に回り込む。
『巨大な火竜』はセインの俊敏に対応できず、見失ってしまう。
「よし。小回りのよさではまだこちらの方が上だぜ」
セインは『巨大な火竜』の懐に潜り込んだ。
「喰らえ」
完全な死角からの一撃が入るかに見えたその瞬間、『巨大な火竜』は膝を屈めたかと思うと、空に飛び上がった。
「なっ」
『竜頭の籠手』は『巨大な火竜』の体から逸れ、空を裂き、見当外れの方向に飛んでいく。
そして、セインが呆然としているのを余所に、急降下して、勢いそのままに着地した。
地面がグラグラと揺れる。
(なっ、地面が揺れ……、足が動かせない)
『巨大な火竜』はその長い首を巡らせて、『津波のような火の息』をセインに浴びせた。
「くっ……」
セインは『竜頭の籠手』打ち消そうとしたが、腕が上がらないことに気づいた。
(なっ、故障!?)
「ウソだろ、おいっ」
辺り一面を地獄の業火が焼き尽くす。
「セインがやられたぞ」
「うわぁ。もうダメだー」
「逃げろ。『巨大な火竜』に喰われるぞ」
同盟ギルドの者達が慌てふためいて、逃げ惑っている。
「落ち着かんか!まだ戦いは終わっとらんぞ」
『魔導院の守護者』の面々は事態を収拾するべく奮闘していた。
錯乱状態に陥った冒険者達を数人がかりで押さえ込み、落ち着かせる。
彼らは崩れかけた部隊を立て直すべく、必死に指揮していた。
「防衛線を下げろ。とにかく落ち着けるんだ。『巨大な火竜』の炎が届かない場所まで撤退だ。火槍を持っている者は、『火竜』を迎撃しろ!」
(所詮、拙い連携の寄り合い所帯か。これまでは隊長の戦闘力でどうにか騙し騙し押さえ込んできたが、『巨大な火竜』との戦闘でついに烏合の衆であることが露呈してしまった。もうこいつらは使えない。隊長と副隊長の方は?)
『魔導院の守護者』の隊員は『巨大な火竜』の方に視線を移した。
セインのいた場所はいまだ火の海に包まれている
アルルはセインが炎に飲み込まれるのを見て、駆け出して行った。
そのため、今は彼が指揮を引き継いでいる状況だ。
(隊長がやられたら、同盟ギルドだけでなく、『魔導院の守護者』まで崩れかねない。どうにか無事でいて下さい、隊長!)
火の息が収まり、炎が消え始めるとセインのいた場所が外野からも見えるようになってくる。
冒険者達は目を凝らしてセインの安否を確認しようとした。
そこには焼け焦げた鎧を纏ったセインらしき人影が佇んでいた。
(生きてるのか?)
その場にいる誰もが思った。
すると、鎧を被った人型がピクリと動く。
「隊長!」
「ご無事で……」
(う、俺は生きてるのか?)
セインは『巨大な火竜』意識を朦朧とさせながらもあたりを見渡した。
すると、足元に魔法陣が浮かんでいる。
(これは……『防御付与』と『回復魔法』。支援と回復のダブル魔法か。火の海の外から対象に向かって魔法を的確に発動させる命中率の持ち主。こんな芸当ができるのは……)
セインが振り向くと、そこにはやはり杖を構えたアルルがいた。
「くっ、この回復魔法。やっぱりお前の仕業か」
「セイちゃん。ここまでだ。退却するよ。もうこれ以上Sクラスの称号にこだわっている場合じゃない。これ以上セイちゃんが戦うというのなら、僕達もセイちゃんを置いて離脱するしかない。『竜頭の籠手』が故障した状態で、『巨大な火竜』と『火竜』の群れを相手に一人で渡り合えるの?」
「くっ」
すでに大同盟の方には『火竜』が断続的に襲い掛かっていた。
戦闘の怒号と悲鳴が聞こえる。
このままこの場所にいては保たないだろう。
セインはふと上空から風圧を感じた。
すかさずその場を離れると、『巨大な火竜』がセインを踏み潰すべく、豪快に着地する。
セインは間一髪でかわした。
「くっそ」
「セイちゃん!」
「分かってる! 退却だ。急いでこの場から離脱するぞ」
セインが『巨大な火竜』に背を向けて逃げ出すと、大同盟に所属する冒険者達は固まって一斉に山を駆け下り始めた。
背後からは『巨大な火竜』が勝利の雄叫びを上げるのが聞こえるとともに、祝砲のように上空に火の息を放っているのが見える。
「くっそお」
セインは悔しそうにふり仰ぎながら、来た道を退却していくしかなかった。
「セイちゃん、装備の状態は?」
「……ダメだ。『竜頭の籠手』は使い物にならねえ」
セインは籠手を曲げ伸ばしして、可動域を確かめながら言った。
彼の籠手はもはやまともに指の関節を曲げることすらあたわなかった。
「悪いが、帰りのモンスターとの戦闘はお前に任せるぜ」
「モンスターだけで済んだらいいんだけどね」
「見ろ。『魔導院の守護者』の奴ら尻尾を巻いて逃げ帰ってくるぜ」
ジャミルは愉快そうに望遠鏡を覗きながら言った。
彼の目には望遠鏡越しに山を駆け下って来る大同盟の面々の姿が映っていた。
「やはり『巨大な火竜』は倒せなかったか」
「どいつもこいつも装備はボロボロだ。そのくせ体は重そうだ。ありゃ相当レアメタルを背負ってるぜ」
「カモが宝石を咥えてこっちにやって来るというわけだ」
「行くぞ。狩りの時間だ。散々人の庭で好き勝手したこと、後悔させてやるぜ」
盗賊ギルド『白狼』の者達は武器を手にして密やかに森を移動し始めた。