第55話 月の光
ギルバートを追放したことと、第二部隊が大人しくなったことで、『金色の鷹』からロランを外そうとする動きは沈静化していた。
ダンジョン経営もつつがなく進み、ロランはギルド長室でそれについてクラリアからの報告を聞いていた。
「『魔界のダンジョン』の経営、順調に進んでいます。『キメラの羽』、鉄鉱石、銀鉱石いずれも目標量を採掘できそうです」
「第二部隊の様子は?」
「問題ありませんよ。時々、第一部隊の人達と揉めていますが、『ロランさんに言いつけますよ』って言うと、大人しくなります」
「そうか」
ロランは各部隊にダンジョン経営の成果いかんによっては、来期の追加予算にイロを付けることを仄めかしていた。
そのため、彼らはいたずらにロランからの心象を悪くしないよう、気をつけるようになっていた。
(今期についてはとりあえずどうにかなりそうだな。問題は来期のことか)
『鉱山のダンジョン』に挑戦するイスト達は、『魔法樹の守人』に惨敗するだろう。
イスト隊が失態を演じ続けているうちに、アリク隊に功績を挙げさせる、というのがロランの構想だった。
そうして不穏分子である第二部隊の勢力を削ぎつつ、改革を進め、自分の地位を確かなものにするのだ。
(さて、上手くいくかな)
たとえ惨敗したとしても、イスト達がそう簡単に引き下がるとは思えない。
自分達の権限が奪われそうだと感じたら、また暴れだすに違いない。
先手を打って、順次第二部隊をリストラする準備を進めておく必要があるだろう。
また、アリク隊の方にも準備が必要だった。
アリク隊の地位を高めれば高めたで、今度はアリク隊が増長する恐れがある。
それに備えてアリクとの関係を深めるなり、アリク隊の権限を抑制する仕組みを作るなりしておく必要があった。
(信頼できるのは、ジルとドーウィンくらいか。Sクラス討伐部隊が本格的に稼働するまでは、油断できないな)
ロランはすっかり自分が権力者の思考に慣れていることに気づいて乾いた笑いを漏らさずにはいられなかった。
『魔法樹の守人』ではこれらのことを全てリリアンヌがしてくれたが、『金色の鷹』ではこういった社内政治も全て自分でやらなければならない。
正直なところ早く本分である育成業務に集中したかった。
机の上には魔導書と魔力を高めるワイン。
鏡台の上には凝った装飾の化粧瓶。
紫色のカーテンには怪しげな紋様が付いている。
そんないかにも魔女の寝室という部屋で、リリアンヌは惚けた顔をしながら窓から刺す月明かりの光を浴びていた。
ベッドの中にいたが、衣服は全て床に脱ぎ捨てられている。
体は心地良い倦怠感に包まれていた。
というのも、先程まで隣で横になっている男性と愛を語り合っていたからだ。
はしたないとは思いつつも、寂しさから、ついついおねだりして、家に来てもらってしまった。
久しぶりの情交に際して、彼女は元気一杯愛する人に抱き付いた。
そうして思う存分、彼からの愛を味わった後、彼女は情交の余韻に浸っていたのだが、今、彼女はまた悩ましげな溜め息を零していた。
それはまだ彼女の中で情念の炎がかすかに燻っていることを示していた。
少し扇げばまたすぐに煌々と燃え盛るだろう。
リリアンヌはその炎をどうにも自分では処理することができず、持て余していた。
そこで彼女は先ほど自分を幸せな気持ちにしてくれた男に、今一度幸せな気分にさせてもらおうと、隣で横たわっている彼の肩に手を伸ばそうとした。
しかし、途中でその手を止める。
彼の静かな寝息が聞こえてきたためだった。
(ロランさん、眠ってしまったんですね)
リリアンヌは寂しさを感じながらも、手を引っ込めた。
代わりに月明かりに照らされるロランの顔をウットリと眺める。
今夜は、『金色の鷹』の問題がひと段落して、ようやくこうして二人の時間を取れたところだ。
近頃、彼女は特に一人の夜が寂しく感じられるようになっていた。
毎晩、ベッドに潜ってもまんじりともできず、窓から射し込む月の光を見ながらロランのことを考えて眠れぬ夜を過ごしていた。
できることならこうして毎晩、彼の隣にいたい。
明日、ロランはまたリリアンヌの家には来れないと言う。
それを思うと、彼女はまた切なくなってきた。
ついつい足の付け根辺りをモゾモゾと動かしてしまう。
またしばらく会えないのなら、せめて今だけでも、と彼の腕にほっぺをのせて、少しでもロランを近くに感じようとする。
(いつもお仕事おつかれさまです。でも、もう少しだけお仕事休んで、私の部屋でゆっくりしていっていいんですよ)
わずかな月明かりすら雲間に隠れる寂しい夜。
どうしようもなく切なさがこみあげてきて胸が詰まりそうになったモニカは、ロランの家を目指していた。
(ロランさん。どうしてリリアンヌさんのところにばかり行くんですか? 私も撃破数1位を取ったのに。確かに先に出会ったのはリリアンヌさんの方かもしれませんが……。でも、こんな風に寂しい夜くらい私の側にいてくれてもいいじゃないですか! ロランさんっ)
今夜、ロランもリリアンヌもジルも、誰もが自宅に一人で帰っていることは、すでに『鷹の目』で確認済みだった。
こうしてみると『鷹の目』は使いようによっては、非常に強力なストーカースキルである。
モニカは贈り物を手に抱きかかえて、ロランの部屋の扉をノックした。
「はい。どちら様……、あれ? モニカ?」
部屋から出て来たロランは、突然の訪問者に目を丸くした。
「こんばんわ。ロランさん」
「どうしたの? こんな夜中に」
「そのたまたま近くに寄る予定があったので、いつもお世話になっているお礼に。心ばかりの差し入れを……」
「これは。年代物のワインじゃないか」
ロランはワインの瓶を見て目を輝かせる。
「はい。お口に合うとよいのですが……」
「口に合うどころか、大好物だよ。ありがとう」
モニカはロランの好みの銘柄をすでに調査済みだった。
「あと、これも……」
モニカはバスケットに入ったパンやら肉やらをロランに差し出した。
いずれもワインによく合う食材で、そしてロランの好物ばかりだった。
ロランはついつい顔を綻ばせる。
モニカはロランのそのような顔を見て、ホッとした。
玄関から出てきた時は少し疲れているように見えたが、迷惑ではなかったようだ。
これなら次の段階に進めるだろう。
「あの、ロランさん、良かったらなんですが、これからお祝いしませんか?」
「えっ? お祝い?」
「ええ、ロランさん、せっかく出世なさったのにまだお祝いのお言葉も言っていなくて」
「お祝いと言えば、君の方もまだだったね。せっかく撃破数1位を獲得したっていうのに」
モニカはロランが撃破数1位を覚えていてくれたことを知って胸がじんわりと温かくなった。
「みんな忙しい身ですし、集まってというわけにはいきませんが、せめて二人だけでもお祝いできればと思いまして……」
「それはもちろんいいんだけど……」
(今から飲みに行くのはちょっとなぁ)
ここから飲み屋までは一番近いところでもそれなりに距離がある。
いくら可愛い部下からの誘いとはいえ、流石にこの疲れた体でこれ以上外出するのは躊躇われた。
「ロランさん。よければなんですが……」
「ん?」
「ロランさんのお家でお祝いするというのはどうでしょうか?」
「えっ? 僕の家で?」
「はい。もちろん、ロランさんがよければなんですが……」
(お願いですロランさん、断らないで)
モニカは祈るような気持ちで心の中で懇願した。
「あー、うん。それはいいんだけど」
ロランは自分の部屋があんまり片付いていないのを思い出した。
そんな部屋に部下とはいえ、女の子をあげてもいいものだろうか。
モニカはそんなロランの不安を敏感に察知した。
「大丈夫ですよ。私、多少散らかってる部屋でも全然気にしませんから。私の部屋もいつも散らかってますし」
「えっ? そう?」
「はい。だから、どうかお気になさらずに」
「うーん、まあ、君がそこまで言うなら」
(まだ、しばらくは忙しくなりそうだしな。彼女も頑張ったのに何もご褒美なしじゃ可哀想だし。お祝いもやれるうちにやっておいたほうがいいか)
「分かったよ。それじゃ、上がっていって」
「ありがとうございます!」
「ただし、散らかってるのだけは本当に勘弁してもらうよ」
「大丈夫ですよ。きっと私の部屋の方が散らかってますから」
モニカはそう言いながらロランの部屋に入って行く。
ロランの部屋は思ったほど、散らかっていなかった。
ベッドとソファに衣類が散らかっている程度である。
(よかった。これくらいなら全然大丈夫だ)
あまりに汚すぎたらどうしようかと思ったが、これくらいなら少し片付ければ問題ない。
ロマンチックな気分を害されることもないだろう。
「ロランさん、私、お料理の準備しますので」
「ああ、ありがとう。それじゃあ、僕は部屋を片付けとくよ」
二人は台所と部屋に分かれて作業を始めた。
モニカはお皿やらグラスやらを机に並べて、ロランは衣類を畳んだ後、二人で机の前のソファに座った。
「それじゃあ、改めて撃破数1位おめでとう」
「ロランさんも『金色の鷹』ギルド長就任おめでとうございます」
二人はグラスに入れたワインで乾杯して、つまみを食べながら、和やかに雑談した。
来期のダンジョン攻略についても。
「聞くところによると、来期『金色の鷹』は第二部隊が『鉱山のダンジョン』を担当されるらしいですね」
「ああ、そうなんだよ。僕は彼らに『鉱山のダンジョン』攻略を命じるつもりだ」
「でも、いいのでしょうか? 来季も私達が『鉱山のダンジョン』を攻略する予定ですよ。その……お言葉ですが……、今の『金色の鷹』では私達に太刀打ちできないのではないかと」
「そうだね。彼らは君達に惨敗するだろう」
「いいんですか? せっかくギルド長に就任されたのに、私達に負けちゃったらロランさんの立場がないんじゃ……」
「ああ、いいよ。いいよ。気遣いなんてしなくて。君達はいつも通り全力でダンジョン攻略に励んでくれ」
ロランはそういった後でハッとした。
「僕が今言ったこと、他の人には言っちゃダメだよ」
「ええ、それはもちろん」
ロランはホッとした。
モニカなら他言することはないだろう。
「あんまり大きな声では言えないけど、僕は彼らが負けると分かった上で君達にぶつけているんだ」
「そうなんですか?」
「そうだよ。本当は僕だってわざわざ彼らをこんな意味のない勝負に送り込みたくなんてないよ。でもしょうがないだろう? そうしないと彼らは僕の邪魔をしてくるんだ。さんざん、ゴネるわ、命令無視するわ、逆らうわで、一体何が望みかと思いきや。まさか自分達の方から負け戦を申し込むのが望みだとはね」
ロランは自分の心が弱くなっているのを感じた。
普段ならこんな風に部下に対して愚痴をこぼすことなどないだろう。
美味しいお酒を飲んで、可愛い女の子に話し相手をしてもらっているから、というのもあるだろうが、『金色の鷹』での仕事に辟易しているというのが本当のところだった。
「こんなこと言いたくないけど、彼らは自分から自滅する道を選んだんだ。自業自得だよ」
ロランはそう言ってから、自己嫌悪に囚われたように頭を掻きむしった。
「はぁ。何やってんだろうな僕は。自滅しようとしている部下に予算を渡すなんて。やっぱり『金色の鷹』のギルド長なんて引き受けない方がよかったのかもしれない」
「ロランさんは悪くありませんよ」
「えっ?」
「そういう自分で自分の首を絞めたがる人はどこにでもいるものですから。だからその人達が負けたり、恥をかいたり、傷ついたりしたからといって、ロランさんが責任を感じることはありませんよ」
「モニカ……」
ロランは少しだけ安らかな気持ちになった。
「ありがとう。君のおかげで、少しだけ心が楽になったような気がするよ」
「いえ、そんな。ロランさんが私にしてくれたことに比べれば大したことじゃありませんよ」
「はは。君にそう言ってもらえると指導者冥利に尽きるよ。まあ、とにかく話を戻すとだね。彼らに手加減なんかする必要はないってことだよ。むしろ油断したり、同情したりして、足元すくわれるようなことになっちゃダメだよ。君は自分が冒険者として成功することだけ考えていればいいから」
「分かりました。それじゃあ、私、その第二部隊の人達をコテンパンにやっつけちゃいますね」
「ああ、頼むよ」
「ロランさんの足を引っ張る人は、私が全部やっつけちゃいます」
「はは。ありがとう。君は本当に素直でいい子だね」
ロランはモニカに、出来のいい生徒を褒めるような眼差しを向けた。
モニカはロランにこのように接されると、ついつい居心地よくなってしまう。
(うう。どうしよう。ロランさんとずっとこのまま、こうしていたい)
本当はこんな風によき生徒と先生のような関係をずっと続けていたい。
しかし、このまま黙っていては、ロランはリリアンヌかジルの下へ行ってしまう。
(覚悟を決めるのよモニカ。大丈夫。ユフィネの真似をすればロランさんだってきっと……)
「ロランさん、お酒が無くなってますよ。どうぞ」
モニカはロランのグラスにお酒を注ぐ。
「ああ、ありがとう」
ロランはモニカの入れてくれたワインを心ゆくまで味わった。
「ふぅ。それにしても暑いですね」
モニカは上着を脱いでノースリーブの薄着になった。
ロランは彼女の姿を見て理性が吹き飛びそうになる。
というのも彼女の薄着から覗くふくらみは、ジルに勝るとも劣らないものだったからだ。
「どうかしましたか?」
モニカは不思議そうにロランの顔を見ながら尋ねる。
その上、前屈みになり、ロランに胸が見えやすいような姿勢をとる。
「えっ、いや、なんでもないよ」
ロランは慌ててモニカの胸から目をそらした。
その後もモニカは肩を当てたり、腕に触れたり、時には胸をロランの腕に当てたりした。
ロランの方もこういった遊びは満更でもないようで、ロランの方から彼女の肩に触れることさえした。
モニカはロランに触れたり、触れられたりする度に顔が真っ赤になるほど恥ずかしくなったが、その一方でホッとしていた。
どうやら自分は生理的なレベルで嫌われていないらしい。
少なくとも体に触れられるのも嫌なタイプではないということだ。
(よかったぁ)
モニカは心の底から安堵した。
もしこの時点で拒絶されたならば、一生立ち直れないところだった。
あとはどこまで自分の想いに応えてくれるかである。
「おっと。もう、こんな時間か」
ロランは時計を確認して、驚いた。
話し込んでいたらいつの間にか深夜だった。
「そろそろお開きだね。送っていくよ、っと」
ロランは体が揺れているのに気づいた。
(いかん。飲み過ぎたか)
「ロランさん、無理しないでください。もう少し、楽しみましょうよぅ」
モニカは彼の腕を取って、もう一度ソファに座らせようとする。
もう少し時間が経てば、ロランもモニカに帰れと言い辛くなるだろう。
「いや、でも君、もうそろそろ帰らないと……」
「私なら、全然大丈夫ですよ。平気ですから」
「いや、でも……」
「なんなら、泊まっていきましょうか?」
「えっ?」
ロランは初めてモニカの顔を見るような目で見た。
「大丈夫ですよ私、もう大人ですから」
「いや、いくら大人だからって君……」
「いいじゃないですか。少しくらい羽目を外したって。それともロランさん、私と一緒にいるのは嫌ですか?」
「いや、嫌とかそういうことじゃなく……」
「その、私はロランさんのこと好きです」
モニカは顔をかあっと赤らめながら言った。
「モニカ、困るよ僕は……」
「もちろん、ロランさんがリリアンヌさんとお付き合いしているのは知ってます。だから、その……2番目でもいいので」
「何言ってるんだよ。ちょっと冷静になって」
「うっ、ロランさん。どうしても私のこと好きになってくれませんか?」
モニカは涙ながらに聞いた。
「ごめん。君のこと嫌いなわけじゃないんだけど。その、リリィのことが好きなんだ。一番辛かった時に助けてくれて。だから彼女のことを大切にしたい」
「うっ、ぐすっ」
(私だってロランさんが辛い思いをしていると知ったら、駆けつけてどんなことしてでも支えるのに。こんなことならもっと早くロランさんに好きって言っておけばよかった。時間を巻き戻してロランさんと出会った頃に戻りたい)
しばらくの間、モニカはその場でさめざめと泣き続けた。
ロランは何もせず彼女のそばで見守った。
やがて涙も枯れたころ、ロランはモニカを抱き起した。
「大丈夫? 立てるかい?」
「はい。あの、ロランさん。今日はごめんなさい。わがまま言ってしまって」
「いいんだ。僕の方こそごめん。君がそこまで思い詰めていると知らなくて。さ、今日はもう帰ろう。送っていくから。明日には普段通りの君でなければだめだよ」
ロランはモニカを彼女の自宅まで送り、その後何事もなく別れた。