第36話 ステータスの強化
「なんですって!?」
『金色の鷹』の執務室でゼンスの報告を聞いたディアンナは、驚きの声を上げていた。
「『魔法樹の守人』が勝手にダンジョン経営を進めている!? しかもジルが『魔法樹の守人』に協力してるですって?」
「ええ、そうなんですよ」
ゼンスはまるで臣下のように腰の低い態度でディアンナに言上した。
彼は長年、『金色の鷹』にこき使われているうちにすっかりへりくだる態度が身についてしまっていた。
「やはりご存知ありませんでしたか」
「当然よ。寝耳に水だわ」
「いや、やはりそうでしたか。いや、おかしいと思ったんですよ。我々になんの音沙汰もなく突然あんな形で発表されるなんて」
「チッ」
(よりによってルキウスのいないこんな時に。ロランの奴……やってくれるわね)
「私もロランの奴には一度煮え湯を飲まされていますからね。だから今回も彼の策略ではないかと踏んだわけですよ。いやぁでもよかった。大事になる前にお伝えすることができて」
ゼンスはご褒美を期待するかのように上目遣いでディアンナの方を見た。
それはなんとも言えず、卑しい態度だった。
ディアンナはゼンスに冷たい一瞥をくれる。
「うっ……」
「ロランがおイタをしたことはよく分かったわ。それで? あなたはそのセミナーとやらが開催されている間、一体何をやっていたのかしら?」
「えっ……いや、それはその……」
「まさか何もせずただ黙って見ていた……、なんてわけないわよね?」
ゼンスは言葉を詰まらせた後、何かボソボソと聞き取れないつぶやきを漏らしたかと思うと、ションボリとうなだれる。
ディアンナはすっかりゼンスが縮こまったのを確認すると呆れたようなため息をたっぷりと吐いて、ようやく射るような視線を外した。
「まあ、いいわ。とにかく錬金術ギルドの連中に熱いお灸をすえる必要があるわね。ゼンス、あなたはもちろん手伝ってくれるんでしょうね?」
「ハ、ハイッ」
ゼンスはディアンナの冷たい目線から解放されてすっかり安心してしまい、快諾してしまう。
ディアンナはそれを見て満足した。
(とはいえ、これはちょっと私の手に余る案件ね。かと言って何もしないでいればルキウスからの心象が悪くなっちゃうし……、生贄を立てる必要があるわね)
ディアンナは適当な人間に責任をなすりつけることにした。
「ゼンス、よく分かったわ。知らせてくれてありがとう。対応は追って担当者から連絡します。あなたはそれまで待機しておいてちょうだい。ただし裏切ってはダメよ」
「ハ、ハイッ」
ゼンスが帰っていくのを見送った後、ディアンナはルキウスの机の引き出しから一枚の書類を取り出す。
ジルのギルド契約書だった。
(錬金術ギルドの奴らは他の人間に任せるにしても……。ジル、この子のことは私がどうにかしないとね)
「全く、困った子ね」
彼女は壁に掛かったジルの肖像画を睨みながら恨めしげに呟くのであった。
「どーも、『金色の鷹』の錬金術師ドーウィンです」
ランジュは工房に訪れたドーウィンをちょっと胡散臭そうな目で見る。
「えっと、『金色の鷹』の錬金術師さんがなんでウチに?」
「共同製作の件でいつまでも音沙汰がないんで来ました(鬼の居ぬ間に)」
「ああ、例の品評会のことか……」
「あ、あのっ、こんにちはドーウィンさん」
チアルは緊張の面持ちでドーウィンに挨拶した。
憧れの人間を前にしたような態度だった。
「君が『精霊の工廠』の銀細工師さんか」
ドーウィンはふっと優しげな微笑みを浮かべた。
腰をかがめてチアルと同じ目線に合わせる。
「は、はい」
「『銀製鉄破弓』見させてもらったよ。見事な作品だった」
「はい。ありがとうございます。あの、あれはドーウィンさんの『鉄破弓』を参考にさせていただいて、よければ後で見ていただきたくて、あの、いいですか?」
「ああ、もちろんだ」
「なんだ? いつになく殊勝な態度だな。いつもはお転婆のくせに」
「もー、ランジュさん! 余計なこと言わないでください」
チアルはランジュの足をポカポカと叩いた。
金槌で。
「ちょっ、イテッ。お前金物振り回してんじゃねーよ」
「こんにちはー。ロランさんは……って、えっ!? ドーウィン!?」
扉を開けて入って来たジルは、ドーウィンがいるのを見てギョッとする。
「あれ? ジルじゃん。なんで君がここに?」
「お、お前こそ、なんでここにいるんだよ」
「僕は品評会の件でだね……」
(なんか……急に部外者が出入りするようになったなウチのギルド)
ランジュはなんとも言えない気分でジルとドーウィンが言い合っているのを見つめるのであった。
(『金色の鷹』の連中がうろちょろしてるからって、別に何か困るわけではないけれど、なんだかなー)
ドーウィンとジルが訪れて少ししてから、ロランも『精霊の工廠』にやって来た。
「あ、ロランさん、お帰りなさい」
チアルが帰って来たロランに声をかける。
「ああ、ただいま。ってあれ? ドーウィン? なんでここに?」
「あ、ロランさん、どうも」
ドーウィンとチアルはすでに製作を開始していた。
作業台の上いっぱいに試作品やら設計図やらが散らばっている。
「エルセン伯に依頼された共同製作の件でお邪魔しています」
「そっか。そんな話だったな。すっかり忘れていた。いけない、いけない。最近、忙しすぎて細々としたことをついつい忘れてしまう」
「すみません。設備勝手に使わせてもらってます」
「ああ、いいよいいよ。ウチの奴らを鍛えてやってくれ」
「はい」
ドーウィンはロランの以前と変わらない態度にホッとした。
「あ、ロランさん。お帰りなさい」
アーリエが釜室の方からひょっこり顔を出してくる。
「やあ、アーリエ、ただいま」
「ジルさんが来ていますよ。裏庭ですでに準備運動されてます」
「そうか。今行くよ」
ロランは逸る気持ちを抑えながら、ジルのいる裏庭へと向かった。
ロランが裏庭にたどり着くとすでにジルが走り込みをしていた。
「熱心な方ですね。ロランさんがくるまで応接間で待ってはどうかと勧めたのですが、訓練を受ける前にしっかりと準備運動しておきたいということで、もうかれこれ一時間以上も前から走っておられるんですよ」
「そうか……」
ロランはジルのステータスを鑑定した。
腕力:80−100
耐久:90−120
俊敏:80−100
体力:170−200
(なるほど。確かにしっかり準備してきたようだな。以前は誤差30〜50だったステータスが誤差20〜30まで引き締まっている。だがまだまだ足りない)
「ロランさん!」
ジルがロランに気づいて駆け寄って来る。
頰を上気させ、すでに結構な量の汗を流しており、相当な距離を走った後なのだと分かる。
「ジル。ずいぶん前から走っていたそうだね」
「はい。ロランさんの鍛錬を受ける前に、きっちり準備しておきたくて……」
「そうか……。でもまだまだ足りない」
ロランは厳しい態度で言った。
「さっきまでの2倍の速度で走ってみようか」
(ええっ!? 今の2倍の速さで!?)
側で聞いていたアーリエはぎょっとする。
「はい!」
ジルは即答した。
(ええっ!? 即答!?)
すぐにジルは先程までの2倍の速度で走り出す。
先程までも持久走というには余りある速さで走っていた。
この2倍の速度となると、もはや全速力で走るのと変わりなかった。
「あの、大丈夫でしょうか。彼女、もうすでに結構な距離を走っているのですが……」
「ああ、尋常じゃない体力の持ち主だからさ。あれくらい追い込まないとむしろ体力を持て余して不満を訴えて来るんだよ」
ロランはその声に呆れをにじませながら言った。
「そ、そうですか」
(な、なるほど。Sクラスの冒険者になる人っていうのはああいう感じの人なんですね)
アーリエは若干引きながら走っているジルの方を見るのであった。
肝心のジルはというと、必死に走りながらも、心の中では喜びが広がるのを感じていた。
(フフフ。さすがはロランさん。初っ端からこんな厳しい訓練を命じてくるなんて。この後は一体どんな過酷な訓練が待っているのか……フフフ。おっと、いかんいかん。ついついヨダレが。いや、しかし楽しみだ……フフフ)
ロランはジルの訓練が終わるまで、ドーウィンとおしゃべりすることにした。
「じゃあ、やっぱり今『金色の鷹』は相当混乱しているのか」
「ええ、とてもじゃありませんが仕事になりませんよ」
ドーウィンはやれやれと言った感じで肩をすくめて見せた。
「それで、君もここに逃げてきたというわけか」
ロランはちょっとからかうように言った。
「ええ、全くその通りですよ」
ドーウィンはクスリともせず、うんざりしたように言った。
(マイペースなドーウィンをここまでまいらせるなんて。本当に『金色の鷹』は今、酷い状態なんだな)
「それにしても……」
ドーウィンは工房を見回した。
「いい工房ですねここは。みんな活き活きと働いている」
「街一番の錬金術師である君にそう言ってもらえると嬉しいね」
「いえいえ、お世辞とかではなく本当に」
ドーウィンはうつむきながら言った。
ロランは心が痛んだ。
「ドーウィン。今の僕には君のために何もできないけれど、ここに遊びに来るくらいならいつでも来ていいからさ。また何か嫌なことがあったらいつでもおいで」
「ええ、ありがとうございます」
ドーウィンは少しだけ笑顔になって言った。
「ところで……」
ロランは熱心に作業しているチアルの方に目をやった。
「君達は今、何を作ってるのかな?」
「Sクラスの武器です」
チアルはロランに得体の知れない物質を差し出して見せる。
「Sクラスの武器……。えっとそれは一体……?」
「ああ、すみません。チアルちゃんと一緒に作業しているうちに盛り上がっちゃって、なんか脱線しちゃっていつの間にかSクラスの武器を作ろうという話になっちゃって。それでSクラスの武器を作るには素材レベルで開発しなくちゃいけないって話になったんです」
「ドーウィンさんと一緒に作業していて確信しました。私達二人の力を合わせれば、きっとSクラスの武器が作れます!」
「そ、そう」
ロランはチアルの差し出した素材を受け取った。
黒と銀の中間の色をした、なんとも言えない色の金属片だった。
「これは……鉄と銀を混ぜ合わせたのか?」
ロランはアイテム鑑定をしながら言った。
「なるほど。鉄の硬さと銀の柔らかさ錆びにくさをいいとこ取りしようとしたのか。でも、まだ未完成だね」
ロランが素材を撫でると脆くもポロポロと崩れ落ちてしまう。
「今、金属を混ぜ合わせたり比率を調整したりと色々試しているところです」
「きっと最高の素材を開発して見せます!」
「う、うん。頑張ってね」
(いいのかなー。このまま進めちゃって)
ジルのランニンングが終わる10分ほど前、ロランは再び裏庭に顔を出した。
するとジルが丁度ランニングを終えるところだった。
彼女は2倍どころかそれ以上の速さで長距離を走り切ったため、予定よりも早くランニングを終えたのだ。
「はぁ、はぁ、ぐっ。ロランさんランニング終わりました」
ジルは息も切れ切れになってロランの前にやって来た。
「ジル、おつかれさま」
ロランは側にあるテーブルの上にポーションを置いた。
「あ、ありがとうございます」
ジルはポーションに手を伸ばそうとする。
「誰がポーションを口にしていいと言った」
「えっ!?」
直後、ジルの目の前に鎧が放り投げられる。
粗悪で重い鎧だった。
「えっと……、ロランさん、これは?」
「今から城塞建築のクエストをこなしてくるんだ。期限は一週間以内」
「なっ、城塞建築!? しかも一週間!?」
「ああ、ポーションを飲むのはそれからだ」
城塞建築は文字通り、拠点へのモンスター侵入を防ぐために、削り取った岩で城塞を建築するクエストだ。
その作業は過酷を極め大の大人が数人でやっても一週間で完遂するのは困難な作業だった。
ジル一人で一週間以内となると7日間、24時間働きづめでも間に合うかどうか微妙だった。
(くっ。長時間、延々走り込みをして疲れ切っているというのに、ポーションも飲まず重い鎧を背負って、一週間不眠不休で、城塞建築クエストをこなしてこいというのか。こんな鬼畜な任務を申し渡すなんてっ……さすがロランさん! 分かってらっしゃる!)
「分かりました。指導してくれと頼んだのは私の方。自分から頼んだ以上、それがどれだけ理不尽であろうとも……最後までこなすのが筋というもの」
ジルはフラフラになりながらも立ち上がり、ロランの方を責めるようにキッと睨んだ。
「もう一度聞きますロランさん。本当に城塞建築のクエストを、今、私にやれと言うんですね?」
「ああ。今すぐだ! 何度も言わせるな」
ジルはその思いの外冷たい声にビクッと体を震わせたかと思うと、辛そうに目をギュッと閉じた後、先ほどまで口をつけようとしていたポーションをテーブルに置き、鎧を装着する。
そしていかにも泣く泣くといった感じで『魔界のダンジョン』に向かって走り出した。
(さてとジルはしばらく放っておけばいいし。ダンジョン経営の方に戻るか)
ロランは『鉱山のダンジョン』に戻った。
「はあー、はあ、やった。城壁用の石50個、運び終わったぞ」
リックは最後の石を所定の位置に設置し終えて、ガッツポーズしてみせる。
倉庫にポーションと魔石を納入し終えたレリオとマリナも仮設された本営に駆け込んで来る。
「ポーション200個、運び終わりました」
「同じく魔石100個運び終わりましたぁ」
これで新人達は全員ロランの課題をクリアしたことになる。
課題を言い渡されてから3日後のことであった。
モニカ達はその様を驚きの目で見ていた。
(課題を言い渡されてまだ3日目なのに全員クリアするなんて……。私達が新人の時はステータスに合わせた適切な動きを覚えるのに、少なくとも3ヶ月はかかったのに……)
(いくらロランさんの与えた課題が的確だったとはいえ、成長スピードが速すぎる)
初めは課題をクリアするのに気の遠くなるような時間がかかるかに思われた三人だったが、同じ部隊に所属するよりステータスの高い冒険者の走り方、体の使い方を見様見真似で参考にしているうちにすぐに最適な動きを身につけていた。
「流石はロランさん。あの三人をこれほど早く成長させるとは。我々もうかうかしていられませんね」
シャクマがその顔にライバル心をみなぎらせながら言った。
モニカとユフィネも気持ちは同じだった。
「お、三人共課題はクリアできたか」
ロランがひょっこり現れて三人の仕事ぶりを確認した。
「ええ、なんとか」
「城壁石50個って言われた時にはどうなることかと思いましたが、どうにか達成することができましたよ」
「疲れましたぁー」
三人は地面に座り込んだ。
その顔は充実感で満ち溢れている。
ロランはリックのステータスを鑑定した。
リック・ダイアー
腕力:40ー50
耐久:50−60
俊敏:20-30
体力:40-50
(全てのステータスが誤差10以内になってる。とりあえずステータスを発揮する体の使い方は覚えたようだな)
レリオとマリナのステータスに関してもリック同様誤差10以内に収まっていた。
(部隊に放り込むだけで成長するんだから管理要らずで助かる。やはりレベルの高い環境に置かれれば、それだけで成長は速くなるな。三人共、新人とは思えないステータスの使い方だ。モニカ達がきちんと強くなってくれたおかげだな)
それはギルドの土壌といえるものだった。
まさしくお金では買えない価値と言えた。
(本当によく成長してくれたよ)
ロランはモニカ達三人を感慨深げに見た。
しかし、感慨に浸っている時間はない。
彼にはまだやらなければならないことがあった。
リック達はすでに寛いでのんびりしていた。
彼らはもうすでに新人に課される水準は達成できたと思い込んでいるようだった。
(ここからはステータスを向上させる訓練だ)
「リック、レリオ、マリナよく頑張ったね」
「いやぁー厳しい課題でしたが、どうにか達成することができました」
「うん。とりあえず第一段階はクリアってところかな」
「えっ!?」
「だ、第一段階?」
「それじゃ、それぞれ次の課題を言い渡すよ。まずリック」
「は、はい」
「1日に城壁石50個だったのを明日からは60個に増加、加えて魔石50個を運ぶこと」
「なっ、魔石50個!?」
(バカな。俺の魔力は10しか無いんだぞ。魔石50個なんて無理に決まってるじゃないか)
「マリナ。君は魔石100個だったのをこれからは120個だ。そして今後は鉱石の運搬、ポーションの運搬、装備の運搬もやってもらう」
「えぇー、そ、そんなに?」
(マリナのスキル『鉱石保有』、『装備保有』、『薬剤保有』はダンジョン経営の場面でも育成できるしね)
「あの、隊長、僕は……?」
レリオがおずおずとしながら聞いた。
「君は特別メニューだ。僕の仕事を手伝ってもらう」
「ロランさんの仕事を?」
「ああ。僕の仕事をだ」
(レリオのステータス鑑定を伸ばしておけば、部隊運用にも使える)
「あのっ、ロランさん。『銀製鉄破弓』の強化についてですが、前倒しできませんか?」
モニカが焦り気味になって聞いてきた。
「前倒し?」
「はい。早いに越したことはないと思って」
「課題で疲れているだろう? 休んだ方がいいんじゃないのかい?」
「大丈夫です。全然いけます。やらせてください!」
「そうか。分かった。君がそこまで言うなら……」
「ロランさん、私もロランさんのお仕事手伝わせてください」
「あっ、私もお手伝いいたしますよ」
ユフィネとシャクマもロランにアピールしようと詰め寄ってくる。
「分かった。予定を調整しよう」
(新人の成長に突き動かされて、エースの三人も焦り始めたか。いい傾向だ)
『魔界のダンジョン』でジルは重い岩石を引っ張りながら充実した気分だった。
(腕が痛い、足が重い。身体中が悲鳴をあげている。喉が乾き切っている。でもロランさんの命令である以上、途中で投げ出すわけにはいかないっ。全力でこなさなければいけないっ。これだ。これこそ私が求めていたものだ。あぁー最高だぁ)
彼女は愉悦の表情を浮かべながら、重い岩石を城塞の基盤に積み上げるのであった。




