第34話 ダンジョン経営の今後について考える会
「どうぞ」
ランジュがジルにお茶を出す。
「あ、どうも。お気遣いなく」
「……」
ジルは工房の応接間に通されていた。
ロランは久しぶり会うジルを前にして、なんと声をかけたものか迷っていた。
『金色の鷹』に所属しているはずの彼女が一体どういう目的で『精霊の工廠』に来たのだろうか。
(まさかスパイ? いや、今さらこんな手の込んだことをしてまで、ウチに探りをいれる必要なんてないだろう。だとしたら本当に偶然ここに来たのか?)
「しばらくの間、ここには誰も立ち寄らないように言っておきますので、お二人でゆっくりと話してください」
ランジュはそのように気を使って応接間から出て行った。
室内はロランとジルの二人きりになる。
ロランは探りを入れることにした。
(上手くいけば『金色の鷹』の内情を探れるかもしれない)
「久しぶりだね。ジル」
ジルはビクッと何かに怯えるかのように震えた。
「最近、『金色の鷹』はどうだい?」
「もう……酷い有様ですよ」
ジルは『金色の鷹』の現状について余りにもあっさりと話し始めた。
喫緊の課題があるにも関わらず、誰も彼も保身と出世のことしか考えておらず、疑心暗鬼が広がっている。
(やはり、『金色の鷹』は今相当混乱している状態なんだな)
ロランは自分の予想が的中しているのを確認すると共に、やはり動くべき時は今、と改めて思い直すのであった。
「あのっ、ロランさん」
ジルは突然、切羽詰まったような声を出した。
床に膝に跪いてロランを見上げるポーズになる。
「今までロランさんをお訪ねしなかったのは、決してお世話になった御恩を忘れたからではなく、その……多忙だったためで。どうかそのことだけは分かっていただきたくて……。とにかく、そのっ、申し訳ありません!」
ジルは床に手をつけて今にも土下座しそうな勢いで許しを乞おうとする。
これにはロランの方が慌ててしまった。
「ちょっ、ジル。いいよ。何もそこまでしなくても」
「ですが……」
「君が僕のことを忘れないでいてくれた。それが分かっただけでも僕は救われた気分だよ」
「ロランさん……」
「さ、どうか椅子に座ってくれ。僕の方こそ済まなかった。君に何も言わずにギルドを出て行ったりして。自分のことで精一杯だったんだ」
「ロランさん……」
ジルは目に涙を溜めてロランの方を見つめた。
「さ。もう少し話してくれないかな。今、『金色の鷹』がどうなっているのかを」
「はい」
ジルはロランに促されるまま椅子に座り直し、『金色の鷹』の内情について話し始める。
ジルの話の大半は、ルキウスに対する愚痴だった。
ジルはまずルキウスがロランを追放したことについて一通りその不当さを詰り、その上でロランがいなくなったためにギルド内でいかなる弊害が起こっているか、また、もはやルキウスそのものが害悪になりつつあることも主張した。
「酷いもんですよ。以前、『鉱山のダンジョン』に潜り込んだ時だって……」
ジルはこれでもかというくらいにルキウスのことをこき下ろし続ける。
(やはりルキウスは相当空回っているようだな。そりゃそうか。そうでもなけりゃ急にここまで圧倒的だった『金色の鷹』一強体制が崩壊したりしないよな)
「まだまだあるんですよ。ルキウスの奴に関する文句は。あっ、すみません。せっかく再会したっていうのに、こんな愚痴ばかり言ってしまって」
「いや、いいんだよ。ちょうど『金色の鷹』がどうなっているか気になっていたところなんだ」
ジルはロランの態度にホッとした。
彼は以前と何ら変わることなく優しく、気遣いが上手くて、こちらの話を聞くことを第一に考えてくれる。
その瞳は優しさに満ちていて、見つめられていると、ついつい甘えてしまいたくなるところがあった。
ジルはじれったかった。
こうしてロランに会えたというのにギルドの愚痴を言うことしかできない。
本当なら今すぐ抱きついて親愛の情を示したかった。
それが叶わないならせめて以前のように指導をしてもらいたかった。
ついに我慢できずに言ってしまう。
「あのっ、ロランさん。もしよければなんですけれど、私のことを稽古してくださいませんか?」
「えっ!? 稽古って僕が君をかい?」
「はい。実は最近PRの仕事ばかりで、正直体がなまってしまっていて……」
「ふむ、確かに……」
ジル・アーウィン
腕力:60−100
耐久:70−120
俊敏:70−100
体力:150−200
(流石に基礎ステータスは全て最高値100に届く高水準だけど、どのステータスも30〜50の誤差がある。冒険者稼業が休業期間中とはいえ、これは酷いな)
ちなみにステータスの基準を言うと、50が平均で70〜80が優秀、90〜100が極めて優秀、30〜40が低い、10〜20が極めて低い、である。
「無理なことをお願いしているのは分かっているんです。でも、もう私はロランさんの指導じゃなければ満足できなくなってしまって……」
「ジル……」
ロランとしてもジルのことは常に心残りだった。
今っとなっては実質敵対するギルドに所属しているとはいえ、かつては自分が鍛え抜いた教え子。
それも最高傑作になりうる資質の持ち主だ。
どうにか彼女を鍛え上げてSクラス冒険者にしてあげたかった。
「私にできることなら、何だってします。だからどうにかお願いできないでしょうか」
ジルは座ったまま頭を下げる。
「僕としても君のことをどうにかしたいのは山々だけれど……」
「じゃあ……」
ジルは期待に目を輝かせる。
「今の僕は『魔法樹の守人』に所属している身だ。仮にも『金色の鷹』に所属している君を鍛えるなんて、そんな所属ギルドを不利にするような真似はできない」
ジルはそれを聞くとガクッと肩を落とした。
「そう……ですか。やっぱりそうですよね」
(彼女を『魔法樹の守人』に移籍させるか? いや無理だ。ただでさえ『魔法樹の守人』は今、財務状況が苦しいっていうのに、そんな移籍金用意できるはずがない。どうしたものか……。あっ、そうだ)
「ジル、セミナーに登壇してくれることはできるかい?」
「セミナーに登壇……ですか??」
ジルはキョトンとした顔で聞き返す。
「うん。今度、『魔法樹の守人』から『精霊の工廠』に『鉱山のダンジョン』について経営を依頼されたんだけど、『精霊の工廠』だけで一つのダンジョンを経営するのはちょっと無理があってさ。ダンジョン経営に関して街の錬金術ギルドを対象にしたセミナーを開いて、そこで協力してくれるギルドを募ろうと思うんだけど。ほら、僕も『精霊の工廠』もまだ若輩者でみんなが付いてくるには心許ないっていうかさ。そこで君のような有名人に後押ししてもらえると助かるんだけど……」
「やります!」
ジルは即答した。
彼女は街の錬金術ギルドを巡って繰り広げられる『金色の鷹』と『精霊の工廠』の争いについて何も知らなかった。
「……いいのかい?」
「壇上に立って喋るだけでしょう? そんなことくらいなら全然やらせていただきますよ。それでロランさんの指導を受けられるというのなら安いものです」
「そうか。やってくれるか。なら話は早い。僕もギルドの方に掛け合って許可を取ってみるよ」
「はい。是非ともお願いします」
ジルはここ最近の憂鬱などうそのように晴れやかな気分で『精霊の工廠』を立ち去って行った。
ロランから再び指導が受けられる、というだけで彼女は人生がバラ色になったような気がした。
(なんか気が引けるな。騙しているようで)
ロランは少し罪悪感を感じながらジルが立ち去っていくのを見守るのであった。
「なるほど。ジルさんに協力を依頼すると」
「ええ、彼女との話で確証が持てたよ。やはり今、『金色の鷹』の内部はガタガタみたいだ」
ロランはまたリリアンヌと二人、個室で話し合っていた。
「彼女が『精霊の工廠』主催のセミナーに参加すれば、『金色の鷹』との対立解消をアピールできるし、『金色の鷹』を恐れて二の足を踏んでいる錬金術ギルドの人々も、『精霊の工廠』主導のダンジョン経営に参加してくれると思う」
「それで、ジルさんに登壇してもらう代わりに、彼女を鍛えるというわけですか」
「ええ。彼女を鍛えることになれば『金色の鷹』の戦力が増強されることになるけれど、それでも街の錬金術ギルドをこちら側に引き込める可能性は高い。賭けにはなるが、やってみる価値はあると思う」
「大丈夫なのですか?」
「彼女の口ぶりから察するに、彼女もルキウスに対して相当不満を感じているみたいなんだ。だから、こちらを裏切るような心配はまずないと思う」
「いえ、ジルさんが裏切るかどうかという話ではなく、私が大丈夫かと聞いているのは、ロラン、あなたのことです」
「えっ?」
「かつての教え子でしょう? 一時的とはいえ、彼女にそういった協力をしてもらうとなると、『金色の鷹』内部で彼女はかなり辛い立場に立たされるのでは? ロランさんはそれで平気なのですか?」
ロランは葛藤するようにぎゅっと目を瞑った。
「確かに彼女をこのような形で利用してしまうのは心苦しいことだ。しかし今僕は『魔法樹の守人』の一員。『金色の鷹』を崩すためならやむを得ない」
リリアンヌはそれを聞いて納得したように笑みを漏らした。
「それを聞いて安心しました。あなたが私たちのためにそこまでしてくれるというのであれば、もう何もいうことはありません。あなたの考える通りに行動してください。こちらもそれに合わせます」
二人はセミナーについての詳細な打ち合わせをして別れた。
「ロラン、待ちたまえ」
リリアンヌとの会談を終えたロランが、廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
ギルド長、ラモンの声だった。
「おい、待て、ロラン。私が呼んでいるだろうに。なぜ止まらない? おい、ロラン」
ロランは呼びかけられても早足で歩き続けた。
モニカ達の引き抜きの一件から、ロランとギルド長の関係はすっかり冷え込んでいた。
ロランはモニカ達を勝手に売ろうとしたことに憤慨していたし、ラモンもラモンで移籍話に余計な横槍を入れられたと感じ苦々しく思っていた。
二人はもはやお互いに協力したりなどせず勝手に仕事を進める仲になっていた。
互いの職掌が重複する懸案事項があったとしても当然のように無視しあっていた。
「おい、待てったら」
ラモンがロランの肩を掴んだ。
仕方なくロランはラモンに歩調を合わせる。
「ロラン、例のモニカ達の移籍についての件だがね。君の方からも彼女らに移籍を再考するように促してくれないかね?」
「その話なら既にお断りしたはずです。それに、そういう話でしたら、以前のように、また僕のことを無視して彼女らに直接持ちかければいいではありませんか」
ロランはトゲのある言い方をした。
「無論、私もそうしようと思ったんだがね。彼女らに相手にされなかったんだよ」
ラモンは再びモニカ達に『金色の鷹』に移籍するよう説得しようとしたが、モニカはラモンに話を持ちかけられそうになるや否や、「すみません。ロランさんにそのような話には乗らないようにと注意を受けているので。そう言った話はロランさんの方にお願いします」と言ってそそくさと逃げられてしまうのであった。
シャクマとユフィネについても似たような対応だった。
「彼女らは君に配慮して二の足を踏んでいるようだ。だから君の方からも彼女らを説得してだな」
「お断りします。彼女らは今、大事な時期です。そのような話で心を煩わせている場合ではありません」
「ロラン、君のいうこともわかるがね。ギルドにも財政事情というものがある。金がなければ組織は回らない」
「財務に関することは私の管轄ではありません。そもそもダンジョンを攻略してAクラス冒険者を輩出したんです。資金の目処などどうとでもなるはずでしょう?」
「そんなことを言ったって。モニカ達の肖像権収入が入るのは来月だし、ダンジョン経営については『金色の鷹』の力を借りなければどうにもならんじゃないか」
「それは私の関知する所ではありません」
ロランはそう言ってラモンを振り切って歩いていくのであった。
(ぐぬぬ。おのれ若造め。少し手柄をあげたからと言って調子に乗りおってぇ。ぐっ、胃が……)
ラモンはお腹のあたりを押さえた。
最近、彼はストレスからくる胃痛に悩まされていた。
『精霊の工廠』が主催する錬金術ギルド向けセミナーの当日が訪れた。
その名も『ダンジョン経営の今後について考える会』である。
ロランは配布したパンフレットに「今期のダンジョン経営について重大な発表があります」と書き添えておいた。
錬金術ギルドの面々は、この『重大な発表』なる文面を『金色の鷹』と『精霊の工廠』の間で何らかの話がついて、それについて説明があるのだと受け取った。
そのため、街中の主だった錬金術ギルドのほとんどが出席することになった。
セミナーは『魔法樹の守人』の所有する施設の講堂内で行われた。
ロランは壇上に登ってスピーチをする。
(ふう。流石に緊張するな)
ロランは人前に立つという慣れない行為に少し緊張しながら話し始めた。
「えー。皆さん、まずはお忙しい中、このセミナーのために集まっていただきありがとうございます。本日はお日柄もよく……」
錬金術ギルドの面々は、ロランの話に注意深く耳を傾けたが、その話はなんとも煮え切らないものだった。
ロランのスピーチは、「今後『精霊の工廠』は魔法樹の守人のお抱えギルドというだけでなく、街の錬金術ギルドをリードしていくようなギルドになりたい」だとか、「錬金術ギルドは冒険者ギルドの顔色を伺わずにもっと自由に武器を作るべきだ」とか、なんとも言えずぼんやりとした内容に終始した。
おかげで会場内はなんとも言えずじれったい雰囲気に包まれた。
誰もがじりじりした気持ちで、一体いつ重大発表が行われるのかと思って待ち続けた。
ロランは彼らを目一杯待たせた後、満を持してジルを壇上に引き上げる。
「えー、皆さん。それではここで私の友人であり、元同僚のジル・アーウィンにも今後のダンジョン経営についてお話ししてもらおうと思います」
ロランが壇上の脇に退く代わりにジルが壇上に上がる。
『金色の鷹』上級会員の登場に会場はざわめいた。
多くの人々は、彼女がこのセミナーにおける『金色の鷹』の代表者だと受け止めた。
「えー、みなさん。『金色の鷹』の上級会員ジル・アーウィンと申します。敬愛するロランさんにこのような場でスピーチする機会をいただけたこと、大変感謝します。私のような若輩者がこのように皆様の前で話をさせていただけるのは望外の喜びです」
少なくない人々が驚きの表情を浮かべた。
『金色の鷹』がこのような公的な場で一錬金術ギルド相手に対して、ここまで下手に出るというのは異例のことだった。
ジルはまず『金色の鷹』と『魔法樹の守人』の協力関係が深化していることが喜ばしいことだと語った。
また『精霊の工廠』が発展していること、『魔法樹の守人』がダンジョン攻略したことも祝福した。
さらには街中の錬金術ギルドが『精霊の工廠』の主導するダンジョン経営に参加してもらえるとありがたい、とはっきり明言した。
錬金術ギルドの面々はジルの言葉の数々を『金色の鷹』から『魔法樹の守人』主導のダンジョン経営を認めたのだと受け取った。
中には長らく続いた『金色の鷹』の一強時代が終わり『魔法樹の守人』の時代が来たとまで受け取るものもいた。
「では、これで私からのお話は終わらせていただきます」
ジルが一礼して壇上から退く。
「ありがとうございました。では続いて『魔法樹の守人』のリリアンヌさんにお話してもらいます」
ロランがそう言うとリリアンヌが壇上に上がった。
「みなさん。いつもお世話になっております。『魔法樹の守人』上級会員のリリアンヌと申します。本日は、皆さんが常に考えておられるダンジョン経営について『魔法樹の守人』の考えをお伝えするために参りました」
リリアンヌはそう言ってにこやかな笑みを浮かべた。
「皆さんご存知の通り、『魔法樹の守人』と『精霊の工廠』は資本提携しているギルドです。『魔法樹の守人』と『精霊の工廠』はいつも助け合ってきた仲でした。今回のダンジョン経営においても『魔法樹の守人』は『精霊の工廠』及びそれに付き従っていただく皆様錬金術ギルドに全権を委託するとともに、全力でサポートさせていただく所存です。つきましては本日、この場で『精霊の工廠』とダンジョン経営について契約していただいたギルドにはダンジョンへの入場料を割引価格で提供させていただきたいと思います。みなさま是非とも振るってご契約ください」
会場に歓声が上がった。
年々釣り上げられていくダンジョンへの入場料が、割引されるなどということは、『金色の鷹』の圧政の下ではあり得ないことだった。
人々は先を争うようにして『精霊の工廠』と契約を結ぶ列に加わった。
ゼンスの錬金術ギルドだけは、契約を結ばずに人目を避けるようにして会場を後にした。
何はともあれ、こうして『鉱山のダンジョン』の経営は『精霊の工廠』主導の下進められることになった。
『金色の鷹』を差し置いて。
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。