第32話 お金より大切なもの
「紹介しよう。彼が『金色の鷹』のギルド長を務めているルキウスさんだ」
「やぁ。はじめまして」
ルキウスはモニカに向かってにっこりと微笑んでみせた。
「……どうも」
モニカはルキウスのことをマジマジと見つめた。
(この人がルキウスさん。『金色の鷹』のギルド長……)
なるほど、ギルドの代表というだけあって、服装といい物腰といい経営者らしく、洗練されていてスマートな印象だった。
一方で、その態度にはどこか作り物じみたものがあるようにもモニカには感じられた。
『魔法樹の守人』のギルド長、ラモンはロランとリリアンヌに見つからないよう二人を引き合わせることができてホッとしていた。
二人は今、外に出ていて不在だった。
(モニカを移籍させるとしたら、あの二人がいないうちに事を運ばなければな)
「モニカ。ルキウスさんは是非とも君に会いたいという事でわざわざ時間を取ってくださったんだ」
「えっと。どうして『金色の鷹』のギルド長が『魔法樹の守人』に?」
モニカは警戒するように後退りした。
「まあ、とにかく座りなさい。ルキウスさんの方から直々に説明していただくから」
モニカはギルド長に促されて椅子に座った。
ルキウスと対面になる。
「率直に言おう。君を『金色の鷹』の上級会員としてスカウトしたい」
「えっ? スカウト……ですか?」
「『森のダンジョン』における君の活躍については聞き及んでいるよ。その話を聞くうちにぜひとも君と一緒に働いてみたくなってね」
ルキウスはにこやかに言った。
「はあ……」
「もし、君が我がギルド『金色の鷹』に移籍してくれるというなら、年1200万ゴールドの契約を結ぶつもりだ」
「ね、年1200万ゴールド!?」
モニカは提示された金額を聞いて変な声を出してしまった。
ルキウスは内心でほくそ笑んだ。
「無論、『魔法樹の守人』との契約から生じる違約金についてはこちらで負担するつもりだ。それだけじゃない。もし君が移籍してくれるのなら、給与以外にも待遇など様々な面で優遇するつもりだ。何か欲しい装備があれば何でも揃えるつもりだし、欲しいスキルがあれば伸ばせるようサポートしよう」
「は、はあ」
「ゆくゆくは君を『金色の鷹』第二部隊の部隊長に据えたいと思っているんだ」
「部隊長……ですか?」
「どうかな? 移籍するつもりがあるのか、ないのか」
「えっと……」
「いい話じゃないかモニカ」
ラモンが口を挟んだ。
「『魔法樹の守人』では部隊長になれるかどうか怪しいものだぞ。なにせロランは君を自分の部隊に留めておくつもりだそうだ」
「えっ? そうなんですか?」
「ああ、ロランの下ではいつまでたっても部隊長にはなれんかもしれんぞ」
「何? それは聞き捨てなりませんね。このように優秀な会員をいつまでも一部隊員に留めおくなんて」
「ルキウスさんは君に出世のためのチャンスをくれるというんだ。またとない話だと思うんだがね」
ルキウスとラモンはモニカの心を動かすつもりでそう言ったが、モニカの頭の中では別の考えが占めていた。
(ロランさんが私を自分の部隊に留めようとしている。私を必要としている)
モニカはルキウスの方を見る。
「あの、ルキウスさん。大変ありがたいお話なのですが……、お返事の方は少し待っていただいていいですか? やっぱり私は『魔法樹の守人』がいいと思っていて」
「なんだって!?」
「待ってくれ。ではこういうのはどうだろう。来月から、いや、今すぐにでも部隊長に任命しようじゃないか」
モニカはギョッとする。
(なっ、今すぐ部隊長? そんなの私には無理。ただでさえ『神域』ではロランさんがいなくて大変だったのに。自分のことだけで精一杯なのに部隊のことまで責任を負うことなんてできないわ)
すでに部隊を指揮する大変さについて身をもって体験していたモニカは、ルキウスの提案に怖気付いてしまった。
(ロランさんが私を部隊に置いてくれるのなら、しばらくは『魔法樹の守人』でやり続けたほうがいいよね。下手に移籍して身の丈に合わない仕事を任せられたら……)
自分のことを何も知らない上司、部下、スタッフの下で責任の重い仕事をさせられる。
考えただけでもゾッとする職場環境だった。
「何か我々の提案に不服でもあるのかな?」
ルキウスはいつもの癖で微笑を浮かべながら、圧力をかけてしまう。
モニカは危険を感じた。
「あの、すみませんが、今日はこれで失礼します。画家の人達を待たせていますので」
「おい、ちょっと待ってくれ」
「いえ、失礼します」
モニカはそれだけ言うとそそくさと部屋を飛び出して行った。
(ロランさんが私を部隊に。あなたはまだ私を必要としてくれている。そう思ってもいいですかロランさん?)
モニカの心の中はその事実だけで占められていた。
それだけで彼女にとってロランと会うことは、憂鬱なイベントから、期待と希望に胸踊るイベントに様変わりするのであった。
モニカが出て行った後、二人を残した部屋では気まずい空気が流れていた。
ルキウスはラモンを睨む。
「ラモンさん。話が違うじゃありませんか。『魔法樹の守人』としてはモニカ・ヴェルマーレを手放す準備はできていると、そういう話だったんじゃなかったんですか?」
「え、ええ。もちろんこちらとしてはそのつもりは満々だったのですが」
ラモンはハンカチを取り出して額の汗を拭う。
「しかし、実際のところ彼女はこちらの話に頷くどころか逃げるように部屋を退室しましたよ。本当に彼女を移籍させる気があるんですか?」
「ええ、もちろんですとも」
「だったらなんで彼女はあんな風にして逃げ出したんですか」
「そ、そうですね。あっ、部隊長に任命すると言ったのがマズかったのかもしれません」
「部隊長が? 一体どうして……」
「彼女はその実力に似合わず臆病なところがありましてね。部隊長に任命されると聞いてついつい怯んでしまったのかもしれません」
「ふむ。なるほど」
(Aクラス冒険者にも関わらず自分に自信がない。万年二位のギルドに所属していた根性はなかなか治らないというわけか)
「分かりました。とりあえずモニカ・ヴェルマーレについては後回しにしましょう。まずは残りの二人、シャクマ・ハキムとユフィネ・レイエスと交渉させていただきます。二人については必ず首を縦に振らせる。いいですね?」
ルキウスはラモンに対して凄んで見せる。
「え、ええ。もちろんです。もちろんですとも」
「では、早く、今すぐにでもどちらか一人を連れてきていただきたい」
ラモンは、慌てて部屋を飛び出した。
「ほう。私をスカウトしたいと」
シャクマはルキウスを前にして言った。
彼女はモニカよりもはるかに前向きな態度で交渉に臨んでいた。
(これは、いい感触だな。これなら引き抜けるかもしれん)
ルキウスは、シャクマが期待通りの反応を示したのを見て、満足した。
「ああ、是非とも君を『金色の鷹』上級会員として迎え入れたいと思っている」
(ついに私も街一番のギルドに引き抜かれるまでになりましたか。ロランさんの下を離れるのは心苦しいことですが、街一番のギルドに入れるというのなら、待遇次第によってはアリかもしれませんね)
「ありがたいお話です。是非前向きに検討させていただければと思います。それでどのような待遇を用意してくださるのですか?」
「うむ。『金色の鷹』に入ってくれるなら、年俸1200万ゴールドを用意しよう」
「他には?」
シャクマは期待に目を輝かせながら聞いた。
ルキウスは少し慎重になった。
(先ほどのモニカという少女にはプレッシャーを与え過ぎて怯ませてしまったからな。この娘にはプレッシャーを与え過ぎないように注意しよう)
「そうだね。とりあえずは第一部隊に一隊員として所属してもらって、アリクの下で部隊運用について1から基礎を学んでもらい、……」
シャクマはルキウスのいうことを聞いてがっかりした。
(なーんだ。部隊長にしてもらえるわけじゃないのか。『金色の鷹』の私に対する評価は所詮その程度ですか。はぁ)
シャクマはすでにロランから部隊長になる前提で指導してもらえると内定を受けていた。
(このまま『魔法樹の守人』でロランさんの部下でいた方が面白そうだな)
「すみませんが、ちょっと考えさせてもらっていいですか?」
シャクマはルキウスからされる提案の数々に曖昧な返事をするだけで終わった。
ルキウスの交渉はまたも不首尾に終わった。
「君が望むのなら、すぐに部隊長の地位を約束するし、まずは部隊の一員からゆっくりでもいい。君の望む待遇を用意するつもりだ」
ルキウスはユフィネを前にして熱弁した。
(モニカとシャクマの引き抜きに失敗した以上、ユフィネだけはなんとしても成功させなければ)
ルキウスは焦っていた。
ユフィネはルキウスの方を感情のこもっていない目でじっと見つめる。
これは彼女が初対面の人に対してよくとる態度だった。
ユフィネの態度はただでさえ焦っているルキウスの心をより一層掻き乱した。
ここ最近で『金色の鷹』に誘って断るものなど一人も居なかった。
その中で、ルキウスは常に試す側の人間であり、試されることなどなかった。
久し振りに自分を値踏みするような視線に晒されたルキウスは、額に嫌な汗が流れるのを感じた。
一方でユフィネはますます冷静になっていった。
しばらく部屋を沈黙が支配する。
「もし……」
ユフィネがポツリと呟いた。
ルキウスとラモンが身構える。
「もし、私がAクラスの治癒師になった場合、どうなります?」
「どうなる……とは?」
ルキウスは必死でどうにか彼女の心情を読み取ろうと食い入るように彼女の瞳を見つめた。
「例えば給与や待遇が上がったりしますか?」
「もちろんだ。もし君がAクラスになった暁にはさらなる給与の向上を約束しよう」
ルキウスは即答した。
ユフィネは考える。
(Aクラスになった方が待遇が上がるのなら、ロランさんにAクラスにしてもらってから移籍した方が得よね)
「すみませんが。今すぐには返答しかねます。もう少し待ってからにしてくださいませんか?」
ルキウスの引き抜き工作は全て失敗に終わった。
『魔法樹の守人』に帰ってきたロランは、考え事をしながら廊下を歩いていた。
ダンジョン経営の打ち合わせのために『精霊の工廠』に顔を出していた彼は、折良く訪れていた他の錬金術ギルドの連中に相談を持ちかけられていた。
「『金色の鷹』からの連絡がいつまでも来ないんです」
訪れた錬金術ギルドの者はそう言った。
「ちょうどダンジョンが攻略されて書き入れ時だって言うのに、こっちから相談に行っても、現在担当者は席を外していますの一点張りで。『金色の鷹』は何やらセバスタの件でゴタゴタしているようで」
「セバスタの件? すみません忙しくて市井の状況には疎くて。セバスタに何かあったんですか?」
「どうもルキウスと揉めて、『金色の鷹』を退団したようです」
「セバスタが退団!? そんなことが……」
「とにかく『金色の鷹』から我々に全然連絡が来なくて。彼らが我々をまとめているから仕方なく従っているのに。早くしてくれないと食いっぱぐれてしまいますよ。ねぇロランさん何か聞いてやいませんか? 『金色の鷹』とはもう和解したんでしょう?」
彼はすっかり憔悴しきった様子でそう言っていた。
(『金色の鷹』傘下の錬金術ギルドがこっちに相談を持ちかけてくるということは、いよいよルキウスの求心力が下がって来ているということか)
ロランは『金色の鷹』傘下の錬金術ギルドを切り崩すチャンスだと感じた。
(でも、どうして? てっきりまた『錬金術ギルド』を使って嫌がらせしてくると思っていたのに)
「ロラン!」
ロランは背後から自分を呼ぶ声にギクリとした。
彼は相変わらずスキルを鑑定してもらおうとする会員達に悩まされる日々を送っていた。
そのためなるべく人通りに少ない時間にギルドに帰ってくるようにしているくらいだった。
しかし声の主がリリアンヌであるのを確認するとホッとする。
「なんだリリイか。一体どうしたんだいそんな血相変えて」
「ロラン。ギルド長が私達の知らないうちにモニカ達を『金色の鷹』に移籍させようとしているみたいなの」
「なんですって!?」
ロランは愕然とした。
「ダメですよ。彼女らはギルド生え抜きの会員じゃないですか。今後、『魔法樹の守人』を支えてくれる大事な柱になる存在ですよ」
「ええ。まさか。ギルド長があんなことをするなんて」
「くそっ。一体何考えてるんだ」
「もうすでにルキウスが何度もこの建物に訪れていて、彼女達と交渉しているようなの」
リリアンヌはすっかり狼狽えた様子で言った。
(ルキウスの奴。妙に大人しいと思っていたら。狙いはそっちか)
「とにかく。ギルド長が敵と内通していると分かった以上、対策を立てるしかありません。三人の給与と違約金、契約年数を吊り上げて、ルキウスに手が出せないようにしましょう」
「そうね。そうするのが一番だわ」
リリアンヌはすぐに仕事に取りかかった。
リリアンヌは新しく作成された契約書を片手にギルド長の部屋を訪れた。
「ギルド長、以前申し上げていたモニカ達の新契約書です。サインをお願いできますか?」
「うむ。後で目を通しておこう」
「今、すぐにサインをお願いします」
リリアンヌは微笑みながらも有無を言わせぬ調子で言った。
ラモンは誤魔化すように笑った。
「何もそんなに急がなくても……」
「ダメです。モタモタしていては彼女らを欲しがる『金色の鷹』に取られかねませんからね」
ラモンはギクリとした。
「まさか小金目当てに彼女らを『金色の鷹』に売ろうなどとは思っていませんわよね?」
リリアンヌは微笑を浮かべながらも圧力をかけるようにずいとギルド長に顔を近づけた。
ギルド長はリリアンヌに対して気圧されながら誤魔化すような笑いを浮かべた。
「いや、しかしだな。君はそう言うが、ロランの奴が三人の装備代としてべらぼうな額の金を請求してきている。おまけに彼女らの給与を上げるとなってはだな。このままでは資金繰が行き詰まってしまう。彼女らを保持したいと言うなら何か他に資金を調達する目処を立てないと。何か考えでもあるのかね?」
「ギルド長、資金を調達するのはあなたの仕事でしょう? 確かにロランさんは彼女らの育成に多額の費用をかけましたが、それに見合う成果を出したじゃありませんか。今度はギルド長がロランさんと彼女らの頑張りに見合う報酬を用意する番です」
「いや、しかし、そんなことを言われても、金の問題は……」
「Aクラス冒険者を輩出したんです。銀行でも資産家の所でも、どこでも行って出資を引き出してくればいいじゃありませんか。とにかく、彼女らに新しい契約を提示するのを急がなければなりません。早くこの契約書にサインを」
リリアンヌはギルド長に契約書を差し出して署名を迫った。
「う、うう」
ギルド長は止むを得ずリリアンヌの差し出した契約書にサインする。
三人の新条件は年俸1000万ゴールドの5年契約だった。
違約金は契約残年数に年俸をかけた金額とされた。
つまりルキウスが彼女らを引き抜くには一人につき5000万ゴールドを用意する必要があった。
その後、ロランが三人に新たな契約書を提示して交渉に当たった。
『金色の鷹』が提示した給与よりも若干低い年俸にもかかわらず、三人はルキウスの時とは打って変わってあっさりと新しい契約書にサインした。
次の日、ロランは休憩時間にモニカを誘ってランチに出ていた。
たまたま二人の空き時間が重なったためだ。
「よかったよ。元気が出たみたいで」
「えっ?」
「ステータス、元に戻ってる」
「ああ、そういうことですか。はい。ご心配をおかけしちゃって」
(流石にいつまでもステータスを乱したままではいられないからなー)
モニカは苦笑いしながら心の中でそう思った。
「新しい契約書にサインしてくれたようだね」
「はい」
「どうして? 『金色の鷹』の方がたくさん報酬を提示してくれただろう?」
「……もっとロランさんの下で学びたいと思ったので」
「そっか。ありがとう」
「あの、私からも聞いていいですか?」
「うん。答えられる範囲ならなんでも答えるよ」
「ギルド長が言っていました。ロランさんはまだ私を配下にしておきたいって」
「うん。そうだね」
「どうしてですか?」
「君の力をもっと引き出せる。そう思っているからだよ。ちょっと付き合ってくれるかな」
「? はい」
ロランはクエスト受付所の掲示板の前にモニカを連れて行った。
「モンスター撃破数ランキング、アイテム取得ランキング、クリアクエストランキング。どのランキングの1位にも弓使いの名前がない」
「ホントだ」
「でもきっと君ならこのどれかを取ることができる。僕はそう思ってる」
「私が……ですか?」
「ああ、現状弓使いは支援攻撃用のポジションとみなされていて、実際そういう風に運用されている」
ロランは遠くを見つめる目になった。
ダンジョンの中にいる時、モニカが何度も見た仕草だった。
「僕は弓使いの役割は過小評価されていると思う。けれども君とならその常識を変えられる。そんな気がするんだ」
(ロランさん。本当に私のこと部下だとしか思っていないんだ)
モニカは胸が切なくなった。
「より高みを目指したい。そのためには君の力が必要なんだ。モニカ、一緒に目指してくれるかい?」
「……はい」
(たとえ想いが届かなくても、あなたの下で成長します。せめてあなたに誇れる自分でいたいから)
 




