第31話 引き抜き
ルキウスは富裕層御用達の高級飲食店に訪れていた。
ここは、街の資産家や大商人が秘密の会談や取引額の大きい商談を行う場として利用されていた。
(全く。この忙しい時に一体何の用なんだか。今後の事業計画については説明したばかりだろうに)
ルキウスは『金色の鷹』の出資者の一人である銀行家によってこの場所に呼ばれていた。
ルキウスが店に入るとすでに来店していた銀行家が葉巻を吸っているところだった。
「申し訳ありません。お待たせしてしまったようで」
「いやいや、先に楽しませてもらっているよ。では早速だが、商談に移ろうか」
銀行家は葉巻を灰皿に押し付けた。
「なんですって?」
ルキウスは今しがた銀行家によって突き付けられた残酷な通達に愕然とした。
銀行家は眉一つ動かさず椅子に深く腰掛けてルキウスの方を見続けている。
「今季限りで『金色の鷹』から資金を引き上げたいって……。そんな! なぜですか? 一体どうしてこのタイミングで……」
「簡単なことだよ。君のビジネスに魅力を感じられなくなったからだ」
銀行家は葉巻の煙をくゆらせながら言った。
紫色の煙が室内に立ち込める。
「そんな……待ってください。確かに今月は『魔法樹の守人』に遅れを取りました。しかし、まだ総合力では我々の方が上です。もう一度チャンスを……」
「鑑定士ロラン……」
銀行家が呟くように言った。
ルキウスは顔を強張らせる。
「この街唯一のSクラス鑑定士にして育成のスペシャリスト。『金色の鷹』において数多くの冒険者を育成してきた。悪いが調べさせてもらったよ。ジルやドーウィンを育てたのも彼だという話じゃないか。アリクやセバスタも彼に指導された形跡がある。また君とロランが『金色の鷹』に加入してから、『金色の鷹』は急激に成長している。功労者と言っていいだろう。にもかかわらず、ロランはどういうわけか先日、『金色の鷹』を追放されている。他ならぬ君の手でね。そして今、彼は『魔法樹の守人』に特別顧問として雇われている。彼が加入するのと同じタイミングで『魔法樹の守人』は、ダンジョンを二つ攻略し、Aクラス冒険者を輩出した。一方で『金色の鷹』はメンバーの昇格が止まり、ダンジョンを二つもライバルに取られた」
「つまりこうおっしゃりたいのですか?『金色の鷹』が街一番のギルドになったのは、ロランの手柄だと。私はロランの成果に乗りかかっただけの無能であると」
「いやいや、そこまで言うつもりはないよ。ただ、鑑定士ロラン、彼を追放したのは、経営上の観点から言ってミスだったのではないかね?」
「……」
「ロランは君がギルド長としてのし上がった原動力の一つであり、同志、いやむしろ親友とさえ言える存在だったのではないかね? なぜ、彼を追放した?」
「……」
「まあ、答えたくないなら、それもいい。とにかく私としてはこれ以上君のビジネスに出資し続けるつもりはない。では、悪いがこれで失礼させてもらうよ」
「待ってください!」
ルキウスは領収書を持って出て行こうとする銀行家の手を掴んだ。
「まだ話は終わっていませんよ」
「私に君と話すことは無いのだが……」
「私にはございます」
銀行家はルキウスの必死の剣幕についつい怯んでしまった。
「座り直していただけますね?」
銀行家は止むを得ず再び席に付いた。
「確かにロランはAクラス冒険者の育成に些か関与したかもしれません。しかし、だからなんだと言うのです?彼がどれだけAクラス冒険者とその候補、アリクやセバスタ、ジルにドーウィンを育てたとしても、今、彼らは私の手中にいます」
「……」
「そうです。彼がAクラス冒険者を育てると言うのなら、我々はそれを買い上げてしまえばいいのです。資金力の面ではまだまだ『金色の鷹』の方が上。今回のダンジョン攻略で主導的な役割を果たしたあの三人を引き抜けば、我々は再び優位に立つことができます」
「ふむ。なるほど。確かにそうかもしれん。しかし、それならいっそのことロランを引き抜けばよいのではないかね? あえてロランを『魔法樹の守人』に所属させておく意味はあるまい?」
「なっ、ダメですよそれは!それでは意味がありません。ロランを『魔法樹の守人』に留めさせて、育成費用を『魔法樹の守人』に肩代わりさせておくからこそ意味があるのです」
「……」
「奴を呼び戻せばそれだけでバカバカしい費用がかかりますよ。そう。そうだ。そうだった。結局、奴を追放したのは、成果に見合わない多額の費用を要するからです。奴の要求に従ってホイホイ金を出していてはギルドの経営は成り立ちませんよ。あなたは知りますまい。ジルやドーウィンが頭角を現す一方で、どれだけの無駄金が成果の上がらない新人冒険者達につぎ込まれたかを!どうせ『魔法樹の守人』でも同じことをしているに違いありませんよ」
「ふむ。そうなのかね?」
「ええ、そうです。所詮奴は新人に多額の資金を注ぎ込み、たまたま芽が出た者を拾い上げたに過ぎません。そんなことをしていては採算が合いませんよ」
「うむ。まあ、君がそう言うのなら任せるが……」
「失礼します。ギルド長」
二人が話しているとディアンナがやって来て、ルキウスの耳元に何事か囁いた。
「なに? それは本当か?」
ルキウスは驚愕に目を見開く。
「ええ、確かな情報です」
「どうかしたのかね?」
銀行家が怪訝そうに聞いた。
「いえ、大したことではありませんよ」
ルキウスはニッコリと微笑微笑んで見せた。
しかし内心ではすっかり焦っていた。
「とりあえずお話はこれで終わりということでよろしいですね?では、私は所用がありますので失礼いたします」
ルキウスは席を立つとソソクサと店を後にした。
銀行家に声が聞こえない場所まで来てから、ディアンナと耳打ちしてきた内容について話し合う。
「改めて聞くが、今の話は本当なのか? セバスタが暴力事件を起こした末に街を抜け出したなんて……」
「ええ、ギルドにも警察がやって来ています。事情聴取をしたいと」
(チィ。セバスタの奴め。こっちが大変な時に手を煩わせやがって)
ルキウスは『金色の鷹』の本部に戻ると、すぐに関係者に向けて声明を出さなければならなかった。
セバスタと『金色の鷹』は契約関係を解消しており、もはや何の関係もないこと。
それ故に暴力事件と『金色の鷹』は何の関係もないこと。
ルキウスは数日間、事件の火消しに奔走させられた。
(ええい。どいつもこいつも俺の邪魔ばかりしやがって。かくなる上は……何としても引き抜きを成功させなければ)
『魔法樹の守人』本部のロビーでは、会員達が待ちわびるようにしてたむろしていた。
みなロビーで立ち話をしながらも落ち着かない様子でチラリチラリと入り口に目をやって、訪れる人をチェックしている。
そしてついに目当ての人物がやって来た。
ロランだった。
「あっ、ロランさんだ」
「ロランさん。おはようございます」
ロランは忽ちのうちにギルドのメンバーによって囲まれてしまった。
「ロランさん。私のスキルも鑑定してください」
「ロランさん。俺にも何かアドバイスを」
みんなここぞとばかりにロランと繋がりを持とうとしていた。
なにせ彼に取り入ることが出来れば、Aクラス冒険者への道が開かれるのだから。
「わわ、ちょっと待って。まずは出勤しないと……」
ロランがそう言っても彼らは引き下がらなかった。
「お願いします。きっといいスキルが見つかると思うので」
「新しい部隊創設されるというのは本当ですか? だとしたら私も入れてください。きっと役に立ちます!」
「ごめん。会議があるんだ。それぞれのスキル鑑定と育成計画についてはまた後で連絡するから」
ロランはそう言って彼らのことをどうにか振り切るのであった。
モニカ、シャクマ、ユフィネの3人はロビーの隅からその様子を見ていた。
「大人気ね、ロランさん」
ユフィネが腕を組みながら言った。
「当然ですよ。実際、ロランさんのおかげで昇格出来ましたからね我々は」
シャクマが誇らしげに言った。
「ええ、部隊運用の面でも参考になることが沢山あったわ。これからも指導していただかなくては」
「はぁーあ」
モニカは二人の隣で盛大な溜息をついた。
「どうしたのモニカ?」
ユフィネが不思議そうにモニカの方を見る。
「別にぃ。なんでもない」
彼女はうつむきながら不貞腐れたようにそう言った。
「そう? ならいいけど……」
「あっ、もうこんな時間ですよ。ギルドから言われてるPRの仕事をしなくちゃ」
シャクマが壁に掛かった時計を見ながら言った。
「あ、私も今日、新聞かなんかのインタビュー受けろとか言われてたっけ。モニカ、あんたは?」
「私も画家さんに絵を描いてもらう予定……」
「それじゃ、3人とも別々ね。また昼食の時に会いましょう」
「うん。そうだね」
モニカはうなだれながら、二人と別れた。
「どうしたのあの子?」
「さあ?」
モニカが沈んでいるのは他でもない、それは昨日の出来事だった。
ロランとリリアンヌが連れ立ってギルドに出勤してきたのだ。
二人の家は別々の方向にあるはずなのに。
二人は「リリイ」、「ロラン」と互いに呼び合っていかにも仲睦まじそうであった。
その様を見て、モニカは二人の間に何があったのか完全に察してしまったのだ。
彼女は自分の中に芽生えかけていた淡い想いが始まる前に終わったことを悟った。
(そりゃそうだよね。リリアンヌさん綺麗だし。頭良いし。ロランさんほどの人なら綺麗な人にいくらでも言い寄られるよね。はぁ)
彼女は、自分に対して優しくも厳しく接してくれるロランに、単なる上司以上の感情を抱いていた。
(この人だって思ってたのに。でも違った……)
彼女は誰も見ていないところで、こっそりと涙を流すのであった。
一夜明けて一応立ち直ったものの、問題は今後もロランが自分の上司であり続けることだった。
手に入らないものを目の前で延々とチラつかされる。
これほど辛いことはなかった。
それを思うと彼女は嫌が応にも憂鬱になってしまうのであった。
(はぁあ。もう冒険者辞めよっかなぁ)
『魔法樹の守人』の訓練室でロランはモニカ達3人のスキルとステータスをチェックしていた。
「よし。それぞれ装備は身に付けたね。それじゃ『スキル鑑定』させてもらうよ。力を抜いて、リラックスして」
ロランがそう言うと3人は目をつぶって体から力を抜いた。
ロランは『スキル鑑定』と『ステータス鑑定』を発動させる。
ユフィネ
『広範囲回復魔法』S→S
『単体回復魔法』A→A
(スキルは鈍っていない。ステータスからもやる気が充実しているのが伝わってくる。野心に偽りはないようだな)
「よし。ユフィネ。オッケーだよ」
「はい。ありがとうございます。どうでしたか?私のスキルとステータスは」
「万全だよ。この分なら少し鍛錬の負荷を上げてもいいかもしれないね」
「はい。ぜひよろしくお願いします」
(よし。とりあえずアピール成功だわ)
ユフィネはロランにいいところを見せることができてガッツポーズをする。
(さて、次はモニカのスキルとステータスを……モニカ?)
ロランの顔が険しくなる。
「どうしたモニカ? ステータスに乱調が見られるよ」
モニカはビクッとする。
「う、すみません」
「ステータスが乱れるのは、心身に不調をきたしている証拠だ。『ホークアイ』は著しく体力を消耗させるスキル。体調管理の重要性は、君が一番よく知っているはずだよ」
「はい……」
「もしかして……何か悩みでもあるのかい?」
ロランは心配そうにモニカの顔を覗き込んだ。
モニカはぐっと言葉に詰まってロランの方を見つめる。
それは不満を訴えてるとも、助けを求めているともとれる表情だった。
「モニカ?」
「いえ、なんでもありません。体調管理に気をつけます」
モニカは顔を伏せて表情を隠した。
「?……そうか。それならいいんだけど。それじゃあ今日の訓練行くよ」
ロランはモニカのトレーニングしている姿を心配そうに見つめた。
(やっぱり調子が悪いみたいだな。どうしたんだろう。いつもはすぐに相談してくれる子なのに。大丈夫かな?)
モニカはロランに見られていることを感じながら自己嫌悪に陥っていた。
(ううう。ロランさんに怒られたし。もうヤダァ)
ロランは3人に課題を言い渡した後、『魔法樹の守人』の経営会議に出席していた。
彼は幹部になったためこのような会議にも顔を出して、ギルド内の重要な決定に参画していた。
「では、新規部隊の設立についてです。リリアンヌ率いる第一部隊、ロラン率いる第二部隊に続いて、第三の部隊を設立すべきではないかという議題が届いています。部隊の隊長や編成についてご意見のある方は是非おっしゃってください」
「とりあえず第三部隊の隊長はモニカでいいんじゃないかね?彼女はもうAクラスなんだ。部隊長を任せても誰も異議を唱えるものはいないだろう」
太ったギルド長は禿げ上がった額の汗を拭きながら言った。
「待ってください。まだ彼女に部隊長を任せるのは早過ぎます」
ロランが異議を唱えた。
「彼女はAクラスとはいえ、まだまだ新人です。特にAクラスになりたてのこの時期、こう言う時こそ浮ついて足元をすくわれやすいものです。すでに彼女らには精神的緩みや驕り、乱れが見られます。モニカ、シャクマ、ユフィネの3人については、今はまだ部隊のことについてまで責任を負わせるべきではありません。彼女らについては引き続き僕の部隊に引き留めるのがよいかと思います」
「そうですね。では新規部隊の隊長については保留ということにしましょう。では次の議題へ」
リリアンヌはロランの意見を聞くとすぐに次の議題へと移った。
まるでロランの意見だけ聞ければ十分とでも言わんばかりであった。
「では次の議題ですが、新人の獲得について」
「新しい部隊の設立は保留するんだろう?しばらくは新人を獲得しなくてもいいんじゃないかね?」
ギルド長が言った。
「いえ、新人は取りましょう」
ロランが言った。
「先ほども申し上げたように、モニカ達3人にはクラスを大幅に上げた者に見られる特有の緩みが見られます。無理にプレッシャーをかける必要はありませんが、気を引き締めてもらう必要はあります。新たに彼女らに匹敵する才能の弓使い、支援魔導師、治癒師を獲得して彼女らにまだ競争が終わっていないこと、自分達の地位を脅かす存在はいくらでもいることを分からせる必要があります」
「そうですね。ではロランさん。新人の面接及び採用について、お任せしてもよろしいですか?」
リリアンヌが少し甘えるような調子で言った。
「ええ、もちろん。やらせていただきます」
ロランは爽やかな笑顔で答えた。
(ぐっ。リリアンヌめ。さらっとロランの権限を強化しおって)
ギルド長は苦虫を噛み潰したような顔になる。
その後も主要な議題には全てロランとリリアンヌの意見が採り入れられた。
ギルド長の提案は全て却下されてしまう。
(くそぅ。これではギルド長である私の立場がないではないか。ウィリクがロランにさえ勝っていれば、こんなことにはならずに済んだものを!)
モニカは『魔法樹の守人』本部の一室で画家達に取り囲まれていた。
彼らは皆、お金を出してでもモニカの絵を描きたいと申し出て来た人間達だ(契約により彼女の肖像権はギルドに属していた)。
彼女の絵を上手く描くことができれば、当世流行の画家になれることは確実だった。
彼女が活躍すればするほど、また有名になればなるほど、彼らの絵の価値は高くなる。
モニカはキャンパスと画家達に囲まれてすっかり硬くなっていた。
「モニカ様。緊張していらっしゃいますか?」
画家の一人が声をかけた。
モニカは困ったように笑った。
「ええ、こういった経験は初めてなので」
「緊張されなくても大丈夫ですよ。我々は普段通りのあなたが見たいのです。どうかざっくばらんにリラックスしてください」
「はあ」
(普段通りにしろって言われてもなぁ)
モニカが困った顔をしていると、ドタドタと誰かが部屋にやってきた。
見るとギルド長だった。
「モニカ、ちょっといいかな?」
「ギルド長? 一体どうしたんですか?」
「君に会いたいと言っているお客さんが来ているんだ。すまないが対応してくれたまえ」
ギルド長はモニカの手を引っ張って半ば強引に連れて行こうとする。
「ちょっと。まだ絵を描いている途中ですよ」
ギルド長はそんな画家達の抗議を尻目に戸惑うモニカを連れ去ってしまうのであった。
モニカは応接間に辿り着いて、そこに待っていた人物を見て目を丸くする。
そこにはルキウスがいた。