第156話 囮作戦
猛毒が自らの体を蝕みつつあることに気付いた『巨大な火竜』は、急いで翼の紫に変色している部分を噛みちぎる。
噛みちぎられた翼片は一度口に含まれた後、ぺっと吐き出された。
『巨大な火竜』の唾液に塗れた紫色の肉片が、地面にドスンと落ちる。
翼の破損した部分は『巨大な火竜』の旺盛な生命力によって立ち所に再生していく。
『巨大な火竜』は翼を翻して引き返そうとした。
少なくともこのまま空中に浮いているのはまずい。
先程のSクラス重装騎士の動きを見るに、高いところにいる目標でも容易く攻撃できるし、遅効性とはいえ致命傷を与えることのできる猛毒を持っている。
早々に翼を負傷してしまったため、回復する時間も欲しい。
そういうわけで、『巨大な火竜』は一旦戦場から離脱する素振りを見せた。
「待て!」
地面に落とされたジルは、すぐに立ち上がって、『巨大な火竜』を追撃するべく再び飛び上がろうとした。
しかし、そこに『火竜』達が一斉に襲いかかってくる。
「くっ」
『精霊同盟』は再び火の雨に晒されることになった。
『火弾の盾』を上部に構えて耐え凌ぎ、『アースクラフト』の輝きが消耗した防具を補強していく様がそこかしこで見られる。
(とりあえず第一段階は成功ってとこかな)
ロランは盾の隙間から去って行く『巨大な火竜』と少し遅れてそれを追うジルを見ながらそう思った。
『火弾の盾』は『津波のような火の息』をきっちり弾いたし、リゼッタの作った猛毒は『巨大な火竜』にもしっかり効いていた。
ジルも地面に叩きつけられた割に元気だった。
(問題は……)
ロランはカルラの方を見た。
カルラは今、エリオの盾の下に隠れているところだった。
耐久の低い彼女は、この『火の息』の雨を前に動けずにいた。
動きづらいのは他の冒険者達も同じだった。
上部からひっきりなしに落ちてくる『火の息』を前に身動きが取れない。
上部を防御しなければならないのに加えて、側面からも『ファング・ドラゴン』による削り攻撃が来た。
上部と側面から揺さぶられて、『アースクラフト』にも限りがある。
このままではジリ貧だった。
(どうにかカルラをジルの下に行かせたいが、こうも防戦一方では……。カルラをエリオの側に居させたのは失敗だったか。『巨大な火竜』がこんなに速く仕掛けてくるとは思わなかったから……。どうする?)
その時、地を揺るがさんばかりの大音声が戦場に鳴り響く。
「みんな、盾を上に向けながらここに集まれ!」
レオンの声だった。
『巨大な火竜』の出現に呑まれていた彼だったが、自部隊が機能するのを確認するにつれ、自分を取り戻していき、今ではすっかりいつもの調子を取り戻していた。
「盾使いは『火の息』を防ぐことを最優先に! 『ファング・ドラゴン』の攻撃は剣士と盗賊で体を張って防げ!」
そうしてレオンは孤立している一つ一つの部隊に声をかけていき、糾合していった。
それぞれバラバラだった冒険者達は一つにまとまっていき、やがて隣や背後を味方で固めることができるようになったため、不安は後退し、各々が普段の力を発揮していった。
『火竜』の方も息切れしてきたため、弓使いが盾から体を出して、反撃に出る姿もチラホラ見られるようになってきた。
(やはりこういう時、レオンの指揮能力は頼りになるな)
状況があらかた落ち着いて来た頃、ロランは次の手について考えを巡らせた。
(部隊はレオンに任せておけば大丈夫。あとは『巨大な火竜』だ)
今頃、ジルは『巨大な火竜』と戦っているはずである。
(どうにかカルラをジルの下へ行かせたいが……)
『火竜』の『火の息』ならカルラの俊敏でかわせるだろう。
問題は『ファング・ドラゴン』だった。
『ファング・ドラゴン』はおそらくカルラより速い。
カルラを1人で行かせれば、『ファング・ドラゴン』に追いつかれたうえ、ジルの下に辿り着くまでに消耗を強いられてしまう。
カルラをジルの下に遣わすには、その前にどうにか『ファング・ドラゴン』の脅威を退ける必要があった。
ロランは冒険者達の合間を縫うようにして、レオンに近づいた。
「ん? どうしたロラン?」
レオンはロランが近づいたのに気づいて声をかける。
「レオン。カルラをジルの下に向かわせたい。そのためには『ファング・ドラゴン』を排除する必要がある」
「分かった。それじゃあ、Aクラスの奴らを使ってくれ」
レオンから内諾を得たロランは、エリオ達Aクラスの面々に一人ずつ声をかけていった。
『ファング・ドラゴン』の1匹は、『精霊同盟』の周囲をぐるぐると回りながら隙を窺っていた。
冒険者達は先ほどから互いに寄り集まって、陣を構築し、勝負に出てくれない。
『火竜』達がしきりに『火の息』で揺さぶりをかけているにもかかわらず、頑として動かない。
俊敏の高さで翻弄する『ファング・ドラゴン』にとってはやりにくい相手だった。
どうしようかと思いながら、攻撃の機会を窺っていると、陣地の中から1人の盾持ちと盗賊が飛び出した。
どうもこの2人は『巨大な火竜』の方に向かっているようだ。
『精霊同盟』の陣地から離れていく。
『ファング・ドラゴン』はこの2人を標的にすることに決めた。
盾使いの方は全身鎧でガチガチに固めているため、倒し切るのは難しそうだが、盗賊の少女の方は幸い軽装なため苦もなく倒せるだろう。
カルラは陣地から抜け出てすぐに付近で土煙が巻き起こるのを感じた。
(土煙! 『ファング・ドラゴン』か!?)
カルラが敵の接近に気づく頃には、すでに『ファング・ドラゴン』は最後の踏み込みに移っていた。
目にも止まらぬ速さで飛びかかり、その爪がカルラの胸元を深々と貫く。
……かに見えたが、『ファング・ドラゴン』の爪は空を捉え、そのままカルラを通り過ぎていく。
『ファング・ドラゴン』が捉えたと思ったカルラの姿は残像だった。
カルラは『ファング・ドラゴン』が近づいていることに気づいた瞬間、フェイントをかけてヘイトコントロールした。
いくら『ファング・ドラゴン』がカルラより速く動けるとはいえ、カルラの動きを完璧に捉えられるわけではない。
動体視力は普通のモンスターと変わりないのだから。
『ファング・ドラゴン』は首を傾げながらももう一度カルラにダメージを与えるべく攻撃を繰り出した。
しかし、今度はカルラの方も準備万端である。
(ただ、避けるだけではダメだ)
カルラは腰を屈めて、『ファング・ドラゴン』の攻撃に備える。
(ヘイトコントロールで『ファング・ドラゴン』の進路を誘導する!)
カルラの何気ない動きに釣られて、『ファング・ドラゴン』は突っ込んだ。
しかし、やはりその爪は空を切り、その先にはエリオの姿があった。
「ぐっは」
エリオはぶつかってきた『ファング・ドラゴン』に顔を顰めつつも、押さえ込むことに成功する。
「今だ! カルラ!」
「はああっ」
カルラは『影打ち』を放った。
エリオの下敷きになった『ファング・ドラゴン』は、バラバラに砕ける。
「よし。倒せた」
カルラとエリオが喜ぶのも束の間、すぐに残りの『ファング・ドラゴン』も集まってきた。
合計4体!
いくらカルラといえども捌き切れる数ではなかった。
四方八方から『ファング・ドラゴン』がカルラの間合いに詰め寄ろうとした時、火矢と爆風が巻き起こった。
ハンスの『魔法射撃』とウィルの『爆風魔法』である。
『魔法射撃』を食らった個体は完全に息の根を止められ、『爆風魔法』を食らった3匹は俊敏を削られる。
「エリオとカルラが囮になって、僕とハンスが仕留める。上手くいったな」
「ああ。ロランの作戦通りだ」
生き残った『ファング・ドラゴン』は一旦その場から離脱するも、その動きにキレが無くなっているのは明らかだった。
それを見て、ロランは『ファング・ドラゴン』にカルラを追いかける力は残っていないと判断する。
「よし。カルラ。『ファング・ドラゴン』はもういい。あとは僕達に任せてくれ。君はそのままジルの下へ」
カルラは微かに逡巡する素振りを見せる。
「『竜葬の儀式』を復活させるんだろう? 大丈夫。君ならできるよ」
ロランがそう言うと、カルラは頭を一つ下げて、その場を離れる。
その後、彼女はダンジョン内のモンスターも冒険者も誰も追い付けないスピードで『巨大な火竜』とジルの下へと向かった。
『巨大な火竜』の起こす地響きの音が、彼女を戦場へと誘ってくれた。