第125話 予算分捕り
「追加の予算? 新規事業には既に十分な予算を手配したはずだが?」
メデスは訝しげに言った。
「ええ。ですから先ほど説明した通り、追加の予算が必要になったのです。『アースクラフト』が必要になるとは想定していませんでしたから」
「『アースクラフト』……ねえ」
メデスは椅子に深く腰掛けて、机に乗り出しているリゼッタから少し距離を取り、胡乱な目でリゼッタのことを見る。
それだけでリゼッタは、メデスがこの新規事業に対して心が離れているのを感じた。
「リゼッタ、お前の言うことも分からんではないがな。ダンジョン内でのことは冒険者の領分だ。冒険者のことは冒険者に任せて、やはり我々錬金術ギルドとしては……」
「ギルド長!!」
リゼッタは机をバンと叩くと、にっこりと圧のある笑みを浮かべた。
「ギルド長は仰いましたよね? 何でもいいから、『精霊の工廠』を倒す方法を提示しろと。そして私の提示した新規事業に賛同なさってくださいました。そうですよね?」
「それは……そうだが……」
「私の見積もりが甘かったのは認めます。しかし、この事業はまだ新しく始まったばかり。芽が出るまで不測の事態は付き物です。何よりロランは三つのダンジョンを制覇し、一つの街の冒険者ギルドを束ね、数多くのAクラス、Sクラス冒険者を育ててきた怪物です。彼を相手に戦うのは当然、一筋縄ではいきません。遠く長い道のりです。暗礁に乗り上げることもあるでしょう。しかし、そのような時こそ、ギルド長としてしっかり現場をサポートしていただかないと」
「……」
「もう一度確認しますが、ギルド長は『精霊の工廠』に勝ちたいんですよね?」
「それは……もちろんそうだが……」
「では、この申請した予算通していただけますね?」
「しかしだな。新しい予算を通すにも、他の部署の予算を削らねばならん。今すぐというわけには……」
「では、いつ頃工面していただけますか?」
メデスはなおも渋ったが、それ以上リゼッタを退けられず、仕方なく新しい予算を承認した。
ただし、承認するのは3日後と条件をつけた。
リゼッタが退室すると、メデスはエドガーを呼び出した。
「お呼びでしょうか」
「これを見ろ」
「これは新規の予算? 一体どうして?」
「先ほどリゼッタが申請してきた。あいつめ、いよいよ不審な行動が目立つようになってきたわい」
(上手く疑惑の種が育っているようだな)
エドガーは心の中でほくそ笑んだ。
「いよいよ、お前の危惧していることが現実のものとなってきた。リゼッタはロランがこのギルドを乗っ取るための下準備をしているのだ」
(なるほど。そう思いたいわけか)
エドガーはメデスに自分の発言が歪められていることに気づいた。
とはいえ、リゼッタの嫌疑が大きくなるのは、エドガーにとってむしろ好都合なため、ここはメデスの妄想に乗っかることにした。
「ギルドの乗っ取り。まさか、リゼッタがそこまで大それたことをしていようとは。しかし、そうとなれば、いよいよリゼッタへの監視を厳しくする必要がありますね」
「うむ。だが、どうしたものか。リゼッタを止めようにも裏切っているという明確な証拠がない。この新規予算の申請についても、突っぱねる口実がないし……」
「私にいい考えがあります。ここは任せていただけないでしょうか?」
3日後、リゼッタの要望通り新規の予算が下りることとなった。
ただし、予算の使用にはとある条件が付記されていた。
リゼッタはすぐ様メデスに苦情を言いにいった。
「ギルド長、これは一体どういうことですか!?」
リゼッタは予算の申請書をメデスの机に向かって叩きつけた。
「どうして予算を使用するのに、エドガーの許可が必要なんですか!」
「どうもこうもない。お前のプロジェクトのメンバーにエドガーを加入させる。それだけの話だ」
「私は予算を申請しただけで、人手が足りないと言った覚えはありませんが?」
「今回の新規事業、お前一人に任せるのは不安だという声がギルド内で出ていてな。ただでさえ、プロジェクトの立ち上げは大変なのに、追加の予算まで出ることになったんだ。お前一人では管理が追いつかんだろう? そこでメンバーを追加したというわけだ」
(だからって、なんでエドガーに予算渡してんのよ。一番渡しちゃダメな相手でしょうが。空気読みなさいよぉ)
リゼッタとエドガーの仲が悪いのは、ギルド内の誰もが知るところだった。
メデス以外は。
「ギルド長、私達は今のメンバーでちゃんとできます。やらせてください」
「これはもう決定したことだ。異論を挟むことは許さん。エドガーと協力してプロジェクトを進めろ」
こうしてリゼッタとエドガーの協力体制となった新規事業だったが、新体制はのっけから揉めることとなった。
エドガーが自分を新規事業の代表者にしろと主張したためだ。
「ふざけんじゃないわよ。これは私が始めたプロジェクトよ。なんで後から来たあんたをリーダーにしなきゃならないのよ」
リゼッタが先行者の権利を主張すれば、エドガーは新規予算の権利を握っていることを主張し、二人はなんと一日中言い争った。
結局、リゼッタをリーダー、エドガーを副リーダーとすることでどうにかその場はおさまった。
しかし、エドガーにとってはむしろ好都合だった。
(よし。プロジェクトに潜り込めたぜ。副リーダーというのもいいポジションだ。事業が上手くいきそうなら、乗っ取って手柄を横取り。上手くいかなそうなら責任を押し付け。どっちに転んでも俺が得するって寸法よ。この二段構えで新規事業を内部からぶっ壊してやるぜ)
リゼッタははらわたが煮えくりかえるような思いをしながらメンバー表をにらんだ。
(エドガー、見え透いた真似をして……。あなたの狙いは分かっているわ。絶対、私の邪魔はさせないんだから)
エドガーが躍動している頃、『精霊の工廠』も似たような問題に直面していた。
「『アースクラフト』が足りない?」
ロランはランジュに言われて、面食らったような顔をした。
「ええ。今の在庫でAクラスクエストに挑戦するのは厳しいかと」
「そっか。もう最後に調達してから随分経ってるもんな」
ロランは頭の中にダンジョンのマップ広げて、採掘場にまつわる情報を確認してみた。
『アースクラフト』の分布している地点は概ね把握しているが、今月はもう残り少なかった気がする。
ロランはディランからの報告も合わせて考える。
ディランによると、『竜の熾火』でもAクラス冒険者を育成するプロジェクトが立ち上げられているとのことだった。
(『竜の熾火』がどれほど本気なのか分からないけれど、彼らが本気でAクラス冒険者の育成に取り組むとしたら、『アースクラフト』が欲しいはず。急がなければ取り合いになってしまうな)
「よし。分かった。ランジュ、予定変更だ。『アースクラフト』調達を最優先で」
「了解っす。既存装備の整備っすね」
「僕は『精霊の工廠』同盟に招集をかけるから、工房方は頼む。一応だけど、パトとウェインは……」
「あの二人はユニークスキルに集中、ですよね?」
「ああ。そうだ」
パトは臨機応変な対応が苦手、ウェインは集中力が分散すると雑になる、ということで緊急の案件を任せるにはまだ不安があった。
強い信頼で結ばれているロランとランジュは、多くの言葉を交わさなくともすぐに互いの意図を読み取った。
錬金術にも冒険稼業にも深く通じている二人は、多くの言葉を交わさなくとも、揉めたり、対立したり、疑心暗鬼に囚われたりせず、互いの領分を犯すこともなく、円滑に業務を進めることができた。
また、『精霊の工廠』内部でも冒険者ギルドの支援を優先するという社風が隅々まで行き届いていたので、急な予定変更にもかかわらず職員達はうろたえることなく柔軟に対応することができた。
管理も行き届いていたため、どさくさに紛れた予算の取り合いや余計な対立も起こることなく、つつがなく進んだ。
冒険者ギルドの方もロランに深い信望を寄せていたため、すぐ様召集に応じた。
『精霊の工廠』同盟は瞬く間に編成される。
同盟の動きに『白狼』はすぐ様反応した。
しかし、その動きはやや鈍かった。
(『アースクラフト』が狙いか)
ジャミルは舌打ちした。
『竜の熾火』は長らく冒険者のダンジョン探索支援を蔑ろにしていたため、『アースクラフト』の価値を過小評価していた。
たとえ、同盟から奪ったとしても買い取ってくれるかどうか定かではない。
『白狼』としても同盟との戦いでかなり消耗していたし、前回の探索では空振りを喰らわされ、費用がかさんでいた。
おまけに、西の大陸屈指のギルド『賢者の宝冠』の旗を掲げた船が、ここ『火竜の島』に向かっているという情報が、最近港に着いた快速船からもたらされていた。
『賢者の宝冠』がやって来る前に費用面でこれ以上消耗するのは避けたい。
ジャミルはとりあえず、『竜の熾火』に『アースクラフト』買い取りと費用面での支援を要請することにした。
『白狼』からの要請は、『アースクラフト』調達の責任者であるエドガーの下に届いた。
「あん? 『白狼』が『アースクラフト』を買い取ってもらいたがってる? 『精霊の工廠』から奪う予定の?」
エドガーはしばし思案する。
(リゼッタの仕事を邪魔したいし、ここは敵に塩を送ってやるとするか)
エドガーは『白狼』側に返事を出した。
「当ギルドにおいて『アースクラフト』を買い取ることはできない。よって、金銭的支援をすることもできない。悪しからず」
ジャミルは帰ってきた返事を聞いて、ワナワナと拳を震わせた。
(エドガー、あの野郎あとでぶち殺す)
「なんだあ? ちょっと前まであいつら『アースクラフト』を集めてるとかなんとか言ってなかったか?」
「担当者によって、言ってることがちがうみたいだな」
「あいつらまた内輪揉めしてんのかよ」
「肝心な時に足並みが揃わねぇなぁ」
あとになって、リゼッタはこのことを知り、エドガーに食ってかかるものの、エドガーはのらりくらりと言い訳をしてかわすのであった。
ダンジョンに入ると、ジェフはすぐに異変に気付いた。
「なあ。ロラン。なんかおかしくねえか?」
「何がだい?」
「さっきから全然追われてる気配がしねぇぞ」
「えっ? 本当かい?」
「今回、『白狼』は動いてないんじゃねぇか?」
「まさか……」
(でも、確かに。さっきから気配すら感じないのはおかしい)
ロランは弓使い(アーチャー)と盗賊を総動員して、背後の大規模な索敵に当たらせたが、やはり敵の姿は一切見つからなかった。
結局、同盟は滞りなく『アースクラフト』を集め終え、何事もなく下山する。
同盟がダンジョン探索を終えた頃、港にはギルド『賢者の宝冠』を乗せた船が到着した。
(外部ギルドが来たか。となれば、地元ギルドの育成など不要だな)
メデスはそう判断した。
リゼッタの新規事業は中断され、当てられていた予算は全て取り上げられる。
その予算はそのまま、『賢者の宝冠』の装備製造のために当てられる。
責任者にはエドガーが選ばれた。
リゼッタはギルド長室に呼び出されてその旨伝えられる。
「リゼッタ、お前の新規事業だが、結局、何の成果も出せなかったばかりか、『アースクラフト』の調達一つでさえ、『精霊の工廠』に遅れを取った。この責任は重い。何らかのペナルティを与えないことには示しがつかん。分かるな? そこで今回、『賢者の宝冠』の装備製造はエドガーに担当させる。お前はエドガーのために鉱石を調達するように。よもや異論はあるまいな?」
リゼッタは頭の中で何かがプツンと切れるのを感じた。
「ああ、そうですか。では、結構です。本日限りでこのギルドを辞めさせていただきます!」
「なんだと? おい、待て。どこに行く気だ?」
リゼッタはそれには答えず、さっさとギルド長室を後にした。
去りゆく彼女に声をかける者は誰一人としていなかった。
皆、エドガーに睨まれるのを恐れているのだ。
「何が島1番の錬金術ギルドよ。下らない。必死に努力して尽くしてきて、最後にはこの仕打ち。バカバカしいったらありゃしない!」
リゼッタが出て行く途中、廊下の窓の向こうから住民達の歓声が聞こえてきた。
ギルド『賢者の宝冠』を迎える声だ。
この日の住民達の歓声は普段よりも一際大きかった。
というのも、港に降り立ったのは『賢者の宝冠』だけではなかったからだ。
ユフィネ率いる『魔法樹の守人』第二部隊の姿もそこにはあった。