第120話 フラッド・ドラゴン
終点の湖を見たリリアンヌは、その美しさに息を呑んだ。
(わあ。綺麗)
絶え間ない火山活動によって作られた窪地に張られた巨大な湖は絶景で、その壮大な眺めは圧倒的だった。
透き通るような水面には、外輪山がくっきりと写っている。
その美しい姿だけを見れば、邪悪なモンスターが潜んでいるなどとは到底思えなかった。
リリアンヌはここに来た目的も忘れて、うっとりと見惚れてしまう。
「みんな景色に見惚れてる場合じゃないよ。『洪水を起こす竜』はもうすぐそこだぞ」
リリアンヌはロランの言葉にハッとした。
(いけない、いけない。これからいよいよ『洪水を起こす竜』との戦闘です。気を引き締めなければ)
「ロランさん。『洪水を起こす竜』の情報を」
「うん。ほとんどの竜族がトカゲ型なのに対して、『洪水を起こす竜』はヘビ型だ。長い胴体を持ち、ヒレを使って水中を泳ぐ。攻撃手段は主にポンプのような高出力の水を噴出する『爆流魔法』」
「水の中に住むモンスターですか。厄介ですね」
「敵からの攻撃はスキル『浮遊』でかわせるとして、問題はこちらからどう攻撃するかだ。水棲型モンスターを攻撃するのは難しい。水の中に潜られれば、攻撃する手段はほとんどなくなるからね。だが、君の『雷撃』なら話は別だ。高圧電流を解き放つ『雷撃』なら、上空から水中奥深くに潜む敵を攻撃することができる」
「なるほど。では、私は普段通り戦えばいい。そういうことですね?」
「うん。そういうこと。攻撃は全て君に一任する。それでいいね?」
「はい。任せて下さい」
「よし。それじゃ、行っておいで」
リリアンヌは箒に跨って、湖の中心へと飛び立っていった。
「レオン。僕達はリリアンヌのために着地点の確保だ。『洪水を起こす竜』は湖の水位を上げてくる。高所の占拠及び『地殻魔法』での足場固めを頼む」
「分かったぜ」
レオンは早速、ラナと共に陣地構築に取り掛かった。
「エリオ、ハンス、ウィルちょっと来てくれ」
ロランは3人を少し離れたところへと連れて行った。
「エリオ。ハンス。ウィル。君達もメキメキと実力を付けてきて、優秀な盾使い、弓使い、攻撃魔導士になった。今では『精霊の工廠』同盟になくてはならない存在と言えるだろう。だが、Aクラスになるためにはまだ足りないものがある。Aクラス冒険者にあって、君達にないもの。なんだと思う?」
「うーん。やっぱりスキルとかステータスかな」
「知識や経験?」
「そうだね。もちろんそれらも大事だ。だが、今の君達に一番必要なのはそういうことじゃないんだ。Aクラス冒険者にあって、君達に足りないもの。それは傲慢さだ」
「傲慢さ……?」
「これまでに島の外から来たAクラス冒険者達のことを思い出して欲しい。『魔導院の守護者』のセイン、『三日月の騎士』のユガン、『魔法樹の守人』のモニカ。いずれもスキルとステータスが並外れているだけでなく、自惚れにも近い強烈な自負心と、飽くなき野心、そして自分の力に対する絶対の自信があったはずだ。一方でこの島の冒険者は財政やスキル、装備の基盤が脆弱なためか、極端に実利的で安全策をとる傾向がある。実利を追求し、安全策をとるのも大事だが、その結果小さくまとまることを選びがちだ。それがこの島でなかなかAクラス冒険者が生まれない要因になっている。自分の仕事をきっちりこなす。それも大事だよ。だが、それだけではBクラス止まり。Aクラスになるには、それ以上のものが必要なんだ」
「それ以上のもの……」
「そう。それ以上のものだ。Aクラス冒険者が必要とされるのは例外なく危険かつ重要な場面。その肩にのしかかる責任は重い。自分が失敗すれば、部隊を危機に陥れかねない。そんな場面でAクラス冒険者は部隊を引っ張り、勝負の行方を左右する、決定的な働きをしなければならない。そのためには傲慢にも似た強靭な精神力が求められる」
エリオとハンス、ウィルはロランの要求の高さ、Aクラスの凄みにゴクリと喉を鳴らした。
「『精霊の工廠』同盟は今後ますます厳しい状況に置かれることになる。『竜の熾火』と『白狼』のマークは厳しくなる一方だ。『巨大な火竜』が活発になる時期が近づいてきて、外部からの冒険者もやってくる。君達に求められる要求も高くなっていくだろう」
ロランは上空を飛んでいるリリアンヌの方を仰ぎ見た。
「リリィはAクラスに必要なもの全てを兼ね備えた冒険者だ。彼女の戦い方をよく見て……」
「ロラン、大変だ」
周囲の索敵から帰ってきたジェフが、慌てた様子で駆け寄って来る。
「ジェフ。どうしたんだい?」
「『竜の熾火』の雇った冒険者と思しき奴らが近づいてくる」
「なんだって? 兵装は?」
「装備もそれなりに充実してる。こっちを本気で潰すつもりだぜ」
(あれだけ完膚なきまでに破ったにもかかわらず、まだ戦いを仕掛けてくるのか。だが、それにしては妙だな)
「ジェフ。彼らは何か特殊な装備を身につけていたかい? 『竜頭の籠手』とか、『火槍』とか」
「えっ? いや、特にそういった装備は見られなかったな」
「そうか……」
(こちらの装備を叩くことが目的じゃない? だとしたら……)
「それよりどうするんだ? 『洪水を起こす竜』の討伐、中断した方がいいんじゃないか?」
「いや、ここは続けよう」
「……大丈夫なのか?」
「これくらいの危機で動揺するほど、ウチの部隊はヤワじゃないさ。それに……」
ロランは改めてリリアンヌの方を見た。
「こっちには『雷撃の魔女』がいるしね」
リリアンヌは湖の中心辺りの上空に漂っていた。
(本当に静か。『洪水を起こす竜』はどこかしら)
リリアンヌが敵の姿を求めて空中を漂っていると、突然、水面に巨大な影が落ちた。
その影はみるみるうちに濃くなり、やがて水面が盛り上がって、鱗を煌めかせた水竜の頭が現れた。
水竜は顔面の2倍以上の大きさに口を開けて、リリアンヌを飲み込もうとした。
鋭い牙の向こうには奈落の奥底のような暗闇が見える。
リリアンヌは急いで高度を上げ、回避行動をとった。
間一髪のところで飲み込まれずに済む。
(これが『洪水を起こす竜』。予想以上に大きい)
『洪水を起こす竜』はリリアンヌを食い損ねたことを確認すると、首を巡らせて鼻先に特大の魔法陣を光らせる。
まるで滝のような水鉄砲がリリアンヌに向かって撃ち出された。
リリアンヌは高度を下げて、どうにかかわす。
水鉄砲は湖の縁にそびえる斜面に直撃して、そこに生えていた木々を10本ほどなぎ倒した。
(もの凄い威力。あれが直撃すれば私の耐久では、ひとたまりもありませんね)
水鉄砲もかわされた『洪水を起こす竜』は、さらに魔法を発動させた。
無数の魔法陣を湖面に広く展開し、そこから水柱を立たせた。
水面から迫り上がってくる複数の水柱をリリアンヌは蛇行して飛びながらかわす。
(この水柱は囮。本筋は……)
リリアンヌは突然水中から出てきた『洪水を起こす竜』の尻尾による叩き付け攻撃にも動じることなくかわす。
(かわした。けれども、これも囮!)
リリアンヌは高度を急激に上げて、死角からきた『洪水を起こす竜』の噛みつき攻撃をかわす。
(もらった!)
連続攻撃を全て見切ったリリアンヌは、『洪水を起こす竜』の頭上に回り込み、『雷撃』を喰らわせる。
(よし。手応えアリ!)
『洪水を起こす竜』は全身を走る電流に身を捩らせたかと思うと、リリアンヌの方を憎悪を交えてギロリとにらむ。
リリアンヌは臆することなく向き合う。
(さあ、どうします? 連続攻撃は見切りました。水中に潜れば、もう一撃叩き込んじゃいますよ?)
『洪水を起こす竜』は、しばらくリリアンヌと睨み合っていたかと思うと、雄叫びを上げた。
「?」
リリアンヌが訝しがっていると、湖の縁の向こう側から、羽の音が聞こえる。
(まさか!)
空の向こうから『火竜』の一団がこちらに近づいてきていた。
リリアンヌが『洪水を起こす竜』と戦っている頃、陸でも戦いが始まっていた。
湖の水位は上がり、水中からは両生類型のモンスターが、続々這い上がってきてロラン達に襲いかかっていた。
ロラン達はあらかじめ高所に陣地を構えて、防御を固め迎撃する準備を整えていたため、弓矢や攻撃魔法で敵を寄せつけなかったが、上がってくる湖面の水位だけは防ぎようがなかった。
「おい、どんどん水位が上がっていくぞ」
「どうするんだよ。ここもじき水没するんじゃないか?」
「みんな、落ち着け。水位がここまで届くのにまだ時間がかかる。リリアンヌを信じてこの場所を守り切るんだ」
ロランがそう言うと、狼狽えていた冒険者達は落ち着きを取り戻した。
(とはいえ……)
ロランはリリアンヌの方を見る。
彼女は水面からの水柱と、上空からの『火の息』をかわすので精一杯だった。
(リリィといえども、上下左右から攻撃を受けていては防戦一方になるしかないか。どうにか援護する必要があるな)
リリアンヌは四方八方から飛んで来る攻撃に難儀していた。
(『洪水を起こす竜』か『火竜』、どちらかを先に倒す必要があるのですが……。こうも攻撃がひっきりなしにくると、どうしようもありませんね)
リリアンヌは背後に風圧を感じた。
見ると、『火竜』が口を開けて、『火の息』を吐こうとしているところだった。
(しまっ……)
リリアンヌの身を火炎が纏うかに思われたその時、『火竜』に火矢が直撃する。
(これは……ハンス!?)
ハンスの『魔法射撃』は、通常の『弓射撃』よりも射程が長く、はるか遠くにいる『火竜』にも当てることができた。
仲間を倒されて怒り狂った『火竜』達は、ロラン達の方へと向かう。
しかし、ロランの方も準備は万端だった。
「ウィル。いまだ!」
「オーケー。『爆風魔法』!」
逆巻く竜巻によって、陸に迫り上がってきていた水は、一時上空に巻き上げられる。
陸面積を増やして、移動可能な範囲を広げたロラン達は、弓使いを左右に展開して『火竜』を迎え撃つ準備をする。
俊敏を活かせるようになった弓使い達は、『火竜』を1匹ずつ討ち取っていった。
(さぁ。陣地と退路は確保しておいたよリリィ。充電する必要があるなら、戻っておいで)
リリアンヌは言葉を交わさなくとも、ロランの意図を理解した。
(流石ですね、ロランさん。適切な援護、完璧な布陣。私よりも私のスキルについて理解している)
やはり自分を育てたのは彼なのだ。
リリアンヌは改めてそう思った。
(ありがとうございます、ロランさん。でも大丈夫)
リリアンヌは水中に潜む『洪水を起こす竜』の影を鋭く見据える。
(これだけ援護を受けておきながら、ノコノコ手ぶらで帰るわけにはいきません。この一撃で決める! それがAクラス冒険者として、私が果たさなければならない役割です)
リリアンヌは、苦し紛れに噛み付いてきた『洪水を起こす竜』を軽やかにかわして、『雷撃』を喰らわせた。
『洪水を起こす竜』は全ての体力を削られて、あえなく湖面にその身を横たえる。