第117話 ランジュの監督
アイナはランジュ達をマジマジと見た。
(この人達が『精霊の工廠』本部の……)
ランジュもアーリエも歳は自分とそう変わらないように見えた。
チアルに至ってはまだ年端もいかない少女に見える。
「彼らは三人ともAクラス錬金術師だ。特にチアルはSクラス錬金術師。君達にとっても刺激になるはずだ」
「Sクラス?」
「あんな小さな子が……」
職員達の間で騒めきが広がる。
「ロディ」
「はい」
「チアルとアーリエに工房内を案内してやってくれ」
「分かりました」
「アイナ。君は会議室に来てくれ。ランジュが気になることがあるらしい」
「は、はい」
「連絡事項は以上だ。それじゃみんなそれぞれ持ち場に戻ってくれ。作業を中断させて悪かったね」
工員たちはそれぞれ持ち場に戻っていき、ロラン、ランジュ、アイナの3人は会議室へと向かった。
「よいしょ」
アイナは会議室の机に引っ張り出してきた書類を広げた。
「これがこの工房の帳簿及び各種資料になります」
ランジュは書類に目を通す。
『工房管理』Aのスキルを持つ彼には、書類に記載されている数字以上のものが見えた。
「『金属成型』Aとユニークスキルを持っている錬金術師が一人、『製品設計』Aの錬金術師が一人、俊敏の高い錬金術師が一人、ユニークスキル持ちが2人、夜勤の錬金術師が二人、それに……」
ランジュは書類から目を離してニッと笑う。
「……問題児が約1名。そんなとこですか?」
「ああ。ピッタリその通りだ。流石だね」
アイナは目を丸くした。
(凄い。この人……ちょっと書類に目を通しただけで、工房の内情全部見抜いちゃった)
「しかし、このウェインて奴……」
ランジュは顔をしかめながら書類に目を戻した。
「なかなかやってくれますね。こんだけ無茶苦茶やって、バレないとでも思ってんのかな」
「それがどうしてなかなか厄介な奴でね。こっちの目を盗んで悪さするのが上手いんだこれが」
「ははは。ロランさんにそこまで手を焼かせるとは、なかなかやりますね」
「笑い事じゃないよ。こっちはそれで死にそうになったんだから」
「まあ、でも、ロランさんがそれだけ固執するってことはやっぱポテンシャルはあるんでしょ?」
「うん。さっきようやく目覚めてくれたところだ」
ふとロランは苦笑いを止めて真顔になる。
「ランジュ、『精霊の工廠』支部がこれ以上成長するにはより広い工房に移転する必要がある。工房移転には資金が必要だ。資金調達をするためには、この工房の帳簿を見れる数字にする必要がある。やれるかい?」
「分かりました。滞在期間中でどれだけやれるか分かりませんが、やれるだけやってみますよ」
「アイナ。君はなるべくランジュの側にいて、可能な限り技術を盗むんだ」
「は、はい。分かりました」
「おおー。これが『火槍』ですか」
チアルは鹵獲された『火槍』を見て、目をキラキラさせた。
「そうだよ。凄いだろ。カルテットの装備を鹵獲できたのなんて、ウチのギルドが初めてだよ」
ロディはチアルによく見えるように『火槍』を低い台に安置しながら言った。
「さすが、世界有数の錬金術ギルドが作っただけありますねぇ。見事な作品です」
ロディは微笑ましく思いながらチアルの言うことを聴いていた。
(まったく。装備の良し悪しなんて分からないだろうに。ませた子だな)
ふとロディがチアルの方に目を戻すと、彼女はいつの間にか『火槍』の側から離れて、机の前に座り、紙に鉛筆を走らせていた。
「もう飽きてお絵かきか? 慌ただしい子だな。っ……!?」
ロディは彼女がお絵かきしているものを見て、言葉を詰まらせた。
チアルが書いているのは設計図だった。
武器の採寸、重さ、材料や製法まで完璧に解析されている。
(スキル『製品設計』……。それも相当ハイレベルだ。俺と同じAクラスか?)
「出来ました!」
チアルがロディに出来上がった設計図を掲げてみせる。
「流石に『竜の熾火』の作った装備だけありますね。随所に細かい工夫が見られます! ただ……、これならウチの工房の方がもっといい製品を作れそうですね」
ロディはチアルの才覚に唖然とした。
「次は『竜頭の籠手』を見せて下さい!」
アーリエはリーナの精錬窯を訪れていた。
この二人はというと、お互いに物分かりのいい娘で、すぐに意気投合し、お互いのスキルに関することや互いの工房での立ち位置など身の上話をして、そこから一緒に仕事をする方法を探り、瞬く間に協力関係を構築してしまうのであった。
午後からはランジュが現場の監督に当たった。
彼は工房の中の人とモノの移動が効率よくできるよう、配置を変え、ペンキで線を引き、危険を排除して、製造ラインを改築し、仕事を回す仕組みを改良していく。
「ロディ。この設計図、この部分を変えればもっとコストを抑えられる」
「あ、ああ」
「アイズ。この作業はここの順番変えればもっと速くできるだろ」
「あ、なるほど」
「パト、『調律』部屋、この材質を壁に貼り付けとけばよりはっきり音が聞こえるはずだから、壁張り替えとくぞ」
「は、はい」
「それとこの部屋、チアルも『精霊付加』に使うから午前と午後で二人使い分けってことでいいか?」
「分かりました」
「アーリエさん。鉱石倉庫の配置、本部の置き方の方がいいから、後でリーナと一緒に変えてもらっておいていいですか?」
「分かりました」
「ウェイン、なんだこの鉄屑は。こんなところに鉄屑なんで置いたらあぶねーだろ!」
「ぐっ。分かってるよ。いちいちでけー声出すな」
「なら、言われる前にやっとけ!」
工房の者達はすぐに、ランジュがどんな手抜きも見逃さない管理者であることを悟った。
工房にはいつになくピリッとした緊張感が漲り、職員達は気を引き締めて作業に取りかかった。
(やはりランジュがいると空気が締まるな。程よい緊張感で工房全体の空気が張り詰めているのが分かる。すぐさまこの工房をもう一段階上のレベルに押し上げてくれるだろう)
ロランは工房に訪れた変化に満足した。
「工房の問題は解決に向かっているようですね。あら、このお茶美味しい」
リリアンヌは食堂で竜茶に口を付けながら言った。
「ああ。やっぱりランジュが居てくれると楽だよ。改めて思い知った」
「では、あとは冒険者の方々の育成を済ませるだけですね」
「そうなんだよ。ただこの島の連中が一筋縄ではいかなくてさ」
「ロランさんでもAクラスに出来ないことなんてあるんですね。資質はおありなんでしょう?」
「ああ。だが、問題は精神面だ。この島の冒険者は外から来る冒険者達にすっかり腰が引けて保身に走っている。『冒険者の街』では誰もがもっと野心にギラギラしていたんだけれど……」
「なるほど。精神面ですか」
「うん。これが本当に難しいんだ」
ロランは物憂げに外を見る。
リリアンヌは寂しげにロランの方を見た。
ギルド長を務め始めて早数ヶ月。
ギルド長としての職務にもすっかり慣れてしまった。
むしろ自分でも驚くほど、上手く仕事をこなしている。
そうして充実した毎日を送ってはいるのだが、しかし、常に何かが足りなかった。
それは自分を褒めてくれる人だった。
今回、彼女がこの島を訪れたのは、表向きロランの状況を視察するためだが、本当のところは久しぶりにロランに甘えられるのを期待してのことだった。
ベッドの上では、ロランの上に乗っかる時間の方が長い彼女であったが、最後はいつもロランが優しく彼女の頭を撫でた上で、「よく頑張ったね」と褒めてくれるのであった。
その時だけは、彼女は俗世における全ての重荷から解き放たれて、安らかな眠りにつけるのであった。
しかし、こうしていざロランに会いに来てみると、彼は忙しくて自分に構うどころではなさそうだった。
(ロランさん忙しそうですし、わがままを言って困らせてはいけません。我慢しないと)
しかし、そう思えば思うほど胸の中の寂しさはいやがおうにも増してゆくのであった。
ロランが工房に戻ったところで、クエスト受付所からの使者が来た。
「やあ、ギルさん。探しましたよ」
「あなたはクエスト受付所の……。何かご用ですか?」
「先日のモニカ・ヴェルマーレのダブルA認定の件です。当受付所ではぜひモニカ様にお越しいただきたいと思っているのですが、ご本人が帰られてしまったじゃないですか。そこで本人に代わって書類の記載などをしてくださる方が必要なのですが……」
「ああ、それでしたら僕が……。あっ」
ロランは背中から冷ややかな殺気が向けられているのを感じた。
振り返るとリリアンヌがニコニコとこちらを見ている。
「ロランさん、どういうことですか? モニカがこの島のクエスト受付所からダブルAを認定されるだなんて。休暇中のモニカを働かせたんですか? ギルド長である私の許可もなく?」
「えっ? いや、これはその……」
「しかもダブルAだなんて。Aクラスのクエストを?」
「いや違うんだ。Aクラスのモンスターを討伐したのは成り行きで。本来はただ地元ギルドの支援をするつもりで……」
リリアンヌは今度は膨れ顔になる。
「決めました。私もこの島のAクラスクエストに挑戦します」
「えっ? 君も?」
「そうです。当然、ロランさんも手伝って下さいますよね?」
リリアンヌが有無を言わせぬ笑顔で圧をかけてくる。
「いや、でも、君にそんなことさせるわけには……」
「いいから! つべこべ言わず私のためにAクラスのクエストを手配してくださーい」
こうしてロランは急遽リリアンヌのために部隊を編成することになるのであった。