第112話 危機の中で笑う
『精霊の工廠』同盟と『白狼』が熾烈な駆け引きを繰り広げている頃、港には客船が停泊していた。
その船は先ほど穏やかな旅を終えて錨を降ろしたところだったが、乗組員の一人である荷物下ろしのボーイは、乗客の荷物を下ろしながら、船旅が終わるのを名残惜しく感じていた。
今回の航海は、彼の船員人生の中でも一際楽しいものだったからだ。
その秘密は、同乗していたとある貴婦人にあった。
黒いトンガリ帽子に黒い衣服、黒のニーソックスと全身黒ずくめの彼女は、『冒険者の街』から来た魔導師のようだった。
彼は彼女が呼び出し鈴を鳴らすたびに内心でウキウキしながら客室に駆けつけた。
彼の心が浮き立つのは、彼女が見目麗しく、すれ違えば振り向かずにはいられない艶やかな笑みを振りまいていたというのもあるが、それに加えて、その陽気な貴婦人はしがないボーイである彼にも気さくに話しかけてくれたからだ。
陽気で知的だが、どことなく小粋なところもある婦人だった。
彼女は毎日決まった時間に彼を呼び出して、いつしか彼はその時間がやってくるのを毎日心待ちにするようになっていた。
彼女に言付けられて、部屋へと飲み物を届ける時間は、過酷な船乗りの労役を忘れさせてくれる癒しの時間だった。
しかし、そんな楽しい時間もこれでおしまいである。
今後はまた、横柄な客、ドヤしてくる上司、退屈な肉体労働に身をやつす日々が待っていた。
それを思うと、彼は婦人と過ごしたこの数日間の船旅を名残惜しく感じずにはいられないのであった。
ボーイが貴婦人との思い出に浸っていると、その当人である貴婦人が朗らかな笑みを浮かべながらやってきた。
その日も彼女はトレードマークである全身黒装束、黒のミニスカート、黒のニーソックス、黒いとんがり帽子を身に纏っていた。
「すみません。荷物を取りに来たのですが……、おや? あなたはいつも飲み物を届けてくださった……」
「覚えていてくださいましたか」
ボーイは感激したように言った。
「ええ、もちろん。私が退屈している時、いつも話し相手になってくださった方ですもの」
「こうしてお別れするのが残念です。とても楽しい船旅でしたのに」
「また、きっとお会いできますわ」
彼女はウィンクした。
船員は不覚にもときめいてしまう。
「ええっと、お荷物は……これだけでよろしいですか?」
船員は頑丈そうな箒と何やらたくさんの荷物が入った袋を取り出して渡す。
「ええ、それだけです。時にお尋ねしたいのですが、『精霊の工廠』という錬金術ギルドがどちらにあるかご存知ですか?」
「『精霊の工廠』……。ああ、最近この島にできた錬金術ギルドですね。街外れの食堂の裏側にくっついている工房があります。そこが『精霊の工廠』の本拠地ですよ」
ボーイは貴婦人のために詳しく道順を説明した。
「ありがとうございます」
「あの……、失礼ですが、あなたは一体どのような御用向きで錬金術ギルドなどに向かうのですか?」
黒装束の婦人はミステリアスな笑みを浮かべる。
「私、こう見えて冒険者なんですよ」
「冒険者? 冒険者っていうとあの冒険者ですか?」
「ええ、職業は魔女」
「いや、信じられないな。あ、もしよければ郵送サービスをお呼びしましょうか? お荷物重たいでしょう?」
「いえ、結構です。大体の位置と方角が分かればたどり着けますので……」
「しかし、結構遠いですよ?」
「大丈夫。私にはユニークスキルがありますから」
「ユニークスキル?」
ボーイが問い質す間もなく、黒装束の魔女は箒にまたがるとふわりと浮かび上がり、瞬く間に彼の手の届かない上空まで飛んでいってしまう。
「船乗りさん。楽しい船旅をありがとう。それではまた会う日まで」
彼女は手を振りながら、飛んで行ってしまった。
船員は呆然としながらそれを見送る。
(ロランさん、元気にしているでしょうか)
リリアンヌは久しぶりに会いに行く恋人に胸を高鳴らせながら工房に向かって飛んで行った。
粗悪な鎧が混じっていることに気付いたロランは、頭を悩ませていた。
(とりあえずは誤魔化せたが、この後どうする?)
ロランが各員の装備を『アイテム鑑定』したところ、あろうことか今回集中的に鍛錬した練度Dのグループに限って、欠陥装備を身に付けている者が多かった。
(練度Dのグループと練度Eのグループで装備の着せ替えを指示するか? いや、ダメだ。装備が大破したこのタイミングで部隊に不信感を募らせるわけにはいかない。ここはなんとしても装備の不備を隠し通す!)
ロランは練度Eの者だけでなく、練度Dの大多数も中央に置いてカバーすることにした。
そのため練度Bと練度Cのグループに過剰に負担がかかる配置となってしまう。
パトはロランの采配を一目見て異変に気づいた。
(おかしい。なぜ、こんな配置を? まさか! さっきの耐久が著しく低い鎧。不良品はあれだけじゃないのか?)
錬金術師のパトはあの大破した鎧を見て、すぐにその手抜きに気づいた。
不良品の一つや二つ混じるのは仕方がない。
しかし、あれが大量にあるとすれば……。
「あの、ロランさん……」
「パト! ちょっと来て」
ロランはパトを呼び出すと額を突き合わせて小声で話し始めた。
「新規加入組の装備に耐久の著しく低いものが多数見つかった」
「!! やっぱり……」
「『精霊の工廠』の信用を毀損しないためにも欠陥装備のことはどうにか隠し通す。このことは口外無用だ。いいね?」
「あの……、ロランさん、新規加入組の装備ってことはやっぱりウェインが……」
「原因究明と責任追及は後だ。今はただこの危機を乗り越える事だけ考える」
(ロランさん。くっ……)
パトがウェインの方を見ると、ウェインは隅っこの方でただ俯いているだけだった。
(ウェイン。一体どうしてしまったんだ君は。『竜の熾火』にいた頃は少なくともこんな手抜きはしなかったのに。まさか本当に腐ってしまったのか?)
ロランが欠陥装備の隠蔽に腐心している頃、ジャミルは帰ってきた足止め部隊からの報告に首を傾げていた。
「何? 敵の鎧が大破した?」
「はい。確かに大破するのをこの目で見ました」
「どういうことだ? 敵の鎧は特殊な装甲を纏った特注品だろう? そんなに簡単に大破させられるとは思えないんだが……」
「わかりません。ただ、確かに大破したんですよ。ほんの数回攻撃しただけで」
「ふむ」
(苦し紛れで突っかけた足止め部隊だが、思わぬ戦果を持ち帰ってきたな。それにしても装備が大破するとは……。ただの整備不良か? あるいは、何か装備にまつわるトラブルが? 何にしても突いてみる価値はあるな)
ジャミルは作戦を変えることにした。
(これまではステータス調整の済んでいない奴らを狙う作戦だったが……、もし敵の装備に不具合が生じているのだとしたら……)
「ロド。『火竜』を使うぞ」
「あん? 『火竜』を?」
「ああ、『火竜』に攻撃させて、敵の注意が向いたところを逆側から襲う」
「それじゃあ、いつも通りの攻撃じゃん。今回、『火竜』は決め手に使うんじゃなかったのかよ? 先に出せば、敵の『竜音』に止められちまうぜ?」
「いいんだよ。止められて。敵を仕留めるのではなく、敵の足を止めるのが目的だからな」
ロラン達が下山を急いでいると、『火竜』が三匹右側から飛んで来て攻撃してきた。
ニコラが『竜音』を奏でて防御しようとするが、『火竜』は『火の息』を浴びせてくる。
(くっ、『竜音』が効かない?)
「気にするな。弾き続けて」
ロランが激励してニコラに竪琴を奏で続けさせると、やがて『火竜』達は迷い始めたように、空中をぐるぐると飛び回った。
(やはり、『白狼』は『火竜』の忠誠心をあらかじめ高めてたか。初撃を食らうのは覚悟しなくちゃならないな。だが、そのくらいならポーションと『アースクラフト』でどうとにかなる。問題は……)
「反対側の崖から敵の攻撃が来るぞ。レオン。頼む」
「おう!」
レオンは素早く『火竜』とは反対側に展開して、敵の攻撃に備えた。
すぐに矢と『竜頭の籠手』が飛んでくる。
「『天馬の矢』は『火竜』を撃ち落としてくれ。練度Dグループはもっと下がって」
レオンはロランの指揮を見て、眉をしかめた。
(おいおい。いくら練度Dだからって甘やかしすぎだろ。それじゃあ、練度BとCの主力部隊に負担が偏っちまうぞ)
ジャミルは崖の上で戦況を眺めながら、ロランの指揮を観察していた。
(やはり、おかしい。特定の冒険者を庇っている。ステータスの乱れている者だけじゃない)
ジャミルは『アイテム鑑定』を使える者に、同盟の中央に控えている者の鎧を鑑定させる。
「これは……中央に配置されている者達の装備、彼らの装備は耐久が著しく低いですよ」
「どのくらいだ?」
「40を下回っています。耐久値20や30の鎧も珍しくありませんよ」
「ふ、やはり装備にトラブルを抱えていたか」
(苦し紛れの方策が思わぬ収穫に繋がったな。同盟側に一体何があったのか知らないが、このチャンス活かさせてもらうぜ)
『火竜』を撃ち落とし『白狼』の『弓射撃』から逃れたロラン達は、練度D・Eの者達を庇うようにして、再び下山する。
するとまた少し進んだところで、『白狼』は『火竜』をけしかけてきた。
(『火竜』を決め手に使う戦術から、『火竜』に足止めさせる戦術に変わった。マズいな。これは欠陥装備のこと、敵にバレてる……)
ロランは奥歯を食いしばる。
ジャミルは装備の不備を必死に隠そうとするロランを見ながら、意地悪な笑みを浮かべる。
(同盟のこの不自然な指揮。さては欠陥装備のこと、仲間にも隠してやがるな)
「まあ、当然か。知られたくないよなぁ装備の不備なんて。ギルドの信用問題に関わるもんなぁ。ククッ」
その後も『白狼』は『火竜』による足止めと『弓射撃』の揺さぶりで同盟の主力部隊を消耗させ続けた。
そうして、ロラン達が高原に辿り着いた頃、『白狼』の白兵戦部隊も同盟の前に姿を晒し、全軍を集結させ、決戦を挑む構えを見せる。
やむなくロランは反転して応じる。
(くっ、主力部隊のステータスが削られたこのタイミングで、決戦を……。しかも高原で……)
(今回は敵の事情が特殊だからな)
思惑通りの展開に持ち込んだジャミルは、注意深く敵の布陣を眺める。
装備の欠損を隠すためになるべく『白狼』との激突を避けたかったロランだが、平地ではそうもいかない。
起伏のある細い道でなら、どうにか練度D・Eのグループを守りながら進むことができたが、高原の広い平地では部隊を横に長く展開しなければならないため、部隊の弱い部分をカバーし切ることができなかった。
(起伏のある地形でヒットアンドアウェイを繰り返し、ジワジワ敵の体力を削っていく。それが本来の『白狼』のスタイルだ。だが、今回はあえて平地で決戦を仕掛ける!)
(これが『白狼』の真の姿か。あらゆる手段を用いて揺さぶりをかけ、弱みを見つけたら執拗にそこを突いてくる)
なす術もなく敵の要求通り、欠陥鎧の装備者を戦列に並べたロランだが、それでも何か方策はないかと思案を巡らせ、最善を尽くそうとする。
(こちらの防御はほぼ確実に破られる。ならば、やられる前にやるしかない!)
「カルラ!」
「ん? なんだ? そんな大声で急に呼んで」
【回天剣舞の説明】
回転しながら剣技を放つことで、間合いと威力を伸ばす。
クラスが上がれば広範囲に斬撃を浴びせることができる。
(広範囲に斬撃を繰り出すユニークスキル『回天剣舞』なら……この状況を打破できるかもしれない)
「カルラ。基本戦術は訓練通りだ。エリオの後ろについて『影打ち』と飛び出しからの『剣技』。だが、もし敵の背後に回るチャンスがあれば。『回天剣舞』を放つんだ」
「なるほど。分かった」
素っ気なく言うカルラの肩をロランはガシッと掴んだ。
「? なんだよ?」
「こんな局面でプレッシャーをかけるようなこと言ってすまない。少し荷が重いかもしれないが、ここは君が頼りだ。頼むよ」
「? ああ」
カルラはかけられた言葉の意図も分からないまま配置につく。
切り札を用意していたのは『白狼』の側も同じだった。
「おい。出番だぜお前ら」
ジャミルは最近加入したばかりの新人に声をかけた。
「ふー。やっと出番か」
槍斧を持った長身大柄の男が言った。
「まったく。山道を走って、跳んだり跳ねたり、散々引きずり回しおって」
スピア持ちの肥った中年男が言った。
「しかし、ようやく待ちに待った機会を掴むことができました。ロランに目にものを見せてくれましょう」
痩せた眼鏡の青年が言った。
彼らは一様に仮面やマスクをつけて顔を隠している。
ロドは彼らのことを胡散臭げに見ずにはいられないのであった。
「なぁ、ジャミル。本当にこいつらで大丈夫かよ?」
「大丈夫も何も、こういう時のためにこいつらを配下に加えたようなもんだろ」
「でも、見るからに怪しいぜ。どこの馬の骨とも分からねーし」
「だが、白兵戦力としての価値は本物だ」
【ギルバートのステータス】
腕力:70ー80
耐久:70−80
【セバスタのステータス】
腕力:70ー100
耐久:70ー100
(ギルバートはBクラス相当の戦士、セバスタはAクラス相当の戦士と見ていいだろう。少しステータスの乱れは気になるが……)
「おい、ギルバート。まだ我々は顔を隠さなければならんのか?」
セバスタは脂肪の詰まった腹を揺らしながら不服そうに言った。
「まあ、そう焦るなって。ロランの奴に姿を現すのは、いつでもできる。そうだろ?」
(上手く『白狼』に紛れ込めたとはいえ、『竜の熾火』の奴らへの身分詐称行為が露見した以上、大っぴらに活動するのは得策じゃねぇ。『精霊の工廠』と『竜の熾火』の間で俺の情報が共有されないとも限らないしな。今はまだ俺達が『白狼』に所属していること、関係者に知られないようにしねえと)
「二人とも、戦闘準備が整ったようですよ。我々も配置につきましょう」
戦端が開かれた。
『弓射撃』で勢いを削ごうとする同盟に対し、『白狼』は白兵戦を仕掛けるべく積極果敢に突撃してくる。
『白狼』の戦士が同盟の戦列の目と鼻の先まで近づいてきたので、弓使いが下がり、白兵戦が開始される。
『精霊の工廠』同盟がエリオの『盾突撃』を中心に敵の戦列を崩すのに対し、『白狼』の側も槍斧を持った戦士とスピアを持った戦士を中心にして突き崩していく。
戦いはほとんど互角に進むかに見えたが、同盟の陣営で不自然に鎧が大破する者が現れ始め徐々に均衡が崩れていく。
同盟と『白狼』の戦いはしばらく続いたが、夕日が傾く頃にはお互い体力が尽きそうになったので、双方とも引き返した。
こうして互いに打撃を与えた同盟と『白狼』だったが、被害は同盟の方が大きかった。
粗悪な鎧はほとんどが破壊され、練度D・Eの者達が保有していた鉱石のほとんどが『白狼』の盗賊によって奪われてしまった。
『白狼』の方はというと、被害は限定的だった。
拡大する背後の被害に気を取られたエリオが、『盾突撃』の威力を十分に発揮できなかったためだ。
ロランは部隊の立て直しを余儀なくされた。
「ロラン。クレアとアリスが帰ってこない」
ハンスがすっかり憔悴した様子で言ってきた。
クレアとアリスは崩壊する同盟を支えるべく、最後まで踏みとどまっていたため、敵に捕縛されてしまっていた。
【ハンス・ベルガモットのステータス】
俊敏:30ー80
(俊敏が下がってる。クレアとアリスが捕虜にされたことで、メンタルが崩れたのか。今回、ハンスはもう使い物にならないな)
レオンも苦々しい表情を浮かべながらロランの下にやってくる。
「ロラン。こちらは30人以上が鎧を大破させた上、致命傷を受けて戦闘不能だ。おまけに20人以上が敵の捕虜になっちまった。クエストはほとんど失敗したも同然だ。くそっ。まさかこんなことになるなんて。どうすればいいロラン?」
「ふー」
ロランは大きく息を吐いた。
(ウェインだけじゃない。エリオもハンスもまだまだ半人前。僕自身もそうだ。この重大な局面で入ったばかりのカルラの覚醒に頼るなんて。まだまだだな。新規に加入した零細ギルドの連中は、装備代を払える見込みがないから、今回の探索で『精霊の工廠』は赤字を免れない。カルテット引き抜き計画も一からやり直し。大同盟は時期尚早だっていうパトの進言をもっとよく聞いておくべきだったな)
「ロラン、こっちはほとんど壊滅に近い状態だが、敵は余力を残している。ポーションで回復した後、またすぐに攻撃してくるぞ。どうするロラン?」
「ふふっ」
ロランは口元に笑みを浮かべた。
「……どうしたロラン?」
「いや、こんなピンチ久しぶりだなと思ってさ」
「お、おう」
ロランは眼光鋭く『白狼』の引き返していった方を睨んだ。
(今頃、『白狼』の奴らは僕達を上手いこと追い詰めたと思っているだろうな。だが、これしきのことで諦めたりしない。必ずこの窮地を脱して見せる)