第11話 ジルの訴え
ロランはチアルを連れて銀細工の店を訪ねていた。
市場調査も兼ねて、彼女のスキル『銀細工』、『製品開発』『製品設計』を伸ばすためだ。
店にはチアルにとって格好の教材である銀器が棚の上に所狭しと並べられている。
だというのに、彼女はというと仕事であることも忘れて、目をキラキラと輝かせ、ただただ美しい銀器に魅入っている。
ロランは苦笑した。
「こら、チアル。市場調査なんだから、ちゃんと仕事しなきゃダメだぞ」
「はう、すみません」
ロランがたしなめるとチアルは申し訳なさそうに謝った。
そうして一旦は気を引き締めて、真剣な表情になるものの、少しするとすぐにまた目を輝かせて浮かれてしまう。
今まで、錬金術に関することは何であれ禁止されていた彼女は、自由に銀細工を眺めることができるのが余程嬉しいようだった。
(やれやれ。こういうところはまだまだ子供だな)
ロランは彼女に勉強させるのを諦めて、思うがままにさせることにした。
(でも、これだけは見せておかないとね)
「チアル。これを見てごらん」
ロランはとある棚までチアルを連れて行って、一つの銀細工を指し示す。
「これは……」
チアルはロランの指し示す銀細工の皿を見て、固まってしまう。
それは大輪の花の複雑な意匠が刻まれた銀細工だった。
その銀細工は店にある他の製品とは明らかに扱いが違った。
「この街で一番の銀細工師ドーウィンが作った大皿だ。君にとって最大のライバルとなる人だよ」
チアルは圧倒されたように目を点にしてしばらくの間、銀細工に魅入った。
「すみません。ちょっと外します」
チアルは悄然とした様子で店の外に出てしまう。
(無理もないか。まだこのレベル。今の彼女には到底届かない)
ロランは溜息をついた。
実際のところチアルの銀細工を生み出す技術は大したものだったが、製品としての設計はまだまだ甘く、子供の創作の域を出なかった。
店に並べうる水準を満たしているかというとまだまだ経験不足だった。
それに関してはCレベルの銀細工師にも敵わない。
(けれどもどうにか彼女をこのレベルにまで引き上げないと、ルキウスの率いるギルドには太刀打ちできない)
ロランが物思いに耽りながら店の外に出ると、チアルが軒先のベンチで何か作業をしていた。
ロランがのぞいてみると、持って来たキャンバスに図を描いている。
彼女はブツブツと何か呟きながら、一心にペンを走らせている。
ロランは図面を覗いて衝撃を受けた。
そこには先ほど見せた銀細工の完璧な模写が描かれている。
銀細工の長さや厚みといった寸法から、どのようにすれば同じものを作れるか、制作過程や材料の配合まで事細かに注釈が描かれている。
「ロランさん。凄いですよさっきの銀細工。ここまで美しい設計は初めて見ました。物凄く大胆な設計なのに寸分の狂いもない緻密な計算がされています。ちょっとでも手先が狂えば上質な銀が全て台無しになりかねないのに、全くの迷いを感じない。こんなのよっぽど自信がないとできません」
チアルは図面への走り書きを止めることなく続けながら、どこか熱に浮かされた様子で言った。
(あの一瞬の観察でここまで見抜くなんて。やはりSクラスの資質。天才だな……)
ロランが彼女のスキルを鑑定するとBだった銀細工はAに。
Eだった『製品設計』はBになっていた。
ロランは彼女の作業が終わるまで黙って見守った。
チアルの作業が終わると、二人は帰路についた。
模写を終えた彼女はすっかりいたいけな少女に戻っていた。
彼女は年頃の娘らしく、露店で買った飴を舐めながらロランと手を繋いで道を歩いている。
「ロランさん。私の銀細工はいつ頃お店に並びますか?」
「それは……できないんだ」
無垢な瞳を向けながら聞いてくるチアルに対してロランは力なく首を振った。
「僕達の工房で作ったものは、この街の店は買い取ってくれないんだ」
錬金術の製品が売れるのは街から特別な許可をもらった店だけだった。
しかしそれらの店はルキウス配下の錬金術ギルドで作られた製品のみ店に並べるよう契約を結ばされていた。
実際、ルキウス配下の錬金術ギルドはこの街で一番の品質なのだが、この契約のせいで他のギルドは市場からすっかり締め出されていて、商売あがったりだった。
「だから当面の間は、お店に君の作った物を並べることはできないんだ」
「そうですか。エルフにも色々ありますが、人間界も色々あって大変そうですね」
彼女は歳に似合わぬ物分かりの良さを見せた。
エルフでありながらドワーフの下で幼年期を過ごした彼女は、そのいざこざを通して達観した態度を身につけていた。
「ロランさん。私を雇ってくださってありがとうございます」
「えっ?」
「私がこうして当たり前のように銀細工の製作に取り組めるのはロランさんのおかげです。以前はこのようなこと考えられませんでした」
チアルはロランに雇われる以前のことについて話し出した。
以前は親に見つからないようこっそり銀細工の練習をしていたこと。
ゴミ捨て場に捨てられていた粗悪な銀を使い、細々と銀細工を作っていたこと。
製作した銀細工は父や母に見つかり次第、捨てられていたこと。
「でも今は、一日中なんの不安もなく自由に銀細工を作ることができます。それも優秀な精錬士さんによって加工された上質な銀で。それもこれもロランさんのおかげです」
「そんな。僕は君の才能を開花させただけだ。大したことはしてないよ」
「そんなことありません。ロランさんは私のためにたくさんのことをしてくれました。私にだってそのくらいのことは分かります」
そう言うとチアルは道ばたにも関わらず、跪いて両方の手の平を組んで、エルフ式の祈りをロランに捧げた。
「あなたのその高潔さに相応しい幸せが訪れますように」
「……チアル」
しばらく二人は時が止まったようにジッとしていた。
チアルの頰に一筋の涙が流れる。
感謝の気持ちに満たされた時、涙を流すのがエルフの習性だった。
ロランは彼女の涙を指で拭ってあげた。
手を取って、立ち上がるのを手伝う。
「それはそうとロランさん大丈夫ですか? 私の銀細工売れないなんて。私のために工房まで建ててくれたのに。結構な無理をされたんじゃ……」
「チアル。君はそんなこと考えなくていいんだよ」
「でも……」
「いいから」
実際、ロランが彼女のためにした出費は結構なものだったが、苦しいそぶりなどは決して見せなかった。
「君は自分の技術を高めることだけを考えて。銀細工を作れるだけで満足してはいけないよ。これからもうんとたくさんの銀細工を作ってもらって、一流の銀細工師になってもらうからね」
「……はい」
彼女は泣き笑いを見せた。
ロランは幸せだった。
『金色の鷹』に居た頃とは違う。
今、彼が居るのは、人間らしい繋がりと温かみのある職場だった。
(守らなくちゃ。チアルのためにも、いやチアルだけじゃない。メンバー全員のためにも、きっとこのギルドを僕が守るんだ)
『金色の鷹』本部、ギルド長の部屋では、ルキウスとジルが二人だけで面会していた。
ジルは釈然としない表情をしている。
彼女は先ほどルキウスに新しい任務を言い渡されたところだった。
「花嫁に銀器を手渡す役目……でございますか?」
「ああ、君も聞いているだろう? エルセン伯が嫁入り娘のために開く銀細工品評会の件」
「ええ、話くらいなら」
「品評会ではそのフィナーレで、最優秀に選ばれた銀細工と銀細工師を表彰するそうだ。表彰された銀細工師は、銀器を花嫁に手渡す栄誉に与れるということだ」
「それで、私がその役目をやれと?」
「品評会には街どころか、領内の者や近隣のお偉方まで集まってくる。ギルドを宣伝するのにこれ以上の場はあるまい? 君にやってもらいたいと思っている」
「しかし、品評会は銀細工師のためのイベントなんでしょう? それならば私よりも実際に銀器を製作した銀細工師がその栄誉に与るべきなのでは?」
「言ったはずだよ。これはギルドを宣伝する格好の場だと」
「……」
「工房で働いて煤と煙で汚れた錬金術師など、宣伝の場に出してもイメージアップは図れまい。それよりも見目麗しく華やかな衣装を身に纏った騎士が、貴族の令嬢に銀細工を献上する方がよほど絵になる。そう思わないかね? まさしく君のように美しい騎士がね」
ルキウスはジルをおだてるように言った。
ジルは眉一つ動かさずルキウスの方をジッと見つめる。
「上手くいけば他の街からも優秀な冒険者が我々のギルドに加入したいと申し出てくるやもしれん。要するにギルドの発展のためだ。やってくれるね?」
「かしこまりました。ギルドの発展のためとあらば、お引き受けいたしましょう。ただ、ギルドの発展を考えるのであれば、もう一つギルド長に検討していただきたいことがあります」
「ほう? 何かね?」
「鑑定士ロランのギルド復帰です」
ロランという言葉を聞いて、ルキウスはかすかに眉をピクリと動かした。
「ロラン? ああ、そういえばそんな鑑定士がいたな。最近見なくなったが。それで? そのロランがどうしたって?」
「あのお方はギルドにとっていなくてはならない存在です。どうか彼を復帰させてください」
「鑑定士が必要なら『金色の鷹』の中にいくらでもいるだろう? なぜ彼らを活用しない?」
「他の鑑定士ではダメなんです。ロランさんでないと、彼でないと私は自分の力をフルに発揮することはできません。お願いです。些細な過ちには目をつぶって、ロランさんを復帰させてください。『魔法樹の守人』への利敵行為だって、きっと何か事情があってのことで……」
「? 君がなぜあの男に執着するのかは分からないが、私にも立場というものがあってね。他の成果を上げている鑑定士を差し置いて足手まといを特別扱いするわけにはいかん」
「成果!? 成果なら彼が一番出しているではありませんか。私がBランクの冒険者になれたのも……、ここまでこれたのも全てはロランさんのおかげです」
「ジル君。それは彼を過大評価しすぎというものだよ。君がBランクの冒険者になれたのは他でもない。君の実力だよ」
「そんなことはありません。ロランさんの指導がなければ、私は未だに平凡な弓使いで……」
「とにかく。ロランの追放は決定事項だ。一度決定されたことについて覆されることはない」
「ギルド長っ……」
「いい加減にしたまえ。一度追放した者をそうほいほい復帰させたとあれば、組織のメンツにも関わる。それよりも君は自分の任務に集中したまえ。まさかBランクで満足しているわけではあるまいな。君はこのギルドの将来を背負う存在なんだぞ。Sクラスの冒険者になるために、しなければならないことはいくらでもあるんじゃないか? 鑑定士一人のことで、いつまでも口論している暇があるのかね?」
「……っ。分かりました。もうギルド長にこのことは頼みません」
彼女は失望したように目をつぶったかと思うと、きびすを返して部屋の出口へと向かった。
「待ちたまえ」
ルキウスがジルの背中に呼びかける。
ジルは振り向かずに足を止めた。
ルキウスにはもう一つ彼女に用事があった。
彼女をわざわざディアンナのいないこの時間に呼び出したのは、そのためなのだから。
「これは任務とは直接関係のないことなのだが……、今夜、空いているかね? もしよければ食事でも……」
「失礼します」
ジルはピシャリとはねのけるように言うと、部屋を退室した。
ルキウスは少しの間、憮然とした表情をしてから、溜息をついた。
(やはり彼女のことは信用できんな。主力部隊の隊長は別の者に任せよう)
部屋を出たジルは決然とした顔で廊下を歩いて行く。
(ロランさんは足手まといなんかじゃない。私がそれを証明してみせる!)
かくして各々の思惑が交錯する中で品評会の当日が訪れた。