第106話 それぞれの思惑
まだロラン達が『メタル・ライン』でアルゼアと追いかけっこをしていた頃、リゼッタは先の戦いでの敗因について思い悩みながら街をウロウロしていた。
(私の『火槍』が負けた。一体どうして……。納得いかないわ。ん? あれは……)
リゼッタは街角で見覚えのある人物を見かけた。
「あなたリーナ・ハートさんじゃありません?」
「あれ? リゼッタさんじゃありませんか」
リゼッタはリーナの身に付けている紋章に目を留める。
(あれは……、『精霊の工廠』の紋章?)
「いいんですか、リゼッタさん。こんなにたくさんご馳走していただいて」
リーナはテーブルに置かれたご馳走に目を輝かせる。
彼女はリゼッタに誘われて、街の食堂に来ていた。
「ええ。構いませんことよ。遠慮なく召し上がれ」
「では、遠慮なくいただきますね」
リーナはガツガツと食べ始める。
リゼッタはニコニコと微笑みながらも、瞳の奥は鋭く光らせて、リーナの様子を観察する。
(リーナさんが『精霊の工廠』に加入していたなんて。でもこれはチャンスだわ。『精霊の工廠』の内情について探ることができれば、アイナさんの弱点を何か掴めるかも。そして私の『火槍』が負けた理由も……)
「『精霊の工廠』に加入していらしたんですね。ビックリしたわ。パトさんはお元気ですか?」
「はい。『精霊の工廠』に入ってからは、ギルド長にも目を掛けていただいて、仕事の方も上手くいっています」
「『竜の熾火』にいた頃から、密かにいい仕事をしていましたものね。パトさんを失ったのはウチにとって大きな損失だわ」
「ええ。ただ、これで良かったのかもしれません。ロランさんのおかげでユニークスキルも発現することができたので」
(やはり、『精霊の工廠』の快進撃はS級鑑定士ロランの手腕によるところが大きいようね)
「あなた達が羨ましいわ。私なんてとうとうアイナさんの装備に負けちゃって。『竜の熾火』内でもそれはそれは激しく叩かれちゃいました」
「そうでしたか。それはお気の毒に……」
「ねえ。リーナさん」
リゼッタはテーブルに乗り出した。
「はい?」
「もっと聞かせていただけないかしら。ロランさんのことについて」
リーナはリゼッタの雰囲気にたじろぎながらも話し始める。
「……なるほど。鑑定スキルを駆使して、錬金術師と冒険者のスキルを伸ばすのが上手いと。そして育成に合わせた装備を充てがうのも」
「ええ。私もパトも仕事がしやすくなって、『竜の熾火』にいた頃よりも随分レベルアップしました。ウェインとか『竜の熾火』にいた頃は、狂犬みたいだったのに(目上の人間には弱かったけど)、上手く御してますよ」
「他には何かあって?」
「そうですねぇ。あとは装備の運用も上手かったですね」
「装備の運用?」
「はい。一度ロランさんと一緒に冒険者の探索に同行したことがあるのですが……」
「探索に同行? あなた達、ダンジョンに入ってるの?」
「ええ。そこでロランさんが冒険者の皆さんに合わせて装備の運用や部隊行動についても指導されていたので。皆さん、スキルアップが速かったですね」
「装備の運用……もう少し詳しく聞かせていただけます?」
「うーん。そうですねー。あ、私そろそろ行かなきゃ」
「あら、残念。おかわりも奢ろうと思っていましたのに」
「いただきます」
リーナは座り直した。
結局、彼女は『精霊の工廠』におけるロランの仕事ぶりについて洗いざらい話してしまった。
少し喋りすぎたかな、と焦る頃にはリゼッタの欲しい情報は全て吐き出した後だった。
リゼッタは満足気に店を後にする。
(アイナ・バークがここまで急成長できたのは、やはり鑑定士ロランの手腕によるところが大きい。そして、装備の運用……か。私にもS級鑑定士の力さえあれば、あるいは……)
リゼッタはダンジョンの方を鋭く見据えた。
『竜頭の籠手』の咆哮が響いてくる。
それは確かに雄々しかったが、どこか空回っているようにも聞こえた。
アルゼア達を破ったロランは、『翼竜の灯火』にしたのと同じように彼らの装備を奪い取った。
Bクラスの『竜頭の籠手』4挺と『魔法細工』の剣10本、鎧10着、これらを携えて、『精霊の工廠』に帰還する。
『精霊の工廠』の玄関にて出迎えてそれらを見たアイナは結果を聞くまでもなく、ロラン達が勝利したことを悟った。
感極まって、ついついロランに抱きついてキスしてしまう。
ほっぺに押し付けられる薄い唇と二の腕に押し付けられる豊満な膨らみにロランはドギマギしてしまう。
「わっ。ちょっとアイナ?」
「あっ、ごめんなさい。私ったら、つい……」
アイナは恥ずかしそうして、身を引いた。
二人のやりとりに周囲の者達がドッと笑う。
「まあ、とにかく……」
仕切り直すようにロランは咳払いした。
「君のおかげでカルテットに全勝することができた。これで晴れて君も島一番の錬金術師だ」
「えっ!? 島一番……ですか? いやー、なんだか実感湧かないですね。あはは」
ウェインはロランの持ち帰ってきた『竜頭の籠手』と『魔法細工』の剣鎧を見て愕然とする。
(マジかよ。こいつ……、マジでカルテットの装備に全勝しやがった。カルテット4人が束になってもアイナ1人に勝てないってのかよ。……いや、違う)
ウェインは改めてロランの方を注視する。
彼はこれだけの戦果をあげたにも関わらず、相変わらず自分のことは差し置いて、部下や協力者の仕事ぶりを称えていた。
(ロランだ。ロランの指揮。こいつの指揮がアイナの装備のポテンシャルを何倍にも引き出したんだ)
『竜の熾火』でラウルは普段通りに黙々と仕事をこなしていた。
彼の頭の中に敗北の二文字などなく、勝利は約束されたものであるかのように思われていた。
それだけにアラムとリアムの兄弟が身包み剥がされて帰ってきたのを見た時は流石に言葉を失ってしまう。
「お前ら、装備は一体どうした? まさか……」
「申し訳ありません、ラウル殿。我々もどうにか『竜頭の籠手』を活かそうと腐心したのですが……、敵の地形を活かした戦術に翻弄され、また敵の纏う装甲は思いの外硬く……」
「最後は敵の思いの外高い火力の前にあえなく制圧されてしまい、身に付けていた装備は全て奪われてしまいました」
「……」
ラウルは軽くよろめく。
突然、地面が平衡を失ったかのようであった。
やっとのことで次の言葉を発する。
「老師は……、アルゼア殿は?」
「お師匠様は先の戦いで負傷してしまいここに来れず……」
「このお手紙をラウル殿にお渡しするようにとのお言い付けです」
ラウルはアラムの差し出した手紙に目を通す。
「引退します。
アルゼア」
ラウルは手紙を持つ手をふるふると震わせる。
(あのジジイ。引退すんのはいいけど……、負けたなら負けたでなんか一言言いに来いよ。金出したのはこっちなんだから。いや、それよりも……)
ラウルは首を振って床に目を落とす。
(この際ジジイのことはどうでもいい。なぜ俺は負けた? 確かにアイナ・バークの作った装備は厄介だが、まだまだ総合力では俺の方が錬金術師として上なはず。なぜ負けるんだ?)
ラウルはこれまで積み重ねてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れゆくのを感じた。
(『精霊の工廠』、こいつらは一体……。俺は……一体何と戦っている?)
それは未知への恐怖だった。
今までのやり方が全く通用しない。
彼は今、初めて職場に来て、何から手を付ければいいのか分からず途方に暮れている見習い錬金術師のようだった。。
これまで積み重ねてきた輝かしいキャリアと、見すぼらしい現状のギャップを前にして、自己崩壊の危機に瀕し、どうにかそこに立っているだけで精一杯だった。
「まったく何をしとるんだお前達は!」
『竜の熾火』の執務室では、メデスの怒号が飛び交っていた。
カルテット4人はメデスを前にしてただただ畏るほかなかった。
「『火槍』に『竜頭の籠手』、魔法細工の装備まで作り、さらには冒険者を雇うために多額の費用を重ねたにもかかわらず、何一つ成果をあげられなかっただと? まったく。ワシが少し目を離したらこのザマだ。ラウル、お前が監督しておきながら何をやっている!」
ラウルは怒鳴られながら神妙にしていたが、内心では憤懣やるかたない気分であった。
(このヤロォ。偉そうに。元はと言えばテメーの蒔いた種を俺達が後始末してんだろうが)
とはいえ、今回ばかりはメデスを無視して勝手に自分達で推し進めていたことも事実なので、さしものラウルといえども強くは言い返せなかった。
「一体いつからウチは冒険者ギルドになった? 一体いつからウチは工房の外に出て、ダンジョン内で起こることにまで口を出すようになった? 一体いつからウチは盗賊ギルドの真似事をするようになった? ラウル、テメェ、勘違いしてんじゃねーぞ。錬金術師はただただいい装備だけ作ってりゃいいんだよ。余計なことをして自分の領分を見失ってんじゃねーよ」
メデスはその怒鳴り声とは裏腹に、心の中ではホッと胸を撫で下ろしていた。
(ふぅ。どうにかカルテットに対して主導権を取り戻せたわい。一時は全員に反発されてどうなることかと思ったが助かった。今後はより一層厳しく手綱を握っていかんとな)
「それで? 今後、どうするつもりなんだお前達は? ええ?」
「いや、それは……その……」
「なんだぁ? あれだけ好き勝手やっておきながら、いざ困ると、何もなしか? まったく困った奴らだな!」
「……」
「いやー。俺もラウルのやり方はよくないと思ってたんですよね。あまりにも独断的で」
ラウルの傍に控えていたエドガーが、突然前に進み出て言った。
ラウルは目を見開いて、エドガーの方を見る。
(こいつ……、一体何を……?)
「だって、そうじゃないっすか? 何でもかんでもラウルの鶴の一声で方針が決まって。異議を唱えても他の人間の意見はガン無視。これじゃあこっちの士気も上がらないし、勝てるものも勝てなくなって当然っすよ」
「ラウル。今回の失敗はお前の責任。そういうことで良いな?」
(くっ。なんも言い返せねぇ)
「……はい」
ラウルは不承不承ながらも同意した。
「今後、『精霊の工廠』対策は、エドガーお前が主導しろ」
「ウス。任せて下さい。必ずご期待に応えて見せますよ」
エドガーは即答した。
「ヨシ! それじゃあカルテットは全員、エドガーに従うように」
(『ヨシ!』じゃねーよ。なんで、よりによってエドガーなんだよ。頭おかしいんじゃねえか、コイツ?)
ラウルはメデスを恨めしそうに見た後、エドガーをジロリとにらむ。
(こいつ……、また裏で何か小細工しやがったな)
ラウルの予想通り、メデスとエドガーは裏で示し合わせていた。
メデスは目論見が上手くいって内心ほくそ笑む。
(ラウルとエドガーなら、エドガーの方が御し易い。それにあまりカルテット同士の絆が強くなっては困るしな。また徒党を組んで造反されぬとも限らん。ワシの地位が脅かされんようカルテット同士には今後もある程度いがみあってもらわんとな。こうしてエドガーに手綱を握らせておけば、しばらくラウルの頭は抑えておくことができるじゃろう。さらにはカルテット同士の敵愾心を煽り、互いに争い合わせることで競争力が高まることにも繋がる。ふふふ。我ながら素晴らしい経営手腕じゃな)
ラウルはメデスとエドガーの考えていることが手に取るように分かった。
(このバカヤローどもが。身内同士で揉めてる場合かよ。今までのやり方じゃロランには通用しねぇって分かんねえのかよ。とはいえ……)
とはいえ、彼もまだ敗北のショックから立ち直れていなかった。
『精霊の工廠』と戦う。
そのことを考えただけで、手は震え、足がすくむような恐怖に襲われる。
(とはいえ、俺もどうすればロランに勝てるのか分からねえ。情けねぇが、今の俺じゃ、勝てるもんも勝てねぇ)
ラウルは全てを承知した上ですごすごと引き下がるのであった。
リゼッタはこれらの光景をただただ黙って見守る。
『竜の熾火』が内部崩壊の兆しを見せる一方、『精霊の工廠』では勝利を祝すささやかな宴が催されただけで、次の日にはすぐ様次の手を打つべく動き始めていた。
ロランは職員及びディランも含めて、会議を開く。
「先日、ついに僕達は『竜頭の籠手』を攻略するという快挙を成し遂げた。僕はこれまでの装備製造、ダンジョン探索、冒険者の支援を通して、君達の潜在能力を引き出し、力を合わせることができれば、カルテットすら倒せることを示してきた。『竜の熾火』を倒す。これまで夢物語に思えたことが、決して不可能ではないことが分かったはずだ。同時に僕のやりたいこと、やろうとしていることがみんなにも伝わったはずだ。地元ギルドを支援して外部ギルドに対抗できるほど強大にする」
ロランは会議に集まった者達の顔付きを見回した。
誰も異議のある者はいないようだった。
ロランは話を続ける。
「『竜の熾火』は元々個人主義的な気質の組織だ。それに加えてカルテットの敗北。絶対的かと思われていた強さ、一強状態というアイデンティティーが揺らぎつつある。これまで僕達は力を高めることに専念してきたため、向こうからの攻撃に対してただただ防御に回るほかなかった。しかし、今、こうして僕達は反撃のチャンスを掴もうとしている。敵がグラついているこの隙に、『竜の熾火』に対してさらなる一撃を加えると共に、『精霊の工廠』はさらなる戦力の増強を図る。その手始めとしてまずは、『竜の熾火』から優秀な錬金術師の引き抜きを画策する。理想としてはカルテットの誰か1人を引き抜くことだ」
S級鑑定士4巻の刊行決定いたしました。
これもひとえに読者の皆様のおかげです。
今後ともよろしくお願いします。