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吸血鬼がいる日常  作者: ノーマッド
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その日ではない午後と吸血鬼


「吸血鬼は、非常に多様な存在です。

ここでの吸血鬼とは第二種を指しますが、その中でも人間と変わらぬ味覚を持っていて、血をあまり吸わなくとも生きていけるモノもいます。

 と、いうより。今ではほとんどがそうですね。このようなハイブリッドともいえる存在が今では吸血鬼全体の八割以上を占めています。そして二割弱が完全に人間と同じ食事で構わないモノ。稀に存在する血でしか食事を摂ることができない吸血鬼は、吸血依存症ということで監視、管理の対象となりますので注意してください。

 ご存知とは思いますが。空腹になった吸血鬼が引き起こす事件の大きさは、人間の比ではないのですから。

血を貰うという犠牲を人間に強いるように。吸血鬼は人間を傷付けてはならないという誓約を強いらなければならない。

同じこの星に生きる存在同士。譲り合い、助け合い、生存し合う。そしてかけがえのない生命を、未来を守っていきましょう。」

第二回世界吸血鬼議会でのエリザベス・フルシュトによる演説



 浦戸 弦(うらと げん)は夢の中にいた。暖かな浜辺だ。寄せて返す波にその身を浸している。かすかな刺激が皮膚の上を走っていき、さっと引いてゆく。繰り返す微弱な間隔がもどかしいほどに浦戸の知覚を刺激する。霧に包まれたように覚束ない思考の中で、僅かな快楽だけを感じながら暖かい海に浸る。波が来れば暖かく、波が引けば少しだけ寒い、しかしすぐに波が戻ってきて。快楽も苦痛も暖かさも寒さも、あらゆる刺激が、ほんの少しだけ、男を包んでいる。


「………ん………!」

 声が、聞こえた。唯一置いてけぼりにされている頭の上からだ。目を向けても暗幕のような闇だけがそこにある。考えることもしない脳が快楽に浸り続けることを望んだ。

「……ぇん……!」

 声が近くになる。煩わしさを感じた脳がその声の主を探し求める。正面の上も下も右も左も見たが光のない闇だけが目に映る。脳は何かを結論付けようとして押し返す漣がそれを流し去った。

「弦!」

 突然目の前に青白い月が現れた。闇にあって尚輝く黒耀石のような瞳のナハト。

「うおっ!」

 驚いた弦が勢いよく上体を起こした。二人の額と額が急速に近付く。


「「あだっ!」」


 鈍い音が部屋中に響いたのであった。

「あたた…。ごめんな。ナハト…呼んでたんだな。」

「えぇ、何度も。

…ねぇ、大丈夫なの?無理してない?」

「大丈夫だよ。」

 浦戸は自分の腕を見る。家庭用血液製剤キットのチューブが上腕動脈に挿入されている。マスキングテープでしっかりと固定されたチューブには赤い血が流れて、専用の血液パックに流れ込んでいる。パックには減圧処理がなされており、必要量の血液が溜まると圧力がかからなくなり血の吸引が終わる仕組みだ。


 吸血鬼は生きるために血を必要とする。そして、吸血というのは、単なる栄養補給にとどまらず、吸血鬼と人間とのコミュニケーションの一つでもある。例えるならば、犬を散歩に連れて行くようなものだ。しかし、浦戸は仕事もあるし、血を吸わせられない日が突然やってくることもある。そのために予め血液パックを用意して、保存食を用意することがあるのだ。

 どうやら、血を吸い出している間に微睡んでしまっていたらしい。

 ナハトが弦の血を吸い出されている腕を撫でている。上から見下ろしている彼女の顔は、まるで怒られる前の子供だった。ここでようやく気がついたが、どうやら膝枕されているらしい。弦の頭の下には柔らかで冷たい少女の太腿を感じる。


 曖昧な意識が血液は全身をくまなく巡る血管にエネルギーを酸素を送り届け不要物を二酸化炭素を引き取り帰る心臓は血液を押し出し引き戻し肺は酸素と二酸化炭素を交換し死ぬまで終わらない生の律動を続ける。途中ですん断された分、脳は混ランしたように目眩をoこして知覚はにぶくしこうはつたなくあたまのうしろがつめたくみあげるナハトはかなしそうでさびしそうでつらそうでどうになにかつたえようとつたえたいとおもってかんがえるあたまがちがたりなくてどうにかくちはうごかして。


「なくなよ、ナハト。」

「泣いてないわ。」

 動かせる方の手で弦はナハトの頬を触る。冷たい。手が首筋へと進む。脈拍を感じない。胸元に当てる。鼓動を感じない。ナハトは抱き締めるようにその手を包み込んだ。

「弦は暖かいね。」

 男は何か答えようとした。言葉が浮かばなかった。代わりに表情を動かした。

 ナハトは何かを口にしようとして、その目が献血中のチューブに止まった。血の吸引が終わったようだ。

「終わったみたいね。抜いておくわよ?」

「あぁ。」

 それだけ絞り出して弦は目を閉じた。ナハトがその様子を心配そうに見つめながらも、手慣れた様子で針を抜き処理を済ませていく。まるでもう二度と目を開くことのないような男に、ナハトが話しかける。

「ねぇ、晩御飯、何食べたい?」

「にくと………にく。」

「分かったわ。出来るまで…休んでて。」

 頭の下に枕が置かれ、体の上に布団がかけられた。押し寄せる睡魔に抗うこと無く、弦は意識を手放した。


 ナハトは吸血鬼である。血を吸わなければならない。


しかし、彼女はある経験から血を吸わなくても死ぬわけではないということを知っていた。人間と違いどれだけ長い間食事を行わなくとも、それが理由で死ぬことはないのだ。

 では、何故血を求めるのか?

 空腹になった吸血鬼はある衝動に襲われる。全身が乾ききって、風が吹いただけでも痛みが走るほど鋭敏になり、五感全てが血を探し求め、頭の中は血がパンパンに詰まった血袋のことだけ。血を求める求血衝動に支配された吸血鬼は目に付いた全てを食い尽くすか、あるいは死ぬまで止まらない。幸運なことに、未だかつて前者であったモノはない。

 生きることには必要がないはずなのに、本能に刻み込まれた吸血鬼が持つ衝動。その衝動が満たされることは決してない。吸血鬼に空腹はあっても満腹はないのだ。

 少なくとも、ナハトにはない。


 どこか窶れたような顔で眠る弦を少女が眺める。

 ナハトが衝動に耐えられるのはおおよそ一週間。そのくらいならいつもの自分でいられる。

「もし、衝動になんて身を任せたら。

凄いことになっちゃうもん、ねー?」

 返事をしない男に向けてナハトが言った。

「周りの連中はどうなってもいいけど。(ロット)辺りはこっちに気付いたらすーぐ来そうだし。

あいつには流石に勝てないから、きっと戦ったら負けちゃうわ。」

 ナハトは弦とこの小さな部屋での。いや、この部屋でなくとも構わない。どこでもいいのだ。ナハトはただ弦が側に居ればそれだけでいい。

 誰かの手によって終わらされてしまうのならば、いっそ。

「ねぇ、弦。

もしも私が今すぐ終わりにしようって言ったなら。あなたはなんて答えるの?」

 返事はなかった。

「いいお天気になりそうな夜に一緒にピクニックしましょう。

そして、二人で朝日を見るの。灰になる私の横で、あなたは肉の塊になる。そして二つが一つになって、終わり。

………それが今でも、私構わないわ。」

 ざわざわと蠢く少女の髪が伸びて、男の全身へと這い回る。外に太陽が出ていた。とてもいい天気だ。


 ちょうどその時、電子レンジが温め完了の機械音を上げる。髪が名残惜しそうに、しかし素早く男から離れていった。そして男の肩を少女が優しく揺らす。

「起きて、弦。ご飯の時間。」

 いつかきっと。そうなる日が来る。だが、それはどうやら今日ではないようで。

 ナハトはどこか寂しいようなホッとしたような相反する気持ちのまま、寝ぼけ眼の弦の唇に挨拶をした。

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