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吸血鬼がいる日常  作者: ノーマッド
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昼に潜む脅威と吸血鬼

「吸血鬼と聞いてどんな存在を考えますか?」


 壮年の男性が黒板の前に立ってそう言った。二人分の机が並んだ教室のような部屋の中に数人の男女が座っている。男性の深く刻み込まれた皺が彼の表情を常に微笑んでいるような穏やかなものにしている。誰に問うでもなく投げられた問に答え代わりの寝息が響いた。

 吸血鬼を飼うことが法的に認められた飼主は半年に一度、飼育免許の更新を行わなければならない。その度に二時間ほどの講習があるのだが、どうやらかなり緩いものらしい。


「人間離れした恐ろしい力、コウモリなどに姿を変えられる変身能力、心臓を貫かれない限り死ぬことはない身体、衰えることのない美貌。しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()

ここにいるほとんどの方はご存知かと思われますが、吸血鬼は人間と子供を作ることが出来るので、出生した子供が吸血鬼かを判別するために行われる検査が行われております。そしてこれには二種類の判定結果が出ます。

 まずは第一種吸血鬼。吸血鬼としての血が25%以上、45%以下であり、彼らは人間として扱われます。発現する吸血鬼としての能力はほぼ皆無であり、まぁ少し老けにくかったり、力が強かったりしますが。才能のある人間とほぼ変わらないか努力をしなければそれに及ばない程度でしかありません。あぁ、ただ逆のO型というか。あらゆる血液を輸血してもらうことはできますが、逆に他のどのような、同じ第一種吸血鬼であっても、相手に輸血することはできません。親が隠していた第一種吸血鬼であることを献血に行って初めて気付く、というのは最近でも聞く話ですね。」


 反応を待つように一拍間が空いたが、反応する者は居なかった。壮年の男性、恐らく役所の職員か、噂に聞く吸血鬼管理団体の会員なのだろうが。後者だとすれば心躍る職業というかなんというかなのだが、普通の年を食った教師くらいにしか見えない。


「続いて、第二種吸血鬼。これが残る一割のリアルです。吸血鬼達のミトコンドリア・イヴ、あるいはルーシー。エリザベス・フルシュトは世界保健機関(WHO)で人間と同胞たちのために最も長く活動している吸血鬼として有名ですね。そして、もう二つ。今から十年前、フロリダに突如現れ文字通り街一つを滅ぼした紫髪の吸血鬼。そして、それを拳で撃破した赤髪の吸血鬼。赤髪の方は(ロット)と名乗ってこれ以降はエリザベスとはまた違った方法で吸血鬼のための活動を行っています。とはいえほとんどの第二種は単に血が46%以上であるというだけでこれほどの力を持つのは、吸血鬼全体でも一握りの第二種の中で更に一握り。といったところでしょう。

さて、ちょうどこの事件を契機にして、これまでのなぁなぁだった人間と吸血鬼の関係を見直すこととなり、現在の愛玩生物保護法が成立し……。」


 ついに限界に達した目蓋が、重力に屈していくのを感じる。魂が睡眠という地獄へと落ちていく。落ち着いた抑揚のない声と心地よい気温という拷問に、ついに男の意識が敗北した。

 壮年の男性は教壇の上でまた一人眠りに落ちたのを確認してため息をついた。それを聞いた者は少なくともこの部屋では彼だけであった。


 講義が終わってさっぱりとした頭で男は窓口へと向かい、講義終了の証と以前までの免許。そして諭吉を数人渡してしばし待つ。座り心地の悪い椅子に座りながら呼出番号が呼ばれるのを待った。

「1248番の方。三番窓口へどうぞ。」

 呼ばれるがままに男は窓口へと向かう。どっしりとした受付嬢が鍛え上げられた営業スマイルで弦を迎えてくれた。

「お疲れさまでした。それではこちらをどうぞ。」

 渡されたのは一枚の免許証。住所に登録番号、そして、二つの名前。


 飼主 浦戸 弦(うらと げん)

 吸血鬼 ナハト


「登録内容に間違いはないですか?」

「えぇ、大丈夫です。

ありがとうございました。」

 男、浦戸弦はまだ眠気が残っているような重い足取りで窓口を後にするのであった。




「あ、課長。浦戸から連絡が来まして。予定通り午後から出社するそうです。」

「そうか。あいつも大変だなぁ。」

「浦戸さんなにか用事だったんですか?」

「そうか宮崎は知らないのか。

あいつ吸血鬼を飼っててさ。」

「えぇっ!浦戸さんが?

……その、()()()()()とか?」

「違う違う。なんでも保健所で保護されてたとこを引き取ったんだと。

その免許の更新だとさ。」

「そうなんですか。なんだか意外ですね。

浦戸さんもっと普通の方かと思ってました。」

「ま、人は見かけによらぬものってやつだろ。」

「山口ィ、宮崎ィ。無駄話してないで早く仕事しろよ!」

「はい課長、わかりましたよ。」

「はい、分かりました。」




 午後五時四十五分。定時で会社の外に出ると先程までのいい天気とはうって変わって、勢いの良い雨が降っていた。

「雨かぁ…。」

 まるでその言葉を待っていたかのように携帯が鳴り出す。男が懐から携帯を取り出して開けば、液晶にはナハトの文字、予想通りの相手からの着信だ。

「もしもし?」

『あ、良かった。仕事終わってた?アパートの近くのスーパーマルシアにいるから。』

 吸血鬼は流れる水を渡ることはできない。ナハトの数多い欠点の一つである。

「あぁ、すぐに行くよ。」

 通勤カバンに常備している折りたたみの傘を広げて、荷物になった自転車を押していった。ゲリラ豪雨の中、スニーカーに染み込む雨水に耐えながら進む。男の願いはただ一つであった。

(頼むから、家に着くまで晴れてくれるなよ。)


 スーパーマルシアは男とナハトの住むアパートから徒歩一分の場所にある。道路を一本超えればマルシアに着くのだ。しかし、逆に言うのならばその道路を超えねば、マルシアにもアパートにも辿り着くことは出来ない。一度雨が降れば流れる雨水が壁となって、少女は道路を通ることができなくなってしまうのだ。


 だが、最も難しい問題はゲリラ豪雨によって身動きが取れないことではない。


 スーパーマルシアが男の視界に入る。自転車を引っ張りながら歩いている最中に雨は上がっていて、重苦しい雲が空にたてこめている。

(なんとか間に合ったか。)

 スーパーマルシアの前、自動ドアの横で買い物袋をぶら下げたナハトが立っていた。曇りということで晴れの日用の厚い長手袋はつけていない、手足の出た服装だ。とはいえ、日焼け止めクリームを塗っているので雲越しの日光であれば肌が傷つくことはない。ナハトがこちらに気が付いたのか、空いている方の手を大きく振っている。

 応えるように手を振ろうとして、男は一条の日差しに気が付いた。切れ目から真っ直ぐに伸びる夕陽が、激しく振られる彼女の白い腕に命中する。弦が何かをするよりも早く。


「あっ。」


 こぼれた声はどちらのものだったか。しかし、それはすぐにナハトの叫びに塗り潰され、夕方の閑静な住宅街で甲高い悲鳴が上がった。

 自転車も傘も放り出した弦がすぐさまナハトの側に駆けつける。赤く染まった肌が痛々しい。

「大丈夫…か?」

「大丈夫…な…わけ…ないでしょぉ~。」

 涙目でナハトが縋り付いてくる。彼女を抱き上げてスーパーの軒下に入った。慎重に弦が空を見上げるが、どうやら不運にも分厚い雲にごくごく小さな穴が空いただけのようで、空は元の曇り空に戻っている。

 吸血鬼は日光を浴びると死ぬ。専用の日焼け止めクリームで軽減しているとはいえ、その痛みは激しい。本人曰く、箪笥の角に小指の爪の間を突き刺したような痛みらしい。

 彼女を抱き上げてその背を慰めるように優しく撫でた。男の中で少女は下小さな身体を震わせて健気にその痛みに耐えている。


 そんな二人の元に、一人の男子学生が見慣れた自転車と傘を持ってやってきた。

「あのー…これ。道路の上だと危ないですから。」

「すみません。助かります。」

 ナハトを抱き上げたまま何度も頭を下げてお礼とお詫びを言う弦に、学生は気にしないでくださいとだけ行って自分の傘を広げて歩いて行った。


 アパートに着いて自転車を所定の場所に止めるとサドルに座らせていたナハトを抱き上げる。ここからの乗り物は男自身である。自分の荷物に買い物袋、そしてナハトの三つを抱えながら自分たちの部屋へと向かった。

 自室に戻り、壁際のスイッチを入れると電気がつく。リビングの電灯の下でようやく一息ついた。

「ナハト、大丈夫か?」

「えぇ、もう治ったわ…。まだちょっとヒリヒリするけど。」

 ナハトが言うように、もう左腕に腫れも痕もない。日光は彼女を痛めつけるが、日さえ当たらなければ傷はすぐに治る。

 だが、先程までの痛ましい姿がすぐに弦の頭に浮かんだ。

「一応痛み止め塗っておくか。」

「いいわよ。こんなの大したことじゃないわ。」

「いいから、腕出せって。」

 男が救急箱を持って来ると、大人しくナハトは左腕を伸ばす。もうどこが赤く腫れていたのかも分からないほど、真っ白で華奢な腕だ。とはいえ、念のためにしっかりと痛み止めを塗っていく。


 ――吸血鬼の弱点は多い。日光を浴びると死ぬ。炎に焼かれると死ぬ。ニンニクの匂いで吐く。更に食べると酷いアレルギーを起こす。流水を自分で渡ることができない。中に誰かがいる場合、招かれないと入ることができない。

 また、その吸血鬼の信教によっては十字架や数珠で身動きが取れなくなるし、鏡に映らないというやつもいる。ちなみにナハトは何もしなければ着ている服だけが映る。ちょっとした透明人間、いや吸血鬼だ。


 その分ナハトには強力な能力があるのだが、それは今関係がない。


「……よし、これで大丈夫だろ。」

「全く、心配症なんだから弦ったら…。」

 弦はナハトの膨れた横頬を指でつついた。柔らかく、ふにふにとして、冷たい頬だった。

(温まるまでつついてやろうかな。)

 その考えを読んだかのようにナハトはするりと弦から離れる。そしてとととっと歩くと肩越しに振り返った。

「ほら、何してるの?

身体が冷えてるじゃないシャワー浴びてきなさい。」

「あぁ、分かったよ。」

「その前にその濡れた服をさっさと脱ぐ!」

「はいはい…そうだ、服を洗濯機に入れた後にさ。」

「お米ならもう先に炊いてあるわよ?」

「ホント助かるよ。

冷蔵庫にハンバーグ入ってるから電子レンジで温めといてくれるか?」

「分かったわ。」

 頼りになる同居人に濡れた服を預けて、弦は風呂場へと向かう。

「ちょっと。」

 その背中に声をかけられて男が振り向く。男の胸にふかふかのバスタオルが飛び込んできた。結構な勢いのそれを難なく受け取める。

「ありがと。」

「いいのよ。」

 先程まで降っていた雨と重苦しい雲は何処かに消えていた。いつのまにか太陽は空の片隅へと追いやられている。夜が近い。

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