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吸血鬼がいる日常  作者: ノーマッド
1/27

朝の準備と吸血鬼

ナハト

吸血鬼


浦戸弦

人間

 耳元から不快な電子音が響く。

重い目蓋を開くと、枕元で嫌な音を響かせる目覚まし時計が目に入った。蛍光板は朝六時半を示している。

(八時に出社、準備に十分、移動が二十分…後一時間は…寝てら…)

 再び重くなる目蓋が閉じかけた時。男の耳をリビングから聞こえるテレビの音が打つ。また微かに香る珈琲の匂いが鼻腔を刺激する。頭が急激に冴えていくのを感じた。

 布団から芋虫のように這い出ると分厚い遮光カーテンを開ける。嫌味なくらいに清々しい朝日を浴びて立ち上がり、全身に日光を浴びながら大きく伸びをした。

「今日も頑張りますか。」


 午前六時半。リビングには四脚の低い安っぽい長方形のテーブルがあり、その横に座り心地の良さそうなソファが置いてある。そこに横ばいになって専有しているのは幼い少女であった。夜の闇が染み付いた長い黒い髪は床の上にまで広がり、一度も陽の光を浴びたことのないような肌はシミ一つない純白だ。

 少女は寝室から出てきた男に気が付いたのか。立ち上がってテーブルに乗っていた湯気の出るカップを差し出した。身長は百三十と少し。体重は三十に行くか行かないか。ちょうど小学生の低学年くらいの体格だ。艶やかな黒髪がその肌の上に垂れ下がる。

挿絵(By みてみん)

「はい、珈琲。入れておいたわ。」

「ありがと。ところでさ。」

「何かしら?」

 男は珈琲の入ったカップを受け取ると。一口飲み込んだ。熱々の珈琲が口内を、喉を、焼き尽くしながら胃へと突き進んでいき。眠気ごと飲み込まれていく。残った眠気ごと息を吐き。

 布一つ纏っていない少女に向かって言った。

「服くらい着ろ。」

 少女は、驚いた表情で男を見る。そして自分の体を見て、不思議そうな顔になると男に向かって言う。

「着てる方が――好みだった?」

「関係あるか?その質問。」

「あるわよ。」

 当然のように言う少女に男は頭を痛める。

「……………あぁ、そうだよ。

着てる方が好みだ。」

「じゃ、着てくる。」

 そう言うとさっきまで座っていたソファに少女は戻る。ソファの上にはボタンが止まりっぱなしのワイシャツが置かれており、少女はそのワイシャツをかぶるように着ると、先程までと同じようにソファに寝転んだ。

 男の記憶が確かであれば。あのワイシャツは男がたまに着るスーツ用のワイシャツであり。あの服が入っているクローゼットには、確か彼女のために恥ずかしい思いをして、一緒に買った女児用の服が。そして下着が、入っているはずであった。

『時刻は朝、六時四十分!モーニングスタジオの時間だよ!』

 機嫌良さげにテレビを見ながら足をぶらつかせる少女を見て、男は肩の力が抜けていく。

「……まぁ、いいや。朝飯にしよう。」


 テレビから目を離さない少女に背を向けた。冷蔵庫から食パンを取り出し、両面にバターを塗ってトースターに入れる。焼く前後にバターを塗るのが男の好みであった。垂れたバターで洗い物が面倒だと言われても止められない。コーヒーの入ったカップを適当に置き、ついでにフライパンを温めて油を入れる。二枚ほどハムを置いて塩胡椒をかけ、その上に玉子を落とす。下が軽く焦げた辺りで火を弱める。食器棚から大きめの平皿を取り出すと。トースターからパンが飛び出す。片面に改めてバターを薄く塗って、皿に置くとその上にハムエッグを乗せる。少し半熟の黄身がふるりと揺れた。


 置いておいたカップを手に持つ。少し冷めて飲みやすくなった珈琲と、朝食の乗った皿を持ってリビングに戻る。

 そのまま定位置である、いつの間にか普通に座っていた少女の横に座った。

 少女はちらりと男の朝食を見ると可愛らしい眉をひそめた。

「ちょっと、少しは野菜を取りなさいよ。」

「大丈夫だろ。この前の健康診断も問題なかったし。」

「あるわよ、問題。」

 そう言うと少女は立ち上がって、冷蔵庫へと向かった。冷蔵庫の下段、野菜室からパックの血液を取り出す。ラベルには昨日の日付と時刻が書かれている。

 専用のストローを突き刺して、口に咥えると。中身を押し出すように両手でしっかりと掴んで、吸い込むように飲み出した。

 その光景を横目に眺めながら男は自分の朝食を食べ始める。

 あっという間に最後の一滴までしっかりと吸い出すと、少女は満足そうに血生臭い息を吐いた。真紅の唇から血の付いた鋭い吸血歯が覗く。口の中に残った血の一滴も取り逃がさないように、赤い舌が動き回る。動く度に膨れたりしぼんだりする小さなほっぺた。その姿がまるで見た目相応の少女に見えて、何かの冗談のようであった。

 だが、冗談でも何でもない。眼の前にいる少女はその幼い見かけからは想像もできないほど年を重ねた吸血鬼なのだ。

 たっぷりと味わい尽くし終わった少女は男を指で突き刺す。

「やっぱり、味が濃すぎる!

昨日お昼にラーメン食べたでしょ?」

「食べてないですよ。」

「食べたでしょ。」

「食べてません。」

「食・べ・た・で・し・ょ・?」

「………はい、食べました。でも、ニンニクは入れてないぞ。醤油ラーメンにしたし。」

 半炒飯も我慢した。餃子もだ。

「違う!野菜が足りてないわ!

今日のお昼しっかり食べなさい。いいわね?

最悪でも、野菜ジュースやグリーンスムージーとか……。とにかく、今のままだとしょっぱすぎるの。どうにかしなさい。」

 いい?と念を押す少女に男は肯定の返事をする。それで満足したのか飲み終わったパックを専用のゴミ袋に入れて自分の定位置に戻った。そして男の左腕を掴んで抱き締める。

 男の朝食が終わるまでその腕が返還されることはなかった。


 七時五分前。食器とフライパンを水にさらし、男はユニットバスで手早くシャワーを浴びると仕事用の服に着替える。とはいえスーツではなく、使い古しのチノパンの上に適当に着るだけだ。


 そして仕事用の鞄を持てば準備は終わる。と、少女が男の元へとやってきた。

「ちょっと。」

「あ……あぁ!すまん、今やるよ。」

 手に持った鞄を放り投げ、テレビの下の台から日焼け止めクリームを取り出す。専用の手袋を付けてクリームを手のひらにたっぷりと取る。

 いつの間にかワイシャツを脱いでいた少女の髪が独りでに束ねられていく。背を向けたままの少女が気取った様子で言った。

「さ、丁寧にね?」

「はいはい、お任せあれっと。」


 首筋と手を重点的に塗っていく。市販されている人間用と違い、吸血鬼用の日焼け止めクリームは半日持つものしかない。人間でいうとSPF40+前後くらいのものだ。ちなみに人の肌に使うと刺激が強すぎるため肌荒れする上、長期間使うと健康被害まで出る代物だ。高級なものだと人鬼兼用もあるのだが。日常的に使えるほどの稼ぎはないし、この男は日焼けを気にせず、少女に塗れさえすればいいので買う予定はない。

 首筋と手が終わると次は顔だ。少女の顔に日焼け止めクリームを塗り込んでいく。しっかりと目と口を閉じたその姿はまるで人形のようで、その肌が男の手で捏ね回され自在に変化していくのが面白い。が、いじられているのが分かったのだろうか、少女の眉根が歪んだ。詫びるように指先で軽く押してほぐすと、声をかけた。


「…よし、ちょっと髪しっかり上げといてくれ。」

「はぁい。」

 少女の長い髪が折り曲がって積み上がり、肌に触れないようになる。身体全体にしっかりと日焼け止めクリームを塗る。服の下になる部分だが、きちんと塗っておかないと服越しの日光で低温火傷のような症状が起こるので油断はできない。塗り残しのないように丁寧に塗ってゆく。

 そして、最後の最後に忘れないように耳にも塗って終わりだ。


 手袋を洗い、お湯の入った洗面器に入れる。そして念のために自分の手もしっかりと洗っておく。爪の間、指の股までしっかりと洗って壁にかけたタオルで拭く。

(シャワーの前に済ませとけばよかったな)

 軽い反省をしながら男がユニットバスから出る。

「じゃーん。」

「そっちも着替え終わったか。」

「えぇ、どう?似合っているでしょ?」

 長袖のシャツにロングスカート。足元もしっかりと靴下が履いてある。これなら日が当たる心配はないだろう。男は演技かかった様子で言う。

「今日もお綺麗です、お姫様。」

「でしょう。」

 自慢げに胸を張る。その首元には分厚いなめし革のチョーカーが巻かれている。銀に輝くタグには"Nacht"と印字されている。ドイツ語で夜を意味する彼女の名前だ。

「じゃ、ナハト。また夜にな。」

「えぇ、いってらっしゃい。弦。」


 点けっぱなしのテレビがニュース番組を垂れ流していた。

 『――今年で十年目となりました、吸血鬼を対象にした愛玩生物保護法。これまで人でも動物でもないとされ被差別的存在でもあった吸血鬼ですが、現在では法的に保護され、人の庇護下に置かれることとなっております。このことを記念した式典が現在都内にて行われております。現地には吸血鬼のみで構成されたアイドルグループVMPを始めとした吸血鬼に関係のある著名人が揃い、大変盛況とのことです!尚、VMPの記念ライブは本日午後二時から開催され、ライブの模様はインターネット動画サイトMetubeやスマイル動画でも配信される模様です。それでは現地の――』


 首輪を付けた吸血鬼(ナハト)は微笑みながら言った。

「気を付けてね?」

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