忍務6 伝説のやくそうを追え!
この世界における忍法と忍術には、歴然とした違いがある。忍術とは、魔法と科学の融合技であり、魔力を必要とするものだ。対して、忍法とは、純然たる体力、集中力などを必要とする体術体系の技である。
わかりやすい爆発系で例を挙げるならば、忍術の火炎は爆薬と火炎魔法のミックスだ。対する忍法の火炎とは、木と木を高速ですり合わせ、火種を作り爆薬に引火させる。こうして並べてみれば、忍術のほうが優れているようにも見える。だが、忍法には忍術に無いメリットもある。
魔法の一種である忍術は、魔力の強さがイコール術の強さであり、魔力の低い者が用いても強力な忍術には成り得ない。魔力は生まれた時の素質で総量や性質が決まるので、自然と向き不向きの術ができてしまう。もちろん、伝説の大賢者とかいう連中ならば、全ての忍術を最大威力で発揮できるのだが。
対して忍法とは、体術である。訓練次第で、誰にでもできるようになるのだ。体力にも鍛錬次第で差異は生まれてしまうのだが、魔力の消耗なしで使い続けられるのは大きなメリットといえる。ただし、忍法の習得には大きな障害もある。物理法則という常識を、捨てなければならないのだ。これは困難を極める行為であり、ほとんどの忍者は忍法ではなく忍術を極めていくのである。いずれにしろ、忍者とは険しい修羅の道を歩む者たちなのだ。
エルファン領領主の館の裏口へ、ダクはてくてくと歩いて入って行った。ぐねぐねした道や危険な罠を潜り抜けていく先は、頭目の待つ大部屋である。松明で照らされた木像が、入ってきたダクを険しい目で見下ろしている。
「ほえ。とーもく、ゴンザさま。げにんのダク、ただいまさんじょうしました!」
ダクは部屋の奥、木像の置かれた祭壇にいる頭目へまず頭を下げる。続いて、祭壇の右に立つ禿頭の巨漢、ゴンザにも一礼をした。
「うむ。ご苦労」
正体不明の声で、頭目が声をかける。それから、頭目はゴンザに向かってうなずいた。
「これより、ダクに忍務を言い渡す。しかと聞けい」
漬物石より重い声で、ゴンザが言った。ぴん、と耳を伸ばしてダクは聞き入る。
「東の隣領の森へ赴き、やくそうを取って参れ」
「ほえ、やくそうですか?」
聞き返すダクに、ゴンザはうなずいた。ダクが懐から、ヨモギの葉を出す。ゴンザは、首を横へ振った。
「ただのやくそうではない。伝説のやくそうじゃ」
「ほえ……でんせつのやくそうですか」
ダクは宙を見て、想像する。光輝く、ヨモギの葉を思い浮かべた。
「ヨモギから離れぬか」
ごちん、と軽い拳骨が落とされた。
「い、いたいです」
涙目になって、ダクは頭をさする。
「伝説のやくそうとは、かの地に毎年一本しか生えない、珍しい植物なのだ……」
頭目が、正体不明の声で解説してくれる。ダクは、こくこくうなずいた、
「ほえ。わかりました。どんなかたちをしているんですか?」
質問をするダクに、ゴンザは黙ったままである。頭目に顔を向けたが、頭目も言葉を発しない。
「ほえ、ゴンザさま?」
じーっと、ゴンザを見た。答えの代わりに、飛んできたのは拳骨である。
「それを調べるのも、忍務のうちじゃ馬鹿者!」
「ほええ……わ、わかりました! でんせつのやくそうをとってきます!」
半泣きの表情のダクに、ゴンザは満足そうな顔になった。
「それでよい。期限は一週間じゃ。では行けい、ダク!」
「ほえ!」
床に手をついて、ダクは一礼する。それから、とてとてと部屋を後にした。
部屋に残ったゴンザが、頭目に振り向いた。厳めしい顔つきが崩れ、太い眉毛はハの字を描いている。
「頭目……かの忍務、ダクには少し荷が重いのでは」
そう言ったゴンザの全身を、凄まじい圧力が包む。頭目が立ち上がり、ゴンザを見つめたのだ。
「私の決定に、異存があるのか、ゴンザ?」
「め、滅相もございませぬ! ダクはまだ幼少ゆえ、心細さを覚えてしまったまでのことです!」
禿頭からだらだら汗を流しつつ、ゴンザは言った。ふっと、ゴンザを包む圧力が消える。それだけで、ゴンザは立っていられないほどの脱力感を味わった。膝から崩れ落ちそうになるのを、根性で耐える。
「お前は心配性だな、ゴンザ。だが、案ずるな」
笑みを含んだ声で、頭目は言った。正体不明の声はまるで魔王のようで、安心できる要素は皆無である。それを口にするほど、ゴンザは命知らずではない。
「ダクは強い子だ。お前が思うより、ずっとな」
ククク、と笑う頭目から、暗黒の覇気が流れるのをゴンザは幻視する。
「で、ありましょうか」
額の汗を、ゴンザは布で拭きとった。
「うむ。それではゴンザ、留守は任せる」
「……どちらへ?」
身を翻す頭目に、ゴンザが問いかける。
「……野暮用だ。一週間で戻るゆえ、緊急の連絡以外は無用」
「ははっ!」
頭を下げるゴンザの前で、頭目の姿が消える。
「さて、わしも下忍に修行をつけてやらねばな……」
ひとりきりになって、ゴンザは呟き肩をぐりぐりと回した。地獄の訓練が、今日も始まるのであった。
とてとてと、ダクは歩いていた。ぴいよぴいよと鳥が鳴いている。エルファン領の隣、ゴロンド公爵領にある森である。領主の館から馬車で四日ほどかかるこの地も、ダクにとってはひとっとび、二日で着いた。
「ほえ、ほえ、でんせつのやくそう、でんせつのやくそう……」
きょろきょろと首を動かし、ダクは伝説のやくそうらしきものを探してゆく。だが、見つからない。そもそも、それが何であるのか、わからないのだ。いくら忍者でも、見つけられる道理はない。それでも歩き回るダクの長い耳が、ぴくりと動く。
「ほえ、女の子の、声……?」
か細い、悲鳴のような声が聞こえた。鳥の鳴き声や木の葉の擦れる音の中で、聞き取るのは困難であった。だが、ダクの優れた聴覚は、確かに声を聞いたのだ。
「こっちかな」
森の奥へ、ダクは跳躍した。がさがさと茂みをかきわけて、ずんずんと進む。女の子は、すぐに見つかった。
森の木の下で、その少女は腰を抜かしてへたり込んでしまっていた。少女の頭上には、大蛇が木の幹に巻き付いている。大蛇の口が大きく開き、少女の頭をまさに飲み込もうとする、その瞬間がダクには見えた。
「あぶない!」
間一髪、ダクは少女を抱きかかえて飛びのいた。大蛇の牙が空を切り、ばくんと口が閉じる。そこで、大蛇の動きが止まった。
「だいじょうぶ?」
少女に向き直り、ダクは聞いた。少女は呆然としていたが、はっとなってダクを見つめ、身体を少し離した。
「あ、あれ? 私……生きてる……」
「もうだいじょうぶだよ。けが、してない?」
「は、はい……」
状況を把握しきれていない様子で、少女はきょろきょろとあたりを見回した。栗色の三つ編みが、少女の頭に合わせてひょこひょこ揺れる。気弱そうな、少女だった。
「あの、ジャイアントスネークがそこに……」
木の上を見ながら、少女が言った。
「ほえ。へびならだいじょうぶ。ぼくが、やっつけたから」
にっこりと笑いかけながら言うダクの背後で、大蛇の首が落ちた。ひっ、と少女の咽喉奥から悲鳴が上がる。
「ね? だいじょうぶでしょ?」
そう言ったダクの目の前で、少女の瞳に渦巻きが浮かんだ。
「ほえ? ねえ、しっかり、しっかりして!」
くたり、とその場に崩れ落ちそうになる少女を、ダクが支える。
「だ、ダークエルフ……」
ぐったりとした少女が、絶望的な顔で呟き目を閉じる。その言葉に、ダクの顔が青くなった。
「ほえ、耳をしまいわすれてた!」
ダクは耳をぐにぐにして、人間の耳のサイズに変える。
「ほえ、見て、ぼくはふつうのにんげんだよ!」
てしてしと、少女の頬を軽く叩く。うっすらと目を開けた少女は、ダクの顔を、そして耳を見る。
「あ、あれ? あなた、耳が?」
ぱちぱちと大きな目を瞬かせながら、少女が怪訝な顔をする。ダクは必死に首をぶんぶんと横へ振る。
「何のこと? ぼくは、どこにでもいるふつうのにんげんだよ?」
ぴぴー、とダクは口笛を吹いた。全力の、誤魔化しである。少女はじっとダクを見つめ、ダクの耳をつまんで引っ張る。
「い、いたいよ……」
「ご、ごめんなさい。そうよね。ダークエルフが、こんな所にいるわけないものね……」
自分に言い聞かせるように、少女はうなずいた。それからダクを見つめ、ぺこりと頭を下げる。
「助けてくれて、ありがとうございます。私はエレナ。森の外れの村に住んでる者です」
きちんとしたお礼を言われて、ダクも姿勢を正した。
「ぼくは、ダク。でんせつのやくそうをさがしにきたんだ」
ぺこり、と頭を下げて言う。ダクの言葉に、少女は難しい顔になった。
「伝説のやくそうを……」
「しってるの? エレナさん」
エレナは年上に見えたので、ダクはさんをつけた。ゴンザの教育のたまものであった。
「は、はい。私も、伝説のやくそうを取りに来たんです……」
顔をうつむけて、エレナが言った。
「ほえ? どうしたの、エレナさん?」
ダクが小首をかしげて、うつむいたエレナをのぞきこむ。
「病気の母のために、どうしても伝説のやくそうが必要なんです……」
「それなら、いっしょにとりにいこうよ!」
元気よく言うダクに、エレナは首を振った。
「伝説のやくそうは、毎年一本しか、取れないんです……」
エレナの言葉に、ダクは頭目に言われたことを思い出す。
「いっぽんだけしか、とれない……」
呟いたダクの目の前で、エレナが勢いよく土下座をした。頭目に叱られたときのゴンザもかくや、という動きのキレがあった。
「お願いします! 伝説のやくそうを、私に取らせてください!」
「ほえ……で、でも、ぼくも忍務が……」
「お願いします! なんでもしますから!」
「ほええ……」
難問が、ダクに突き付けられたのであった。