太陽神の落日
心ある者を動かすのは、愛である。友人、恋人、家族。苦難を乗り越えるとき、それは心を強く健やかに保ってくれるものだ。苦境の闇に立たされたとき、挫けそうな心を支えてくれるものだ。平穏安楽な生の中で、じんわりと心を温めてくれるものだ。
人も、魔も、誰かを愛することができる。そして、誰かに愛されることができる。なんと、幸せなことだろうか。
では、神はどうだろうか。超越者は誰かを愛し、愛され、苦難を乗り越え、共に生きることができるのであろうか。多くの神々が人に関わろうとするのは、何のためであるのか。
神ならぬ身としては、答えはわからない。だが、愛は全てにおいて平等である。そう、信じていることはできるのである。
聖王の姿が、溶けるように掻き消える。目の前で消えた敵の姿を、ダクは探さない。気配を読み、背後の空間を蹴りつける。陽光の中から現れた聖王が、その蹴りを両腕をクロスさせて受け止めた。
「何で、僕の攻撃がわかるんだ!」
蹴りの一撃に込められていた魔力と雷を、腕を振って散らしながら聖王が問う。
「ほえ? なんでって……けはいが、まるわかりだよ?」
首を傾げつつ、ダクは雷を纏った鎌鼬を飛ばした。腰のあたりを狙った攻撃に、聖王の腕が下がる。
「ほえ! 忍法かみなりパンチ!」
即座に距離を詰めたダクの右フックが、聖王の顎をわずかにかすめた。聖王はまた姿を消して、ダクの背後に出現する。
「くそっ! 僕に大人しくやられろ!」
両腕を揃えての強烈なハンマーブローを、ダクは身を回して回避する。そのままの動きで、叩きこむのは左足のかかとである。
「ほえ、忍法かみなりまわしげり!」
雷光の閃きをもって放たれた一撃は、聖王の側頭部をしたたかに捉えた。
「おのれ! 灼熱の太陽光線!」
憤怒の表情で上体をぐらつかせる聖王が、全身から光線を放つ。回転を終えて真正面に見据えるダクは、目を大きく見開く。
「ほえ! 忍法、まがんビーム!」
ダクの両眼から黒い魔力の光線が出て、聖王の光線とぶつかり爆発を起こす。
「ば、馬鹿な! なぜ僕の光線が押されるんだ!」
驚愕の声を上げつつ、聖王が飛来するビームに身をよじる。聖王の光線には、スマイルが足りていないのだ。怒りに燃える聖王は、それに気づくことができないでいた。
「た、たかがダークエルフの子供が……どうしてこんなに強いんだ! それに、何でそんなに変わってるんだよ!」
息を切らせた聖王が、ダクを指して叫ぶ。
「ほえ? ぼくは、かわったつもりはないよ? きみのほうこそ、なんだかだいぶかわったよね?」
ダクの言葉に、聖王は腰を引いて拳を弓のように引き絞る。
「僕は、聖王の精神を糧に降臨してるんだ! 好色で、どうしようもない性格だったけど、身体と信仰心は本物だからね! でも、お前は違う!」
聖王の身体がぶれて、一気にダクへ肉薄する。風圧を伴って突きこまれてくる拳を、ダクは紙一重で避ける。
「ほえ! 忍法、いっぽんぜおい!」
勢いのままに投げ捨てられた聖王は、ばんと大地に手を付いてすぐさま立ち上がった。
「お前は! どうして神の力を超えていられるんだ! たかがダークエルフが! チートじゃないか!」
掻き消える聖王の身体を見やり、ダクは気配で迎撃の構えを取る。意表をついて真正面から身体を回転させて放ってくる聖王の浴びせ蹴りを、ダクは片手でいなして受け流す。
「ほえ。ぼくは、ずるっこなんかしていないよ。ぼくがこうしてきみとたたかえるのは……」
浴びせ蹴りで倒れた聖王の両足を、ダクがしっかりと掴んで持ち上げる。
「エルファンさまと、ユラさまのおかげだから! 忍法、ジャイアントスイング!」
「ぐあああああ!」
ぶんぶんとダクに身体を振り回され、遠心力を感じながら聖王は頭の後ろで腕を組む。四回転、五回転と大いに回された後に、岩に向けて放り投げられた。
「馬鹿な……神成る力と、悪魔の力。相反するものが、ひとつになっている、だと……」
砕けた岩を身体からどけて起き上がりながら、聖王が呆然とした声を上げる。
「ほえ。ふたりともなかはわるいけど、なかよしさんだよ」
「禅問答のようなことを……もういい! 小手調べは終わりだ!」
聖王が、中天の太陽に向けて手のひらを掲げる。降り注ぐ陽光が、ひと際強く輝いて聖王に集まってゆく。
「僕の力は、太陽神の力は無限! 太陽のエネルギーは絶対だ! 高温高熱で、お前を焼き尽くす!」
ゆらゆらと陽炎のように、聖王の周囲の空気が揺らめいてゆく。
「ほえ、それなら! りん、ぴょー、とお、しゃ、かい、じん、れつ、ざい、ぜん!」
対峙するダクが、高らかに声を上げて九字印を切る。ダクの右手にはエルファンの雷が、左手にはユラの闇の魔力が、集まりぶつかり合って火花を上げていた。
「太陽神、マッスルサンの全力、思い知れ!」
聖王の全身の筋肉が、眩い光に包まれる。凄まじい力に、聖王の足元が溶けて溶岩の溜まりを形成していた。その力が解放されれば、ダクはおろか戦いを見守っているエルファンや倒れたまま起き上がらないユラにまで危害が及ぶことになる。ダクは集中を高め、必死に術を練った。
「ほえ! 忍法……」
ダクが大地に手を付けて、忍法を発動させる。地面に亀裂が入り、激しく揺れ動く。
「くっ……こ、この程度の地震が、何だというんだ! 太陽の力は、地震なんかには、決して屈したりなんか……」
「天岩戸の術!」
吠えたててなおも力を集めようとする聖王と、そしてダクの身体を包み岩盤が円を描くように隆起した。ダクと聖王のみを閉じ込めたドーム状のアダマンタイトが、黒く鈍い輝きを放つ。光の差さぬ金属の殻に閉じ込められ、聖王の身体から輝きが薄れ始めた。
「な、何……太陽の光を、完全に遮っている、だと……」
狼狽した聖王が、アダマンタイトの内壁に向かい光線を放った。大地を溶かすほどの高温高熱の光線だが、内壁には傷ひとつ付いてはいない。
「ほえ、むだだよ。このかべは、こわれないようにできてるんだ。とびらが、ひらかないかぎりはね」
にっと笑ったダクが、背後の岩を指して言った。
「そんな! 僕の力が……卑怯だぞ!」
聖王の身体からは、もう光はほとんど消えてしまっていた。内壁に向けて、かなりの力を放射してしまったせいである。
「ほえ。ぼくは、にんじゃだから。しゅだんは、えらばなくっていいんだよ」
ほとんど光源の無い内部で、ダクには聖王の姿がしっかりと見えていた。闇を見通すダークエルフの瞳は、光源を必要とはしないのだ。
「ぐふぉおお!」
闇に溶け込むように、ダクが聖王の腹部を蹴りつける。太陽神の加護を失いつつある聖王に、それはよく効いた。苦痛の呻きを上げながら、聖王が闇の中へ拳を放つ。
「ほえ、どこをなぐってるの? ぼくは、こっちだよ」
背後から聞こえる声に、聖王は裏拳を繰り出した。だが拳は空を切り、おまけに片腕を取られて締め上げられる。
「がああああ!」
力づくで振りほどく聖王の動きに合わせ、ダクは腕を解放した。同時に聖王の足を引っかけて、内壁に向けて投げ飛ばす。ゴガン、と音立てて、聖王の身体が壁に激突をした。
黒い半球体の外側では、エルファンが胸元で両手の拳を握りながら立ち尽くしていた。時折、内側から重い何かがぶつかるような音が聞こえてくる。
「ダク……! 私に、力が残っていれば……くっ!」
歯噛みするエルファンの足元で、ユラの身体がもぞもぞと動いた。
「む……あれは、アダマンタイトの術……」
「ようやく目覚めたか、ユラ」
身を起こすユラの側で、エルファンは平静を装った声を出した。
「あの中で、ダクは戦っておるのだな……余のために」
「違う、私のためだ。私の力と、ついでにお前の力を得たダクは、強くなった。だが、相手はあの変態だ。果たして……無事でいてくれるだろうか」
目を細めるユラに訂正を入れながら、エルファンは再び心配そうな顔を半球体へと向ける。
「……愛した男を、信じてやれなくて、どうするのだ」
ユラの落ち着いた声に、エルファンは顔を向ける。ぱんぱんと服に付いた埃を払い、ユラは亜空間からテーブルセットを取り出した。
「のんびりと、茶でも喫して待とうではないか。余とそなたの、大事なダクを」
そう言ってポットからお茶を注ぐユラの手は、震えていた。
「……茶菓子が、必要だな」
エルファンが懐から、羊羹を取り出して皿に盛った。切り分ける必要も無く、羊羹はぱらりと五等分に分かれた。
「ダク……むぐむぐ」
「信じるのだ……もぐもぐ」
羊羹を互いに頬張りながら、紅茶を喫して二人は半球体を見守った。優雅なテーブルの向こうでは、半球体がぐらぐらと揺れている。
「ダクは、必ず勝つ。そして、私の元へと帰ってくる……」
「そうだ。だが、ダクの帰ってくるのは、余の元へ、だ」
がつり、と二人の手が残り一切れとなった羊羹の上でぶつかった。ちらりと、二人の視線が絡み合う。
「……なぜ、六等分にしないのだ? 年長者なのだから、ここは余に譲れば良いと思うのだが」
「……小娘が。お前に譲ってやるものなど、羊羹一切れとて、無い」
「茶は、余がすべて用意したのだ」
「誰も、頼んではいない……!」
がっちりと、二人は組み合って睨み合う。目の前で奪い合っているのは羊羹であるが、その実、二人の中では羊羹の奪い合いでは無い。
「羊羹を用意したのは私だ。私に、譲れ」
「……そうして、ダクまでも譲れと言うのであろう? 腹黒い奴め。そなたの魂胆など、読めておるわ」
互いに譲らず、長い硬直の時間が過ぎた。そんな二人の横で、半球体の入口の岩がごろりと転がる。
「エルファンさま、ユラさま。ぜんぶ、おわりました!」
ずるずると筋骨隆々の大男を引きずって、ダクがやってくる。太陽神は力を失ったのか、急速に太陽が沈み夜が訪れていた。
「おお、ダク! よくぞ私のために!」
「そなた……ダク、なのか?」
「その流れは、もう私がやった」
「余には、初めてなのだ! 少しは年長者の寛容を見せよ!」
ぎゃんぎゃんと言葉を交わす二人の間にある羊羹へ、ダクの視線は動く。
「エルファンさま、ユラさま。なかよくしなくちゃ、ダメですよ」
ぱくり、とダクは一口で、最後の羊羹の一切れを丸呑みにする。
「あ……」
「ダク……」
悲しげな目をする両者に、ダクは慌てて二人に頭を下げる。
「ほ、ほえ! ごめんなさい! でも、ようかんでけんかするのは、よくないとおもいます……」
ダクの言葉にエルファンとユラは顔を見合わせ、ぷっと噴き出した。
「ふふふ……姿形は変わっても、やっぱりダクはダクだの」
「ククク……まったくだ」
二人は言いながら、ダクの身体を一緒に抱きしめる。
「ほ、ほえ?」
二人の抱擁を身に受けながら、ダクは目を白黒させる。
「忍務、ご苦労であった、ダク」
「勤めを果たしたのであれば、まずは褒めるべきだな。よくやった、ダクよ」
長い耳の両側から称賛の声を聞いて、ダクは浅黒い顔を朱に染めた。
「ほ、ほえ! ぼくは、とうぜんのことをしたまでです!」
身を硬直させて言うダクの足元で、聖王の筋肉がもぞりと蠢いた。
「聖王、まだ生きて……!」
声を上げるエルファンの前で、聖王がわずかに顔を上げた。
「もはや、我には一寸の力も残ってはおらぬ……そなたの、勝ちじゃ、エルファン……」
その顔には深い疲労と老いが刻まれていたが、どこか清々しい色があった。
「我はエルフの、忍者の力を得て、思い上がっておったのだ……目が、覚めたわ……そこの、見事な小僧のおかげで、な」
ダクを見つめて微笑む聖王の顔には、もはや強者の驕りは無くなっていた。好々爺然とした、それは穏やかな顔つきだった。
「何を、綺麗に済まそうと思っているのだ?」
だが、エルファンが聖王を見下ろす眼は、どこまでも冷たいものだった。ぎくり、と聖王の全身が強張る。
「わ、我は、もう、何の力も無い老人じゃよ? げほ、げほ……」
「わざとらしく咳などしても、無駄だ。お前が私に下劣な欲望を向けてきたことは、忘れはしない」
斬って捨てるようなエルファンの言葉に、聖王は密かに舌打ちをする。だがそれは、三人の耳の良い者たちにはしっかりと聞こえていた。
「こやつの性根、やはり、滅さねば治らぬようだな」
ユラが言って、右手に魔力を集める。
「わ、我は悪くない! 悪いのは、太陽神だ! あやつが、我を操って……」
「太陽神は、力を貸しただけだと言っていたぞ?」
エルファンが懐から不気味な形状の刃物を取り出し、言った。ぐねぐねと曲がったナイフのようなそれは、突き刺さればかなり痛そうなものだ。
「ほえ……ころしちゃうんですか?」
ダクが子犬のような瞳で、エルファンとユラを交互に見る。そして、聖王をかばうように手を拡げて二人の前に立つ。ぐっ、と息を詰めて、エルファンとユラはダクを見つめた。長い、対峙の時間が過ぎた。
「……お前には、かなわんな」
息を吐いて、エルファンが刃を懐へ仕舞った。その横で、ユラも魔力を手のひらから散らす。ぱっと、花の咲くような笑顔を、ダクと聖王が浮かべる。
「イェソド!」
手を打ち鳴らし、エルファンが名を呼んだ。
「ほいほーい! あたくし、参上よん」
しゅたっと片手を挙げながら、イェソドが姿を現した。驚きに目を見開くユラを捨て置き、エルファンはイェソドに向かって口を開く。
「聖王の身柄は、お前に預ける。殺さぬように、適当に監禁しておけ」
エルファンの命令に、イェソドはこくりとうなずいた。
「いかほどの、年月を?」
イェソドの短い問いに、エルファンは少し考えるそぶりを見せた。
「……一年、だな。それで、充分に事は足りる」
エルファンの答えに、イェソドはにんまりと笑顔を浮かべた。
「かしこまりっすー! んじゃ、一年間よろしくね、聖王ちゃん!」
イェソドが聖王の身体に手をやると、聖王はずぶずぶと地面の中へと沈んでゆく。
「ま、待て! 待ってくれ! もう、改心したから! だから、許して……」
もがく聖王を地面の影の中に引きずり込みながら、イェソドが陽気にチャオ、と挨拶を残して姿を消した。
「やはり……似ている……余の曾爺様の肖像に……」
呟くユラの横で、エルファンはダクに向き直る。
「これで、良いか、ダク?」
問いかけるエルファンに、ダクはこっくりと笑顔でうなずいた。
「ほえ! ありがとうございます!」
元気よく答えるダクの頭を撫でながら、エルファンは王都の方角へ顔を向ける。
「……これから、忙しくなる。お前には、さらに頑張ってもらうからな、ダク」
「ほえ! ぼくにできることなら、なんでもします!」
元気よく答えるダクに、エルファンは不敵な笑みを向ける。
「良い子だ……私のために、何でも、か。ククク……」
不気味な笑い声を上げるエルファンと、傍らで跪くダク。そして、イェソドの消えた地面を見つめるユラと、三者三様の姿を、月の光がほのかに照らす。戦いの終わった大地への、それは天からの慰めのようであった。
これで、この章は終わりとなります。
次回より、最終章が始まります。あともう少しとなりますが、よろしければお付き合いください。




