忍務56 やめるといってもやめられないもの
忍者とは、聖王国の一組織である。彼らの得た情報や利益は、すべて聖王国に帰属するべきである。王国内部には、そんな認識があった。
聖王国の裏の組織であり、国王には絶対の忠誠を誓っている。忍者を知る王国要人は皆、そのように考えていた。
実際のところは、どうなのかはわからない。聖王国国王と、忍者の頭目についての繋がりを知るものは、当人たち以外には誰もいないのだ。
利害の一致があったから、忍者は聖王国に仕えていたのかもしれない。強力な大軍勢を率いていたから、聖王国は忍者を御することが出来ると考えていたのかもしれない。
両者のすれ違いは、忍者と魔王の同盟という一事をもって、決定的なものとなる。滅ぼすべき魔族との同盟など、聖王国にはとても肯られることでは無かった。振り上げられた聖王の拳は、魔王に向けて振り下ろされる。忍者との戦いで徹底的に疲弊した魔王軍には、下される人族の正義の鉄槌を跳ね返す力は、残されていなかった。
人族と魔族。二つの争い合う種族の結末は、すぐそこにまで近づいていたのである。
軍を整え、居並ぶ諸侯の間を煌びやかな軍装の近衛兵たちが通ってゆく。王都は、歓声に沸いていた。聖王ジーンの親征を、讃える民衆の声である。軍勢の先頭を行く、ひと際大きな白馬に乗った武人。彼こそ、聖王国国王、聖王ジーンその人であった。
「聞け、皆の者! 我が臣下である忍者たちが、魔王軍の足止めに成功した。これより我らは、魔王討伐に向かうものである!」
朗々とした、バリトンボイスの声が轟く。今代の聖王は齢六十となっていたが、その声、そして雄姿は年齢を感じさせないものだ。白銀の重鎧を身にまとい、マントをなびかせて巨馬を手綱もなしに御するその姿はまさに偉丈夫、という言葉すら不足に思えてしまう。真っ白な頭髪とあごひげの中に、浮かび上がるように日焼けした顔は精悍そのものである。
聖王の武具は、槍である。槍持ちの近衛が掲げるのは、穂先に四つの刃を付けた重量のある逸品だ。その長さは二メートル半にも及び、馬上より繰り出される一撃は岩をも穿つと言われている。
「偉大なる神よ! 我らの行く手に、光を与えたまえ!」
馬上の聖王が、手を組み合わせて祈りを捧げる。天上より、一筋の光が聖王を照らし出す。この光は鏡を使った演出であったが、熱狂する民衆は拍手喝采の大盛況だった。
聖王を先頭に、王都から続々と騎士たちが出撃をしてゆく。煌びやかな行進は緩やかで、軍列はいつ果てるともなく続いていた。その陰で、動くものがあった。忍者である。
「どういうことだ……戦は、終わったはずではなかったのか」
ひそひそと声を潜め、忍者が言う。
「わからぬ……だが、頭目に報告をせねばならぬな」
もう一人の忍者がそれに答え、群衆と軍勢の間をぬって王都の外へと飛び出していった。
「では、我らは王都の各所へ潜む。手筈通りにな」
群衆の中から、幾人かの影が消えた。群衆や行進する騎士たちはそれに気づくことなく、ただただ熱狂の風が王都には巻き起こっていたのであった。
王国軍が王都を進発した頃、頭目エルファンと魔王ユラは共にまだ戦場の中にいた。広大な平原には戦いの爪痕はもう残ってはおらず、大きな天幕がぽつんとあるだけだ。その中で、頭目とユラはちゃぶ台を囲み、茶をすすっていた。
「ふむ。こちらの茶葉も、中々薫り高いものだな」
湯呑を置いて、ユラが言う。
「エルフの森で育てたものだ。悪くはない出来ではあるが……今年は今一つだな」
正体不明の声で、頭目は茶を評した。
「作物の出来に関しては、忍者でもどうにもならぬものか」
つまらなそうに天井を見上げ、ユラが呟く。
「そうだな。茶の味も、人の心も、ままならぬものだ……だが、それがいい」
頭目は視線を入口へと向けて、言った。天幕の入口は大きく開け放たれており、外の様子が見える。昼日中の平原に、黒い忍者服の集団が駆けまわるのが見えた。
忍者たちはゴンザに追われ、ひたすらに天幕の周囲を駆けていた。人族の下忍たちに混じり、魔族の姿もちらほらと見受けられる。
「人も魔族も、みんなまとめて根性を叩き直してくれる! 走れ、走れい!」
ひゅんひゅんとゴンザの鞭が飛び、先頭を駆ける小さな忍者に当たる。
「ほええ! いたいです!」
鳴き声を上げながらも、ダクは元気溌剌であった。魔界への潜入のための変化の術はすでに解けており、ふくふくしたほっぺにしなやかな手足が、元気よく動く。その様に、頭目とユラは目を細めた。
「……どうやら、こちらでうまくやっているようだな、ダクは」
ユラの言うこちらとは、人族の中で、ということだ。頭目はうなずいた。
「うむ。聡い子であるし、素直だからな。妖魔であることは、我ら忍者の中では何の支障も無いことだ」
走り終えたダクたちが、組体操のような修行をしているのを眺めつつ頭目が言った。
「そなたらの中におれば、ダクは安心して暮らせる。そういうことか?」
ユラの視線が、頭目の顔へと向けられた。
「その通り。だからとっとと一人で魔界へ帰れ、と言いたいところなのだが……」
「余が魔界へ帰るとすれば、それはダクを伴ってのことだ。そなた、ハイエルフであろう。なれば、ダークエルフとは相容れぬ筈」
「ククク……下らぬことだ。魔であれ聖であれ、それは他人の決めた枠の中にすぎぬ。私は、全ての常識の外にある存在。清濁併せ呑む程度のこと、容易くできる」
むむむ、とユラと頭目が睨み合う。その気配を察したダクが、外から二人へ視線を向ける。
「よそ見をするでないわ!」
ごちん、とゴンザの拳骨が落ちた。さすがに気の毒になった二人は、闘争の気配を消してダクに微笑みを投げた。ダクから返ってくるのは、ぎこちない笑顔である。
「……そろそろ、休憩は終わりにするか」
「……そうだな。今は、対策を練らねばならぬ時だ」
ユラはけだるげに顎を腕に乗せて、頭目は頭をちゃぶ台へべたりと付けて、うーんと唸った。忍魔大戦より三日が過ぎた今、ダクの態度がぎこちない。それが、忍者と魔族の頂点同士の会議の議題である。
「手ずから菓子をやろうとしても、近づいてくれぬ」
「私も夢の中へ出てみたのだが、逃げられてしまった」
ずーん、と重い空気が天幕の中に満ちた。ゴンザのお陰でダクの精神は何とか持ち直したものの、トラウマが残ってしまっていたのだ。
「……というか、そなた、また夢を利用してダクに怪しげな振る舞いをしているのか」
「……お前の菓子は、何を混ぜたのだ?」
互いにジト目になって視線を交わすが、深くは追及しない。たどり着く先は闘争以外に無いことは、わかりきっていることなのだ。
「余をこんなにも寂しくさせるなど、ダクは本当に罪深い……」
「まったく……ままならぬ奴め。恨めしい……」
ほう、と重たい息を吐きながら、二人の視線はダクに向けられた。二人とも完全に自業自得なのであるが、そこは気にしていないようだった。組体操が終わり、そのまま修行は組手となっていた。ダクの相手は、ゴンザである。
「そういえば、茶菓子が尽きたな。調達してこさせるか」
腰を上げかける頭目を、ユラが手を挙げて止める。
「それなら、余が魔界から持ってきた『銘菓・カミツキトマト』が……」
背後の空間に亀裂を入れて、ユラがごそごそとやる。そのとき、天幕の前に一人の忍者が跪いた。
「報告を、申し上げます!」
「頭目は現在、取り込み中じゃ……ぶべら!」
天幕へ首を向けて怒鳴ろうとしたゴンザの顎に、ダクのいい感じの一撃が入った。ぐらり、と傾いだゴンザの口から、低い唸りが聞こえてくる。
「ダークー!」
「ほええ? ご、ごめんなさい!」
怒りのため大タコと化したゴンザが、悲鳴を上げて逃げるダクを追い回す。
「構わぬ、申せ」
背後の惨劇を振り返り、困った顔をする忍者に頭目は向き直る。
「は、はっ! 王都より、聖王ジーン自らが出陣、こちらへ向かっておりまする! 王都には王国各地より諸侯の軍勢が集められており、その数、およそ十万に達するかと!」
上げられる報告に、ユラが眉を不審に寄せる。
「どういうことだ、頭目よ。余にはもう、争う気など無い。それゆえ、そなたと同盟をしたのだ。人間の王は、何故軍を率いてここへ来るのだ?」
ユラの顔にあるのは、焦りや恐怖ではない。純粋な、怒りである。
「心を鎮めよ、ユラ。ダクが怖がる」
頭目に言われ、ユラははっとなってダクを見る。ゴンザの鞭で縛られ、拳骨を食らっていた。
「ふむ。落ち着いた」
ユラの全身から、怒りが消える。まるで精神安定剤のような扱いであったが、当の本人にはわからない。ゴンザのお仕置きに、ほえほえと悲鳴を上げるのみだった。
「どうやら、聖王などと祀り上げられるうちに、人間は随分と傲慢になったようだな……ジーンの小僧め、私の送った親書を読みながらの行動か……」
呟きながら、今度は頭目が不機嫌オーラを醸し出す。
「そなたも落ち着け。人間なんぞ下らぬモノのために、ダクにいらぬ感情を与えるな」
ユラの指摘に、頭目ははっとなってダクを見やる。ゴンザの鞭に丸太をかませて脱出したダクが、飛び膝蹴りをゴンザに決めていた。
「ふむ……成長したな、ダクめ」
微笑ましい気持ちになり、頭目の心のざわめきは消える。
「ともあれ、これからどうするか……」
頭目とユラはちゃぶ台へ肘をつき、考え込んだ。
「……やはり、王国とは袂を分かちまするか」
問いかけるのは、報告を終えた忍者である。頭目はきょとん、として忍者を見返す。
「それは、当たり前だ。魔族全てを討滅する聖王国とは、相容れぬからな。ダクに危害が及ばぬうちに、聖王国は討ち滅ぼす」
頭目の言葉に、忍者は深く頭を下げて、それから首を傾げた。
「なれば、一体何をお悩みであらせられますか?」
忍者の問いかけに、頭目とユラは顔を見合わせ深く重い息を吐く。
「……お前が気にすることではない。王国にいる下忍たちは、皆撤収させよ」
頭目の指示に忍者はうなずきを一つ残し、姿を消した。
「十万の軍勢に、聖王か……憂さ晴らしにはならぬかも知れぬが、叩き潰すうちに妙案が生まれるやも知れぬ。やるか、頭目よ」
けだるげに、ユラが言った。
「うむ……ここでうだうだしていても、仕方無い。思いあがった聖王の一人でも、ひねってやるとするか」
そういうことになり、二人は天幕を出た。その日のうちに各地から忍者が集められ、魔物たちも数を殖やすこととなる。
「それっ! ダクよ、根性を見せよ!」
「ほえ! ゴンザさま!」
背後で汗を流す二人の忍者は、いつまでも元気いっぱいなのであった。




