忍務55 たいようときたかぜ
太古の時代、ハイエルフの集落に偉大な神に近しい力を持つ乙女がいた。彼女はその力を、森の民のために振るい平和な世界を築いていたという。
乙女の恵みを甘受する森の民たちは、彼女を女神とあがめ、奉った。幸福な毎日は、そのまま永遠に続くと誰もが信じて、疑わなかった。
そんなある日、突如として乙女の恵みが消える。乙女は自らが作り出したアダマンタイトの岩塊の中へと入り、恵みの力を絶ったのである。
驚いたハイエルフたちは、理由を探った。乙女には双子の弟がいて、仲はあまりよくなかった。激しい姉弟喧嘩が、閉じこもりの原因だった。ハイエルフたちは激昂して、弟を森の外界へと放逐する。
その後、岩の中に閉じこもった乙女をハイエルフたちはなんとかなだめすかし、楽しい宴会遊びや一発芸などで気を引いて外へと連れ出すことに成功する。
再びもたらされる乙女の恵みを、ハイエルフたちは甘受することができたのであった。なお、放逐された弟はその後、魔王となり世界を破壊してゆくこととなるのであった。
昔、昔の話である。
黒い大岩の前で、ユラと頭目は頭を突き合わせて必死に考えを巡らせていた。岩の前にはちゃぶ台が据えられ、形ばかりの宴席が設けられている。
「……何か、ダクの気を引くことでも言えないか? 古代の知識によれば、宴会が効果的らしい」
じろり、と頭目がユラを見やる。心なしか、正体不明の声には憔悴があった。
「……そなたこそ、忍者であろう。芸人のような芸を持っているのではないのか?」
負けじと、ユラも頭目を見返す。両者とも、組織の頂点に立つ者である。宴会では芸を披露する立場ではなく、される立場だ。一発芸の類など、持ち合わせてはいない。
『ほええええん! ほええええん!』
岩戸の中から、ダクの悲しげな泣き声が響いてくる。
「こんな……こんなはずでは、無かった」
頭目が耳を押さえて、呻いた。
「私の秘術忍法、傾城の術でお前をおびき出し、始末する手はずであったのに……どこに間違いがあった」
頭目の言葉に、ユラの眉が吊り上がる。
「そなた、余に心術をかけたと申すのか? おのれ……汚いな忍者さすがきたない!」
ダン、とちゃぶ台に手をついて、ユラが立ち上がる。向かい合う頭目も、静かに立った。
「今ここでお前を殺せば、変わらぬか」
二人の間に、再び闘争の気配が立ち込める。
『ほええええん! こわいよー!』
立ち込めた気配は、一瞬にして霧散した。
「……どうあれ、今は争っている時ではないな。可愛らしいダクを術の道具に用いたことは、後程詮議する」
「ふむ。ダクは身も心も私のモノだからな。どう使おうと、私の勝手だが……今は捨て置こう」
睨み合いをしながらも、両者はちゃぶ台の前に座る。
「身も心も、か。だが、余はすでにダクとはねんごろになっておる。余の魅惑の術で、ダクはもう骨抜きよ。残念であったな」
にやり、と笑いながらユラが言った。
「魅惑の術……想定はしていたが、どのような術を用いたのだ」
「口移しで余の魔力を、快楽とともに流し込んだのだ」
「口移し……!」
「そう、つまりはキスだ。初々しい反応をみるに、ダクは初めてだったのだろう? ふふふ……」
「何ということを……お前は悪魔か?」
頭目の問いに、ユラは真面目にこくんとうなずいた。
「そうだ。余は、悪魔の王である。そしてダクのファーストキスの相手はそなたでは無い。このユラよ!」
どどん、とユラがどや顔で勝ち誇る。
「ダクよ! 今すぐそこから出て泥水で口を拭うのだ!」
がんがんと岩戸を叩きながら、頭目が叫んだ。
『やだ! とーもくこわい!』
返ってくる半狂乱の叫びに、頭目は打ちひしがれる。満足そうにそれを見下ろしたユラが、こほんと咳ばらいをする。
「それはともかく……頭目よ、忍者とは、空気の無い場所でどれほど生きられる?」
ちゃぶ台にへたり込んだ頭目が、のろのろと顔を上げる。
「……さすがの我らも、空気が無くてはどうにもならぬ。無から有を作り出すなど、私でも難しい。岩の中の空気は……もって一時間、といったところか。泣き叫んで、余分に消費してしまっているからな」
二人は岩戸を見やり、視線を鋭くする。入口を塞ぐ岩はもちろん、外壁もアダマンタイトになっていた。黒光りする最硬の金属には、空気の通る穴は無い。ダクは二人の声を、気配で聞いているのだ。
「ならばなおのこと、急がねばな。このままでは、ダクが窒息してしまう」
ユラの言葉に、頭目がうなずく。
「まずはとにかく、呼びかけるのだ。どれほど心が折れかけようとも、私たちは諦めるわけにはいかない」
うむ、とユラもうなずいて、岩戸に向き直る。
「ダク……話を聞いてくれ。お前の此度の働きも、見事であった」
『ほええええん!』
「ダク、一緒に魔界へ帰ろう。そして、面白おかしく余と暮らそうぞ」
『やだ! ゆらさまこわい!』
がくりとうなだれかけるユラの肩を、頭目が支える。
「ダク、ならばエルファン領に帰ろう。もう、危険な忍務もしなくていい。のんびりと、私と……」
『やだ! とーもくこわい!』
へなへなと腰を落としかける頭目の身体を、ユラが引っ張り上げる。顔を見合わせる二人の間に、友情が芽生えていた。
「ダク、魔界の甘い菓子もあるぞ?」
「ダクよ、夢を思い出すのだ。また二人で、睦み合おう」
「……なんだ、その夢というのは?」
「ククク……ダクと私の、二人の秘密だ」
「そなた……怪しげな術で純真なダクに何を……!」
友情はあっさりと壊れ、ぱっと離れた二人は互いに殺気を向け合う。
『ほええええん! ふたりとも、こわいよー!』
ダクの声に、頭目とユラはさっと顔を青ざめさせ、正気に戻る。慌てて呼びかけを続けること数十分、ついにユラと頭目の心はへし折れた。
「もう、ダメかもしれぬ……」
がくり、とユラが岩戸の前に手をついて、頭を伏せる。
「まだまだ……と、言いたいところだが……私も、もう……」
取り付く島もないダクの態度に、そして浴びせられる恐怖の叫びに、ユラと頭目の心は限界に達していたのだ。
「ダク……お願いだ、せめて、ほんの少しの隙間でも、開けてくれないか……?」
か細い、悲鳴のような正体不明の声を出す。
『やだ! とうもくこわい! ほええええん!』
だが岩戸はびくとも動かず、ついに頭目もべしゃりと地面に額をつけた。
「打つ手……無しか」
虚ろな瞳で、呟いた頭目が、はっと身を起こす。ユラも顔を上げて、服に付いた土を払う。何者かが、この場に近づいている。へこたれてはいるが両者とも組織の頂点に立つ猛者である。即座に、接近する者へと身体を向ける。
「何奴だ」
ユラが、誰何の声を上げる。答えたのは、側にいる頭目だった。
「……ゴンザか」
頭目が名を口にすると同時に、禿頭の大男、ゴンザが姿を現した。八本の鞭を両手に持つ偉丈夫が、頭目の前に跪く。
「遅ればせながら、上忍ゴンザ、ただいま参上いたしました」
口上を述べながら、ゴンザの目はユラのほうを見る。
「……頭目、そちらの女性は、もしや?」
ゴンザの問いに、頭目はけだるげにうなずいた。
「そうだ。そこな小娘こそ、魔王。魔界を統べる、悪魔の王だ」
それを聞いて鞭を構えるゴンザに、頭目が手を挙げて制する。
「待て、ゴンザ。お前の敵う相手ではない。そして……今はそれどころでは無いのだ」
頭目の言葉に、ユラもうなずく。
「そうだ。今は、そなたのような小者を相手にしている暇はない。ダクが、大変なのだ」
小者と言われゴンザは太い眉をぴくりと上げるが、彼もまた強者である。相手の気配から、その力量を測ることはできた。そしてゴンザの耳には、聞き捨てならない名前が聞こえていた。
「ダクが……ダクが、一体どうしたというのでござりますか、頭目?」
「ふむ……あれを見よ」
問いかけるゴンザに、頭目は背後の岩戸を指し示す。
「あれは……天岩戸の術でございますな。見た所、空気穴の竹筒が出ておらぬようですが……まさか!」
ゴンザは、すぐに事情を察したようだった。目を見開くゴンザに向けて、頭目はうなずく。
「そうだ。あの中に、ダクがいる。閉じ籠っていて、呼びかけても出て来ないのだ。そしてもうすぐ、岩戸の中の空気は尽きる……」
ぬう……とゴンザは唸る。
「天岩戸の術は、心術の一種でもありまする。力で無理にこじ開けるのは不可能。となれば、ダクめの心をなんとか開かせねば」
「私とて、手は尽したつもりだ。この魔王と合力してな。だが……」
『ほええええん! とーもくも、ゆらさまもこわい!』
ダクの拒絶の泣き声に、頭目の首ががくりと落ちる。ユラも、気品のある顔に深い悲しみを浮かべていた。
「ご覧の有様なのだ。ゴンザよ。何か、打つ手は無いものか?」
頭目の問いにゴンザは瞑目し、そしてカッと目を開いた。厳めしいゴンザの顔つきに、ユラは少し後ずさる。
「……頭目、全て、このゴンザにお任せいただけますか?」
低い声で、ゴンザが言う。禿頭を真っ赤にしたゴンザの言葉に、頭目はこくりとうなずいた。
「もはや、私ではどうにもならぬ。ゴンザよ、やってくれるか?」
「ははあっ、このゴンザ、一命に換えましても」
言いながら、ゴンザが岩戸の前に進み出る。さっと、頭目とユラはゴンザに場を譲った。前に立ったゴンザは、大きく息を吸い込む。ごくり、と頭目とユラが唾を飲み込む。
「こらあ! ダク! ここを開けぬか!」
ダンダン、とゴンザは岩戸を激しく殴りつけ、怒鳴り声を上げた。
『ほ、ほええ!? ゴンザさま!』
岩戸の中から、ダクの驚く声がした。ゴンザは構わず、岩戸を何度も殴る。その様はまるで、借金の取り立てに来たやくざ者のようであった。
「ゴンザ様、ではない! さっさと開けい! 開けねば、拳骨じゃ!」
過激なゴンザのやり口に、左右から頭目とユラが腕を取って押さえる。
「ゴンザよ、何をしている!」
「そうだ、ダクが怖がるではないか!」
だがゴンザは、身体をぶるりと振って二人を引きはがす。
「ご無礼、容赦されよ。全て、お任せ下さるとのことではありませぬか」
ゴンザの言葉に、頭目がぴたりと動きを止める。食って掛かろうとしていたユラも、ゴンザの醸し出す謎の迫力にたじろいでしまう。その間に、ゴンザは再びガンガンと岩戸を叩き始めた。
「ダク! これより十を数える! その間に出て来なければ、拳骨の数を殖やす! 一秒ごとに、一発ずつじゃ! ゆくぞ! いーち! にーい! さー……」
右手を挙げて数を数えるゴンザの前で、岩戸ががたりと動いた。
『ほえええ! でます、でますから、げんこつはやめてください!』
わずかに開いた岩戸の隙間から、ダクが姿を現した。駆け寄り膝下に跪くダクを、ゴンザは厳しい眼で睥睨する。
「ようやく、出てきたか……この、馬鹿者め!」
ごいん、とゴンザの拳骨が、ダクの脳天に落ちる。
『ほ、ほえ! いたい、です!』
「いつまで気配で喋っておる、ちゃんと自分の口で話さぬか!」
ごいん、ともう一発、重たいのが落ちた。
「ほええ! ごめんなさい!」
謝るダクの頭を、ゴンザが抱きしめる。
「この馬鹿者が……頭目に、心配をかけおって」
ゴンザの太い腕の中で、ダクの身体がびくんと震えた。
「ほ、ほえ……とーもく、かみなり、ほえ……」
泣き声で言って、ダクはゴンザにしがみつく。
「ダクよ……お前はまだ、雷が怖いか」
「ほえ……いたい!」
腕の中でうなずくダクに、ゴンザが器用に拳骨を落とす。
「わしの拳骨よりも、怖いか?」
顔を上げるダクに、ゴンザは握りこぶしを作って見せる。ぎりぎりと握り込まれた拳は、とても痛そうだった。ダクは、ふるふると首を横へ振る。
「ほえ、ゴンザさまのげんこつが、いちばんこわいです」
ダクの答えに、ゴンザは大口を開けて笑った。
「がははは、なればその怖い拳骨で、今一度お前を鍛え直してくれるわ!」
機嫌よく言い放ったゴンザが、ダクを抱いたまま頭目へ向き直る。
「と、いうわけで頭目、しばし、ダクを借り受け申す。魔界にて鈍った根性を、叩き直してやらねばなりませぬからのう」
そう言いながら、ゴンザは頭目の返事も待たずにダクと共に姿を消した。しばらくして、遠くのほうからダクの鳴き声と、ゴンザの怒鳴り声が聞こえてきた。
「……何だったのだ、アレは」
ユラの口から、呆然と言葉が漏れた。
「地震、雷、火事、親父……古来より語り継がれる、四つの根源たる恐怖……なるほど」
同じく呆然としながら、頭目は納得したように呟く。
「アレが、ダクの父親? ダークエルフには見えぬな。どう見ても、タコの化け物だ」
ユラの呟きに、頭目が低く笑った。
「ククク……正確には、育ての親だが……ククク、タコの化け物。魔王に、そう言わしめるとはゴンザも大した男だ」
正体不明の不気味な笑い声を上げる頭目を、ユラは呆れたような目で見つめ続けていた。
「……和睦、するか」
「……そうだな。これ以上、戦いあうのも馬鹿らしい」
ぽそりと呟いたユラの言葉に、頭目が応じる。先ほどまでのダクを巡っての互いの醜態に、もはや闘気は欠片も残ってはいない。
「それに、同じ男を愛する者同士だ。そなたとであれば、仲良くやっていけそうな気がする」
「そうだな。我が元にダクがいれば、もうお前は人族の領域を侵すことはできないだろう」
ユラにうなずきながら、頭目は忍者装束を脱ぎ捨てる。瞬く間に現れた一人のハイエルフ、エルファンが魔王ユラに右手を差し出した。
「これで手打ちだ、ユラ」
ユラはエルファンの手を取り、嫣然と微笑む。
「ああ。それで良いぞ、エルファン」
ほのかな月光の下で、二人の超越者は手を取り合う。それは幻想的な、何とも美しい光景だった。
「こらあ! ダク! 逃げるでない!」
「ほええ! ゴンザさま、もうゆるしてください!」
広大な草原を駆けまわる風を、エルファンとユラは目を細めて眺めたのであった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
魔界編はここまでで、次話より新章へと入ります。
エンディングまでもう少し続きますが、どうぞお付き合いください。
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