忍務54 忍魔大戦・決戦、魔王と頭目
千日手、という現象がある。勝負事の世界で互いの実力が伯仲するとき、よく見られるものだ。互いに攻め手を欠いて、状況が全く動かない局面を指す。
忍魔大戦における魔王と頭目の戦いも、序盤は互いに譲らず、謎の大爆発以降は千日手になった。ただし、彼女らは戦場で暢気にボードゲームに興じていたわけではない。不確定要素の多い戦場で、睨み合い、牽制し合っていたのだ。ルールの存在しない命のやり取りの中、魔術と忍術の織り成す千日手はいつ破られるかわからない緊張をもって、続けれられていた。
生半可な介入では、両者の間の千日手を崩すことなどできはしない。互いに下忍や魔物の奇襲を受けるも、難なくこれを撃退し対峙を続けているのだ。果てしない睨み合いの均衡を、破る者は現れるのか。答えを知ることのできる者は、この戦場には、まだいない。
黄昏に染まる草原の戦場を、小さな影が疾走してゆく。あちこちに倒れ伏しているのは、忍者であったり、魔族であったりする。彼らの姿を見やりつつ、ダクは進むべき道を知る。
疲労に、あるいは負傷に動けなくなった彼らが視線を向けるのは、ただ一点。戦場の中心で、いまだ強大でありつづける魔王ユラの魔力と、頭目の気配だ。
傷つき、倒れる同胞たちを背中に、ダクは頂点同士のぶつかり合う場所へ向けて、ひたすらに足を動かした。頭目と、ユラ。大切な存在である、ふたりの姿を思い浮かべながら。
空中で、傲然と胸を張って魔王ユラは片手を前方にかざす。その先には、小柄でありながら強大な、そして正体不明のオーラを纏う忍者服、頭目の姿がある。
「炎の散弾!」
ユラの手から、幾つもの小さな火球が頭目へ放たれる。小指の爪ほどの大きさの、百を超える数の火球は壁となり、頭目へ襲い掛かる。
「忍術、疾風壁の術!」
対する頭目が、火球に向かって腕を振る。生じた空気の塊が、火球を吹き散らす。
「忍法、鎌鼬!」
続けて頭目が、真空の刃をユラに向けて放った。見えない刃に向けて、ユラはもう一方の手を突き出す。
「ガラスの盾!」
ユラの前方で、透明の盾が魔力によって生み出される。鎌鼬がその盾に触れると、鋭い破片を撒き散らしながら盾は砕ける。鎌鼬のすぐ後ろを飛行していた頭目に、幾つもの破片が突き立った。ガラスの盾は防御の魔術でありながら、同時に攻撃の魔術でもあるのだ。
破片を受けた頭目の姿が揺らぎ、消える。影を用いた、分身の術だ。掻き消えた頭目の姿は、ユラの背後に現れる。
「シャドウスピア!」
振り向きもせず、ユラが己の影を槍に変えて背後の空間を抉った。抉られた頭目の姿が、とろりと溶けて消える。それもまた、影分身だ。本体はユラから距離を置いて、腕組みをして浮かんでいた。
「ククク……なかなか、やるようだな、魔族の小娘が」
正体不明の笑い声とともに、頭目が言った。
「フフ……そなたも、少しは使えるようだ。人族風情が」
ユラも応じるように、笑う。
二人のぶつかり合いは、全て牽制である。だが、その一撃一撃には必殺の威力がこもっており、少しでも気を抜けばどちらかが命を落とす。そんなやり取りであった。
「さて、日も暮れてきた。そろそろ、本気を出すとしようか」
ユラがにやりと笑い、両手に魔力を集中する。何百回と牽制を繰り返してきたユラが、初めて見せる構えだった。
「ほう、その魔力の流れ……古代魔術を用いるか」
興味深そうに、頭目が声を上げる。その指摘に、ユラの表情が固いものになった。
「三代前の魔王の技を知るとは……そなた、かなりの歳だな?」
「ぬかせ、小娘。少なくとも、お前よりは長く生きているだけのことだ」
言いながら、頭目も右手を前に、左手を腰のあたりに据えた構えを取る。それを見たユラが、鼻を鳴らした。
「はん、余と同じ構え……だが、古代魔術は魔族の秘術。そうそう、真似のできるものではないぞ?」
ユラの右手が閃き、空中に魔術の紋様を描く。頭目の手も、同じように動いた。
「随分と余裕のようだが……忍術には、それを可能にする奥義もあるのだ。身をもって、知るが良い」
空中で手を動かす両者の前で、大気が震える。先に術を完成させたのは、ユラだった。
「くらえ! 古代魔術・土!」
ユラの右手の手のひらが、上に向けられる。詠唱とともに頭目の下で大地が割れて、巨大な土の腕が隆起した。伸びて来る大質量の土へ、頭目が手のひらを向ける。
「忍術、鏡写し!」
頭目が気合を入れると、隆起していた腕が真っ二つに割れる。ユラは驚愕に目を見開くが、次の術を発動させた。
「古代魔術・水!」
隆起していた土の腕を伝い、鉄砲水が頭目へ向けて射出される。
「無駄だ。忍術、鏡写し!」
鉄砲水は頭目に届くことなく、空中で別の水にぶつかり消える。
「くっ……だが! 古代魔術・火!」
ユラの右手から、炎の渦が頭目へ放たれる。
「まだ、わからぬか? 忍術、鏡写し!」
頭目の手から、同じく炎の渦が放たれユラの放った炎とぶつかり対消滅を起こす。
「土、水、火の理をもって、極大魔術と化す! これは耐えきれまい、古代魔術・風!」
ユラの全身から凄まじい魔力が放出され、暴風の塊が竜巻となって頭目に襲い掛かる。古代魔術とは、一定の順番で属性魔法を放つことにより威力を増すという法則を用いたものだ。四大属性でこれを用いれば、最後の術は国を滅するほどの災禍となる。
「だが、私には通じない。忍術、鏡写し!」
同じく頭目の全身から、竜巻が生じた。暴風が二人の中央でぶつかり合い、豪風となって周囲に広がる。巻き上げられた砂埃に、両者の姿が包まれて見えなくなった。
数秒ののち、砂埃が晴れる。風のぶつかり合っていた空間に、ユラと頭目の姿はあった。頭目は足を高く掲げた上段蹴りの姿勢で、動きを止めている。その足先のほんのわずかな先に、ユラの首があった。
「大したものだな」
頭目が足を引いて、後ろへ下がる。ユラは頭目の足のあった空間を払うように、右手を振った。
「そなたも、大したものだ。ガラスの盾を見破り、足を止めるとはな。それに、古代魔術を破った手並み、見事である」
ユラの言葉に、頭目は鼻を鳴らす。
「ふん、あのような術、仕組みを知っていればどうということは無い。もっとも、三代前の魔王よりは威力があった。お前は、どうやらこれまでの魔王とは違うようだ」
言いながら、頭目は覆面の端の布へ手をかけた。
「どうやら、時間もあまり無い。本気でやるしかないようだ」
しゅるしゅると、頭目は覆面を解きながら言う。ただならぬ気配に、ユラも全身に魔力を集め、昂らせてゆく。
「夜はまだまだ長い……とはいえ、そなたの本気だ。余もそれなりに応えねばなるまい……」
ユラの頭部の角が、みしみしと音立てて軋む。角の軋みに合わせて、ユラの身体から膨大な魔力が膨れあがる。
「悪魔を統べる者……真の姿を現す、か。やれやれ、少し骨が折れそうだな」
呟く頭目の覆面が解け、美しいエルフの素顔が現れる。頭目の身体の各部で、ばきばきと骨の折れるような音が鳴った。
「エルフ……か。たかがエルフごときが、余の真の姿の前に立つとはな……」
ユラの少女の声が、低いものに変わってゆく。身体から噴き出た魔力が形を持ち、見上げんばかりの大悪魔の姿へと変化した。
「ただのエルフと、思うなよ……?」
頭目の姿は、小柄な忍者のそれから長くしなやかな手足を持つ、長身の姿へと変わる。誰あろうそれは、エルファン領領主、エルフの女王でもあるエルファンその人であった。
「雷よ……」
エルファンが、その美しい唇で言葉を紡ぐ。たちまちにエルファンの肉体が白く輝き、その身は神々しい雷を纏った。
「ほう……雷を使う、か」
興味深く呟くユラの姿は、全身から禍々しい魔力と憎悪、そして狂気をもたらすものへと変貌していた。ぞろり、とエルファンをねめつける瞳は、六つ。青黒い肌には、黒い紋様が刻まれている。魔族の象徴である角は巨大で、夜の闇よりなお黒い漆黒の艶やかなものだ。
「雷、とは、古代エルフの言葉、神成る存在。それを操るということは、すなわち神に近しい者、ということだ。申し遅れたな。我が名は、エルファン。神の力に最も近い、ハイエルフだ」
大悪魔を前に、エルファンは不敵に笑う。その身は神々しい雷を纏い、白く輝いていた。
闇を纏う大悪魔と、光を纏うハイエルフの戦いが、始まろうとしていた。それは、神と悪魔の決戦に他ならない。神話の時代の戦いが、この地上で行われるのだ。それは、何万年ぶりともいえる対戦であった。
「このような姿、ダクには見せられぬ。疾く早く、そなたを葬ってくれようぞ……」
「それはこちらのセリフだ。闇の森を討ち滅ぼしたこの姿、ダクに見せればどうなるか……とっとと、片付けさせて……ん?」
対峙する神と悪魔は、同時に地上を見た。小さな、小さな影が、そこに立っている。
『ほ、ほえ……』
影は、情けない声で鳴いた。
「ダク!」
「ダク!」
神と悪魔の口から、同時にその名が叫ばれる。強大なふたつの気配に、ダクはまん丸に目を見開いた。
『え、えるふぁんさま……ユラ、さま……』
かたかたと全身を震わせながら、ダクが呆然と口を開いた。
「だ、ダク、その、違う! これは、この姿は……」
ユラが、慌てたようにダクに手を伸ばした。大悪魔の手は巨大で恐ろしく、手のひらには意味ありげで邪悪な目玉もついている。びくり、とダクは耳を揺らして恐れた。
「何をやっている! ダク、この怖い悪魔は、私がすぐに……」
ばちん、とエルファンがユラに向けて、雷を放つ。それを見たダクが、背筋をびくんと震わせた。
「愚か者! ダクは、雷が怖いのだ! そなたこそ何を……」
『アッー!』
声成らぬ声を上げて、ダクは二人に背を向ける。そのまま、周囲の土を掘り返し瞬く間に小さな姿を土中へと消した。
「ま、待て、ダク!」
「そうだ、待て!」
神と悪魔は慌てて、地上へ降りた。
『ほえええ! かみなりこわい! ゆらさまこわい!』
追いすがる気配にダクは叫び、聞いた両者はぎくりと全身を止める。その間に、ダクの掘った穴の入口には大きな岩がずしんと置かれた。
「な、何っ!」
ユラが声を上げて、岩に触れる。大悪魔の力をもってしても、動かすことのできないほどの重さであった。
「くっ、ダクのやつめ……天岩戸の術を使うとは……」
呻いたエルファンが、ばきばきと音を鳴らして全身を縮め、覆面を顔に巻き付ける。瞬く間に、その姿は元の頭目へと戻った。
「何だ、その術は!」
六つの目を剥いて食って掛かるユラへ、頭目は片手を出して制した。
「まずは、その姿を何とかしろ。ダクが怖がっているだろうが」
苛立ったような正体不明の声に、ユラは大人しく変身を解いた。魔力が空中へ霧散して、元の気品ある少女の姿になる。
「天岩戸の術……天岩戸とは、古代エルフ語のアダマンタイトの訛ったものだ。地上最高の硬度を持つ金属にて身を守る、土属性の忍術なのだが」
こんこん、と頭目が岩を叩く。大悪魔の力でも壊れなかったそれは、頑丈そうな佇まいであった。
『ほええええん!』
岩の中から、ダクの泣き声が聞こえてくる。
「無意識に、使ってしまったらしいな。こうなると、外部からの干渉は一切不能だ」
頭目の言葉に、ユラは岩に目をやって息を吐いた。
「となると……放っておくしか、ないのか?」
ユラの問いに、頭目は首を横へ振る。
「いや、放置すれば、ダクは恐怖でおかしくなってしまうかもしれぬ。それに……今回のことがトラウマになってはまずい。それは私にとっても、お前にとっても、だ」
どういうことか、と首を傾げるユラに、頭目は岩を軽くノックする。
「ダク。出てくるのだ。私だ、頭目だ」
『ほええええん! いやです! かみなりこわい!』
「ほらな」
肩をすくめる頭目に立ち替わり、今度はユラが岩をノックした。
「ダクよ、余だ。ユラだ。出てくるのだ」
できるだけ優しい声を作り、ユラも呼びかける。
『ほええええん! いやです! ゆらさまこわい!』
ダクの返事に、ユラはぴしりと固まった。
「な、何という事だ……だ、ダクに、ダクに嫌われてしまった!」
地に両手をついて絶望の声を上げるユラに、頭目はうなずいた。
「と、いうわけで……早々に、誤解を解かねばまずいことになる。お前との決着にかまけている時ではない」
きっぱりと言う頭目の顔を、ユラが見上げる。
「どうすれば、良いのだ……?」
「できる限り、呼びかけるのだ。我々とダクの、根競べになる……」
厳しい眼で、頭目は岩戸を見つめた。
『ほええええん! とーもくこわい! ゆらさまこわい!』
聞こえてくる言葉に、今度は頭目もぴしりと固まった。
長く、苦しい戦いになりそうだった。




