忍務51 いよいよ始まる、忍魔大戦
かつて魔王を暗殺されて以来、魔族たちは忍者に苦汁をなめさせられてきた。中心となる存在である魔王をを長らく欠いてきた魔族たちの侵攻は、忍者の働きによって陰に打ち払われてきた。
雌伏の時を過ごした彼らにとって、聖王国の忍者とは不倶戴天の敵である。新たな魔王の即位から間もなく、魔族たちは再び大侵攻を企てた。だが、魔族たちの威信をかけた大侵攻は聖王国の忍者によってまたもや失敗に終わる。ここへきてついに、魔王が動き出した。
魔族としては幼年ながらもその魔力は魔王と呼ぶに相応しく、率いる魔族たちも精鋭ぞろいである。威風堂々たる進軍に、聖王国は国王自ら魔王を迎撃することを決意し、王都に軍を集めた。足並みをそろえ、今こそ人類の敵である魔族を討滅せんと彼らは大決戦の決意を固めてたのだ。
だが、その陰で動いたものがあった。聖王国の、忍者たちである。行軍速度に優れる彼らは、王国軍の到着を待たずに魔王軍との衝突を開始する。
忍者と魔族。異形の両者の戦いを、後世の歴史家はこう呼ぶ。忍魔大戦、と。
草原に放った魔物たちが、食事を終えてぞろぞろと戻ってくる。出発したときは十数匹だった魔物が、今では千を超える大軍団になっている。爆発的に殖えた魔物の群れを前に、ダクは驚きで目を丸くした。
『ほえー、たくさんふえますね』
驚くダクの様子に目を細め、魔王ユラはどや顔でうなずく。
「余の闇の波動の影響下にある餌を食べるのだ。このくらいの数には、なってもらわねばな」
ユラの展開している闇の波動の半径は、十キロである。桁外れの魔力によってもたらされるこの結界の中で、緑の草原は黒く色を変える。草や木や、収穫された農作物などに至るまで、あらゆる食物が黒く艶やかに染まっていた。これが、魔物を殖やす餌となるのだ。
『ほえ。ぼくもこれをたべれば、ふえますか?』
真っ黒なリンゴを手にして聞くダクに、ユラは首を横へ振る。
「そなたは殖えぬ。魔物ではなく、妖魔だからな。色々な仕様があるのだが、説明しても理解はできまい?」
ユラの言葉にダクはうなずき、リンゴをしゃくっと齧る。中身までしっかり真っ黒になっていて、黒い果汁がぽたぽたと落ちる。
「美味いか、ダク?」
『ほえ! あまくておいしいです!』
無邪気な笑顔を向けるダクに、ユラはにっこりとして頭を撫でた。この闇の波動によって作られたリンゴは、いわばユラの手料理、といえる。素直な賛辞を受ければ、思わず頬も緩んでしまうというものだ。
ほんわかしている二人の前に、大きな木が歩いてくる。三メートルくらいの高さの木で、幹の中央に人の顔のような模様があった。そして、顔の下から根元までを忍者装束で覆っている。
「こんにちは、魔王様、ダク様」
幹の顔が、無機質な声を出した。根っこをぺたんと地に下ろし、ざわざわと木の葉を揺らす。
「ゲノーバか。魔物の繁殖は、終わったのか?」
ユラが木に声をかける。この大木は普通の植物ではなく、魔族である。トレント族のゲノーバというのが、彼の名前だった。
「はい、終わりました。我々はすぐにでも歩き出すことができます」
ゲノーバの答えに、ユラはうなずく。ダクも合わせて、こくんと首を動かした。
「それでは、進発だ。聖王国の忍者の根拠地、エルファン領まで一気にゆくぞ」
「はい。我々は、進みます。我々はあらゆる障害を乗り越えられるでしょう」
ゲノーバはがさがさと枝を揺らし、背後へと身体を向けた。
「皆さま、急速は、終わりました。行軍を再開します」
よく通る声で、ゲノーバが指示を出す。黒い草原の中から無数の魔物たちが立ち上がり、魔族忍者たちに率いられて列を作る。上空から見ることができれば、それは鋭い矢じりのような陣形をしていた。
「……魔王様、ダク様。空を見てください。何かが、降ってきます。あれは、何ですか?」
ゲノーバの感情の薄い声と共に、枝が空の一点へと向けられる。ぽつり、ぽつりと黒い点が、彼らの上空に現れていた。
「む、あれは……」
『ほえ。たくさんのやですね』
強大な魔力で視力を強化したユラと、遠くまで良く見える目を持つダクが同時に言った。
「マジックシールド!」
ユラが右手を上げて、飛来する黒い矢に向かってかざした。魔物の群れに降り注ごうとしていた矢は、見えない力場によって全て弾かれる。勢いよくぶつかる矢の雨が、がんがんと激しい音を立てた。
「どこかに、敵が潜んでいるのか……? いや、有り得ぬ。余の闇の波動を受けてなお、あれほどの勢いの矢を降らせるなど」
半径十キロ四方に、敵の姿は無い。
『ほえ、ユラさま! またきます!』
ダクの叫びと同時に、再び黒いものが上空から飛来する。
「くっ! マジックシールド!」
再びユラの右手が振り上げられ、飛来したものは弾かれて周囲の地面に落ちた。どすん、と音立てて、ダクのすぐ側にも矢が突き立った。ダクは地面の矢を引き抜いて、よくよく観察してみる。矢の中ほどに、邪悪な笑みを浮かべる小人のようなものが一瞬浮かび、消えた。
『ほえ。せいれいさんです』
ダクの言葉に、ユラは怪訝な顔になった。
「精霊、とな? 余の闇の波動の中では、精霊も力を失うのだが」
『やみのかぜのせいれいさんが、ちからをかしているみたいです』
ダクの言葉に、ユラは驚きの表情になった。
「馬鹿な、人族が、闇の風の精霊を使うだと? エルフどもの秘術か?」
『ほえ。ユラさま、つぎ、きてます!』
さらなる黒点が、上空に飛来していた。ユラは慌てて手を上げて、シールドを張る。いかな強大な魔力を持つ魔王といえど、不意を突かれれば力を充分に発揮できない。そして、シールドに当たって落ちてくるものは、矢ではなかった。
「これは、ボールですか?」
黒く丸いものを拾い上げ、ゲノーバがダクに問う。
『ほえ、いいえ、それはばくだんです』
ダクが言った途端に、黒く丸いものが爆発した。
「マジックシールド!」
ユラがシールドを張り、爆風をいなす。あちこちで起こる爆風に、ユラは風に煽られ、はためくスカートの裾を押さえつける。そうこうしているうちに集中が解けて、闇の波動が消えていた。
「小癪な、真似を……!」
どかん、どかんと起こる爆発に、ユラの声はかき消されてゆく。側を離れたダクと爆心地にいたゲノーバにはシールドが張れず、爆風で吹き飛ばされていくのが視界の端に映った。
「ダク!」
『ほえぇぇぇ……』
遠ざかる愛しい影に手を伸ばすが、すぐにその姿は爆風によって巻き上げられた土煙によって見えなくなってしまう。激しい爆撃の中、聞こえてくる魔族たちの悲鳴にユラは下唇を噛んだのであった。
闇の波動の効果範囲のギリギリ外で、頭目はグッとガッツポーズを取った。十キロ先の草原に、激しい爆発が連続して巻き起こっている。
「第四陣、構え!」
背後の忍者たちが、手にした弓に火矢をつがえ、放つ。
「邪悪な風の精霊よ……我らの矢に加護を!」
頭目が瞑目し、精霊に力のある言葉を告げる。下忍と中忍たちの放つ矢の一本一本を、闇の風の精霊たちが魔王軍の上空へと運んでゆく。
闇の精霊は、邪悪であるが精霊である。別に人族が、使役できない存在ではないのだ。ちなみに、精霊であるが邪悪である、と思っていると使役はできない。細かい心遣いが、精霊の使役には必要なのだ。
満足そうに空を見上げている忍者たちの目の前で、禍々しい闇の波動が不意に消えた。
「ククク……魔王め、よほど驚いたとみえるな、我らの奇襲に……」
広大な面積を持つ闇の波動に包まれていた魔族たちは、まさか自分たちが先制攻撃を受けるとは思ってもみなかったのだろう。風に乗って聞こえてくるのは、悲鳴ばかりであった。
「今こそ、好機。ゆくぞ、ゴンザ!」
「はっ! 魔王の配下は、我々で止めて見せまする! 頭目は、魔王の首を!」
疾風の速さで駆け出した頭目に追随して、ゴンザが意気揚々と叫ぶ。
「任せる。そして、ダクを見つけたら、保護しておくようにな」
「……もしも、ダクが魔族どもに洗脳され、手向かってきた場合には、如何いたしましょうか」
ゴンザの上げる不安そうな声に、頭目は少しの間考える。
「……お前に、任せる」
頭目の短い言葉に、ゴンザがうなずいた。ゴンザは見た目は厳ついタコ入道のような男だが、情は深い。きっと悪いようにはしないだろう、という思惑が、頭目にはあった。何より、ダクはゴンザの愛弟子である。いろんな意味で、ゴンザに任せておくのが上策といえた。
「者ども、風のように駆けよ! 魔王が体勢を立て直すまでのひと時が、我らの勝機だ!」
頭目の正体不明の激励に、続く忍者たちの足はさらに速さを増してゆく。
こうして、忍魔大戦の幕開けは、忍者たちの先制攻撃という魔族にとって意外な形で訪れたのであった。聖王国の北方領内を、中天にさしかかった太陽が照らし出す。暖かな日差しとは裏腹な、忍者と魔族による激しい戦いが、始まった。




