忍務50 動き出す頭目
大きな力には、大きな責任と代償がつきまとう。これは、暴力であれ権力であれ、そして魔法であっても同じく何かを動かす力に通じる節理である。
例えば魔法であれば、代償となるのは精神力であり、責任とは魔法の結果における全ての事象である。大規模破壊魔法で森ひとつを焼き払えば、森の住人たちから恨みを買うのはもちろん己の中にもその罪は残り続ける。
政治家などが権力を振るうには、地盤をしっかりと固めておかなければならない。そのために費やされる年月を代償に、そして民への責任を伴って権力は行使されるのだ。
同様に、森羅万象を体術でねじ伏せる忍者たちにも、責任と代償は常にかかるものだ。どのような異形であれ、その節理からは逃れられない。
大きな力を得たとて、みだりに使ってはならない。力に付随する代償と、そして力を持つ責任をしっかりと見据え、然るべき時に行使すること。そうでなければ、大きな力は持ち手を食い、その身を滅ぼすこととなるだろう。魔族だろうと人族だろうと、そうして滅んでいった者たちは枚挙に暇がないほど存在するのだ。
エルファン領の領主の館、その最奥にある頭目の間にひとつの影が佇んでいた。祭壇の後ろにある巨大な木像が、影を厳めしい眼で見下ろしている。祭壇に座する頭目が、影を見つめて静かに瞑目していた。
「……此度の一件、お前には負担をかけてしまったようだな、イェソドよ」
正体不明の声で、頭目が影に声をかける。忍者服を身に着けた影、上忍イェソドがくるりと身体を一回転させておどけたように礼をする。
「心配してくれて、ありがとうっ! 我は、大丈夫だお」
不定形の声と安定しない語尾で、イェソドが答えた。頭目に対してあまりにも敬意を欠いた態度と言葉であったが、頭目は気にしない。そういう奴なのだ、と解っているからだ。
「魔族どもを人事不省に陥らせた功績、実に見事である」
功を讃える言葉を重ねる頭目に、イェソドは両手を前に出してふりふりした。
「ととととんでもありませんです、はい。私は、ほんのひととき、彼らの魂に安らぎを与えただけで……」
「それが、お前の術であろう。命を奪うことは出来ぬが、強力な技だ」
頭目の言葉に、イェソドはにやりと笑う。影の表面に曲線が浮き出て、顔の横ににやりという文字が浮かんだ。
「よく、御存じで。私の術は等価交換。命を奪うには、命を捧げねばなりませんからなあ」
イェソドの声に、頭目はふんと鼻を鳴らした。
「お前の手の内など、とっくに知り尽くしている。私を、誰だと思っているのだ?」
傲然と言い放つ頭目へ、イェソドが両手で小さく拍手をした。
「やんややんやー。もちろん、我らの頂点、頭目様でさあ!」
あからさまな追従に、頭目は右手を鬱陶しそうに振って制した。
「やめよ。お前に言われても、嬉しくとも何ともない」
「相変わらず、洒落の通じないお方ですこと……そう、私と貴方の出会った、あのときも……」
イェソドが見当違いの方向を見上げ、しっとりとした口調で語り出す。長い、長い物語が、イェソドの口から零れ落ちる……
「どうでも良い。昔のことは」
わけではなかった。頭目の一言で、イェソドの周囲にあった過去への語り口は消滅した。
「んもう、ノリ悪いですよ、頭目!」
握りこぶしを腰の辺りに添えて、イェソドが頭目に向き直る。
「お前の過去など、本当にどうでも良い。暇つぶしにもならぬ。それよりも……いよいよ、動くようだ」
頭目が立ち上がり、歩き出す。
「それは重畳。いよいよ、会えますな。可愛い可愛い、貴方様のダクに」
ぴくり、と頭目の肩が動く。イェソドの横で、頭目の足が止まった。
「お前の、知るべきことではない」
正体不明の声には、ほんの小さな動揺があった。
「つれないことを申されますな。私は頭目の影。影に御心を隠すなど、できはしないのです」
頭目の手が閃き、イェソドの首を引っ掴んだ。
「ご苦労であった。お前は、身体を休めておれ」
ぎりぎりと首を締め上げながら、頭目が言った。
「矛盾してませんか、コレ?」
イェソドは動じない態度で、頭目の手を指差した。
「此度の働きに免じてのことだ。それが無くば、その首をとうの昔に断ち切っておる」
「おお、こわいこわい。頭目様が、そのように感情を剥き出しになされるとはねぇ……今なら、僕の術に簡単にかかってくれそうだ」
「そのような力も、残っておらぬくせに……余計な口を叩かず、休養に入れ、イェソド」
そう言って、頭目はイェソドの首から手を離した。
「ゴンザ! これより領を出て、魔王を迎え撃つ! ダンゴとキャロに、それぞれ中忍と下忍を集めさせるのだ!」
崩れ落ちるようにうずくまるイェソドには一瞥もくれず、頭目は指示を出しながら部屋から姿を消した。
「……まったく、素直じゃないにゃあ」
座り込んだまま両手を後ろについて、イェソドは視線を上に向ける。厳めしい顔つきの木像が、イェソドを見下ろしている。
「まあ、今回はお言葉に甘えまして、高みの見物、させてもらうかの」
じわり、とイェソドの身体の輪郭がぼやけ、空気に溶けるように消えた。ぱちん、と部屋の松明が、静かにひとつ弾けた。
魔王の出陣は、聖王国にいち早く察知されることとなった。隠蔽もされぬままに、強大な魔力と半径十キロにも及ぶ闇の波動が、動き出したのである。これを受けて、聖王国はエルファン領のエルフ騎士団へ出撃要請を出した。王国軍は国王を先頭に王都より北上、真正面から迎え撃つ。エルフ騎士団は遊撃隊として、挟撃する作戦である。
表向きはエルフ騎士団と呼ばれているのだが、要は忍者たちのことだ。領主エルファンが抱える忍者部隊は、あくまで王国の裏に属する者たちなのである。
「頭目、ダンゴ以下中忍、及び領内の全下忍、うち揃いましてございまする」
禿頭の忍者装束の大男、ゴンザが頭目に恭しく膝をつき、頭を下げて報告する。そこは聖王国北方の平原部で、前回の侵攻により魔族の手に堕ちたアブソリュート城のほど近くである。城内には人の気配は無く、魔族の気配も無い。城壁にこびりついたどす黒い染みから、血の臭いが微かに漂ってくるばかりだった。
「ご苦労。それでは、始めるとするか」
頭目の声に、ゴンザは立ち上がる。後ろに控えた多くの忍者もそれに続き、一斉に立ち上がった。緑の平原が、一挙に黒や赤の忍者服で埋め尽くされた。総勢五百の、中忍と下忍たちである。
「国王が来る前に、けりをつける。各々、日ごろの修行の成果を発揮し、存分に働け!」
ざっと草を蹴る音を立てて、頭目が駆け出した。八本の鞭を手に、ゴンザも続く。その後に、中忍と下忍たちも走り始めた。彼らの姿はまるで、平原を吹き渡る黒い疾風のようであった。
忍者の行軍速度は、王国軍のそれを遥かに凌駕している。王国軍が王都で整列をしている間に、忍者たちは戦端を切ってしまったのだ。挟撃作戦を味方の先駆けで台無しにされた王国軍の騎士たちは驚き、怒った。だが、それは頭目の知ったことではない。
頭目は頭目で、別の策があった。それを、国王に邪魔させるわけにはいかない。ゆえに、頭目は急いでいた。
「頭目、魔王軍は野に魔物を放ち、その数を大きく殖やしておるとのこと。我らだけで、討滅しきれましょうか」
走る頭目の背に、ゴンザが不安の声を上げる。
「有象無象ごとき、我らには何程の事も無し。中核たる魔王と側近は、イェソドの術により半減しておる。案ずることは、何も無いぞ、ゴンザ」
「イェソドですか……どうも、奴は好きになれませぬ。なれど、奴の術ならば確実でしょうな」
ゴンザは苦い顔で、影人間の姿を思い浮かべる。それほどでも……ないよ、とか言いながら、思い浮かべた姿がてれてれしていた。
「それにしても、わずかひと月余りでこの動き……ダクの奴めが、うまくやった、ということでしょうかな」
情けなくほえほえと鳴くダクの姿を思い出し、ゴンザは感慨深い顔になった。
「上々の成果だ。ダクは、よくやった」
正体不明の頭目の声も、どこか弾んでいる。恐らく頭目もダクの姿を思い浮かべているのだろう。くくく、と風に乗った含み笑いがゴンザの耳にまで届いてきた。
「魔王が魔界を出てきたこの好機、決して逃しはせぬ! 駆けよ、駆けよ者ども! 山も河も踏み越えて、力を見せるは今ぞ!」
頭目の鼓舞の声に、背後の忍者たちから歓声が上がる。ますます速まる行軍の後を追うように、風がひゅるりと吹き抜けていくのであった。




