忍務49 大侵攻の行く末
戦争において、一騎打ちとは花形であり最も危険な行為でもある。一軍の指揮を担う猛将同士が、刃を引っ提げぶつかり合い、命のやり取りをするのだ。
大将が失われれば、軍はその形を保てず壊走する。これは、人族魔族双方に共通したことだ。ゆえに、戦の大詰めにでもなければ大将同士の一騎打ちなど起こりはしない。大将は有力な武人であることが多いが、同時に替えの効かない駒でもあるのだ。一騎打ちを避けるのは、定石と言って良い。
聖王国国王などはこの定石を逆手に取り、魔族との戦争の際には常に先陣を切る。国王を討たんと出てくる魔族の剛の者を、なで斬りにさばいて魔物の軍勢を崩壊させてゆくのだ。例外とも反則ともいえるこの手段は、敗れたことは一度も無いとされている。聖王国がいまだ大陸の覇権を握り続けているのが、何よりの証左である。
そのような一部例外的化け物などは横に置けば、大将は軍の中核にいて大量の兵士に守られている。尋常な戦のさなかで、大将が孤立してしまうことなどありえないことだと言っても良い。だが、もし一軍を率いて戦をする機会を得たならば、決して油断してはいけない。ありえないことが起きるのもまた、戦なのだから。
もうもうと土煙を上げながら、戦車隊が進軍してゆく。殖やしたケンタウロスに曳かせた、特製の鋼鉄張りの戦車だ。その荷台の上には、巨人族の投擲兵一人と投石のための岩がいくつか乗せられている。巨人砲、と名付けたそれは魔将軍アドルフの野戦における切り札であった。
「敵忍者の集団、およそ五百。まもなく、巨人砲の射程に入ります!」
鳥頭の魔族からの報告に、アドルフは頬を緩めた。
「忍者どもめ、我が戦車隊の威力、とくと味あわせてくれる」
アドルフが指揮杖を振り上げると、戦車上の巨人たちが一斉に投擲の体勢に入った。一糸乱れぬ統率のとれた攻撃態勢に、アドルフは満足そうな視線を巡らせる。
「放てい!」
号令一下、巨人たちの剛腕が岩を投げつける。大地に岩のぶつかる、鈍い音と地響きがあった。
「一投目、着弾! 敵忍者部隊に、混乱が見られます!」
額に手をやって上空からくる魔族の報告を待たず、アドルフは即座に指揮杖を再び上げた。
「第二投、構え!」
巨人たちが再び岩を担ぎ、投射の構えを取る。そこで、忍者たちの陣形に変化があった。
「突っ込んで来るつもりか……だが、距離は充分! 放てい!」
岩を投じた戦車隊へ、アドルフはすかさず次の指示を出す。
「よし、潜り抜けてきた忍者どもを踏みつぶす! 全車両、突撃!」
号令しながら、魔将軍も麾下の魔物の旗本とともに突撃を敢行する。忍者を相手に、一つ所に留まるのは愚策との考えであった。もうもうと土煙を上げる戦車隊の背後から、アドルフは自らの足で走る。魔力で飛行することもできるのだが、弓などで狙い撃ちにされるのは避けたかった。
ケンタウロスの雄叫びと戦車の上げるガラガラという騒音を頼りに、アドルフはひた走る。周囲の魔物も、地を揺らし駆けてゆく。
「これで、終わりだ、忍者ども……」
低く呟き、アドルフは勝利を確信して笑う。もうすぐそこに見えるのは、引きつぶされた無残な忍者の死体のはずだ。逸る気持ちに、自然と足が早まった。
「……おかしいな。目測を、誤ったか?」
ケンタウロスもかくや、という速度で行軍するアドルフが、そんな声を漏らした。土煙の中を駆けているので、距離を見誤ってしまったのだろうか。そんなことを考えていると、アドルフの視界の隅に四角い石柱のようなものが通り過ぎていく。ひとつ、ふたつ、みっつと石柱の側を通り過ぎたアドルフは、足を止めて四つ目の石柱の前に立った。
「これは、何だ……地獄めぐりの一里塚……この先を進む者、決して後には戻れぬ、とな?」
石柱に彫られた文字を、アドルフは読み上げる。顎に手を当てて少しの間考えた彼は、高らかに笑う。
「はっはっは、忍者どもめ、余程追いつめられたとみえる。このような小細工で、我らの足を止めようなどとは笑止千万! 望み通り、地獄を作り上げてやろうではないか。貴様ら、忍者の地獄をな!」
アドルフは闇の波動を展開し、走行を再開する。魔将軍アドルフの使う闇の波動は、半径二キロメートルの空間に人族にとって不利な力場を作り出すという強力なものだ。これがある限り、たとえ視界を遮られようともアドルフに対し忍者たちは有効打を打てないはずだ。
いつまでも晴れない土煙の中を、アドルフは傲然と突き進んでゆく。見据える前方に、やがて門が現れる。石造りの古びた門であるが、ぽっかりと口を開けた怪物のようにも見えた。そして門の先には、土煙とは異質の靄のようなものがたちこめている。
「これは……忍者どもの、拠点か何かか」
立ち止まり、アドルフは追走してくる部下を待った。
「集結せよ、この門より討ち入り、忍者どもの首級を挙げるのだ!」
アドルフの上げる叫びが、辺りに響いていった。それは山彦のように、幾重にも跳ね返ってアドルフの耳に戻ってくる。のだ、のだ、のだ。不思議に反響する自身の声に、アドルフの顔は訝しいものになった。
「これは、どういうことだ……」
とだ、とだ、とだ。聞こえてくる音に、息を呑む。その音まで、反響となって返ってくるのだ。
「やあ! ようこそハローこんにちは! 魔将軍、アドルフさんで合ってるよね?」
ふいに、アドルフの肩がぽんと叩かれた。さっと身を引き振り向く目の前に、立っているのは真っ黒黒なヒト型である。
「貴様、忍者か!」
声を反響させながら、アドルフが腰を落とす。ヒト型の影は、その様子に後ろ頭をかいた。
「あ、エコー設定間違っちゃった。まあ、いいかのぅ」
不定形の、何とも不気味な声色で影は言う。アドルフは指揮杖を捨てて、両手に魔力を溜めて構えた。
「何者だ、貴様!」
重力波の魔法と火球の魔法を同時に放ち、アドルフは問う。重力波が影のいる空間を軋ませ、火球が爆発した。
「ハハッ、演出には、ちょうどいいかもー。ボクは私は某は、上忍イェソド! 君たちの、敵かな? 味方かな? 不正解! どっちでもありませーん!」
聞こえてくる陽気な声に、アドルフは眼を見開いた。アドルフの放った火球は、標的を焼き尽くすまで決して消えない高熱の爆炎である。
「馬鹿な……闇の波動を受けて、我が魔法を受けて……どうして生きている!」
炎がシュンと立ち消えて、影が何事も無かったように姿を見せた。
「どうして生きてる? 何でだろうね? 何で生きてるの? 何のために生きてるの?」
首をこてんと九十度傾けて、イェソドが問いかける。アドルフが口を開く前に、イェソドはけたたましく笑った。
「意味など、無い……」
恐ろしく冷たい声で、イェソドは自ら答える。周囲の気温が一気に零下まで下がった錯覚を覚え、アドルフの総身がぞくりと震える。
「貴様……!」
本能的な恐怖に、アドルフは再び魔法を放つ。今度は、真空波と土の槍だ。四方八方から繰り出される斬撃と刺突を、イェソドは躱しもしない。ばらばらに切り刻まれて、その身体は風に溶けるように消えた。
「てへ、刻まれちゃったぃ」
同時に、イェソドの身体がアドルフのすぐ隣に出現する。
「でも、無意味だねっ!」
イェソドは頭に両手で耳を作って可愛らしいポーズを取ったが、影人間のやることなので不気味なばかりである。
「そ、そんな……魔将軍である私の、魔法が通じない、だと……」
「うん」
呆然と立つアドルフの隣で、イェソドはあっさりとうなずいた。
「悪いけどさぁ、予定、詰まっちゃってんのよ、この後。まあ、意味ないけど。とりあえず、ちゃっちゃと進行しちゃおっか」
おどけた身振りで両手をぶらぶらさせながら、イェソドが軽く言う。
「な、何をするつもりだ!」
ひとっ跳びに後ろへ下がり、アドルフが両手を構える。
「何をする? 聞いてどうするの? おじさんに、理解できるぅ?」
揶揄するような声が、アドルフの耳元に聞こえた。首を向けるアドルフだったが、そちらには誰もいない。不思議な色の、靄があるだけだった。
「意味なんて、無いんだ。なべてすべてのものは、いみなどなし……忍法、無間地獄」
印を組んだイェソドの姿が、ふっと掻き消える。アドルフの目の前の光景が、直後変化を見せた。
真っ白い、何も無い空間。きん、と何かを打ち壊すような音が、耳に届いてくる。アドルフは首を巡らせ、音の正体を探す。二体の影人間が、動いている姿が現れた。
「な、何を、している……」
呟くアドルフの眼前で、玉座に座った影人間の頭にもう一体の影人間がハンマーを打ち付けていた。座った影人間の頭にあるのは、王冠である。それを目にしたアドルフが、震える指を突き付けた。
「そ、それは、魔王様の権力の象徴……デモンクラウン! や、やめろ! それを砕くんじゃあない!」
アドルフが手を伸ばしても、影人間たちは動きを止めない。
「権力の象徴……無意味、だね」
囁くような声が、アドルフに届く。振り向くと一体の影人間が、しょりしょりとリンゴにナイフを当てて動かしている。
「な、何の真似だ……?」
ナイフは刃が無いようで、リンゴの表面をただ滑っていくだけだ。
「意味は、無い」
ぐにゃり、とアドルフの視界が歪み始める。目を閉じたり開いたりして、アドルフは頭を激しく振った。眼前に現れたギターを持った影人間が、それに合わせて激しくヘッドバンキングをする。
「ヘイ! 意味は無いぜベイビー! 愛してるぅ!」
アドルフの視界の中で、影人間たちが浮かんでは、消えてゆく。口々に、意味は無いと言いながら。
「う、うわあああああああ!」
ぐにゃぐにゃと歪んで縮れては渦巻く視界に、アドルフは頭を押さえてうずくまる。固く閉じた瞼の中にまで、影人間は浮かび上がってくる。
「目を閉じても、無意味だよん」
にこやかに告げる影人間の姿に、アドルフは白目になって倒れた。口をぽかりと開けて、だらしなく涎を垂らして痙攣するその姿からは、正気を感じることなどできはしない。
「ぽぺー」
奇声を発するアドルフの両手にピースサインを取らせて、影人間は汗を拭う仕草をした。
「いやあ、良い汗かいただなあ。無意味だけんども」
影人間の上げたその声は、朗らかでありながらも何とも不気味な声であった。
謁見の間でダクとあやとりをして遊ぶユラのもとに、忍者の魔族が静かに姿を現した。
「報告します。魔将軍閣下の軍勢が、壊滅いたしました」
淡々と、衝撃的な事実を告げられてユラの手から糸が零れ落ちる。
「な、なんと……壊滅、だと?」
「はっ。魔将軍アドルフ殿、暴風のヴァルカン殿、爆炎のシティリア殿、他主だった魔族の将らが魔王城の麓にて倒れ伏しておられました。魔物たちは逃散したのか全滅したのか、姿は見当たりませぬ」
「どういうことだ……すぐに、すぐにアドルフを呼べ!」
ユラの下知に、魔族はううむと困ったような唸り声を上げる。
「そ、それが……魔将軍閣下は……」
「怪我でもしているのか?」
「い、いえ、外傷は、一切見当たりませぬ。ですが」
「では、すぐにここへ呼べっ!」
立ち上がって怒鳴るユラに、魔族は短く首肯して姿を消した。
「まったく……どうなっておるのだ。大侵攻を、なぜ取りやめた……」
ぽすん、と玉座に座ったユラが、爪を噛みながら言う。
『ほえ。ユラさま、おちついてください』
気配の声を上げて、ダクが気遣わしげにユラを見やる。その顔からはバッテン印は消えていたが、こちらの声を気に入ったユラにより直接声を出すことは禁じられていたのだ。ユラもバッテン印は出せるのではあるが、ダクの肌が荒れるという理由でそれはしていない。
「魔将軍閣下を、お連れいたしました」
そうこうしているうちに、謁見の間の扉が開く。忍者でない魔将軍が入室するには、重々しい扉を開ける必要があるのだ。忍者だけならば、扉は何故か必要が無かった。
「アドルフ! 此度の大侵攻、一体どのような心づもりで中断したのだ!」
『ほえ……』
玉座の側にダクを置いて、ユラは魔将軍に詰め寄った。両脇から忍者たちに支えられるようにして、魔将軍は立っている。
「ぽへー」
弛緩しきったその顔から、奇妙な声が漏れた。近づいてみると尋常でないその様子に、ユラは一歩後ろへ下がる。
「ア、アドルフ……一体、どうしたのだ」
問いかけに、応えるのは魔将軍ではない。隣で肩を担ぐ二人の忍者が、揃って首を横へ振る。
「発見されたときには、すでにこのような状態でありました。恐らくは、忍術によるものではないかと」
ふるふるとアドルフが両手を挙げて、ピースサインを出す。ぽへー、と奇妙な音が、その咽喉奥からまた聞こえた。
「し、信じて送り出した、アドルフが……ダクよ、この状態に何か心当たりはあるか?」
両手をわななかせて、ユラがぎぎぎと首をダクに向ける。側へ寄り添ったダクが、アドルフの様子をつぶさに観察する。
『ほえ、たぶん、イェソドさんのじゅつにやられたんだとおもいます』
「イェソド? 何者か、そやつは」
『じょうにんイェソドさんは、じごくにんぽうのつかいてです。こころをくだく、こわいにんぽうだとききます』
「地獄、忍法、とな……」
ダクの頭を軽く撫でて、ユラは再び魔将軍に目を戻す。その瞳には、かつてあった知性のカケラも見ることはできない。
「……アドルフ、ご苦労だった。下がってよい」
魔将軍から目をそらし、ユラは右手を力なく振った。うなずいた両脇を支える忍者たちが、ずるずると魔将軍の身体を引きずり退出してゆく。
『ほえ……ユラさま、だいじょうぶですか?』
肩を落とすユラの袖を、ダクはそっと引いた。ユラは身を翻し、ダクの背に腕を回して肩に顔をうずめた。
「余の重臣が……魔界二番手の魔力の持ち主が……あのような、無残な姿に……ア、アドルフは、余の、育ての親でもあったのだ……!」
震えるユラの背に、ダクもそっと手を回す。
『ほえ、ユラさま……』
抱き返したダクの背に、ユラの爪が食い込んだ。
『ほえ、ユラさま、いたい……』
情けない声を上げながらも、ダクはしっかりとユラを抱きしめる。しばらく、そのままでいたユラだったが、やがてダクの肩から顔を上げた。
「こうなれば……余、自ら行くしかあるまい」
決然とした表情で、ユラは言った。
『ほえ、きけんです、ユラさま。ぼくがいきますから、ユラさまは』
「いいや。余が自ら出向き、イェソドとやらを討つ! 魔族の誇りにかけて、許しておけるものか!」
ダクの言葉を遮り、ユラは拳を握りしめて宣言する。それからユラは、ダクの背から腕を離して肩に両手を乗せた。
「無論、そなたも連れてゆく。忍者に抗するには、やはり忍者だ。頼りにしておるぞ、ダクよ」
美しい相貌に凄絶な笑みを浮かべながら、ユラが言った。その瞳には、めらめらと尽きぬ業火が宿っている。ユラの意思は、固かった。
『ほえ。ユラさまのためなら、どこにでもいきます!』
真面目な顔になって、ダクは答えた。ユラの意気が伝染したのか、ダクの瞳もめらめらと燃えていた。
こうして、魔王自らの遠征という歴史的に類を見ない規模の侵攻が、始まったのである。




