忍務48 進軍する魔将軍とお留守番の魔王様
魔族の行軍に、余分な荷物は無い。数匹の核となる魔物を連れて、荒野を駆けてゆく。食料は人族領域で収奪すればよいし、強靭な彼らは丸一日行軍しっぱなしでも問題ないのである。
数百年前までは、ちょっと人族滅ぼしてくる、といった気軽な調子で出かけていたという。聖王国に追いつめられる、その時までは。
魔界という辺境に追いつめられて以来、彼らは変わった。人間の策謀を上回る狡知を、そして風のように速い行軍を、求められるようになったのだ。進軍を察知されれば、冒険者や聖王国軍の待ち伏せに遭ってさんざんに打ち破られてしまう。魔族は強力な個体なのだが、数の暴力というものに思わぬ被害をこうむることは多々あった。
魔族の侵攻は、魔物にとっては略奪と繁殖のまたとない機会である。狭く日の差さぬ岩山に閉じ込められ、満足な食料も与えられぬまま飢える彼らは、侵攻となれば士気を大いに高める。このため、普段は鈍重とみられるオーガ族などもあり得ぬ進軍速度を出すのだ。
風のような行軍と、火の如き略奪が、魔族と魔物の手によって行われる。普段から魔族との国境に全兵力を駐屯させることなどできるはずもなく、人族は堅固な要塞の中寡兵でこれを受けることとなる。緒戦では、魔族が優勢を得ることは当然の理であった。
魔族の奇襲に、どう対応するか。後手に回る人族の、それが本格的な戦いの始まりなのだ。
「魔将軍閣下、ラブリー要塞において勝利をおさめられ、守将クッコロ家の女騎士を捕らえたとのことです!」
謁見の間にもたらされる戦勝報告をつまらなそうに聞くユラの顔を、ダクはじっと見つめていた。
「おお、さすがは魔将軍閣下である。まさかかの名将クッコロ家の女騎士を捕らえるとは」
訳知り顔のポンペインが、ダクの側で感嘆の息を漏らす。
『ほえ、そんなにすごいの?』
口にバッテン印を貼ったまま、ダクがポンペインに問いかける。
「彼女の率いる騎士団は、人族の中でも精鋭ぞろいである。吾輩も、アレには苦汁をなめさせられたものであるが……緒戦の勢いはあれど、魔将軍閣下はやはり強いのである」
すっかり身体に馴染んだ忍者服で腕組みをして、ポンペインはうなずいた。
「アドルフは、どうしておる?」
報告に来た鳥頭の魔族に、ユラが下問する。
「はっ、ラブリー要塞に軍の一部を留め、そのまま南下したよしにございます!」
「結構。大侵攻、というからには、要塞ひとつでは余は満足せぬ。それを、アドルフによく伝えておくのだ」
ははあ、と鳥頭の魔族は深く頭を下げ、謁見の間を後にする。
「……つまらぬ。戦時であるから、ゆるりとダクを愛でることもできぬ。まったく」
ぼやきながら招くユラの手ぶりに、ダクは側へと寄る。
『ほえ。ましょーぐんさまは、ユラさまのためにひっしにたたかっておられます』
なでくりなでくりされながら、ダクは気配で言った。魔将軍からは疎まれているようだが、ダクには他意は無い。どころかすげないユラの扱いに、可哀想に感じるほどである。
「アドルフは、余の後見人ではあるが、少々頭が固くていかん。そなたのように可愛げでもあれば、もう少しまともに会話もしてやるものを」
玉座の肘置きにダクを座らせ、ユラは細い手をダクの腰に回す。
『ほえ、ユラさま』
すりすりと押し付けられる柔らかな頬の感触に、ダクは気配の声を上げた。
「もっと、可愛く鳴くがよい、ダクよ。余の心は、それだけで満たされるのだ」
『ほえー』
情けない声で、ダクは鳴いた。ポンペイン以下、忍者魔族たちは一斉に視線をそらし、謁見の間を出てゆく。彼らには、修行があるのだ。
「それではダク殿、吾輩たちは、これで」
ぞろぞろと出て行くポンペインたちの背中を、ダクはユラにもみくちゃにされながら見送った。
大侵攻が始まって、一週間が経っていた。魔将軍アドルフは殖えた魔物を率い、聖王国の北方最難関と誉れ高い城砦、アブソリュート城の城壁の上に立っている。
「砦が七つ、城が三つか……上々だ。人間どもなど、我らの侵攻の前には手も足も出ぬようだ」
ちょび髭の下の口が、笑みを作る。ばたばたと軍服の袖が、強い風にあおられてはためいた。大侵攻は、順調であった。魔王ユラに言われるまでもなく、アドルフも砦ひとつで満足するつもりは毛頭ない。彼の目的は、聖王国の切り札である、忍者だ。その本拠地であるエルファン領まで攻め入り、頭目の首を討つ。それまで、勝利に浸るつもりなどは無い。
「魔将軍閣下、再び御目通りの叶いましたこと、喜びを申し上げます」
アドルフの傍らに、一人の魔族が跪く。この難攻不落と言われるアブソリュート城に、ひそかに潜入させておいた手の者である。
「カイデールか。よくぞ、私の侵攻まで耐え抜いてくれた。礼を言おう」
深々と一礼するアドルフに、魔族は慌てたように両手を出して制する。
「おやめください。私は、命令を忠実に実行しただけにすぎません。魔将軍閣下が、これほどまでに迅速に進軍してこられることとなるとは思わず、むしろ実行が遅れてしまったほどなのです」
城壁の前には、魔物たちの少なくない死骸が散乱していた。それを見やりつつ、アドルフは口を開く。
「魔物など、いくらでも補充がきく。優秀な部下の帰還を喜ぶのが、私の気持ちなのだ」
アドルフは魔族の両手を握り、涙を流さんばかりに相貌を崩す。
「あちらで、ヨデルとアンポンタンも待っている。彼らにも、無事な姿を見せてやるのだ」
「はい!」
感激の面持ちで、その魔族は駆け去って行った。視線で見送り、アドルフは城外の空を見上げる。
「ゲッベ、忍者どもの動きはどうか」
アドルフの影から、たちまち黒い人の形をした影が現れて跪いた。
「はっ、ただいま、暴風のヴァルカン様と爆炎のシティリア様の両名が、交戦中とのことにございます」
もたらされた報告に、アドルフは眉を歪める。
「……戦況は」
「平野部にてぶつかり合い、一進一退の様相です」
影の報告に、アドルフは身を翻し歩き出す。
「城内の全兵士諸君に告げよ。休憩は終わりだ、これより、救援に向かう!」
ははあ、と影は深く頭を下げて、とろりと空気に溶けるように消えた。
「見つけたぞ、忍者ども……いよいよ、けりをつけてくれる!」
覇気に満ちた、アドルフの雄叫びが無人となった城下町へと響いていった。
風の吹きすさぶ平原に、見目麗しい青年にお姫様抱っこされたおかっぱ頭の少女がいた。聖王国の上忍イェソドの配下、中忍ミツメと下忍のクリスである。ふたりとも忍者服であることを除けば、非常に絵になる光景だった。
「……魔将軍アドルフ、動き始めましたわ」
目を閉じて額を光らせ、千里眼を用いたミツメが言う。
「ようやく、おでましにゃん?」
不定形な言葉が、クリスの足元から聞こえてくる。二人の影に擬態する、上忍イェソドである。
「……イェソド様、どうして誰もいないのに、擬態してるんですか?」
クリスが不思議そうに、聞いた。
「ノリと勢いだぜベイビー! ま、意味なんて無いけどね」
安定しない口調と声音で言って、イェソドはむっくりと身を起こす。全身黒ずくめの、影人間が忍者装束を着ている。真っ黒黒なその姿は、真昼間であることもあってよく目立つ。
「それよりぃ、ミツメぇ、あとぉ、どれくらいで来るのかなぁ?」
気色の悪い喋り方に、ミツメはちょっと顔をしかめる。付き合いのそこそこ長いミツメにも、慣れないことはあるのだ。
「き、気持ちの悪い声、出さないでくださいましっ! もう一時間もすれば、接敵しますわ。先頭は、ケンタウロス。巨人を乗せた戦車を曳いて、やってきますわ」
「せ、戦車に巨人だってえ!? そいつぁびっくりだあ!」
イェソドは棒読みで、驚いた声を上げる。
「どうすれば、よろしいですの?」
一切を気にせず、ミツメはイェソドに問いかけた。イェソドの配下で正気を保つには、コツはひとつ。何があっても気にしないことだ。
「うん。雑魚はみんなに任せようかな。ちょうどいい修行になりそうだし。あ、死んだら魂にこれ以上ないくらいのむごいお仕置きするから、死なないように頑張るんだぴょん!」
頭に両手を当てて、うさ耳を作りながらイェソドは言う。ぶるり、とクリスの腕の中で、ミツメが身を震わせた。
「大丈夫。ミツメちゃんは、ボクが守るから」
「クリス……もう」
いちゃつきはじめる二人の忍者の側で、イェソドは両手を開いてやれやれと首を振る。
「それじゃ、ボクは行くね、ミツメちゃん。お土産期待しててね!」
「クリスの声真似は、やめてくださいましっ!」
あはは、と朗らかに笑いながら、イェソドは駆けだした。凄まじい歩行速度は、置き去りにされた音があとから必死に追いついてゆくほどである。
「さすがだね、ボクたちの上司は」
クリスの言葉に、ミツメはうなずく。
「ええ。頭目に次ぐ実力者なのですから、当然ですわ。でも、クリス……ひとつだけ、お願いしておきますわ」
「なあに、ミツメちゃん?」
「アレに憧れたりは、しないでくださいましね?」
閉じていた目を開いたミツメが、不安そうにクリスを見つめる。
「大丈夫。ボクは、ずっとミツメちゃんの好きなボクでいるから」
「クリス……ふふ」
ピンク色の空気をあたりに撒き散らしながら、クリスとミツメはイェソドの命を伝えに走った。
「青春、してやがんなぁ……」
ぽつりと、誰かの呟きが聞こえた。小さなその声を、風がかき消してゆく。風の音はやがて、軍馬のいななきと魔物の軍勢の地響きによって消えてゆく。
魔将軍アドルフと上忍イェソドの戦いが、始まろうとしていた。




