忍務45 ロウドスの陰謀
魔界において何よりものをいうのは、力の強さである。弱き者は強き者に従う、というのが不文律なのだ。では、その強弱はどのようにして決められるのか。
古来より魔族たちは、決闘においてそれを決めた。もちろん奇襲などの搦め手が得意な魔族もいたが、力の強い者は狡知に頼らずとも強い、というなんともマッチョな風潮がもてはやされているのだ。それゆえに、不意打ちで地位を得た者に対しては一段低く見る、という慣例もあるくらいである。
魔族の決闘に、細かい作法などは無い。挑む者は挑まれた者の条件に従い、戦うのみである。この際に、三日三晩以内に戦いを始めなければならない、という決まり以外は何も無いのだ。
かつて水魔として名を馳せた魔族が、決闘の場所にビブロ火山の火口を指定されて泣きながら蒸発していったという逸話も、存在する。挑戦者はありとあらゆる状況に備え、慎重に相手を選ばなければならないのだ。
この決闘というシステムは、近代の魔界においてはやや衰退している。魔界という狭い領土に追い込まれたために、魔族同士でむやみやたらに殺し合うというのを避けるためだ。数少なくなってしまった魔族たちは、決闘をせずとも何となく相手の魔力を推し量ることで、力の上下を決めるという新たな手段を構築する。
この推量法とでも名付けるべき手段が開発されて以来、魔族同士による決闘はほとんど見られなくなった。これは総数の減った魔族たちには良い改革となったが、反面戦いの腕が鈍ってしまうという事象を引き起こす。いわゆる、平和ボケというやつだ。
今代魔王ユラの性格も相まって、魔族の平和ボケは着々と進んでいる。だが、人族にとってそれは福音たりえることなのだろうか。殺伐とした性格が多少温和になったところで、魔族は魔族である。人族を凌駕する肉体能力、そして魔力は消えて失せたわけではないのだ。
ダクが小姓の制服として忍者服を魔王ユラより下賜された翌日、謁見の間には魔竜のロウドスがぷるぷると跪いていた。
「魔王様におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」
エルダースライムであるロウドスは、その身体の成長に伴って能力を大きく向上させる。魔界へ逃げ帰ってきたころは手のひらサイズだったのだが、今はもう小さな小屋程度にまでその身を膨れ上がらせていた。謁見の間の巨大な扉も彼にはもう狭く、トコロテンのような有様を見せて入室してきたのだ。
「前置きは良い。さっさと用件を申せ」
小柄な忍者ダークエルフ、すなわちダクを足元に傅かせ、ユラは気品ある目を伏せがちにして言った。
「ほえぇー」
ダクが、ユラの足元でひと鳴きする。猫のようなイヌのような、何とも言えない風情であった。それが可愛くてたまらない、といった表情でユラがダクの頭を撫でた。
「魔王様、その、先日現れたダークエルフの小姓についてのお話にございます」
ぷるん、とロウドスは身体をゆらめかせ、真面目な声を出す。ざわり、と壁際に押しやられた魔族たちがざわめいた。ユラの様子を見れば一目瞭然で、ダクはお気に入りの小姓である。そのダクに対して何を言うにせよ、ユラの不興を買うことになるのでは、という不安が一同の顔に重い暗雲を垂れこめさせた。
「ダクが、どうしたと言うのだ、ロウドス?」
眉をぴくりと上げて、ユラが問う。魔族たちの気遣わしげな視線がロウドスに向けられるが、彼は気にも留めずに言葉を紡ぐ。
「そやつは、ただのダークエルフではありませぬ。聖王国より放たれた、刺客の忍者でございます」
「何と! ダークエルフの最後の生き残りが」
「そんな、馬鹿な!」
ロウドスの言葉に、魔族たちは次々に声を上げる。
「静まれ」
ユラの一声で、魔族たちの声は止んだ。彼らの目にあるのは、恐怖と憐憫である。よりによって、ユラのお気に入りの小姓に対し聖王国の手の者、しかも忍者であるなどと言う。これが虚偽や妄想の類であれば、ロウドスの処刑は免れない。真実であれば、あの可愛らしいダークエルフはきっと八つ裂きにされるであろう。どちらへ転んでも、血を見ずにはいられない。静まり返った魔族たちは、そっと嘆息した。
「余の小姓に対して、中々面白いことを申すのだな、ロウドス。確たる証拠あっての言葉か?」
ユラが不機嫌な顔をロウドスに向けて、言った。ロウドスは動じることなく、堂々とぷるぷる身体を震わせてうなずいた。
「無論にございます。まず、私がビブロ火山を失地いたしましたのは、ダクと名乗る聖王国の忍者の手によるもの。その時に用いられた忍者の技、忍術らしきものをそやつはポンペインとの手合わせの際に使っておりました」
急に名を呼ばれ、ポンペインが一歩前に出る。ぶにょり、とロウドスの身体の端が重い鎧に踏みつけられて歪んだ。
「ロウドス殿、それは違いますぞ。吾輩が受けたのは体術。忍術とは別なるものでござれば」
「黙れ、ポンペイン。強い者と戦いたいだけの脳筋に、忍術の何が解る」
ぐっとポンペインは息を呑み込み、下がった。ロウドスの魔力はポンペインのそれを上回っている。魔王軍の中核たる四天王と騎士団長では、いかんともしがたい身分の差があるのだ。
「証拠はまだございます、魔王様。私の盟友、ジブラータンが昨日、何者かによって消滅させられたことはご存知ですな?」
ユラは黙ってうなずき、ロウドスに先を促した。ロウドスは触手を一本伸ばし、ダクを指差す。
「それも全て、こやつの仕業でございます! こやつめが、呪われた忍者の技を用いて……」
「それは違うな、ロウドス」
否定の言葉は、他ならぬユラの口から出た。興奮に細かく震えていたロウドスの動きが、ぴたりと止まる。
「ほう、魔王様は、こやつがジブラータンを葬ったわけではないと確証をお持ちのようでございますが……どのような思惑あってのことでございましょう?」
大きく身体を波打たせ、ロウドスは問いかける。右手を顎に当てながら、ユラは余裕の面持ちである。
「ジブラータンが消滅したのは、昨日の夕刻のことであろう。その時刻に、ダクがジブラータンに忍術を使い、何かをした。そなたは、そう言いたいのであろう?」
「それが事実でございますれば」
ロウドスの答えを、ユラは鼻で笑う。
「はん。見え透いた嘘を言う。ロウドス、そなたはダクが昨日の夕刻、どこで何をしていたか知っているのか?」
「はい、私は確かに、盟友ジブラータンの部屋から出てくるその忍者を見ております」
ロウドスの返答に、ユラは軽く目を閉じ、微笑む。そして間もなく、かっと目を見開いて声を上げた。
「戯けが! 昨日の夕刻、ダクは余の部屋でファッションショーを楽しんでおったのだ!」
びりびりと空気を震わせる、ユラの一喝にロウドスの総身はぷるぷる震える。
「し、しかし、盟友ジブラータンは」
「そなたが食ったのであろう、ロウドスよ」
ユラの指摘に、ロウドスの身体がびくんと跳ねる。
「な、何を証拠にそのような……」
焦りのにじんだロウドスの声に、ユラが返すのは嘲笑である。
「ふふ、簡単なことだ。そなたの身体を見ればわかる。尋常の養分では、そなたがそこまで大きくなるには少なくともひと月はかかる。それにその魔力、随分と増えたようだが……そなたの昨日までの魔力とジブラータンの魔力、ふたつ合わせればそれくらいになるな? これほど、簡単な推理もあるまい」
ユラの言葉に、謁見の間の魔族たちからおお、という声が上がる。
「自分が食っておいて、ダクの仕業に思わせようとしたのであろうが、何とも底の浅い策よの。さすがは、単細胞といったところか、ロウドス?」
「ほえ」
ユラの足元で、ダクもロウドスを睨み付けて鳴いた。
「ははは、さすがは魔王様。そこは御見通しであらせられましたか。いかにも、ジブラータンを食ったのは私、ロウドスでござりまする」
開き直ったのか、ロウドスは笑い声を上げて機嫌よく言う。
「ロ、ロウドス、貴様……!」
魔将軍アドルフが、こめかみに血管を浮き上がらせた。
「黙っておれ、アドルフ」
たちまち、ユラの手からバッテン印が飛んで魔将軍の口に貼りつく。むーむー言いながら、魔将軍は引き下がった。
「強き者が弱きを食らうは、魔界の必定。問題はあるまい。そなたが、ジブラータンの分まで活躍を見せれば良いことだが、ロウドス」
「もちろん、此度の件に関しましては、値千金の働きと自負させていただきまする、魔王様。ジブラータンを消滅させたのは私ですが、そのダークエルフの小僧が聖王国の忍者であるということは、変わりませぬ。忍者の変装を、見破ったという手柄は私の明晰なる頭脳と優れた観察眼によるところが大きく……」
「それくらい、余も解っておる。ダクが、聖王国の忍者であった、ということくらいはな」
ロウドスの言葉を遮り、ユラがとんでもないことを口にする。
「なんと……なんと申されましたか、魔王様?」
聞き返すロウドスに、ユラは面倒くさそうに手を振った。
「ダクが聖王国の忍者であったことくらい、解っておると言ったのだ。だが今は、余の可愛らしい小姓である。ダクを貶めることは、まかりならぬ」
「き、気でも違われたか、魔王様! 聖王国の忍者とは、すなわち先代魔王様の仇にございますぞ!」
くってかかるロウドスを黙殺し、ユラはダクの鼻先に手を伸ばす。ダクは目を細め、その手に頬を擦り付ける。
「この通り、ダクはもう余の虜だ。聖王国の忍者に使われようとも、最後のダークエルフの生き残りであることには変わりない。そして余に害意を持たぬのであれば、先代魔王を暗殺せしめた忍者の能力は、この上ない戦力となる」
「し、しかし、それは擬態であるやも知れぬのですぞ!」
しつこく食い下がるロウドスに、ユラは冷たい視線を向ける。
「余の力を、見くびっておるのか?」
傲然としたその言葉に、ロウドスは押し黙る。
「ロウドス、先ほどそなたは、ダクにあらぬ罪をなすりつけようとしたな。これは、ダクに対しての決闘の申し込みと解釈できる」
ユラは冷笑を向けて、ロウドスに言う。
「決闘……で、ござりますか」
「そうだ。魔界とは、力がすべて。ダクを排したいのであれば、力を示してみせよ。ダクよ、ロウドスからの決闘の申し込みだ。受けてやってくれるか?」
ユラがダクに優しい笑顔を向けて、問いかける。
「ほえ。ユラサマノタメナラ、何デモシマス」
ダクの返答に、ざわついたのは周囲の魔族である。
「ま、魔王様が名を呼ばせるとは……何という寵愛」
「だ、だが、古来の決闘が行われるとすれば、とんでもないことだぞ」
「むー、むー!」
「魔竜のロウドス殿は、四天王の実力者。さらには群魔のジブラータン殿を食らったとあれば……」
「ダク殿、いや聖王国の忍者を、決闘の名目で消してしまうおつもりなのか……?」
ざわめきが静まるまで、今度はユラは待った。待っている間に、ダクの頭を撫で続けていた。
「ロウドス、そなたのセコンドには、魔将軍アドルフを指名する。アドルフ、異存は無いな?」
ユラの言葉に、魔将軍はむーむー言いながらうなずいた。バッテン印を剥がす許可は、まだ下りていない。
「さて、ダクのセコンドであるが……希望者がいないのであれば、余が」
くるりと周囲を見回し、ユラが口にする。ここで言うセコンドというのは、決闘の際にその者の遺体の処理などを引き受けたり、時には助太刀などもする者のことである。本来ならば戦友か同僚が引き受けるものなのだが、魔界へ来て日の浅いダクにはそのどちらもいない。そう目論んでユラは言ったのだが、意外なところから声は上がった。
「それならば、卒爾ながらダク殿のセコンドは、吾輩がお引き受け申そう」
魔界騎士団長、ポンペインが小脇に抱えた兜首の口を大きく開いて言ったのだ。
「ほう、そなた、覚悟は出来ているのか? ダクが負ければ、そなたも無事では済まぬ。セコンドとは、運命共同体のようなものなのだぞ?」
ユラの問いに、ポンペインは器用にうなずく。
「言われずとも、存じております、魔王様。これでも、吾輩は長生きでありますからな。ダク殿とは、拳を交えた戦友にござれば、何も心配は要りませぬ」
胸を張って答えるポンペインに、ユラは少しだけ残念そうな顔を見せる。だが、すぐに気を取り直してうなずいた。
「よかろう。ポンペイン、そなたをダクのセコンドに任ずる。もしダクが勝てば、ダクともどもそなたを新たな四天王にしてやろう」
正体が聖王国の忍者だと聞いても味方をするという、剛毅な態度はユラの心を愉快にさせたのだ。
「身に余る、光栄にござりまする」
ポンペインが膝をついて、頭を両手でユラに差し出した。彼のそれは、最敬礼の形である。
「それでは、思い立ったが吉日という。本日これより、決闘を執り行う。両者、異存はあるか?」
ユラの問いに、ダクは首を横へ振る。ロウドスも、ぷるぷるとして依存の無いことを伝える。
「場所は、魔王城の屋上にある決闘場だ。それでよいか、ダク?」
「ほえ。魔王様ノ、仰セノママニ」
かしこまったダクが、跪いてユラに首肯する。挑戦者たるロウドスには拒否権は無いので、これで決まりであった。
「ダク殿、吾輩が直接戦えぬのは残念至極ですが、共に頑張りましょうぞ!」
にこやかな兜首を向けて言うポンペインに、ダクはうなずいた。
「ほえ、魔王様ノタメ、勝ツヨ」
ダクの言葉に、ポンペインはわずかな違和感を覚える。だが、ダクとの付き合いが浅いため、ポンペインに違和感の正体、ダクが漢字を使って喋っているということは解らないのであった。
「ダクよ、屋上へ行くぞ! 余に、付いて来い!」
勢いよく走り出すユラの後について、ダクも走り出す。その後ろにポンペイン、魔将軍と続き最後尾にトコロテン状になったロウドスがにょろにょろと階段を這ってゆく。他の魔族たちも、見物のためその後に続いた。
こうして、魔界において久しぶりに、決闘が行われることとなったのである。




