忍務43 魔界ぶらり歩き
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魔界における法律は、いたって単純なものである。力の強いものがすべて、という一つの条文のみがまかり通っているのだ。
多種多様な魔族と魔物たちを統べるには、複雑なものは不適切なのだ。とはいえ、これは魔族全体の知能が低いということを意味しない。一部の魔族たちは、人間を超える知能を持っているのだ。
魔界は狭い。大陸のほんの一部、それも実りの無い山岳地帯の盆地を根拠としているため、多くの生物の暮らせる環境では無い。知能ある魔族たちの統制と制限により、魔界の住人は細々と暮らしているのだ。
荒れ果てた大地に押し込まれた魔族たちは、人族の豊かな領域へと侵攻をする。単純明快な法律は、このときに役立つのだ。強いボスに率いられた絶対服従の軍勢は、裏切りを決して起こさない。出自や種族に関わらず、力があればのし上がっていけるのだ。例えば下水で生まれたスライムといったものでも、相応の力があれば将校にもなれる。
魔界という不毛の大地を治めるにあたり、力こそすべて、という法は今日も受け入れられ続けているのであった。
魔界の騎士団長、デュラハンのポンペインに伴われて、ダクは魔王城の下層へとやってきた。
「ほえ……アナボコダラケダネ」
剥き出しの岩壁に、たくさんの穴が開いている。
「これらのひとつひとつが、魔物たちの住居になっておるのだ。魔王城は最上層が魔王様の住居、上層が我ら魔族の住居となる。そして中層に謁見の間や大広間などの施設があり、下層は魔物の住居という造りなのである。ダク殿も小姓にならなければ、まずはこの下層に住むことになっておったのである」
ポンペインの説明を受けつつ、ダクは下層をてくてくと進む。そんなダクの耳に、大きなラッパの音が届いてくる。
「ほえ? ナニコレ?」
耳を押さえ、ダクがポンペインを見た。ダクの様子に、ポンペインの兜首の口元がにやりと笑う。
「ちょうど、飯時である。下層に住む魔物たちは、昼に食料の配給をうけるのである。ダク殿は、食事は如何なされた?」
「ほえ。マオーサマニ、ゴハンヲワケテモラッタヨ」
ダクの返事に、ポンペインは兜の中で目をまん丸に見開いた。
「なんと、魔王様の寵愛、斯様にまでとは、恐れ入るのである」
驚嘆するポンペインときょとんとするダクの前で、ガラガラと食料を乗せた台車が通り過ぎていく。台車を引いているのは上級悪魔で、フォークのようなものを担いでいる悪魔が二体ほど横に付き添っていた。
岩肌の穴から、ぞろぞろと魔物が台車を目指し出てきた。大きなイヌのような魔物や、ブタの魔物もいる。サルの魔物も出てきた。まるで魔物の動物園だ。
「ほえ、イロイロイルンダネ」
きょろきょろと魔物の群れを見渡すダクの横で、ポンペインは首を傾げる。
「おかしいのである」
「ドシタノ?」
「いつもは、武装をした兵はいないはずなのである。それが、今日は二名もいる……何か、あったのであるか」
訝しがるポンペインの視線を追って、ダクもそちらを見やる。集まってきた魔物たちへフォークを向けて、威圧の気配を放つ悪魔がいた。
「ほえ、ナンナンダロ?」
悪魔は強い気配を放っており、一体だけでもここに集まった魔物を簡単に蹴散らせる実力を感じさせる。それが、二体もいる。遠巻きに見つめるダクとポンペインの耳に、上級悪魔の声が聞こえてきた。
「本日は、食糧配給の前に発表がある! 心して聞くように!」
しん、と静まり返った魔物たちへ、上級悪魔が語り掛ける。ダクは、長い耳をピンと張って耳を澄ませるのであった。
ゴブリンのコロとオーガのグータンは、仲良しだった。十年間、寝食を共にしてきた親友同士だ。身体の小さなコロは、グータンに食料を分けて与えたこともある。戦場でも、いつも一緒だった。グータンは弱いゴブリン族のコロを守り、コロはグータンを狙う敵をかく乱して助ける。コンビネーションも抜群の、戦友でもあった。
ゴブリンであるコロの寿命は、短い。二十年生きれば、長生きといえる。そんな彼だったが、グータンとの友情は死ぬまで続く、と信じて疑わなかった。種族は違えど、生まれてから長い年月を過ごした相手なのだ。
「腹、減った」
「そろそろ配給。行こう、グータン」
いつも腹を空かせているグータンの腹の虫の音に苦笑しながら、コロはグータンの手を引いて配給のある広場へと向かう。ぞろぞろと、ご近所さんの魔物たちに混じり、コロとグータンは広場へやってきた。新鮮な肉の匂いに、コロのお腹も鳴る。
「肉、いつもより、少ない」
背の高いグータンが、配給の荷台を見ながら言った。
「それじゃ、また俺のぶんをあげるよ」
コロは食べ盛りの年頃を過ぎていたので、快く言った。そんなふたりの耳に、配給係りの上級悪魔の声が聞こえてくる。
「本日は、食糧配給の前に、発表がある! 心して聞くように!」
言葉を介さない魔物もいるため、上級悪魔は魂の声で語り掛ける。コロとグータンは顔を見合わせ、じっと悪魔の言葉を待った。
「食料の不足により、本日より間引きを行う! 本日の配給に加え、これより名を呼ばれた魔物は食料として扱って良い!」
大本営からの、とんでもない発表だった。イヌの魔物が身体を震わせ、ブタの魔物は冷や汗を全身にかいた。
「とんでもないことになったな……グータン?」
「食う肉、増える?」
グータンは涎を垂らし、飢えた眼をコロに向ける。
「い、いやいや! そういうことじゃなくって!」
慌てて胸の前で手を振るコロの耳に、上級悪魔のコロを呼ぶ無慈悲な声が届いた。コロの周囲で、食欲と殺気の気配が強まる。
「以上、食料の配給を始める! 当然のことだが、名を呼ばれたものは食料に手を出すことを禁止する! 逆らえば、武力をもって排除する所存である!」
じゃきん、と荷台の横についた悪魔が、フォークを立てて威嚇する。
「そ、そんな! 飯が無けりゃ飢え死にしてしまう! どうしよう、グータン……グー、タン?」
伸びてきたグータンの腕を、コロはなんとかかわした。
「な、何をするんだグータン!」
「肉……食う」
グータンのコロを見つめる眼には、情など欠片も無かった。新鮮な肉を食らう。その感情だけがその眼にはあった。
「や、やめろ! 俺たち、親友じゃないか!」
左右にステップを繰り返し、コロはグータンの腕を避けつつ言った。
「肉、食う!」
丸太のようなグータンの腕が、コロの胴を殴りつける。躱しきれず、コロの身体は地面に転がされた。
「ぐ、グータン……」
ずしんずしんと迫るグータンに、コロは涙で濡れた眼を向ける。大切な、親友だったグータン。その姿は巨大な捕食者となり、コロを見下ろしている。
「わ、わかった……お前の、血肉になれるなら……俺を、食ってくれ。ひ、ひと思いに、頭から、ぐえっ」
掠れた声で言うコロの腹に、グータンの大きな足が振り下ろされた。
「肉、叩いて柔らかくして、食う」
足を持ち上げたグータンが、そんなことを言った。
「痛いぃぃ! や、やっぱり、やめてぇええええ!」
亀のように身を縮めるコロの上に、グータンはさらに足を振り下ろす。このまま、ハンバーグのようになって食われるのか。コロは絶望に、きつく目を閉じる。だが、コロにもたらされるはずの苦痛は、なかなか現れない。代わりに、一つの打撃音が聞こえてくる。
「な、何だ……?」
うっすらと目を開けるコロの視界に、小柄な背中が映った。枯れ木のように細い手足と、白い髪の毛。褐色の長い耳が、ゆらりと揺れる。それは、ダークエルフだった。
目の前で起ころうとした惨劇に、ダクの身体は自然に動いていた。ゴブリンを踏みつけようとしていたオーガの顔面に蹴りを入れ、両手を拡げて立ちふさがる。
「ほえ、ヨワイモノイジメ、ダメ!」
こきり、とねじ曲がった首を戻し、睨み据えてくるオーガに向かってダクは言った。
「待て、ダク殿! これは政策の一部なのである! 邪魔をすることは、魔王様の意思に反するということになるのである!」
ポンペインの声が、ダクの背中に浴びせられる。だが、ダクは振り向かない。
「ソンナノ、シラナイ! ボクハ、コノコヲタスケル!」
叫びつつ、ダクはオーガに向かって跳躍する。拳を繰り出してくる大きな腕の上を走り、そのまま勢いをのせた蹴りを放った。
冒険者たちにとっては脅威となる魔物であるオーガも、忍者の強烈な一撃には耐えられなかった。白目をむいて、オーガはゆっくりと倒れ伏す。
「ほえ。ダイジョウブ?」
くるりとゴブリンに向き直り、ダクは笑顔で聞いた。ゴブリンは踏みつけられた痛みが抜けないのか、小さく身体を震わせてダクを見上げる。
「あっ!」
ゴブリンがダクの背後を指差し、声を上げた。そちらを向くと、悪魔が突き出すフォークの先端がダクの目の前にあった。
「ほえ!」
三又になったフォークの刃の付け根に、ダクは手刀を叩きつける。フォークは、刺さる寸前で止まった。
「間引きを邪魔するならば、武力を行使する!」
悪魔が声を上げて、フォークを引いた。もちろん、それを黙って見ているようでは忍者は務まらない。ダクはフォークの柄を掴み、悪魔の懐に飛び込む。
「ほえ、ほえ!」
ぎょっとなった悪魔の胸の中央に、ダクの拳が決まった。枯れ木のように細い腕だが、パワーは充分だ。悪魔は、泡を吹いて倒れた。
「こ、このっ!」
続いてフォークで突きかかってくる悪魔も、あっさりとかわされた後に首筋にかかとを落とされて崩れ落ちる。
「おのーれ! 妖魔ごときが! 我が魔法で消し炭にしてくれる! ファイアー……」
「ほえ、オソイヨ」
怒りの叫びを上げる上級悪魔へ、瞬時に距離を詰めたダクが輪にした手を首に叩きつけ、足を払って咽喉輪落としにぶん投げる。
「ぐええ!」
後頭部を強打して、上級悪魔も意識を失った。
「ふむ。さすがはダク殿! 吾輩と互角の勝負をしただけのことはあるのである!」
うんうん、と兜首で器用にうなずきながら、ポンペインが感嘆の声を上げた。その光景に、広場で捕食をしようと暴れていた魔物たちの動きが止まる。ブタを組み敷いていたサルが止まり、イヌの後ろ足を捕まえていたスケルトンが止まる。あらゆる魔物が停止する中で、ダクは台車の荷台の上に立った。
「ほえ、ミンナデ、ナカヨクワケテタベヨ!」
荷台に山積みになっている肉を、ダクは手当たり次第に放り投げる。形は違えど行われる肉の配給に、魔物たちは争いをほっぽりだして肉を食らった。時折、喧嘩を始める魔物たちをダクは拳骨で仲裁してゆく。
「吾輩も、手伝うのである」
ポンペインも加わり、食事は和やかに進んだ。だが、すぐに肉は尽きる。
「さて、どうするのであるか?」
ポンペインの問いに、ダクはにっこりと笑う。
「ほえ。ダイジョウブ、ツチハ、タベラレルカラ」
地面を素手で掘り、ダクは土を掴みだす。
「マダ、オナカヘッテルノハイルカナ?」
土くれを手に問いかけるダクに、魔物たちは半歩ほど引いた。どうやら、土でお腹を満たそうとするチャレンジャーはいないようだった。
「ほえ。ミンナオナカイッパイナンダネ。ヨカッタ」
納得した様子で、ダクが土を捨てる。魔物の誰もが、ほっと安堵の息を吐いた。
「そなたの故郷の森では、土を食っておったのか?」
心なしか引きつった声で、ポンペインが聞いた。
「ほえ。ツチハヨクタベテタ」
うなずくダクに、ポンペインも半歩引いた。そのとき、ダクの背後の空間に歪みが生じた。歪みの中から、華奢な少女の腕が伸びてくる。
「ダク。ようやく厄介な政務が終わった。さあ、遊ぼう!」
ぎゅっとダクを捕まえて言うのは、魔王ユラだ。
「ほえ? マオーサマ!」
あっさりと捕まえられたダクは、そのまま歪んだ空間に引きずり込まれていく。
「……さすがは、魔王様よ」
呟くポンペインの周りで、魔物たちが住居へと帰ってゆく。
「帰ろう、コロ」
「うん。もう、俺を食べようとしないでくれよ、グータン」
怪我をしたゴブリンの身体をオーガが抱え、二体の魔物も巣穴へと帰ってゆく。そんな様子を、天井に張りついた大きなスライムが見つめ続けていたことには、誰も気が付かなかった。
爆炎の二つ名を持つ、シティリアの部屋には色とりどりの宝石が転がっている。それらは、シティリアの趣味の品であった。彼女は宝石を集めるのが好きなのだが、手に入れた宝石には興味を失ってしまうという側面も持っていた。
「それで、何が言いたいのさ? あたしにぷるぷるしてみせたって、ちっともわかりゃしないんだよ」
開かれた宝石箱の上でぷるぷると震えるロウドスに、シティリアは困った顔で言った。ぐにょぐにょと伸び縮みを繰り返し、ロウドスは興奮している様子だった。
「番が欲しいのかい? だったら下水でも漁ってみたら……違う? なんだか、わからないねえ」
豊満な胸の下で手を組み、嘆息するシティリア。だが、もし彼女がロウドスの言葉を理解できていたら、驚愕に顔を引きつらせるだけでは済まないことになっていただろう。ロウドスは、こう言っていた。
『あのダークエルフの小姓、なんと魔王様の間引き政策を妨害しおった! これは明らかに反逆の意思を持っている! さらには、あやつは聖王国の忍者である可能性があってだな! ええい、なぜだ、なぜわかってくれないのだ!』
一生懸命に全身を震わせるロウドスだったが、その努力が実ることは無かった。




