忍務41 まおーさまとのごたいめん
人族にとって魔族は不倶戴天の敵であり、逆もまたしかりである。魔物たちを率いる魔族たちがいて、その頂点に立つのが魔王だ、といった認識が人族にはある程度だった。
諜報に長けた忍者といえど、魔族の領域である魔界へ潜入することはほぼ不可能だった。人族は魔族の放つ闇の波動で力を失い、無力化されてしまう。かつて聖王国の忍者の頭目が行った、魔王の暗殺という作戦が成功をおさめたのは、多くの奇跡的な離れ業を重ねた偉業ともいうべきことであった。
一度の失敗を期に、魔族たちはより魔界の警戒を強めることとなった。降臨した次代の魔王に再び暗殺の魔の手が伸びることのないよう、国境線に沿って強力な魔族の防衛線を引いたのもその一つである。
多くの魔族、悪魔を従え玉座に座る魔王に安息の日々を、そして魔族に安寧と闇の秩序をもたらすことを願い、魔族たちは戦い続ける。いつか、人族を滅ぼす日まで、彼らは蠢動を続けるのだ。
人族にとって、魔族たちの思惑は知る術のないものであった。ただただ脅威を感じ、互いを滅ぼし尽すまで、戦いは終わらない。その思いだけは、人族と魔族に共通するものだったのである。
禍々しくも美しい扉が、重い音を立てて開く。漆黒の絨毯の上を、ダクはヴァルカンに手を引かれて進んでゆく。謁見の間の中には、ずらりと異形の者たちが立ち並んでいる。漆黒の鎧に大きなハルバートを立てて、小脇に兜を抱えた首なしの騎士、二足歩行の黒いトカゲの戦士、爛々と目を光らせる魔術師ふうの魔族などもいる。
「ヴァルカン、ご苦労だった」
正面の玉座の前に立つ、軍服姿の青白いちょび髭の魔族がヴァルカンに労う声をかけた。
「はっ。魔将軍様、私、ヴァルカンがダークエルフのお子様を、保護してまいりました」
恭しく跪くヴァルカンの横で、ダクはぼんやりと立ったまま玉座を眺める。
「こら、頭が高いぞお子様」
ヴァルカンに言われ、ダクも慌てて跪いた。
「ほえ、ダークエルフノ、ダク……デス。タスケテイタダイテ、アリガトウゴザイマス」
お礼を述べるダクの頭上に、ふん、と魔将軍の鼻息がかけられる。
「闇の波動!」
魔将軍の右手がダクに向けられ、漆黒の波動が照射される。きょとん、とした顔のまま、ダクは波動を受けた。
「……人間が、化けているわけでは無いようだな」
魔将軍の言葉に、ヴァルカンがのけぞって顔を押さえた。
「私が、信用されていなかった! 凄まじくショックです、魔将軍閣下!」
「……済まなかった。だが、警戒はせねばならん。許せ、あとでワインでも驕ってやる」
気まずい空気が、謁見の間に流れた。こほん、と澄んだ声が玉座から届いてきたのは、そのときである。
「アドルフ、人間の間者でないことがわかったのであろう。であれば、余はダークエルフの少年をも少し近くで見てみたい。側へ」
高い少女のような、声だった。それを耳にしているだけで、ダクの胸の中にぞわぞわした何かが広がってゆく。溢れる魔力が、何気ない声の中にまで漏れているのだ。
「はっ。ではダクとやら、ゆっくりと前へ出よ」
魔将軍の呼びかけに、ダクは立ち上がり玉座の側までやってくる。
「ほえ? アナタガ、マオーサマデスカ?」
玉座にいる少女のような魔王に首を傾げて、ダクは言った。
「許可があるまで、言葉を発することはならぬ!」
とたんに、ダクの横合いから魔将軍の叱責が飛んできた。ついでに、重たい拳骨も落とされた。
「構わぬ、言葉を許す。それから、アドルフは黙っておれ」
そう言ったのは、玉座に座る魔王である。白く滑らかな肌と、ルビーのように赤い瞳、耳は尖り王冠を着けた頭には二本の曲がったツノがある。白銀の長髪にゴシックロリータ調のドレスが、よく似合っていた。
魔王のほっそりとした指先が、魔将軍に向けられる。魔将軍の口に、赤いバッテン印が現れて貼りついた。どこかで、見た光景だった。むーむーと唸る魔将軍から、魔王の視線は再びダクへと移る。
「そなたが、闇の森の生き残り、ダークエルフの子供か」
「ほえ。ダクトイイマス」
魔王は血のように赤い唇に右手の小指を当てて、ダクを見つめる。その視線には何とも言えぬ迫力のようなものがあり、ダクは小さく身じろぎをした。
「ダークエルフの、ダク、か。聖王国の暴虐、さぞや辛い思いをしたのであろうな」
意外と楽しかったです、とは言えず、ダクは顔をうつむかせる。
「ほえ……オトーサントオカーサンハニンゲンニコロサレテ……タベモノモナクテ……イッパイ、クロウシマシタ」
つっかえつっかえになりながら、ダクは何とか言った。事前にダクは頭目から身の上話を仕込まれていたのだが、魔王の放つ覇気と緊張感の前にそれらはすべて飛んで行ってしまっていた。
「ふむ……余程辛い思いをしたのだろう。無理に言葉にせずとも良い」
ふわり、と軽やかなステップで魔王は玉座を降りて、ダクの頭を撫でた。びりびりと、魔力を感じたダクの髪が逆立った。
「そなたは、余が、この魔王ユラが余の名において守ると誓おう。決して、人間どもには触れさせぬ」
ぎゅっと、魔王がダクを抱きしめる。ふんわりと柔らかい女の子の感触に、ダクは少しどきどきした。無意識に頭目からいろんな夢を見せられたので、自覚は無いながらも異性に対して思うところができたのだ。
「ほ、ほえ……マオーサマ」
息苦しさを感じて、ダクが声を出す。顔を上げると、魔王はにっこりと微笑んだ。
「よくよく見れば、愛らしい顔立ちをしている。よし、決めた! そなたは、今から余の小姓だ」
ぐりぐりと、魔王がダクのほっぺに頬を擦り付ける。ばちばちと起こる魔力の飽和帯電に、ダクは恐怖で凍り付きそうになった。
「ほえ、コ、コウエイデス、マオーサマ」
「喜びに震えておるのか、かわゆい奴だ。ほれほれ」
ますます強く、魔王はダクを抱きしめる。ふんわりと良い匂いが、ダクの鼻を刺激する。
「むー、むむむー」
その横で、魔将軍がむーむーと声を上げる。
「何だ、アドルフ。余はこの愛らしい小姓で遊ぶので忙しい」
「むー、むー!」
ダクをぎゅっとしたまま、魔王は魔将軍に顔を向ける。
「言いたいことがあるならば、はっきり言え。それと、どうしてそんなバッテン印を付けておる?」
魔将軍の口元へ、魔王の手が伸びる。べりぃ、と痛そうな音とともに、バッテン印が剥がされた。
「むぐぅっ! ま、魔王様、色々と申し上げたき儀がございます!」
少しむしりとられたちょび髭を撫でつけながら、魔将軍が叫んだ。
「うるさい。やっぱり黙っておれ」
ぺたり、と魔王の手から再びバッテン印が生じ、魔将軍の口に貼りつく。
「むー!」
抗議の声を上げる魔将軍であったが、魔王はもはや聞いてはいない。魔王の名にふさわしい、暴君っぷりである。
「ダクよ、まずは余の私室へ行こう。甘い飴などは食べるか? たくさんあるぞ」
「ほえ、アリガトウゴザイマス!」
魔将軍にちらりと気の毒そうな視線を向けるダクであったが、魔王に手を引かれ、謁見の間の出口へと連れて行かれてしまう。
「そなたら、何をこんな所で油を売っておるのだ。余のため人族討滅のため、きりきり働けい!」
居並ぶ異形の者たちへ、魔王が一喝する。軽い魔力衝撃波を伴うその指令に、魔族たちは一斉に謁見の間を出て行った。
「さ、行くか、ダク?」
にっこりと笑う魔王に、ダクはうなずいた。
謁見の間を出た魔族たちは、続々と会議室へと集まった。多くの魔族が詰めかける狭い会議室に、最後に現れるのは魔将軍アドルフである。ざわめいていた魔族たちは、魔界の第二権力者である彼の登場に一斉に押し黙った。
「閣下、国境線にいた忍者どもは撤退、各地へ散ってゆきました」
「現在、大陸南端のビブロ火山が人間どもの手に渡り、南部における我らの拠点は失われております」
部下たちの報告に、魔将軍は顔にバッテン印の跡をつけたまま重々しくうなずく。
「……この中で、喫緊の任務を抱えていない者だけ残れ」
魔将軍の言葉に、ほとんどの魔族たちが会議室を出てゆく。残ったのは、ヴァルカン、シティリア、ジブラータンとロウドスの四名だ。それぞれが任地を失い、魔界の国境警備を担当していた。ちなみにエルダースライムのロウドスはシティリアの手のひらの上に収まり、ぷるぷるとしていた。
「またお前らかよ! どうしてこうなるんだ、おい!」
会議室に、魔将軍アドルフの怒声が響く。叱責ではなく、これは愚痴だった。げんなりしながらも、四名は魔将軍に付き合った。何だかんだといっても、面倒見のいい上司なのだ。多少の八つ当たりくらいは、なんでもない。
「畜生めー!」
声を枯らしながら、魔将軍は叫ぶのであった。
聖王国、エルファン領の頭目の間で頭目は突如総身の震えるのを感じた。
「まさか……ダクの身に、何かが」
祭壇から立ち上がり、また座る。もそもそと指を組んで揉み合わせ、ごろりと横になってみる。いろんなことをしてみたが、頭目の胸の中のもやもやはなかなか治まらない。
「……ダク成分が、足りない」
正体不明の声で呟きながら、頭目は瞬時に縫い上げた抱き枕を抱いて横たわる。枕カバーにプリントされているのは、等身大のダクである。忍法と裁縫スキルの合わさった、神業ともいえる精緻なタッチで描かれたそれは、まるで生きたダクがそこにいるようであった。
「おぉ……我ながら、中々」
枕を抱いて見つめていた頭目が、がばりと起き上がる。懐から短刀を取り出し、枕を引き裂く。ぼろ布と低反発素材が、床の上に散った。
「違う! ダクはもっと素直な目をしている!」
言いながら、頭目は針と糸を取り出した。ちくちくと針を動かす頭目が、小さく息を吐く。
「ダク……無事でおれよ」
誰もいない空間に向かって、頭目はしんみりと呟いた。




