忍務39 頭目の決断
夢、というものは不思議なものである。賢人が夢に立ち現われ予言をすることもあれば、勇者と讃えられた剛の者が一夜の悪夢に汗みずくになることもある。
夢を操る魔法や忍法も、ある。暗示をかけて、相手の意識を誘導するというものだ。悪用すれば、二度と醒めぬ夢の中へと閉じ込めてしまうこともできるのだという。
夢の中では、人は無防備である。精神のみの存在となり、肉体の優劣に左右されることは無い。そして誰もが、自由になれる。どんな願望であれ、眠っている間は叶えることができる。
目覚めてしまえば泡沫に消える夢であれど、無防備な精神に残る言葉は意味を成す。夢の世界というものがあるならば、それは世界からの贈り物なのかもしれない。何かの重要なきっかけが夢であるという事象は、歴史上ままあることである。
見た夢をどう受け取るかは、自身の判断に委ねられる。どのような夢であれ、何かしらの意味を持つこともあるのだ。努々、疑ってはならないのである。
闇樫の木が燃えて、立ち枯れた荒野に立っていた。吹き抜ける風は、どこか悲しい音を立てている。魔物も人も、ここへは寄り付かない。かつて、ダークエルフの住んでいたこの闇の森と呼ばれた荒野には。
荒野を歩く、ふたつの小柄な影があった。ひとつは、褐色の肌に銀髪のダークエルフの青年、ダクである。手足が伸びて、顔も少し大人っぽくなっていた。幼年期の姿に比べ、妖魔の醸し出す、何ともいえない色気のようなものがあった。
もうひとつは、漆黒の忍者服に覆面姿の頭目だ。正体不明の気配をゆらゆらと立ち上らせ、ダクを従えて闇の森であった荒野をゆっくりと進む。
「ほえ、頭目。ここは、もしかして……」
油断なく周囲を見回していたダクが、声を上げる。
「そうだ、ダク。ここは、お前の生まれ故郷、闇の森があった場所だ」
その声にうなずいて、頭目が静かに言った。
「ほえ……ここが、僕の」
ぽかんと口を開けて、ダクがきょろきょろとあちこちを見る。その様には先ほどまでの警戒の気配はなく、好奇心でいっぱいだった。
「懐かしいか? 闇の森が」
問いかけた頭目に、ダクは首を横へ振って見せる。
「ほえ、僕の故郷は、ここではありませんから」
にっこりと笑い、ダクが言った。ダクの中ではすでに、エルファン領の森が、故郷になっていた。生まれて闇の森で過ごした日々は、もはや夢に見るということも無い。それほどの、月日が過ぎ去っていたのだ。
「そうか。そうだろうな」
ダクの答えに、頭目は満足そうにうなずいて足を止める。枯れた闇樫の木へ手をつけると、さらさらと音立てて木は崩れ落ちる。
「頭目? どうしたんですか?」
背後で足を止めたダクが、きょとん、とした顔をする。頭目は黙って、ダクに振り向いた。
「ダク、ここでのことは、他言無用だ。いいな」
問いかけに、ダクはうなずく。きらきらとした瞳には、頭目への絶対的な忠誠心が溢れている。それは頭目を心の底から満足させるには、足りない。
「ほえ、と、頭目?」
頭目の手が、自らの覆面へとかけられた。幾重にも布を巻き付けた覆面が、頭目自らの手によって解かれてゆく。その光景に、ダクは戸惑いの声を上げた。
「お前に、見せてやろう。私の、本当の姿を」
するすると、布が荒れた大地に落ちてゆく。瞬きひとつせず、ダクはそれを見つめていた。
覆面の中から、まず現れるのは輝く金いろの長い髪だ。小さな覆面の中に、よくぞこれほど、と思えるほどの豊かで艶やかな髪が、風にそよぐ。
続いて、跳ねるような勢いで長い耳が現れた。ほっそりと美しい鋭角を描くその耳は、エルフ特有のものだ。ダクは、はっと息を呑む。その耳の形には、見覚えがあった。
「驚いているか、ダク?」
にやり、と不敵に笑う素顔へ、ダクはただうなずくだけだ。頭目はさらに、忍者服にも手をかける。するり、と何の躊躇いもなく、頭目は衣服を脱ぎ捨てた。
長くほっそりとした腕と、しなやかな足が露わになる。小柄であった頭目の姿からは、想像もできない程の肢体である。生まれたままの姿で、頭目は腰に手を当て、ダクを見つめる。
「これが、私だ」
薄い胸を隠そうともせず、堂々と頭目が言い放つ。じっと、ダクの視線が上下する。羞恥からか、頭目の顔にわずかな朱が射した。
「ほえ……エルファン、さま?」
呆然とするダクの問いに、エルファンはうなずく。すっと、エルファンはダクへ近寄り首に腕をからませる。
「そうだ。私は、エルファンであり、お前たちの頭目でもある」
エルファンの囁きに、ダクの長い耳がぴくんと震える。
「頭目……」
熱に浮かされたような、ダクの声がエルファンの耳朶を打つ。
「いまは、エルファンと呼んでほしい……ダク」
いつの間にか、ダクの忍者服も消えている。褐色の肌に重なるように、白く細身の身体が抱きついてゆく。
「ほえ……エルファン、さま」
「様は、いらない。今だけは……」
「エルファン……」
ふたりの顔が少しずつ、近づいてゆく。目を閉じたダクの唇へ、エルファンは自分の唇を触れさせるべく、動いた。
「っくはああああああああ!」
闇の森もダクも全てが、一瞬にして消える。自分の上げた叫び声で、エルファンは目覚めた。夢を見ていたのだ、と理解するのに、少し時間がかかった。
エルファンの細い指先が、薄い胸に当てられる。どっどっどっ、と心臓が、早鐘の鼓動を打ち鳴らしている。エルファンは、大きく息を吸い、吐いた。どくんどくん、と鳴る胸が、少しずつ落ち着いてゆく。
「ク、ククククク……」
びっしょりと汗をかいたエルファンは、シーツを被り、目を閉じる。そのまましばらくして、ぐいと身を起こす。
「やはり、続きは無理か」
残念そうに呟き、エルファンは立ち上がる。そのまま目を閉じて、ぴくりと耳を動かした。エルファンの脳内に、膨大な数の情報が訪れる。必要なものは、それほど多くは無い。神経を集中して、エルファンは必要な気配だけを読み取ってゆく。
『おはよ、ダク様』
『ほえ。おはよ、キャロ』
目当ての気配を拾い上げ、エルファンはさらに集中する。
『どしたの? ダク様、顔が緩んでるわよ』
『ほえ? そうかな。きょうは、なんだかいいゆめをみたんだ』
『夢? どんな夢を見たのよ』
『ほえ……よく、おもいだせないや。でも、とーもくがでてきたんだよ』
『頭目が? ダク様、あんた夢に見るくらい頭目好きなのね』
『ほえ! そーいえば、ゆめのなかで、とーもくがなにかいってたような……』
『ふうん。ま、夢でしょ、どうせ。それより、そろそろ決まったの、ダク様の恩賞』
『ほえ、まだみたい。じゅんびとか、いろいろあるんだとおもう』
『それじゃ、まだ暇あるのね。ちょうどいいわ。今日も、あたしの修行に付き合ってよ』
『ほえ。にんむがなかったら、いいよ』
エルファンは集中を解き、ふっと息を吐いた。
「巧くいったようだ……ククク。だが、喜んでばかりはいられない、か」
不敵な笑みを浮かべたエルファンの表情が、引き締まる。ダクの忍務達成に対する恩賞の沙汰を保留して、もう半年が経っていた。これ以上忍務を与え、手柄を立てられると困る。昇進させていないことが、問題になってしまうのだ。それゆえ、ダクには忍務を与えず自由に過ごさせていた。そこへ最近、下忍筆頭のキャロが接近している。これは、大問題だった。
さっさと上忍に昇進させれば、ダクがキャロの修行に付き合うといったことも無くなる。だが、上忍になると側へ置けなくなってしまう。悩ましさに頭を抱えながら、エルファンは沐浴を済ませて覆面と忍者服を身にまとう。長身の身体が、あっという間に小柄な頭目の姿へと変わった。
「うぅ……一体、どうすれば……」
正体不明の声で、頭目は悩む。聖王国には、今ひとつの脅威が存在する。魔界の、魔族たちの蠢動だ。彼らがこの世に蔓延る限り、有能な上忍たちを当たらせ対処しなければならない。当然、ダクもそこへ入ることとなる。否応なしに、引き離されてしまう。魔族が、脅威で無くならない限りは……。
「む、そうだ!」
ぴこん、と頭目の頭の上に、電球が灯った。魔族の脅威が無くなれば、ダクと一緒にいられる。夢の中でした続きも、出来るようになるかもしれない。ぼん、と音立てて、頭目の覆面の耳が膨らむ。覆面に手を入れて、耳を戻しながら頭目はうん、うんと一人でうなずいた。
「よし。決めた!」
大きな声を出して、頭目は自室から頭目の間へと向かう。その足取りには、忍者の頂点に立つ者の力強さがあった。
昼になって、ダクは頭目の間へと呼び出された。修行の約束をしていたキャロに断りを入れて、さっそくダクは向かう。キャロは怒るどころか、ようやく沙汰が下ることを喜んでくれていた。
「ほえ、ちゅうにんダク、ただいまさんじょうしました!」
松明の間を駆け抜けて、ダクは頭目に跪く。最奥の祭壇には、いつもと変わらぬ頭目の姿がある。右前方に、腕組みをして立つゴンザもいる。ゴンザの顔つきは、今までのどの顔よりも厳めしいものだった。
「よく来た、ダクよ」
正体不明の、頭目の声。ダクは頭を深く下げて、顔を上げた。眼前の頭目の気配には、この半年間に感じられた迷いが消えている。いよいよだ。ダクの心臓が、大きく鼓動を打つ。
「これより、中忍ダクへの沙汰を言い渡す。心して、聞くが良い」
頭目の声に、ダクははっとうなずいた。ゴンザが禿頭を青くして、そんなダクを見つめる。わずかな、沈黙が流れた。ごく、とダクが唾を飲み込む。
「中忍ダクは、これより上忍と任命し、ある地域へと派遣するものとする!」
頭目の言葉が、ダクの頭の中に浸透してゆく。
「ほ、ほえ! つ、つちゅしんで、おうけいたします!」
緊張のあまりカミカミになってしまったが、ダクは勢いでそのまま押し切った。ダクの年齢で、上忍へと任命される。これは、この上ないほどの栄誉であった。
「うむ。良い返事だ、ダクよ。見事、忍務を果たしてみせよ!」
「ほえ!」
即答するダクへ、ゴンザがえへんと咳払いする。
「ダクよ、お前がどこへ派遣され、どんな忍務を言い渡されるかまだわかっておらぬのじゃ。もし、忍務の内容を聞いて出来そうになければ、此度は辞退することも許される。そう、急ぐでない」
重々しいゴンザの声に、ダクは首をこくんと傾げる。
「ほえ。そーいえば、どこへいって、なにをすればいいんですか、とーもく?」
ダクの問いに、頭目は一呼吸置いてから答える。
「派遣先は、魔界だ」
頭目の言葉が、ダクの頭の中に再び浸透してゆく。
「ほ、ほえええええ!?」
驚きのあまり、ダクの口から悲鳴が上がる。
「ま、まかいって、あのまかいですか?」
「どの魔界、と言えるだけの魔界があるわけでもない。魔界は魔界だ、ダク」
ダクの問いを、頭目が肯定する。魔族が跋扈し、闇の理が統べる暗黒の世界、魔界である。
「ほ、ほえ……ま、まかいへいって、ぼくはなにをすればいいですか?」
さすがのダクも、死地に送り出されるとあってはいつもの暢気さを保ってはいられない。声を震わせ、青い顔で頭目に質問する。
「魔族を、討ち滅ぼすのだ。完膚なきまで、徹底的にな。聖王国にとって、奴らが無害となるまで、お前の忍務は続くことになる」
頭目の言葉が、三度ダクの頭の中に浸透してゆく。
「ほ、ほえぇ……」
涙目になって、ダクはゴンザを見やる。ゴンザは厳めしい顔で、ダクを見返した。
「お前にならば、出来る。私はそう思い、この忍務をお前に託すのだ、ダクよ」
頭目の声が、ダクの耳に届く。向けられる信頼の重さに、ダクは潰れそうな思いを抱いた。
「ダク、お前には、上忍になるチャンスなどいくらでもある。ここで、無為に命を散らすことは」
「黙っておれ、ゴンザ!」
頭目の手からバッテン印が飛び、ゴンザの口を塞ぐ。そうして頭目は祭壇から立ち上がり、ダクの側へと飛んだ。
「できるな、ダク?」
頭目の瞳が、真っすぐにダクを見据える。燃えるような信頼と愛が、その瞳には感じられる。
「ほえ、とーもく……ぼく、ぼく」
ごしごし、と涙を拭いて、ダクは頭目を見つめ返した。
「ぼく、やります! とーもくの、おやくにたってみせます!」
ぐっと拳を握り、ダクが叫んだ。ゴンザの身体が、崩れるようにうずくまる。頭目は、ダクに満足そうなうなずきを返した。
「では、これよりダクは上忍ダクである! 魔界へ赴き、魔族の脅威を打ち払うのだ!」
「ほえ!」
こうして、ダクは上忍への昇進を果たしたのであった。暗雲立ち込める魔界へ、ダクは旅立つことになる。どんな苦難が待ちかまえようとも、頭目の信頼に、応えるために。
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次話より、新章開幕となります。よろしければ、ご期待ください。
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