忍務4 吹き荒れる嵐
聖王国のある大陸の、最北部に位置する辺境。峻厳な岩山に囲まれた盆地に、荒れ果てた岩と砂の大地がある。かつては名前のついた土地であったのだが、その名は忘れ去られ、かわりに人々はその地を魔界と呼んだ。
不毛の大地より現れる、異形の魔物たち。獣とは違い、彼らには知性があった。明確な意図を持ち、時には策をもって人族を苦しめた。闇の軍勢を統括する強力な魔獣は、魔族と呼ばれ恐れられるようになる。
魔族の中で、さらに強い力に目覚める存在が、魔王と呼ばれた。魔王は魔族を率い、人族と戦いを繰り広げる。何度も人族に退けられたが、歴代の魔王たちの目的は変わらない。大陸を、世界の全てを不毛の大地へと変えること。そうして、世界の全ての怨嗟の声を聞き高笑いをする日々を迎えることこそ、彼らの目指す世界なのだ。
ダクはエリスを庇い、魔族の男の前に立ちふさがる。魔族というものは知らなかったが、怯えたエリスは守らなくてはいけない。
「ほう、健気なことだな。私を魔族と看破して、なお立ち向かおうとするなどとは」
ヴァルカンと名乗った魔族は、ダクとエリスを睥睨する。赤く光った眼光は鋭く、口からのぞく犬歯は笑みにきらめいている。圧倒的な強さに裏付けられた、余裕というものがその顔には満ちていた。
「よくわかんないけど、おじさんがわるいやつの親玉なんだね?」
平然と視線を返しながら、ダクが言った。ヴァルカンの顔に、たちまち苦痛の色が浮かぶ。
「お、おじさん、だと?」
「ほえ? うん。おじさん」
二回目のおじさん、である。自分で言った分も合わせて、ヴァルカンは三度のおじさん呼ばわりを受けたことになる。
「ふざけるなあああ!」
頭を抱え、ヴァルカンは叫んだ。大気が震え、側にある小屋がぎしぎしと揺れる。
「ほええ?」
「きゃっ、だ、ダク……」
強風にあおられて吹き飛ばされそうになるエリスの身体を、ダクはしっかりと抱き寄せる。エリスが赤くなりつつも、ダクの背中に手を回して抱き返す。
「人をおじさん呼ばわりしておいて、青春するなお子様ども! これだから子供は嫌いなんだ!」
ダンダンと足を踏み鳴らし、ヴァルカンは喚き散らす。
「ほえ、でも、おじさんだよね?」
吹き付ける風に前髪を揺らしながら、ダクがのほほんと聞いた。
「違う! せめてお兄さん! 年上の男性だからって、ひとくくりにするんじゃない!」
がに股になって、両手を腰の辺りでわきわきさせながらヴァルカンが言う。
「ほえ、わかった。おにーさん」
「出来ればお兄ちゃん、で!」
「ほえ、おにーちゃん」
「イエス! グッド! その気持ちを忘れるな!」
「ほえ、わかったよ、おじさん!」
「ノオオオオオ! なんてことだ逆戻り! ええい、この暴風のヴァルカン、ここまでコケにされたのは生まれて二百八十余年、初めてのことだ! 初体験!」
「……ダク、アレは痛い人だから、関わり合いになっちゃダメよ?」
やり取りを冷めた目で眺めていたエリスが、プラスマイナスゼロの温度で言った。
「ほえ。でも、あのおじさんをこらしめないと、にんむにしっぱいしちゃうから」
ダクの脳裏に、ゴンザの拳骨が浮かぶ。気のせいか、頭がちょっと痛くなった。
「じゃあ、とっとと片付けちゃいなさい。教育上不適切だわ、あのジジイ」
エリスのジジイ呼ばわりに、ヴァルカンはさらに傷ついた表情になった。
「言った……言ったな……親父にも言われたことないのに……!」
「父親が息子にジジイなんて、言うわけないでしょうに」
自分を抱きしめ、小刻みに震えるヴァルカンが涙目になってエリスを凝視する。
「あ、あの世で……」
わなわなと身を震わせながら、ヴァルカンは壊れた笑みを浮かべて手を広げた。ヴァルカンの手のひらに、黒く禍々しい魔力が現れる。泣き笑いで構える彼の姿は、いろんな意味で恐ろしかった。
「あの世で青年期を少し過ぎたくらいの男性全員にわび続けろ、お子様たち!」
叫びながら、ヴァルカンが両手を打ち合わせる。圧縮された魔力が渦巻き、手のひらの先へと向かう。
「ほえ! させないよ!」
瞬時に間合いを詰めたダクが、ヴァルカンの両手を蹴り上げる。魔力の奔流は上空へ放たれ、凄まじい暴風が砦の上に吹き荒れた。
「く、お子様め!」
「こらしめてやる!」
蹴り上げたままの勢いで、ダクはヴァルカンの頭上に舞い上がる。くるりと身を回しながら放つのは、かかと落としである。ごがん、とヴァルカンの頭ですごい音が鳴った。人間の頭では、鳴ってはいけないような音だった。
「ごふ!」
ヴァルカンの犬歯が、思いっきり自分の舌を噛んだ。ダクの短い手足が閃き、さらにヴァルカンを滅多打ちに打ち据えていく。そして、ダクは着地した。足を踏ん張り、エリスに振り返る。
「ほえ……いたい」
手足をさすり、ダクは言った。ヴァルカンは平然としている。
「ふひゅひゅ、わらひは、がんぢょうひゃには、じじんがあうろら」
血のにじんだ舌をしまいながら、ヴァルカンが言う。舌以外は、頑丈なのだった。
「ダク、目を、目を狙いなさい!」
「ほえ、わかった!」
「え、ひょ、ま、まへ……!」
エリスのアドバイスに、ダクは再び飛び上がる。身長差があるので、そうしないと目を狙えないのだ。あわてて顔をガードするヴァルカンの両手を蹴飛ばして、ダクは二本の指で目を突いた。
「にょおおおおおお!」
奇妙な悲鳴を上げて、ヴァルカンが地面を転がる。しばらく転がっていたヴァルカンは起き上がり、服に着いた土を払ってダクの肩に手を置いた。
「こら、お子様。お目目をつんつんしちゃいけませんって、親に教わらなかったか?」
「ほえ、ぼく、おとーさんもおかーさんもいないんだ」
正直に、ダクは答えた。一瞬、ヴァルカンは言葉を詰まらせる。
「そ、そうか……ともかく、目を突いたら、ダメ。お子様も、されたら嫌だろう? 人の嫌がることは、やっちゃいけないよ?」
謎の迫力が、ヴァルカンにはあった。
「ほえ。でも、おじさんも、山賊なんだよね? 人のいやがることを、いっぱいしてきたんだよね?」
「そうやって、悪事を働いてきたんだから何されても文句は言うなっていう理論、私は嫌いだね。悪事を働く立場としては、やる前に覚悟なんてできるわけないだろう?」
「ほえ? うーん」
にこやかに言うヴァルカンに、ダクは考え込んだ。
「惑わされちゃダメよ、ダク! 難しいこと並べてたって、結局悪いことには変わりはないもの!」
エリスの指摘に、ダクははっとなった。少しの時間の逡巡だったが、ヴァルカンにはそれで充分だった。懐から取り出したサングラスを、かちゃりとかける。
「これで、もう目つぶしは効かない。クククク、これが、頭の使い方というものだよ、お子様」
「卑怯よ!」
エリスの抗議に、ヴァルカンは笑う。ダクは、首を傾げてヴァルカンを眺めていた。
「ダク、もう目は狙えない! 何とかして、あいつを倒すのよ!」
「ほえ? あの目についてるの、取っちゃダメなの?」
ダクの言葉に、エリスは固まった。しばらく上空を眺め、ラブリーマジカルステッキを抜いて先端でヴァルカンを指し示す。
「とっととやりなさい!」
「ほえ!」
エリスの号令一下、ダクが身を縮めて跳躍の構えを取る。ヴァルカンは余裕たっぷりの態度で、両手を広げて構えた。
「もう遅い! のんびり会話してたりしたことを、後悔するがいい! 闇の波動!」
ヴァルカンが叫び、頭の両脇のツノが輝いた。同時に、ヴァルカンを中心に生温い風が吹く。風は闇色の空気を運び、砦内部の隅々まで行き渡った。
「ぐ、あ……」
「ほえ、エリス!」
苦しみだしたエリスの様子に、ダクは構えを解いてエリスに駆け寄る。苦しそうに胸元を押さえ、エリスは地に膝をついた。
「だ、だいじょうぶ?」
エリスに肩を貸して、助け起こす。ダクの視界の隅には、倒した山賊たちが苦しむ姿も見えた。
「どうだ、人族に畏怖と苦痛を与える波動の力は! これこそ、魔界四天王の一角、暴風のヴァルカンの真の実力だ!」
高笑いとともに、ヴァルカンが恍惚の声を上げた。それからゆっくりと、ダクとエリスに両手を向ける。
「まともに動くこともできぬ中で、私の大魔法を受けて立っていられるかな?」
にやりと笑うヴァルカンが、両手を打ち合わせる。
「ほえ、そんなの、またけっとばしてやる!」
エリスを抱えたまま、ダクは腰を落とす。様子を見て、ヴァルカンが意外そうな声をあげた。
「まだ、動けるのか。だが、やせ我慢はよくないぞお子様? 全身を、激しい苦痛と脱力感が襲っているのではないか?」
サディスティックに笑い、ヴァルカンが両手の魔力を練り上げていく。
「ほえ? ぼく、べつになんともないけど」
首を傾げるダクには、変わった様子は見られなかった。人族に絶大な効果を発揮する闇の波動だったが、ダクは妖魔のダークエルフなのだ。効果は、まったく無かった。
「むう……どんな魔法を使っているのか、わからんがまあいい! くらえ、私の最大魔法! グランドタービュランス!」
会話のスキをついて、ヴァルカンが完成した魔法を放った。周囲の大気が歪み、暴風の勢いをもって砦全体に吹き荒れる。山賊たちの身体が、まるで木の葉のように空へ舞った。
ダクも吹き飛ばされそうになり、足を踏ん張った。抱きかかえているエリスも、ぎゅっとしがみついてくる。だが、このままでは吹き飛ばされるのも時間の問題だった。
「ダク……あなただけでも、に、逃げなさい」
「エリス、ぼくにつかまっててね」
悲壮な顔をして囁くエリスに、ダクはそれだけ言った。ぎゅっと、エリスの腕が首に回る。ダクが手を離すと、エリスの身体はダクにしがみつくように背中へと回っていく。
「りん、ぴょー、とお、しゃー、かい、じん、れつ、ざい、ぜん……」
間延びした声で、ダクの指は九つの印を切る。周囲の暴風が、ダクの前に球体となって圧縮されていく。ダクは両手を伸ばし、球体を押し出すように動かし始める。
「ば、馬鹿な! 私の魔法を、操るだと?」
狼狽えたヴァルカンの顔が、ダクにはしっかりと見えた。ダクの身体ほどの大きさに圧縮された暴風の玉が、ぐらぐらと揺れる。
「ほえ……つ、つよいね、このかぜ」
ダクの両手の指から、血が流れる。腕のあちこちからも、血が噴き出していた。
「当然だ! 私の、暴風のヴァルカンの魔力をすべて注いだ特別製だ! お子様程度に、どうにかできるわけが」
ぐぐ、と暴風の玉が、大きく揺れた。驚愕に、ヴァルカンは目を見開いた。
「ほえ……そ、それでも、やって、みせる! 忍法、かえしわざ、ふーじんたつまき!」
気合をのせた声が、ダクの口から放たれた。とたんに、暴風の玉が弾けてヴァルカンに向かって吹き付ける。ヴァルカンの身体は真っすぐ北に吹き飛ばされ、それから上空に打ち上げられた。
「お、覚えていろー! 私は、ぼうふうの……」
ヴァルカンの悲鳴が遠くなり、そして消えた。両手を突き出したままの姿勢で、ダクは周囲を見渡す。モット・アンド・ベーリー様式の砦は、暴風で跡形もなく吹き飛んでいた。山賊たちの群れも、暴風の大魔法で空の彼方へ消えている。そして、ぐったりした様子のエリスが、ダクの背中にぶら下がっていた。
「エリス……ほえ、よかった」
安心した顔で、ダクはぱったりと前のめりに倒れた。見晴らしのいい丘にリフォームされた砦の跡地に、安らかな寝息がひとつ。
「ほえ……ゴンザさま、げんこつは……ほえ」
事の終わった丘には、なんとも暢気な空気が漂っていくのであった。
ぺたり、とダクに身を寄せていたエリスが、むっくりと起き上がった。うっとりとした表情で、両手を頬に当てて身をくねらせている。下に敷いたダクが、少し苦しそうな寝顔になる。慌てて、エリスはダクの上から降りてダクの頭を優しく抱え、膝枕の姿勢を取る。吹き抜ける風に、エリスの長い耳が揺れた。
幸せそうなエリスの元に、一匹の鷹が羽を鳴らして降りてくる。腕を伸ばし、エリスは鷹を止まらせた。
「ご苦労」
エリスの口から発せられたのは、大人の声だった。鷹の頭を撫で、それから足首に結わえられた手紙を取って目を通す。その表情は、先ほどまでの子供らしさは皆無になっていた。
「名残惜しいが、行かねば……ダク、大儀であった」
鷹を放し、エリスが慈愛の目でダクを見つめて言った。すやすやと、熟睡をする子供の寝顔を、エリスはしばらく眺める。髪をそっとすいてやると、くすぐったそうにダクは身をよじる。そうしていると、ダクのまぶたがぴくぴくと動いた。目を覚ます、兆候だった。
「本当に、行かねばな……」
まだ撫で足りない様子のエリスだったが、一陣の風とともにその姿が消える。かわりに現れたのは、一本の丸太であった。
目覚めたダクは、丸太を不思議そうに眺めていた。