忍務33 さあいこう! きのうのてきは、きょうのとも
大陸南部の砂漠の果てに、火山があった。ビブロ火山と呼ばれるその場所には、強大な力を持つ火竜が棲むと言われている。
伝承には、かつて大陸の南部には緑なす広大な草地が広がっていたとされている。そこへ、火山から現れた竜がブレスによって草を焼き、大地は砂漠になったという伝説だ。
真偽はともかく、ビブロ火山にはバンジャン王国の人族は誰も近づかない。火山には魔物が棲んでおり、周辺地域も火山灰によってとても生活できる場所ではないからだ。
南からやってくる魔物を、王国は長い防壁を築くことにより防いでいた。防壁の各所には見張り台が設置されており、篝火を使った通信で魔物の襲撃を察知している。大規模な魔物の行軍が確認された場合には、ラクダ騎士団たちの出番になるのだ。
僻地へ魔物を追いやった北部、聖王国とは違いバンジャン王国ではいまだに魔物との対峙が続いている。北部よりも南部のほうが、人族が生きるにはいろんな意味で厳しい環境なのである。
地面が、砂漠から岩場へと変わっていく。ごろごろと大きな岩があちこちに転がっていて、足を踏み出すたびに火山灰が舞い上がる。
「ほえ、おもしろいね」
煙を巻き上げながら、ダクは隣の布服とターバン、そしてマントを着た姿のサーラに話しかける。
「ふん、無駄口をたたく余裕は、あるようだな」
つん、と澄ましたサーラが、前を見たまま答える。
「サーラは、ここへきたことがあるの?」
取り付く島もない様子のサーラだが、ダクは気にせず言った。
「……私も、ここまで来たのは初めてだ。ここは既に、魔族の領域だからな」
「ほえ、そうなんだ……ほかのみんなは?」
サーラの答えに、ダクは問いを横並びに走る一行へと移した。
「私も、ビブロ火山の麓までは行ったことがないですね」
まず答えたのは、ヒースだった。
「飲んで走ってまた飲んで! ぐはははは!」
ヒースの隣で、オジィが陽気な叫びを上げる。一行の行軍スピードに合わせるため、すでにして泥酔状態だった。
「ボクも。ミツメちゃんのほうが、詳しいんじゃないの?」
クリスが、お姫様抱っこしたミツメに言った。ミツメは、目を閉じて額を光らせている。
「ごつごつした山が、見えますわ……魔物も、たくさんいるみたい」
千里眼の発動が終わり、額の紋様の光が消える。だが、ミツメは目を閉じたままだ。心なしか、頬も赤い。
「ほえ、どしたの、ミツメ? かお、あかくなってる」
ちょっと首を傾げて、ダクが聞いた。
「な、何でもありませんわ」
「そうそう。ミツメちゃんのことは、ボクがしっかり見てるから。ボクに任せて、ダクくん」
慌てた声を上げるミツメと、にこにこ顔のクリス。ダクは、ほえとうなずいた。
「みんな、なかよくしてるみたいだね」
ダクの顔が、再びサーラへと向けられる。
「慣れ合うつもりは、無い。ホルス陛下の命令だから、行動を共にしているんだ」
かたくなな口調で、サーラが言った。
「ほえ、それでも、なかよしなのはいいことだよ」
ダクの言葉に、サーラはふんと鼻を鳴らした。
女王ホルスの命により、レディアサシンの三人はダクたちと一緒に火山へと出かけることとなった。出発前、しれっと現れた三人に同行を告げられ、ダクは喜びミツメは怖がりオジィは頭をぽりぽりとかいた。
そして出発から丸五日、駆け続けることで一行の陣形は定まっていったのだ。ダクの右隣にはサーラ、そして左にミツメを抱っこしたクリス、その隣にヒース、オジィと並ぶ、横一列の形である。走る速度は、このメンバーの中ではもっとも遅いヒースに合わせていた。三日月刀や身体のいろんな部分の脂肪が重く、速く走るのは苦手のようだ。
横一列になるのは、もうもうと立ち上る砂煙を避けるためには必要なことだ。地面が火山灰になっても、隊列は変わらない。一行の後ろを走ろうものなら、目や口に大量の粉塵が入り込んでしまう。
岩場になって走ること一時間弱、一行の前に魔物の群れが現れた。炎を纏ったイヌの姿をしたものや、尻尾の先に炎を揺らめかせるトカゲ、さらには溶岩の身体を持つゴーレムたちが行く手を遮る。
「ようやく、お出ましか」
足を止めず、サーラが声を上げる。そのまま、魔物たちに突っ込んでいきそうな勢いだ。
「ほえ、どうするの、サーラ?」
サーラに並走しながら、ダクが問う。
「我らは、我らだけで戦う。お前たちに、負けはしない。行くぞ、ヒース、クリス!」
闘志で目をぎらつかせながら、サーラが二人のアサシンに呼びかける。
「やだ。ボクは、ミツメちゃんを守りながら戦う」
ふるふると首を振って、クリスが言う。
「私も、オジィと一緒がいいです」
目を潤ませ、隣のオジィに腕を絡ませながらヒースも言った。
「お、お前ら……」
がくり、とサーラが速度を落とし立ち止まる。ダクも、急ブレーキで岩を削りながら止まった。
「レディアサシンの絆はどこへ行ったぁ!」
仲間へ首を向け、サーラが悲痛な声で叫ぶ。対するヒースとクリスは、涼しい顔だ。
「サーラ、時には、仲間の絆より大事なものがあるのよ」
「左に同じ。ね、ミツメちゃん」
二人のアサシンの答えに、サーラはがっくりと膝と手を地についてうなだれた。握りしめる灰の混じった土が、指の間からさらさらと零れる。
「ほえ、サーラ。くるよ」
ダクの声に、サーラは顔を上げる。イヌの魔物が、先陣を切って突っ込んできていた。
「くっ、私はレディアサシンの一! ひとりでも、誇り高く戦ってみせる! べつに、寂しくなんかない!」
身を起こしたサーラが、両手に短刀を構えて見得を切った。
「じゃあ、ぼくといっしょにたたかおうね」
にっこりと笑い、ダクが隣で両手を構える。ひゅう、と一陣の風が吹き抜けていく。
「オジィ、敵が来ます。構えてください」
一瞬で鋭い目つきになったヒースが、すらりと三日月刀を抜いた。
「おおう……酒、酒、んぐ。シャカリキ、パゥワー!」
その隣で、オジィが酒を飲み干し、竹筒を投げ捨てる。ヒースが、地面に落ちた竹筒を拾い上げて懐に仕舞った。
「ミツメちゃん。しっかり、掴まってて」
腕の中のミツメに、クリスが耳元で優しく囁いた。
「や、やめてくださいましっ!」
嫌がるようにもがくミツメの姿を、クリスはとてもいい笑顔で見守っていた。
ともあれ、こうして魔物と忍者とアサシンの戦いの火ぶたは、切って落とされたのだ。
サーラの両刀が閃き、戦闘を駆けてきたイヌの首が落ちる。
「忍法、かまいたち!」
ダクの両手が閃き、続いてやってきた二匹のイヌが真っ二つになる。
「ふん、少しは、やるな!」
サーラが声を上げ、さらに三匹のイヌの首を一瞬で落とす。ダクも負けじと、さらに二匹のイヌを切り裂いた。
「ほえ、どっちがたくさんやっつけられるか、きょうそうだね!」
「お前と慣れ合うつもりなど無い!」
言い合いながら、ダクとサーラがイヌの群れの中を駆けていく。二人の行く先々で、魔物の血が噴き上がる。百匹近くいたイヌの魔物は次々に数を減らされ、半数近くにまで減ったとき、逃走を始めた。逃げ行く先は、火山の麓である。殿に残った一匹のイヌの首を、短刀と鎌鼬が同時に切り裂いた。
「やった、ぼくのかちだね!」
「私の刃が、先に刺さった! 私の勝ちだ!」
顔を見合わせ、ダクとサーラが同時に言う。
「ほえ、それなら……ひきわけだね!」
にっこりと笑い、ダクはサーラに右手を突き出した。短刀を仕舞いながら、サーラはしばらくじっとダクの右手を見つめていたが、やがておずおずと自分も右手を出す。
「ふん。小物を狩ったところで勝負しても意味は無いが、そういうことにしておいてやる」
そう言いながら手を握るサーラに、ダクは力強い握手で応えるのだった。
火炎のトカゲに対峙したヒースの手元に、長い舌が撃ち出されてくる。
「甘いです!」
常人には捉えきれない舌の一撃を、ヒースは難なく切りとばす。舌を斬られたトカゲが、もだえ苦しむ。三日月刀を構え、ヒースはトカゲに向かい油断なく刃を振り下ろす。その右横から、新たな舌が伸びてくる。
「危ねえ!」
ぱしん、と音立てて、伸びてきた舌がオジィの手に握られる。じゅっ、とオジィの手から肉の焼ける音がした。
「オジィ!」
「大丈夫だ! こんくらい、うおおおお!」
炎を纏う舌を掴み、オジィがそのまま舌を引っ張りトカゲを振り回す。続いてやってきたトカゲへ、叩きつけるようにぶつけた。ぐしゃり、と潰れたトカゲの尻尾から、火が消える。
「大丈夫ですか?」
ヒースがオジィに駆け寄り、手のひらの火傷を診る。オジィは竹筒から酒を流し、傷にぶっかけた。
「こうすりゃ、何とも無え。自然治癒能力を高めてるからな」
痛みで酔いの醒めかけたオジィが、少し顔を歪めて言った。ヒースは自分の布服の一部を引き裂いて、即席の包帯としてオジィの手に巻いた。
「無茶、しないでください」
「そりゃ、こっちのセリフだぜ、ヒースよ。お前さんは、トカゲどもの舌を斬りとばすだけでいい」
治療の間にも、トカゲはのたのたと二人の周りにやってくる。オジィが跳躍した瞬間、ヒースが三日月刀をくるりと回す。舌を斬りとばされ苦しむトカゲの頭を、オジィが落下の勢いで踏みつぶした。
「とどめは、俺が刺す」
小型の犬ほどの大きさのトカゲたちを、オジィは次々に踏みつぶしながら言った。
「つまり、私は囮として動きを止める……そういうことですね?」
「ああ、そうだぜヒャッハー!」
オジィが、再び狂乱の様相をみせる。どうやら痛みは去り、酔いが再び訪れたようだ。
「女を囮に使うなんて……酷い人」
呟くヒースの顔には、どこか恍惚としたものが浮かんでいる。
「トカゲどもを、全滅、だぁ! 行くぜぃ!」
「はい!」
オジィに先立って、ヒースは迫るトカゲの群れに身を躍らせる。三日月刀が閃き、オジィがトカゲの頭を叩き潰していく。オジィの宣言通り、トカゲたちは全滅したのだった。
溶岩ゴーレムに対峙するクリスから、鋭い蹴りが放たれる。狙い過たず、蹴りはゴーレムの足首付近に叩きこまれ、太い足を打ち砕く。それで、ゴーレムは全身の動きを止めて崩れ落ちた。
「いい調子だよ、ミツメちゃん」
腕の中で目を閉じ、額を光らせるミツメにクリスは囁く。
「み、耳がくすぐったくて、集中が途切れそうですわ」
真っ赤になったミツメが、蚊の鳴くような声で言った。クリスは、愉悦を顔に浮かべつつ新手のゴーレムに向き直る。
「次が来たよ、ミツメちゃん。よく見て、コアの場所を教えて?」
硬くてタフなゴーレムには、弱点が存在する。核となるコアを破壊されれば、自壊してしまうのだ。そのため、ゴーレムはコアの位置を様々な場所に設定する。同じ個体で、同じ弱点を作らないためだ。
だが、ミツメの千里眼はコアの位置を特定できる。あとはミツメの情報に従い、コアを破壊するだけだ。クリスにとって、それは簡単な仕事である。
両腕はミツメを抱くために塞がっており、足で蹴ってコアを破壊する。ゴーレムは身体が溶岩でできているので、蹴り足には充分な速度と破壊力が求められる。タイミングを間違えば、大火傷を負ったうえでゴーレムの眼前に身を置くことになる。だが、今のクリスにはそんなことは気にならない。
「左胸の、真ん中ですわ」
言葉に従い、クリスがゴーレムに肉薄する。熱気を発する巨体の圧力に、ミツメの眉がぴくんと動く。クリスを信頼しながらも、もしも失敗したら、と不安を感じているのだ。
「あ、間違えた」
蹴りを放ったクリスが、小さな声で言う。
「ひっ!」
びくん、とミツメの身体が跳ねる。
「なんてね、ウソだよ」
悪戯っぽく笑うクリスの前で、ゴーレムが自壊してゆく。そちらへは目もくれず、クリスの視線はひたすらにミツメへと向けられていた。
「ああ……残念だね、ミツメちゃん」
心底残念そうに、クリスが言った。薄目をあけたミツメの視線の先に、美しい中性的な顔が憂いを帯びている。
「な、何が、ですの?」
ふい、と恥ずかしさに顔をそむけ、ミツメが聞いた。その様子に、クリスは満足そうに笑う。
「もう、いなくなっちゃったみたい」
クリスとミツメの周囲には、ゴーレムの身体を形成していた溶岩が冷えた塊だけが残っていた。
「忍法、ふーじんたつまき!」
ごう、と吹き抜ける風の塊が、周囲の魔物の死体を吹き飛ばしていく。綺麗さっぱりした山肌に、三人の忍者と三人のアサシンが集まった。
「……不思議な術だ。一体、どうやって風を?」
サーラが、空の彼方へ飛んで行った戦闘の痕跡を見据えながら言った。
「ほえ。きぎょーひみつだよ」
得意げにダクは笑い、答える。オジィはヒースと身を寄せ合い、ミツメはクリスに抱っこされている。仲良しさんだね、とダクはうなずき、行く手の山道を見据える。山の頂上には黒い雲が渦巻き、暗い中で火口から漏れる光だけが瞬いている。地面が、小刻みな振動を繰り返す。
「ほえ。かりゅうのところまで、もうすぐだよ。みんな、がんばろう!」
ダクの声に一同はうなずきを返し、険しい山道を進み始めるのであった。
ダクたちの姿が消え、静けさを取り戻した荒野に一つの影が現れる。山道を見やり、進むダクの背を見るように影はその場へ立っていた。
「ククク……まだだ、まだ、そのときではない……ククク」
正体不明の声で、影は呟く。一陣の風が、荒野を吹き渡る。影の姿が、消えた。




