忍務32 じょうおうさまのこくはく
呪法の中には、鏡を使ったものがある。鏡は高級品であり、王侯貴族の中でも位の高い者にしか使えない。それを用いる術もまた然り、ではあるが非常に強力な精神作用を持つのが特徴である。
相手の本性を暴く真実の鏡の呪法、歪んだ姿を本物のように見せる偽りの鏡の呪法などが存在する。映し出された鏡像は、対象の肉体にまで変化を与えることがある、と言われている。もっとも、それほど強力な術者はおらず、ただの理論上のことだと言われている。
鏡が無ければ仕掛けることのできない呪法ではあるが、精神を持つ者であればどんなモノに対しても有効である、というメリットがこの鏡の呪法にはある。相手の姿を鏡にとらえれば、あとは自由自在に精神を攻撃できる。
もちろん、デメリットもある。破られたときには、術者の精神に攻撃に相応のダメージが入ってしまうというものだ。この反動は恐ろしく、ときには廃人になった使い手もいるという。
呪法とは、劇的な効果を持つが多大なリスクを背負っている。容易に操れる力ではないゆえに、鏡の呪法の使い手もあまり多くはないのだ。リスクを負う事を考えると、鏡を用いることのできる身分の者が使うにはあまり相応しくない力である。
真実の鏡の呪法を破られた女王ホルスは、打ちひしがれた表情でダクを見やる。
「そなた……一体、何者じゃ」
問いかけるその声には張りがなく、疲れ果てた老婆のようであった。
「ほえ? ぼくは、ダクだよ。じょうおうさま」
首を傾げ、ダクは言った。
「何が、望みじゃ? 妾にはもう、そなたに抗する術は無い」
ベッドの端に腰掛け、力なくホルスが肩を落とす。その姿は、年齢相当に老け込んで見えた。
「ぼくは、じょうおうさまにききたいことがあってきました」
ホルスの短時間での変化に、ダクは驚きながらも言葉を続ける。
「このくにが、あぶないことをたくらんでるってきいたんですけど、ほんとうですか?」
ストレートな質問だった。ホルスは、口を笑みの形に歪める。
「その問いに、答えると思っておるか」
「ほえ。こたえてくれないと、こまります」
ホルスの眼を見つめ、ダクは言った。見上げてくるダクの視線にホルスは僅かの時間、耐えるように口を引き結ぶ。だが、呪法を破られたホルスには、それ以上の抵抗をする精神力が失われていた。
「……妾の負けじゃ。小さな勇者よ」
「ほえ? ゆうしゃ? ぼくは、にんじゃです」
首を横へ振り、言ったホルスの言葉にダクが答える。ホルスが、小さな笑い声を上げた。
「そうか。そなたは忍者か。まあ、どちらでも良い。聞きたいのであれば、教えよう。妾の、いや、バンジャン王国の企みをな」
ホルスは小さく呼吸をして、ベッドサイドの水差しからグラスに水を汲んで口へ含む。しわのある咽喉が、ごくりと動いた。
「我がバンジャン王国は、聖王国に攻め入るためにある存在と手を組むことにしたのじゃ。妾の命は、あまり長くは無い。息子はいるが皆ボンクラで、政治や外交にはあまり向かぬ。このままでは、聖王国の食い物にされてしまうのじゃ。対抗するには、武力が必要。じゃが、我が王国には人が少ない。豊富な物量の聖王国には、尋常の手段では太刀打ちできぬ」
ホルスの言うことは、ダクには半分も理解ができない。だが、ホルスの深刻そうな表情と気配で、ダクはなんとか事情をくみ取っていく。大変そうだ、ということは理解できた。
「ほえ。それじゃあ、どうするの?」
「王国の南、大陸の最南端の地にあるビブロ火山に棲む、火竜のもとから使いが来たのじゃ。共に手を組み、聖王国と戦わぬか、と」
ホルスの言葉に、ダクは目を見開き耳をぴくぴくと動かした。
「かりゅう……まものと、てをくむんですか」
ダクの問いに、ホルスはうなずいた。
「かの地の火竜は強大で、聖王国にとっても厄介な敵となる筈じゃ。妾に残された時間を考えると、魔物と手を組む以外、他に道は無い」
「でも、まものをつかうのは、まちがってます」
「そなたも魔物であろう? そなたを使う聖王国も、間違っておるか?」
ホルスの指摘に、ダクは胸を張り、視線を強くする。
「ほえ。ぼくは、にんじゃだからいいんです。それに、ぼくはまものじゃありません」
ぐにぐにと、ダクが耳をいじる。たちまち、耳は普通の人間のものになった。
「ぼくは、どこにでもいるふつーのにんげんのこどもです」
ダクの変化を、ホルスはきょとんとした目で見やり、口元に袖を当てて低く笑う。
「そなたのような子供がいるか、まったく……」
ひとしきり笑った後、ホルスの顔が引き締まる。
「ともあれ、火竜の提案を蹴ることは、妾には出来ぬ。手を結ばねば、火竜はまず我が国へ侵攻をしてくるであろう。戦えば、我が国はどうなるか……勝てたとしても、砂漠の民の多くの命が失われる」
沈んだ様子のホルスの肩を、ダクが背伸びをしてぽんと叩いた。
「ほえ。それなら、ぼくがやっつけてきてあげます!」
「そなたが?」
ダクの提案に、ホルスは目を見開いた。足先から髪の毛のてっぺんまで、ホルスの視線がダクを観察する。
「ほえ。わるいりゅうを、たいじしてきます!」
元気いっぱいの宣言に、ホルスはしばし考える。
「……好きに、するが良い。どのみち、妾にそなたの道を遮ることはできぬのだから」
ホルスの言葉に、ダクはうなずく。
「ほえ。りゅうをやっつけたら、まものとてをくむのはやめてくれますか?」
ダクの問いに、ホルスもしっかりとうなずいた。
「もともと、火竜がおればこそ手を組むのじゃ。いなくなれば、妾とて好き好んで魔物と手を組んだりはせぬ」
「わかりました!」
ダクは言って、にっこりとホルスに笑いかける。すぐに出発しようとするダクを、ホルスが止めた。
「待て、ダクよ。そなたに任せきりでは、妾のメンツが立たぬ。明日の昼まで待つが良い。少数ではあるが、こちらからも人員を出す」
振り返ったダクは、ホルスの言葉に首を傾げる。
「ほえ? おうえんですか?」
「そうじゃ。レディアサシンを、そなたに貸し与える。戦ったそなたであれば、実力はよく知っておるであろう?」
問いかけたダクに、ホルスはにこやかに告げるのであった。
一方その頃、ミツメは相変わらずの窮地に陥っていた。レディアサシンのクリスに、家屋の屋上で壁ドンをされている状況だ。ドンされた壁は手のひらの形に窪んでしまっており、ミツメは生きた心地がしない。
クリスは、ミツメがアサシンギルドの上位者と関連がある、という考えは早期に捨てていた。怯えて見上げてくるミツメの表情は、いつまで経っても変わらない。小一時間ほど問い詰めてみたが、満足な答えが返ってこないのだ。隙を見ては逃げようとするので、ちょっと脅してみると自分を抱きしめるようにして小さく震え出した。
「ねえ、どうして黙ってるの?」
にんまりと笑い、クリスは問いかける。ギルドの関係者では無い以上、さっさとこの少女を殺してサーラに合流すればいいのだが、クリスは質問を繰り返す自分を制御できずにいた。びくん、と身を震わせ、首をふるふるとするこの少女の仕草に、クリスの感情は得体のしれないものでいっぱいになる。
「わ、わたくしを……殺し、ますの?」
ようやく、小さな声でミツメが言った。涙でぼやける視線の先には、余裕たっぷりのサディスティックな笑顔がある。美しい中性的な顔に浮かぶ表情からは、肯定も否定も読み取れない。
「ようやく喋ってくれる気になったみたいだね。キミの名前は?」
すっと顔を近づけて、クリスが聞いてくる。妖しげな雰囲気と良い香りが、ミツメの吐息が届く距離までやってくる。
「み、ミツメ……です」
いきなりのクリスの動作に、ミツメの心臓がばくんと高鳴る。
「ミツメちゃん、か。いい名前だね。ボクは、クリス。さっき聞いたから、知ってるよね?」
クリスの手が、ミツメの頬へと伸びる。もちろん、ミツメは知っている。その手が、ダクの身体を易々と跳ね飛ばす力を秘めていることも。
「ひっ」
目じりに沿って、クリスの指が涙を拭う。からからと、クリスは笑った。
「そんなに、怖がらなくてもいいよ」
クリスの顔がミツメから離れた。すぐさま身を離そうとするミツメの襟首を、クリスが捕まえる。
「あ、逃げたら殺すから」
「ひぃぃ!」
こくこくと、ミツメはうなずいて大人しくなる。
「冗談だよ、ミツメちゃん。ああ、不思議だ……キミを見てると、何だか抑えが効かない」
ぎゅっと強い力で抱き寄せられて、ミツメは硬直する。
「ぴ?」
変な声が出た。クリスの頬が、ミツメの頭をすりすりとしている。何をされるんだろうか、アサシンの殺人技術のひとつなのだろうか。憶測が、ミツメの脳内をせわしなく駆けまわる。
「キミの、怖がってる顔がもっと見たいな」
爽やかな笑顔で、クリスが言った。
「い、いたぶってから……殺すのがお好きですの?」
真っ青な顔色になって、ミツメが聞く。クリスは、ミツメの間近に顔を寄せてにこりと笑う。
「いいいいやああああ!」
腕の中で悲鳴を上げるミツメに、クリスは恍惚とした。もちろん、殺すつもりはもう無くなっていた。ただただ、自分の感情を抑えられないだけなのだ。この少女を、もっと色々いじめたい。どきどきと高鳴る胸の鼓動を、クリスは心地よく感じていた。
すれ違う二人のやり取りは、夜が明けるまで続いたのである。
その頃のオジィは、高いびきで眠っていた。宮殿内の、小さく暗い倉庫の中である。枕にしているのは、ヒースの柔らかな太股だ。よだれを垂らして寝こける貧相な男の髪を、ヒースは幸せそうに撫で続ける。ちゅんちゅんと、外では雀が鳴いていた。
砂漠のお話も、折り返し地点になりました。
次は、小話です。




